赤い芋虫
これは、私が二年ほどまえに書き、「小説家になろう」に別の作者名で公表した作品です。当時は評判が芳しくなく、消してしまったのですが、自分では面白い作品だと思っているので、また公開することにしました。少しでも楽しんでいただければ、光栄です。
いやな夢を見た。私と、高校の同級生で勉強も運動もできて友達はたくさんいて先生からも信頼されていて、つまり私とは対極に位置するAとの二人が、フルマラソンをするのだ。はなから結果は分かりきっていて、夢の中の私も内心は勝てっこないという気持ちがほとんどだったのだが、心のどこか隅の方ではもしかしたらという小さな希望の泡が立ち上ってもいた。
私とAは校庭に引かれたスタートラインにたった。私に右側に並ぶそいつの姿は、相変わらず非の打ち所がなく、美しいという表現も当てはまりそうなぐらいだった。私の心の中は嫉妬で煮えたぎった。
パン、先生がスタートの合図をピストルで知らせる。私たちは走り出した。出だしはほぼ互角、ところが。
「あー、D君、ちょっと待って。君、フライングしたでしょ」
先生が私の後を追いかけてきて、走っている私の肩をつかんだ。
「フライングした人は最初からやり直してもらわないとだめなんだよね。さ、スタートラインに戻って」
何てことだ、この間にもAはどんどん前へ進んで、もう学校の校庭から市街地に出ようとしている。先生は私をは引っ張って連れて行き、スタートラインへ引き戻した。そこからもう一度やり直し、先生が今度は口で、
「ヨーイ、スタート」
と言う。私はえっちらおっちら走り出す。
高校の校庭を一周した後、市街地へ出るととっくに姿が見えなくなっていたAが足踏みをして待っていた。私が意外そうな顔をしてAのきれいな顔を覗き見ると、
「どうせ学校でやってるマラソンなんだし、競争するよりは二人で一緒に行こう」
と彼は言った。さすが優等生、言うことが違う。
Aは私のペースに合わせてゆっくり走ってくれているのだが、それでも私は息切れして肺の中で血液のスパークが起きている。この体力の差はどうしょうもないので、もう勝手に先に行ってくれ、その方がこちらも楽だ、と言おうとしたのだが、その時私の右足に何か障害物がぶつかって、前につんのめって転んでしまった。
障害物は人の足だった。Aの友達が私に足をかけたのだ。私は手とひざをすりむいて、しばらく立つこともできなかった。少し前を行っていたAは私が転んだことに気づいてか気づかずにか、走っていってしまった。
立ち上がろうとする私に、Aの友人たちは次々に蹴りを浴びせる。肩、腹、頭、肩、かた、はら、あたま、に痛撃。かたはらあたま、かたはらいたしっ、ぶっ。
彼らはしばらくして飽きたのか、皆学校や自分たちの家の方角に戻っていった。私は血みどろになって立ち上がり、口から血と折れた歯を吐き出して、また走り出した。
曲がり角を曲がると、また優等生Aは足踏みして私のことを待っていて、振り返ると、一緒に行こう、と言った。ガードレールで仕切られた沿道には学校中の女子が並び立ち、Aに声援を送っている。
「キャー、A君がんばれ」
「キャー、A君ステキ」
「Dキモイ」
「A君、私のほうを見て」
「A君、私のものになって」
「Dじゃま、A君の姿が見えないじゃない」
「D死ね。しね、しねしねしね、ねし、ねしねしねし」
私に対する罵倒の声が時折混じるのはたぶん気のせいではない。女子高生たちもなんだか私とAを同時に視野に入れたくないみたいだし、もう先に行ってくれや、そう言おうとした時。
眉間に小石が当たって、私は地面に倒れ付した。倒れた私に、小石はやむことなく雨あられと降り注ぐ。肩甲骨、尾てい骨、後頭部に痛烈な打撃。私は顔を無理やり横にして沿道を見た。PTAのおばさん軍団が
「学校のレヴェルが下がる。来るな」
「生ゴミ、学校へ行くな」
とか言いながらつぶてを投げてきている。Aはこの状況に気づいたのか気づかないのか、先へ行ってしまっているようだ。
おばさんたちがつぶてを投げるのに飽きて、それぞれの生息場所に戻りだすと、私は再び立ち上がった。皮が一枚むけた赤い芋虫のような姿になりながら、私はまた走り出した。Aは前方で再び足踏みして私のことを待っている。
そこでこのいやな夢は覚めた。
だから私はこのマラソンでどちらが勝ったかを知らない。