第二十九話 演技力
映画の終盤の話です。
夏目 雅子さん主演の映画、『瀬戸内少年野球団』の最後のシーンの撮影が始まった。教室の中で、野球をするシーンだ。俺は監督と揉めて、この映画には出演してないけど、野球が大好きなのと、夏目 雅子さんと会えるのも、最後になるかもしれないので、カメラに写らないところで、見学をしている。俺は 台本を読んでいないので、よくわからないが、新人女性教師役の雅姉が、学校を去るシーンみたいだ。が、上手くかみ合わないみたいだ。
「ダーリン、手伝って!」と、雅姉。
「うん、それじゃあ せっかくバットがあるし、教室で野球のノックをすればいいんじゃないですか?立ち去る、置き土産として」と、俺。
「ノック?」と、雅姉
「バットでボールを打って、その球を取るだけだよ。ついでに、最後のメッセージも 添えて」と、俺。
教室の机や椅子を なるたけ後ろや横にずらして、雅姉がボールを打ち、野球のノックが始まる。ただ なかなかボールを上手く捕れない子供が、続出する。
「ダーリン、上手くいかない!」と、雅姉。
「日本人のくせに、全員 野球未経験だからね。運動神経がいい子供を、紹介するよ。小学校三年生のサイトウ ハヤト君、それから ヨコヤマ ケンジ君 小学校二年生。両方とも、それぞれの学年の番長だし、運動も出来る子供だから、この二人に絞って、この映画の最後の場面、別れのノックをしてみて下さい」と、俺。
「分かった。その二人で、試してみる」と、雅姉。
教室でのノックが、再開される。まずは、ハヤト君。ちゃんとボールを捕り、投げ返せる。
「サイトウ ハヤト君、ドラマ『白い巨塔』のオファーを断るから、こんなことになっているのだよ」と、俺。
「フフッ」と、笑うハヤト君。何気なく、役をこなしていく。
次が ヨコヤマ ケンジ君。運動神経はいいのだが、演技はそれほどでもない。
「体が大きくて 運動が出来て ケンカが強いだけでは、ダメなんだよー」と、俺。
「ひがしき、うるせえぞー」と、ケンジ君。そういえば、俺のこの頃のあだ名は、『ひがしき』だった。理由は、ケンジ君が 4文字しか覚えられない、という理由だ。ケンジ君は、「ふざけんなよ」が口癖で、ケンカっぱやいけど、ケンカが強い奴が一番偉いという、孤児院の伝統に則り、小2の番長になった。
「見本を見せろ!」と、ハヤト君とケンジ君に 言われる。
それでは、ということで、たいして台本を読んでないのに、見本を見せることになった。批判するなら、対案を示せということか。笑わせて、リラックスさせようとしただけなのに。
「じゃあ、雅姉が先生役で、俺が 小学校一年生の子供の役で。実際 小1だし」と、俺。
「うん、分かった ダーリン!」と、夏目 雅子さん。
「先生、今まで どうもありがとう!先生が 来てから、この島もこの学校も 変わった。そして 何より、野球が出来るようになった。キャッチボールが出来るなんて、まるで夢のようだ!」と、俺。
「どういたしまして。本当は もっとみんなと一緒にいたかったけど、転勤は断われないの。君の存在と 君の言葉が、せめてもの救いよ。でも きっと新しい赴任先には、君の代わりなるような子供は いないから」と、雅姉。
「先生に巡り会えて、野球に出会えて良かった。いつか僕が プロ野球選手になったということを、楽しみに 現地の子供達に 体当たりでぶつかっていって下さい。先生、ありがとう!」と、俺。
あたりが静まり返る中、「ほらっ 出来るじゃねえか」と、俺。
監督が 雅姉と、俺を撮影に入れて最初から撮り直すか、揉めている。
「だからダーリンを最初から、準主役として使おうと 言ったじゃない!」と、雅姉。
《もう撮影も、終盤にきているので、今更 、最初から撮り直しは無理だろう。この映画の撮影を終えたら、白血病のため、病院へ入院することが決まっている、雅姉の為にも、何とか力になりたかったのに。せめて監督が、クソ野郎じゃなければ良かったのに!夏目 雅子さんにとって、最後の作品になるかもしれないのに!》
こうして この映画の撮影も、あとは教室内での、野球のノックのシーンだけになった。やっとクソ監督とも この島とも、おさらば出来る。雅姉に会えなくなるのは淋しいが、入院が決まっているなら しょうがない。東京の孤児院に帰ったら、新しい野球のグローブで 野球が出来ると、この時の俺は思っていた。以上。
よろしければ、続編も楽しみにしてくれると、嬉しいです。