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 陽太を迎えに行った、その帰り。

 いつもと変わらない道を、他愛もない話をしながら通っていた時だった。

 陽太が突然「あれ?」と、私の背中をぽんぽん叩く。


「今、何かが横切らなかった?」

「そういえば見えたような……」


 落ち葉かと思ったけど、それにしては大きかった。帰り道を急ぐ私とは反対に、陽太は「降りて確認してもいい?」と興味津々だ。


「まぁ、少しくらいなら」


 私が急いで帰る理由は、今ごろ晩ご飯を作ってくれているだろう睦月とルカの手伝いをしたいから。せっかく「ご飯は作るね」と言ってくれるのだから甘えればいいけど、全て任せるのも申し訳ない。「確認したらすぐ帰ろうね」とさりげなく制限時間を設け、固定した自転車から陽太を降ろす。


「さーて、見つけるぞぉ!」


 さすが五歳児。子ども園の帰りとは思えないほど元気いっぱいだ。対して私は自転車の横で棒立ち。はしゃぐ陽太を見逃さないよう目で追う。

 帰り道はいつも気が張っていた。だけど今日は違う。


「誰かが待っている家に帰る。それだけで、こんなに気持ちが軽くなるんだ」


 子ども園から帰る時、頭の中は「寝るまでのスケジュール」でいっぱいだった。陽太から話しかけられても、考え事に集中して上の空だった。

 お風呂に入って、ご飯を作って、一緒に遊んで、寝かしつけて――このルーチンを崩さないよう必死だった。一日を平和に終わらせることが全てだったから。


「お姉ちゃん、来て来て! やっぱり何かいるよ!」


 珍しく陽太がはしゃいでいる。そんなに寄り道が嬉しいのかな? こんなことで笑顔になってくれるんだ。

 そういえば引っ越してきた時、陽太は庭の虫に夢中だった。もともと虫や動物が好きな子だった。そんなことさえ忘れていたなんて。


「お姉ちゃん、失格だな」


 陽太の幸せをずっと願っていたのに、彼の幸せが何かを考えていなかった。

 睦月とルカに出会って「もう一人で頑張らなくていい」と分かったから、気が抜けたのかな。全てのことに、ゆとりをもって対応できる。


「睦月とルカに会えて良かった。二人には感謝しなくちゃ」


 さっきルカにお礼を言い損ねた。大事なことを気づかせてくれてありがとうって。

 私ったら、小堀さんの言葉に翻弄されてネガティブに考えすぎていた。両親が私たちを愛していない、なんて。そんなことあるわけないのに。


「……」


 目を閉じると、私の名前を呼ぶ両親を思い出す。

 優しい声だった。いつも笑顔で呼んでくれた。陽太が生まれた時、家族三人で抱き合って喜んだのを覚えている。仲のいい家族だった。

 もっと、ずっと一緒にいたかった――そう思えるほど、私たちは「家族」だった。


「帰ったら、ちゃんとお礼を言おう」


「ありがとう」も立派な挨拶だ。幸せの欠片だ。言える時に言っておかないと、きっと後悔する……言ったところで、ルカは無表情だろうけど。


「お姉ちゃん、危なーい!」

「え、わっ⁉」


 急に、目の前にボールが飛んで来た。なんとかキャッチするも、疑問点が二つある。

 そのボールはふわふわで、妙に温かいのだ。どうして?

