第百十二話 自己紹介 【創価編】
俺の全ての人生通しての宝物 ピノコ・ナディア・哀姫、6歳で年齢が固定されている少女が、創価小学校にて 自己紹介をします。果たして、1人で出来ますでしょうか?この後 送られた先の福岡の極道編への恨み節と、今の俺の状態と想い、近況報告もあります。では!
時代は、昭和の終わりから 平成の始まりぐらい、俺 東 清二 小学校五年生は、東京都の西部 多摩地区にある 創価小学校に在籍していた。創価へと送られる折、宮内庁の者より、 俺の存在が少なくても、皇太子以上だと伝えられており、本物の創価学会の会長は、俺のことを「皇太子殿下」と呼ぶように伝え、創価では 俺の呼び名は「皇太子殿下」だった。ただし それ以外は、暮らしている 創価小学校のサッカー部の寮に住む少年たちと、待遇が変わらない生活をしている。数十人分のトイレ掃除に、皿洗いとかね。創価には、合気道の達人で創始者の渋川剛気の嫁と、その息子 小5の鈴木 史郎と、俺の側の人間たちが2人も居て、小6のサッカー部員の糞野郎 2人を除けば、悪くない暮らしだ。そして、裏稼業のトップで 俺の唯一無二の子分 菅原文太が、俺の存在を見つけてくれて、更に 小平市立第三小学校で虐められていた、俺の宝物 ピノコ・ナディア・哀姫を捕獲した。今日は、哀姫が、俺と一緒に 初めて創価小学校に、登校する日だ。
朝、日課のトイレ掃除を終え、朝食を食べる。哀姫は 満腹まで食べると、「あとは、馬鹿トチーヤイの分ヤイ」と、哀姫の分の残った飯が、俺に回ってくる。俺は、創価小学校のサッカー部の司令塔 背番号 10番として、チームで1番走る。なので、筋トレもしていないのに、腹筋はバキバキに割れている。哀姫が、俺の右隣りで「間接チューヤイね」と喜んでいるのを除けば、朝 食べれる量が増えるのは、有り難い。ハムハム、朝食を食べ終えた。皿洗いは、俺より 哀姫の方が、テキパキ上手に出来る。哀姫は、皿洗いを寮の世話人をしている 史郎の母親に褒められ、「まさか、皿洗いで褒められるとは、思わなかったヤイ」と上機嫌だ。そして、創価小学校へ 登校となる。
史郎に 俺に 哀姫、それに朝食の量が、俺に出す分は足りてなかったと、落ち込んでる 史郎の母親と共に、創価小学校へ向かう。哀姫は「しょえー、これが創価小学校ヤイか」と、好奇心を出し ワクワクしている。教室に着くと、俺は席替えを宣言し、自分の席を1番後ろの1番右端に、移動した。
席が1番後ろの1番左端の史郎が「清二、やっぱり オレの隣の席じゃダメか…。」と、落ち込んでいる。
「馬鹿 史郎は、まったく。まず 哀姫の指定席が、俺の右隣りなんだよ。俺の左側は、俺の女の指定席なんだよ。そんでもって、この教室の廊下側が、右なんだよ。満6歳児の哀姫には、小学校の授業は必要ない。教室に侵入者が来ても、この席だと まず俺が戦える。結果、俺の席が1番後ろの1番右端になるんだよ。史郎が俺と話したければ、大声で話すんだな。以上、席替えの説明 終わり」と俺。
「何だ、オレが清二に 嫌われた訳じゃないんだな。それなら、良い」と史郎。
「まったく、馬鹿チロウは、しょうがないヤイね。馬鹿トチーヤイの側の人間なら、馬鹿トチーヤイに嫌われる心配なんて、ないのにね」と哀姫。
「カナちゃん、息子の史郎は、これまで 誰とも上手くやっていけなかったので。上手くいったのは、皇太子殿下が初めてです」と、史郎の母親。
