私を裏切ったあなたの苦しむ顔が楽しみです
婚約を白紙にして欲しい。
「え?」
言葉が広間に響く。なぜそれを今言うの?なぜ、人前で晒すように言うの?ネフィネラは信じられない暴挙にわなわなと震えた。ネフィネラは大公家に、夏だけ身を寄せるような交流を持つ貴族だった。
どうしても婚約して欲しいと一年前に言った口で、今婚約白紙を口にするのか。あまりに不誠実すぎた。何が白紙だ。こんなのは破棄と同等の、周りに見せつけた吊し上げのようなものではないか。
「な、なんということを。お恨み……しますから。恨みます、恨みますから」
「ああ、私が悪い。恨んでくれ」
大公家の親戚筋であり、子爵家の子息の彼の近くには心配そうにこちらを見る令嬢が現れて「ああ」と納得した。彼女が彼の次の恋の相手なのかと。
遠い従弟の子供だからとギリギリ婚約を許されたと言うのに、彼らの面子を潰した彼に未来は暗いだろう。それに、ネフィネラは一つの真実を知っているからこそ彼を内心、馬鹿にした気持ちで笑った。親戚たちから反感を食らって嫁にする相手、実に楽しみだ。彼女は彼にずっと寄り添えるのか。
ネフィネラは三女だからこそ、彼との婚姻を許されたと言うのに。彼は何もわかってない顔で悲劇のヒーローぶって、令嬢に悲しみの滲む顔で笑いかける。ネフィネラはそれを見て、ひっそりと数年後に思いを馳せた。彼女はどんな選択をするのか高みの見物をしよう。
数年後、赤子を抱く使用人をともなって現れた時。身内のパーティに当たり前のように在籍していた彼らを見て、クスリと笑う。夫となった男が「あいつだな」と同じく意地悪く笑う。浮気したくせに、何故か引き裂かれたカップルのように恋に酔いしれていた二人。
「見て、赤ん坊よ」
「ありえんな」
「本当。間抜けねぇ。ふふ」
無関心どころか今も恨んでいる。だからこそ、彼が赤子を周りに見せているのが滑稽で堪らない。二人でクスクス笑っていると、大公家の方々が広場に現れて皆は頭を下げて出迎える。
「子爵家次男、前へ出ろ」
ネフィネラはずっと目を瞬かずに見ていた。
「は、はい」
最後に見た時より大人らしくなった彼が、誇らしげに赤ん坊のお披露目を彼らにしようと一歩踏み出す。
「子爵当主、ネフィネラ夫人、赤子と共に先に」
「はい」
「はい」
子爵家当主の夫も大公の血筋だが、元婚約者とは違って当主だった。彼とはさらに従兄だと聞かされて、彼とも顔を合わせたことがあるだけなのに謝られた。不誠実な血族の詫びと言われたのだ。
綺麗なシトリンの宝石をあしらったネックレスなどを貰ったとき、キュッと心臓が歓喜に揺れたものだ。顔を見た時、この人の優しさに心が打たれた音。
そこから手紙のやり取りを経て、二年前に婚姻した。母からあなたは見る目が養われたのねとちょっとだけ、ちくっとした小言と娘への祝いを送ってくれた。一人目は確かに見る目がなかったかもしれない。それに、彼に嫁いだら自分の家族を。
「娘のケラーです。ご当主様」
大公の一番上に君臨する男性と妻の女性に挨拶をして、赤ん坊のお披露目をし終わった。たいそう褒められて夫婦でホクホクした気分になる。おまけに、祝言だと子供用の椅子まで貰ってしまう。
「息子のマノンです。ご当主様」
三人が両親と義親たちのそばに行き、皆で顔を見合わせているときにそれは行われた。
「本当に、お前はその答えでいいのだな」
「え?」
「あの?」
祝言が口に出されるのが本来のお披露目。当主の口から出たのは、呆れと怒り。特に子爵家の子息であり元婚約者である彼の妻になった、婚約白紙の現場を何故か近くで見ていたあの時の令嬢。今は彼の妻である人を当主は恨みのこもった目で見つめた。
「ご当主様?」
「お前はその倅を息子として私たちに紹介するのだな?」
「は、はい!」
「お前はどうだ?本当にいいのだな?今ならまだ助かる……本当に、お前の息子を認めてもいいのだな?」
「っっ」
元婚約者の男の妻の顔色が青くサッと変わる。ネフィネラたちの世代は何事かと騒めくが、祖父世代の者たちの視線は当主と同じように最後まで見届けるような、凪の如く静かな揺れさえなかった。動揺も責苦もない。あるのは……静観。
「どうだ?お前は負えるのか。子の命、お前の命を。お前の親もただではすまないぞ」
震える彼女の親は大公より下。一族に引っ掛かるように入ったけれど、今日の会では縮こまっている。彼らの知らぬ間にネフィネラから婚約者を横取りしてしまい、大公に責任を取れと別れることは許されず、婚姻を結んだ。親からすると離れて欲しかったに違いない。色んな、たくさんの意味で。
「そ……それは、そ、そんな」
妻の異変に夫の彼は声をかけるが、赤子を抱いているので動きにくそうだ。スッと出てきた執事が赤子を受け取ると、当主の意向を汲んで前に一つ足を出す。
「あ、あああああ、あああああ!!」
妻の奇声と共に子供が引ったくられて、彼女はそのまま崩れ落ちた。守るように囲った赤ん坊よりも女の鳴き声が大きい。
「こ、こ、この人の、夫の息子では、あ、ありませんっ!申し訳!ござい、ませんっ!」
「なっ!?」
「その子供は我が一族として加えなくてもいいのだな」
「はいいぃぃ!この子は不貞の末にできた子です!私が罰を受けます!どうかこの子は!この子だけはっ!」
