第九十六話 創価編 キャッチボールとスピードガン
全宇宙の支配者 クソ大和田の判断と都合で、俺が 創価小学校と そのサッカー部の寮に送られて 4日目、買ったばかりの野球用品で、キャッチボールをします。スピードガンで球速を測り、プロのピッチャーも 裸足で逃げ出すぐらいの、球速を誇ります。やっぱり、野球って 良いなという話です。授業は、サボりますが…。
俺の名は、東 清二。東宮御所を建て、住んでいた時に 東という名字は自分で付けた。厄介だったのが、清二という名前だ。偽者に嫁いだ 小和田 ブタ子に、3という数字が最も安定するとほざいた宮内庁関係者、そして糞詐欺師 クソ高倉健の暗躍もあり、次男でもないのに 清二という名前に決まってしまった。生年月日は、せめて学年を飛び級させて、昭和56年9月6日生まれということにしている。年齢的には、昭和57年生まれだ。そして、全宇宙の支配者 クソ大和田の婚約者だからと生き延びた 小和田 ブタ子、のちに糞野郎 八木の娘と判明した 八木 祥子、3は安定する数字だと譲らない宮内庁関係者、東宮御所の周りをうろちょろして 情報収集をしているクソ大和田と、嫌気がさした俺は児童養護施設に行くことにした。こうして俺には、家族も家もない状態となった。
児童養護施設に行く前に、俺の才覚で稼いだお金で、行き先の児童養護施設を綺麗にしようと、全財産をつぎ込んだ。これで俺は、家族と家がないだけじゃなく、お金も全く 無くなってしまった。しかも行き先の児童養護施設 多摩地区にある東京サレジオ学園は、全宇宙の支配者 クソ大和田の親友で、のちに大和田の側の人間に成ったエイズの糞野郎、クソ村上 コウスケが園長をしていた。東宮御所での俺の情報が、クソ大和田にダダ漏れだった。クソ大和田でも、第1の矢 第2の矢までは、用意出来るということだ。第3の矢までは、用意出来ないが、当時の俺が第3の矢を用意出来なかった…。そして児童養護施設に住み、小平市立第三小学校の四年生になるところで、全宇宙の支配者 クソ大和田の判断で、創価小学校と そのサッカー部の寮へと送られた。そして 送られて4日目の朝、野球用品を買い 創価小学校へ登校した。
創価小学校のサッカー部の寮の世話人をしている、鈴木 史郎の母親には、スピードガンの使い方を覚えてもらい、小5の俺と史郎は遅れて授業の参加となった。
「アイ、バーック」と俺。そしてキャッチャー用品一式を身に付けた史郎を、「現状、無敵の防備を固めた男だ」と紹介すると、小5の男子しかいないクラスで笑いが起こった。
調子に乗った 史郎が、「よしっ ケンカなら、まとめてかかって来やがれ」と言うが、「鈴木、登校したなら授業を受けなさい」と先生にたしなめられる。史郎がキャッチャー用品を外している間に、燻っていた小5のヒマ部の2人に「プレゼントだ。御礼なら、世話人の史郎の母親に言え」と、俺はショートとセカンド用のグローブを手渡す。ヒマ部の2人は、グローブに興味津々といった様子で、手に嵌めたり 外したり試している。
午前中の授業が終わり、お昼ご飯を学校で食べた。午後の授業まで 少し時間があるから、早速 キャッチボールでもする事にした。
校庭に行く前に「史郎、念のため キャッチャーマスクも、持って行った方がいいぞ」と俺は伝えるが、「たかだか、キャッチボールだろ。オレのグローブは、グローブの王様だから 大丈夫だ」と意に介さない史郎。
校庭の端の方で、俺と史郎とヒマ部の2人で、キャッチボールを始めようとしている。俺が まずは、グローブの使い方 人差し指を、中に入れるか?外に出して ボールを取り易くなるか?試してもらい、それぞれのグローブの持ち方となった。そして野球のボールにも、軟式と硬式のボールの違いがあり、軟式のボールが軽く顔面に当たったところで、大して痛くない事を実感してもらった。そんでもって、ボールの握り方も教え ごくごく短い距離から、軟式のボールでキャッチボールを始めた。
俺はかつて野球の創始者で、記憶はないが 元ルー・ゲーリックで元 沢村栄治だ。なので、詳しく記憶をしていなくても、野球は得意だ。しかし 嬉しいことに、史郎も小5のヒマ部の2人も、運動神経が良く 飲み込みが早い。キャッチボールをする距離を、どんどん遠くしていっても ちゃんと対応出来ている。
史郎が「軟式のボールでのキャッチボールは出来たから、次は硬式のボールでキャッチボールをしようぜ」と言ったところで、創価小学校の昼休みは終わった。小5のヒマ部の2人は、授業を受けに戻ったが、史郎が「せっかく野球が面白くなってきたところだ。清二、授業サボって 硬式のボールで、キャッチボールしようぜ」と言い出す。ただでさえ、午前中の授業をサボっているので、普段の俺なら授業へ行くが、ここにスピードガンを持った 史郎の母親が、姿を見せた。
「皇太子殿下も、ウチの馬鹿息子も、昼休みは終わりましたよ」と史郎の母親。
「母ちゃん、オレもう少し 野球がしたい」と史郎。
「皇太子殿下は、小学生時分の勉強は終わらせてますけど、史郎は そうではないでしょう。史郎だけでも、午後の授業を受けなさい」と史郎の母親。
「母ちゃん…。」と、項垂れる 史郎。
「史郎の母親にして、剛ちゃんのカミさん。スピードガンを持っているということは、スピードガンの使い方は覚えましたか?」と俺。