「皇太子殿下、席替えなされたのですね。鈴木が左端、皇太子殿下が出入り口のある右端。なかなか良い、フォーメーションですね」と、担任で 小5小6のサッカー部の監督も務める 男が言う。
「うん、俺の右側が この哀姫の居場所なのと、敵意を持つ侵入者を防ぐためにもね。これからは 俺が創価小学校の授業に出る時は、この娘っ子も 出席するから。じゃあ カナパンマン、自己紹介をしておいで。出来なかったら、俺が助け船を出すから」と俺。
「自己ちょーかい。余裕ヤイ、余裕ヤイ」と哀姫。哀姫は教壇に上がり、「名前は、や…」と呟き、顔を伏せ 言葉を失う。
「俺が、説明するよ」と俺。俺も 教壇に立ち、哀姫を抱きしめて、脇へ持ち上げとく。
「じゃ、まずは この女の子の名前から。ピノコ・ナディア・哀姫が、正式なフルネームだ」と俺。黒板に、ピノコ・ナディア・哀姫と書く。
「外人か?」と、史郎から 質問が飛ぶ。
「うん、まず ピノコという名は、俺がブラックジャックとして、腕利きの外科医をしていた時に、付けた名だ。その時 この少女が、独りぼっちで妖精をしていた。1人で居るよりはマシだろうと、俺が拾った。ナディアは、この少女がスペインの王妃をしていた時の名だ。その時は、俺はスペイン国王として、無敵艦隊なんかを造って、割と平和に暮らしていた。哀姫は、日本が まだ神話の時代から、この少女がいつも独りぼっちで 哀しんでるから、次に俺が生まれ変わっても、この少女の存在を忘れないように、イメージとファーストインスピレーションで、付けた名だ。カナを表す数字が7で、哀姫、ナディア、ピノコの順にカナは、生まれ変わっていった。俺もそうだし 哀姫もそうだけど、死ぬ度に生まれ変わり続けて来て、この姿は人間としては最後の姿だ。そして やっと、最後の最後の人生だ。次に寿命を迎えたら、俺も哀姫も 天使と成り、本当の自分にたどり着ける。俺の本当の自分は、半端なくかっこいいし、哀姫にとっての本当の自分も、誰がどう見ても 可愛らしい。今 この小5のクラスの皆んなは、俺のことを皇太子殿下と呼んでいるから、哀姫のことも 様を付けて、哀姫様と呼んでくれ。俺の全ての人生通しての、宝物だからね。以上、自己紹介 終わり」と俺。
「皇太子殿下の宝物…。ようこそ、哀姫様!」と、担任の男。
「ようこそ、哀姫様」とクラスの皆んな。
「オレは、様を付けずに 哀姫と、呼ぶけどな」と史郎。
「別にそれでもいいけど、合気道の達人で創始者の剛ちゃんと、二大プロレスラーの1人ジャイアント馬場ちゃんが、用心棒とボデーガードを務める、その2人が どうしても守りたい存在が、哀姫だということは、史郎も 史郎の母親も、知っておいてくれ」と俺。
「剛ちゃんはともかく、ジャイアント馬場さんまで、哀姫を 、それも どうしても守りたいのか…。何者なんだ!?」と史郎。
「だから、俺の宝物だと 言ってるじゃねえか」と俺。
「馬鹿トチーヤイの宝物!宝物!」と、はしゃぐ 哀姫。
俺は、哀姫と一緒に 廊下に面した席、1番後ろの1番右端の席に着き、廊下で 自己紹介を見守っていた史郎の母親に、「これから授業があるから、哀姫に創価小学校を案内してやってくれ。探検も、兼ねてね。小6のサッカー部の糞野郎 2人にだけは、気をつけるように。俺は この席に居るから、いつでも会いに来てくれ」と俺は、伝える。
「かしこまりました。カナちゃんに、創価小学校を案内します。カナちゃん、よろしくね」と史郎の母親。
