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その後。陽太の部屋に行くと、なぜか睦月が出て来た。タヌキではなく人間の姿になっている。何をしているかと思えば、口に手をあて「シー」のポーズ。
部屋は真っ暗。ベッドの上には、涙で頬を濡らした陽太が寝息を立てている。
「泣き疲れて寝ちゃったんだね」
睦月と一緒に一階へ降り、二人で台所へ。雨上がり特有の、肌にまとわりつく湿気を覚えながら、湯気が立つ湯飲みをそれぞれ傾ける。
「は~、美味しいね」
「ただの緑茶だけどねぇ」
二人で目を細め、天井を仰ぎ見る。上に二人いるとは思えないほど静かだ。
「ねぇ明里。その顔は〝解決した〟ってことだよね?」
「うん。ルカのおかげで」
「ルカが? へぇ~」
湯飲みから口を離す睦月は窓へ目をやり、子供特有のモチモチほっぺをクイッと上げる。
「雨、あがったねぇ」
「虹が出たらいいのにね」
心では「ルカも部屋から出てきたらいいのに」と、二階にいる彼へ思いを馳せる。
雨、もう止んだんだけどな。
「一つ気になるんだけど、どうしてルカは雨を嫌うの?」
「気になる?」
「うん。さっき部屋から出て来たルカに〝まだ雨降っているよ?〟と言ったら、すごく嫌な顔をしたから」
「へ? あはは!」
睦月はお腹を抱えて笑った。加えて「そりゃダメだ」と膝を叩くと、タヌキと同じ茶髪が衝撃でふわりと揺れる。
「お察しの通り、ルカと雨は冗談を言っていい関係じゃないんだよ」
まぁ、全てを知ったら笑っちゃうようなことかもしれないけど――と、えらく含みを込めて睦月は話す。
「どちらにしろ、私の口からは言えないな。
知りたいなら本人に聞いてみたら? 案外すんなり教えてくれるかもよ」
「そうかなぁ」
「全てを知ったら笑っちゃうようなこと」と睦月は言ったけど、ルカにとっては部屋に引きこもるほど深刻なことなんだよね? だったら人づてに聞くわけにはいかない。
いつかルカが話してくれたら嬉しいな。そうして雨を克服できたらもっといい。
だって教えてあげられるから。
雨あがり。日が差し込む瞬間の桜も、とんでもなく美しいんだって。
「あ、あの……お姉ちゃん」
目を覚ました陽太が、二階から降りてきた。ケンカした後で気まずいだろうに、それでも話しかけてくれる陽太が愛おしい。この子は本当に優しくて、それ以上に勇気のある子だ。きっと私の目が届かない所でも、ちゃんと言いつけを守って遊ぶことが出来るだろう……さすがに子どもだけで遊ぶのは、もう少し先だけど。
「おいで陽太。みんなに手を合わせよう」
「え……う、うん」
応接間には大きな仏壇がある。そこに両親、祖父母の笑った写真を立て、いつも見守ってもらっている。
その前へ、二人並んで座る。お線香をあげ鈴を鳴らし、手を合わせた。
手を合わせようと思ったのは、みんなに改めて誓いたかったから。
どんな形であれ、これからも陽太を守ると。
もちろん、陽太の負担にならない範囲で。
「陽太、今までごめんね。陽太だって、お友達と遊びたいよね」
「え……」
「遊んでいいよ。今しかない時間を思い切り楽しんでほしい。
ただし一つだけ約束。小学生になるまでは、私も一緒に行く。小学生になって慣れてきたら、お友達だけで遊んでいいよ。ただし、どこに行くか何時に戻るか。それを必ず伝えてほしいんだ」
「でも……」
陽太は、仏壇に合わした両手を太ももへ置く。小さな握りこぶしを作りながら。
「お姉ちゃん、怒ってないの?」
「どうして?」
「だってお姉ちゃんは仕事で遊べないでしょ? それなのにぼくだけ遊ぶんだよ? それって嫌じゃないの?」
「陽太、私は『陽太だけ遊んでズルい』なんて一回も思ってないよ?」
「え」
その瞬間、陽太は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。どうやら私のことを勘違いしているらしい。
五歳児ならではの可愛い勘違いに、思わず笑みがこぼれる。同時に、こんなことも考えるようになったんだと成長も感じられて嬉しい。
「そんなことで怒らないよ。ただ私は、陽太が可愛くて大好きなだけ。
陽太、さっきはムキになってごめんね。私、お姉ちゃん失格だった」
「そ、そんなことないよ!」
陽太は首がもげそうなほど勢いよく頭を振る。それがよくお土産にある振り子みたいで、やっぱり可愛らしい。
「もし陽太が振り子になったら、百個は買うかな」
「お姉ちゃん、何の話?」
「ふふ、内緒!」
すると後ろから「楽しそうだな」の声。
振り返ると、真後ろにルカがいた。涼しい顔をして私たちの背後をとっている。また足音が聞こえなかった。ルカって、やっぱり忍者じゃないの?
「こんな端っこで何を……」
そう尋ねたルカだけど、私たちの奥にある仏壇を見て口を閉じる。ここにみんなが眠っていると、ルカは知っているんだ。
「無事に仲直りしたって、みんなに報告していたの」
「報告?」
「その方が、天国にいる皆も安心するかなと思って。よいしょ」
足がしびれない間に、座布団から腰をあげる。ちょっとだけピリピリしている。危なかった。これ以上に正座をすると確実に立てなくなっていた。
陽太が「ルカお兄ちゃんー!」と足にしがみつく。といっても筋肉マッチョのルカは微動だにしなかった。
だけど何やら困った顔をしている。目尻が下がっているような……。
「家族って、そういうものなのか?」
「へ?」
「……何でもない。忘れてくれ」
そう言うやいなやルカは踵を返して応接間を出て、睦月の名前を呼んだ。足には、陽太をぶら下げたまま。
時計の針が午後五時を指す。これから二人(+陽太)は晩ご飯作りだ。
「私も手伝おうかな」と思ったけど、ルカの足にぶら下がったままの陽太が、頭を振る。
「お姉ちゃんはいつも働いているんだから、家では休んでて! 約束だよ!」
「……はい」
相変わらず、年齢に似合ない気の使い方をするなぁ――そんなことを思いながら、台所へ向かう陽太の背中を見送った。
頭では、さっきルカが言った言葉が静かに巡っている。
――家族って、そういうものなのか?
まるで家族を知らない言い方だった。
もしかしてルカ、家族と上手くいっていないのかな? 妖怪にも「家族」がいるのかは知らないけど。
「でも私に散々〝家族の在り方〟を説いたルカが、家族を知らないことってあるの?」
私と陽太が悪鬼に襲われることがないよう、両親は一匹妖怪を探した。
その行為を、ルカが「偽りのない愛」だと教えてくれた。
さっきも、そうだ。
過保護に陽太を守ろうとする私に「家族を信じることの大事さ」を教えてくれた。
家族との関係について、私は何度もルカに助けられた。だからこそ「家族の在り方」をルカは熟知していると思っていた。だけど……。
――家族って、そういうものなのか?
「……」
落ち着きを取り戻していた心に風が吹き、波風が立つ。
ルカの心を、無性に知りたくなった。
◇