一族に受け入れられた後、不義と托卵が発覚した場合大公の一族に偽りの血筋を入れようとした咎で、彼女の子供も含めた親から三親等に至るまで少なくない罰を受ける。乗っ取りは死もついて回るのだから。
「な、何を言って、る?」
元婚約者の絶望に歪む顔がこんなに至近距離で見られて、感無量だ。性格が悪いと思っているが自覚アリなので。さらにいうと、婚約白紙をした時、令嬢だった妻の女だって、特等席で捨てられる瞬間を優越感を抱きたいがために見つめていたのだから、漸く今回でおあいこ。
妻の暴露によってお披露目はひっそり終わった。親族たちの今日の話題はこれ一色になるだろう。夫とワインを飲みながら、しっとりした会話の内容も楽しみだ。両親たちとて報いを受けたといったキリッとした顔つきであてがわれた部屋に帰っていく。
母たちがこちらの背中に触れて、孫にあたる長女と長男たちを連れて行った。そう長男だ。長女のお披露目をしたのだ、今日は。第二子である。
「母上たちに子供たちは任せて、私たちは部屋に戻って少し休憩しよう」
夫の子爵に頷き、未だ妻を呆然と見ている元婚約者を一瞥すると騒動で食べ損ねた空腹が、少しだけ和らいだ。
「君へだ」
三ヶ月後、処理や処分、後片付けなどが終わったのだろう元婚約者から手紙が届き話がしたいと書かれており、とうとうここまで辿り着いたのかと薄ら笑う。
「今更だけれど、こんな美味しそうなメインメニューを選ばないのは私じゃないわね」
「ふ……そうだな。思う存分、皿まで舐めなさい」
「やだわ、旦那様ったら」
ふふふ、と可笑しくなって笑う庭先。三日後、元婚約者は面影をなくしてげっそりと頬をこけさせて、目の前に座る。人払いしているので二人きりだ。
どうしても一人で味わってみたかったから。皿まで舐めてもいいと言った通り、快く笑顔で見送ってくれた彼にはもう足を向けて眠れなさそう。
「久しぶり、だな」
「ええ。子爵夫人と呼んでくださいませね?名前を呼ばれると虫唾が走るので」
「っ、ああ、そうだ、な」
祝賀会やパーティーでお互い目にしていたが、声をかけることはなかった。どの面を下げて声をかけてくるのかと、こちらの親たちや親族たちが睨みをきかせていたというのも、大いにある。
「それで、何か私にお話があるとか」
長々しい挨拶などする仲でもない。本題に切り込む。
「……私に子供を作ることができないと、大公閣下に教えられた。確実になるまで様子を見ていたと」
「そうなのですか」
「だから、妻を娶っても後継を得ることはできない」
無言で先を足す。お可哀想にと慰めるには、彼こそがこちらを酷く裏切り投げ捨てた側。やるわけがない。それみたことか、と言われるので終わりだ。
「知っていたのか?」
「ええ。まあ」
「な、なぜ、言ってくれれば」
「大公様が縁談を取り持った時にそれらしきことを言われまして、察しただけです。断言されたわけでもありません。それに、私はあなたと婚姻した後に言うつもりでしたし」
「え?子供を産めないかも……しれないのに?」
「今の奥様とは四年目でやっと子供に恵まれたから、可能性はまだわかりませんよ?」
妻が不貞したことを皆が知っているから、だからこそあてこする。吐き気が来たのか彼は喉を震わせた。自分の子供ではない赤ん坊をお前の子供だと言われた傷は、癒えることはないだろう。でも、ネフィネラみたいに全てをわかっていて裏切られるよりマシである。妻の方はきっと夫との子供が生まれなくて、責務に押し潰された末の足掻きだったのだろう。
「教えてくれれば、教えてくれれば私は」
「まあまあ、おかしなこと!あなたが言ったんじゃありませんか」
クスクス笑うと彼は萎びた顔で、こちらに強張る目つきを向けた。そんな目を向けたいのはこちらだと言うのに。相変わらず、頭が弱いだけはある。
「恨んでいいと。恨んでいる相手に言うわけがないでしょう?ふふふっ、あははは、ああ、可笑しい」
「そこまで……私を」
「ええ。それはそうですよ。子供を産めなくても夫婦で逆境をと、勝手に一人で盛り上がった私も悪いところはあるのでしょうね?」
元婚約者のことは守るとすら、烏滸がましく思っていた過去。裏切られた途端、裏切りをいつか同じように思い知るのだと思えば、彼らを殺したくなるほどの恨みで身を焦がす真似を回避できたのは、誠に重畳である。おかげで一男一女を儲けられ、親に見せられないと諦めていたはずの孫を、二人も見せられた。
「ですが、ね」
だが、だからといって感謝などするわけがない。彼にこちらを責める権利などない。責める矛先が欲しいのなら自身の妻が、心を大口で開けて待ってくれているのだから。
「あなたの苦しむ顔を見るのがずっと楽しみだったのです」
恋をする乙女のように頬を染めて、二人三脚でやっていく決意をしたはずの裏切り者がこちらを見る目は、まるで化け物に食われる標的のように言葉をなくしていた。
毒を喰らわば皿までという言葉がどこかの国にあるらしいが、彼の毒は一体いつから入り込んだのか。今頃気付いたところで、女を一人も幸せにできなかった男の人生は闇しかない。
最後まで読んでくださり感謝です⭐︎の評価をしていただければ幸いです。恨んでいいと言ったから皆でバチボコにした