「はい。電池を入れて、あとは投げたボールに合わせて ボタンを押すだけです」と史郎の母親。
「よしっ、じゃあ 授業をサボって このままキャッチボールを続けよう。担任でサッカー部の監督の男と、創価の会長には、野球がしたいから授業はサボったと、史郎の分も 俺が頭を下げるよ。久し振りの野球なんだ!硬式のボールで、今の俺の球速がどのくらいか測ってほしい」と俺。
「しょうがないですね。皇太子殿下、史郎の分も 頭を下げてもらいますからね。じゃあ、測りましょう」と史郎の母親。
「やったー、清二が、野球バカで良かったー」と史郎。
午後の授業をサボって、キャッチボールの続きをする事になった。
「史郎、硬式のボールは ロウが塗ってあるので、両手で ゴシゴシしてからじゃないと、すぐ滑るぞ。それと硬式のボールは、ワンバウンドしただけでも 直ぐに痛むから、俺の胸元にしっかり投げるように」と俺。
「分かった」と史郎。早速 ボールを、両手で揉んで 滑らないようにしている。
「じゃあ 私は、スピードガンで球速を測るわ」と史郎の母親。
俺と史郎で、また 短い距離からキャッチボールを始める。だんだん距離を遠くしていき、だいたい18.44メートルの距離で 尚且つ、本気で俺が速球を投げても、史郎の母親からは、「球速は、90キロから100キロ」と しょうもない球速が伝えられる。
「タイム!多分、スピードガンの使い方を間違えてる」と俺。スピードガンの数値を見ると、やっぱり球速をキロじゃなくて、マイルで表示されてる。
「史郎の母親、ちゃんとスピードガンの取扱説明書を、読みましたか?表示が、マイルで表示されてる。100マイルって、だいたい160キロだよ。プロ野球選手レベルのね」と俺。
「待って!あっ、ホントだ。次からは、ちゃんと球速をキロで測ります。すみませんでした」と史郎の母親。
「序でに、史郎。曲がる球、カーブも投げるので 捕球してみてくれ」と俺。
俺は投げる際、肘と手首を捻り カーブと呼ばれるボールを投げる。あらかじめ伝えておいたので、史郎は ちゃんと捕球した。そして、史郎も 真似して、カーブを投げ始めた。捕手にカーブは、必要ないのに…。
どんどん球速を上げていき、史郎が「清二の球は清二の言った通り、キャッチャーマスクをつけてないと危ないからダメだ」と言い、キャッチャーマスクを装着した。史郎の母親から伝えられる球速も、カーブだと170キロ台、 ストレートだと180キロ台と、納得のいく数値が出た。あとは傾斜のついたマウンドで、今以上の球が投げられるかだ。
「よっしゃああ、キャッチボール終了。先生に、授業サボって ごめんなさいと、謝りに行こう。それと史郎、よく難なくと 俺の球を、捕球出来るな。190台に届こうかという速球、いともあっさりと捕れる。あとはキャッチャー用品一式を身に付けて、マウンドの上から投げる 俺の色々な球種を、捕球出来るかだけだ。大したものだ」と俺。
「やったー清二に、褒められたー!」と喜ぶ 史郎。
午後の授業は、残り僅かだが 出席することにした。史郎の母親は、スピードガンの使い方の熟知と 硬式のボールのメンテナンスをする。「たかだか キャッチボールしただけで、もう本革が少し剥げてる」と驚いている。さあ、担任でサッカー部の監督もしている男に、謝りにでも行こう。史郎は、謝りに行くのは 渋々みたいだが。野球の良さは、分かってくれたみたいだ。
《はーっ、2017/08/19今現在の俺は、2回目の東 清二として、空虚で無駄な日々を過ごしている。創価へ送られても、環境に適応してみせたが、創価を渋々出て 最後の送られる先、福岡行きが鬼門だった。もともと、この東 清二として 最後の最後の人生を送る、意味も意義もない。ただただ、最低最悪の人生を、全宇宙の支配者 クソ大和田と 大和田の側の人間たちによって、味合わされてるだけだ。俺の前世や過去達は、死んだ後も存在し、具現化も出来 天国で出番を待っている。でも この東 清二としての人生では、具現化出来るのは東 清二1人だけだ。2回も 同じ顔同じ身体で、更に同じ名前で しかも、最低最悪の人生を送る意味がない。オーライ、もう最後の最後まで来た。俺の周りには、クソ大和田も、その側の人間も居ない。長ければ 寿命まで、あと15年。粛々と待つか、俺の念能力よ!とっとと復活しろ!》
こうして 創価へ送られて来て4日目、キャッチボールが出来た。プロ野球選手も、びっくりな球速でね。創価へ送られて来る前に居た 東京サレジオ学園では、野球どころか キャッチボールすら出来なかったので、たかだかスピードガン付きのキャッチボールだが、野球の創始者として 感慨も一入だ。俺が小学生時分の勉強を終わらせているのもあって、創価学会の会長は融通を利かしてくれるので、有難い。そして、史郎に その母親と、俺の側の人間がいるなんてね。そりゃあ、キャッチボールぐらいはできるか。史郎も史郎の母親も、合気道の達人で創始者の渋川剛気と一緒に居れてたら、安心なんだけどね。次回の話は、ちょびっと授業で 俺と史郎はサッカー、小5のヒマ部の2人は野球です。さて、どうなることやら。以上。
読んで頂き、どうもありがとうございました。宜しければ、続編も 楽しみにしてくれると、嬉しいです。それでは!