「こちらこそ、どういたまして。馬鹿トチーヤイ、剛ちゃんの嫁とちょうか小学校を探検してくるヤイ。馬鹿トチーヤイは、ここに居るヤイか?」と哀姫。
「ああ。体育の授業の時、以外はね。カナパンマンは、いつでも 逢いに来てくれ。出来たら、おにぎりを握ってね」と俺。
「おにぎり?」と史郎の母親。
「ああ。おむすび とも言うな。創価小学校のサッカー部の司令塔として、チームで1番走るから だいたい腹ペコなんだ。腹筋がバキバキに割れるのは、構わないけど 栄養が足りなくて、低身長になるのは避けたい。出来たら身長は、175センチぐらいには成りたい。食堂の者にでも、頼んでみてくれ」と俺。
「おむすびマン ヤイね。了解しました。了解しましたヤイ!じゃ 馬鹿トチーヤイ、ちょうか小学校をカナパンマン隊長が、探検してき申すヤイ」と哀姫。
「探検に、おにぎり ですね。じゃあ、カナちゃん行きましょう」と史郎の母親。
探検といっても、30分もすれば 哀姫は、俺に会いに来るので、授業を受けながら 哀姫と一緒に、おにぎりをパクつき 関東大会出場を控える俺としては、良い授業の受け方となった。
《俺の宝物 ピノコ・ナディア・哀姫、今頃 何処で何をしているんだろうか?2017/12/05今現在、俺は 哀姫とは一緒に居れていない。福岡の極道編で、糞詐欺師 クソ高倉健が予定外に現れ、俺が思っている事と反対のことを言うと、言い張り それを公式プロフィールに、クソ高倉健は しやがった。この不幸の使者 クソ高倉健が現れると、ポイントを打ち 糞詐欺師 クソ高倉健の居場所が、いつでも分かるようにしてある 不幸の王様 クソ大和田が、幸福を摘み取りにやって来る。やっと糞詐欺師 クソ高倉健を追い出し、俺の思っている事と反対のことを言う という公式プロフィールも、嘘っぱちで デタラメだったと証明された。糞詐欺師 クソ高倉健の遺言は、「コンチキショウ」だった。糞詐欺師が引退すると、何故か後継ぎが生まれる。それが、元ジャイアンと元ジャイ子が、近親相姦 夫婦となった 澤野 ジャイアン ジャイ子夫妻だ。澤野 ジャイアンが、クソ大和田の稚拙な操作系念能力で、クソ大和田のイヌに成り下がっている中、ジャイ子が 手に入れてさえいないのに、俺の存在も 哀姫の存在も、日本の未来も東京の未来も、タダで クソ大和田に売りやがった。結果、その後 俺は浮上することなく、災害でめちゃくちゃになった日本と、リーダーが存在せず めちゃくちゃになった世界の中、2017/12/05今現在を迎えている。俺の側の人間たちさえたどり着けない場所に行けば、クソ大和田も 大和田の側の人間たちも居ない場所があり、俺は今 そこに居て 晩節を迎えようとしている。寿命まで、長くても あと14年間。奇跡の子、哀姫、逢いに来てくれ。それと俺の念能力、とっとと復活しろ!それが、全てのキーだ》
こうして 哀姫は、創価小学校にて 八木 加菜なんかじゃなく、本名のピノコ・ナディア・哀姫として、自己紹介を終えた。満6歳の哀姫には、小学校の授業は必要なく 創価学会の会長も、それを認めてくれていたので、俺が授業を受けていても 哀姫は、いつでも俺に会える環境となった。次回の話は、小5にして 裏稼業のトップそして俺の唯一無二の子分 菅原文太の奢りで、風俗へ通う 史郎についてと、サッカー小学生の部 関東大会出場の話の予定です。以上。
読んで頂き、どうもありがとうございました。宜しければ、続編も 楽しみにしてくれると、嬉しいです。それでは!