 両手で握ったボールに視線を落とす。するとボールも、同じように私を見つめていた。

 ボールに、目がついている⁉


「ぼ、ボールの妖怪‼」

「お姉ちゃん違うよ。その子、狐だよ!」


 陽太に言われて改めてボール、もとい狐を見る。するとふわふわボールは、確かにもふもふ狐だった。

 キレイに揃った黄金の毛並みが、見とれるほど美しい。野生にしては美人すぎる狐だ。シュッとした凛々しい顔つきが、どこか男前だし。


「人間を怖がらないってことは、飼えるってことだよね? 飼ってもいい⁉」

「で、でも野生の動物は危ないって聞くし」


 そもそも狐って飼ってよかったっけ? いやいや、その前に狐を養うだけのお金がない。陽太には悪いけど、狐とはここでさよならだ。


「ごめんね、陽太。狐さんにバイバイしよう?」

「えぇ……うぅん」


 いつも聞き分けの良い陽太だけど、初めての野生狐に後ろ髪を引かれるらしい。返事をせず、口を「への字」に曲げている。珍しい姿に、思わず笑みがこぼれた。

 私は「残念な気持ち分かるよ」と狐を地面へ置き、陽太の前で膝を折る。


「陽太は、おじいちゃんとおばあちゃんの家が好き?」

「もちろん大好きだよ!」

「じゃあ、いきなり違う家に連れて行かれたら、どうかな?」

「それは……悲しい」

「この狐さんも同じじゃないかな?」

「え……」


 かみ砕いて説明する前に、私が言わんとすることを理解したらしい。陽太は「この子にも家があるんだね」と眉を下げる。


「また遊びに来よう? これだけ人間慣れしている狐なら、きっとまた近寄ってくれるよ」

「……うん。わかった!」


 陽太はニッと口角を上げた。我慢させることが多いから、なるべく陽太の要望には応えたいけど……さすがに狐は飼えない。お詫びに、明日の晩ご飯は油揚げが入ったうどんにしようかな。狐といえば油揚げだよね。


「じゃあ帰ろうか」

「うん……あれ? お姉ちゃん、そのカゴ」


 陽太が目をキラキラさせながら、自転車のカゴを見る。何も入れてないはずだけど?

 陽太の視線を追ってカゴを見る。直後、ひっくり返りそうになった。

 なぜなら野に帰したと思った狐が、堂々とカゴの中に座っているからだ。陽太は「やっぱりウチに来たいんだ!」と期待を膨らませる。えぇ、それは困る!


「あの……どいてくれませんか?」

「……」


 田舎ゆえに野生動物に遭遇することは、たまにある。そういう時は慌てず騒がず、どいてもらうよう「お願い」するといいと、おじいちゃんがよく言っていた。

 だけどこの狐、全く動かない。無理やり降ろそうとしたら噛みつかれるかな?

 もしここで狐が暴れたら、最悪、陽太がケガするかもしれない。

 無理やり狐を降ろす?

 そのままカゴに乗せておく?

 天秤がぐらぐら揺れる。傾いたのは、後者だった。


「仕方ない。乗せたまま走ろうか」

「やったー!」


 晴れ晴れとした顔で、陽太は「ぼくも自転車に乗る―!」と万歳した。そうして、いつもより一匹分だけ重くなったペダルをこいで家へ帰る。

 結局、狐は最後まで降りなかった。


「ふ~、やっと着いた」


 軒下に自転車を止める。ふと庭を見ると、沈みかけた夕日が、桜をオレンジ色に染めていた。現在、午後六時。これから夏にかけ、どんどん日の入りが遅くなっていく。


「お、お姉ちゃん……」

「ん?」


 自転車から陽太を降ろすと、彼は狐へ一目散に……ではなく、家から漏れる灯りを見つめていた。加えて中から、まな板を叩く包丁の音が聞こえる。私たち以外の誰かがいるのは明白だった。


「だ、誰がいるの? いい匂いもするし……」


 陽太の目が、さっき狐を見つけた時以上にキラキラしている。陽太も思い出しているのかな?

 昔、こうやって家族に出迎えられていたことを。


「ぼく、早く中に入り……あ」


 言うよりも先に、腹の虫が鳴った。小さなお腹に似合わない、豪快な音。陽太は照れくさそうに「えへへ」と頭をかく。


「玄関を開けようか、陽太」

「へ、変な人がいるわけじゃないよね?」

「ふふ、大丈夫だよ」


 さすが現代っ子。子ども園では避難訓練以外にも、不審者が来た時の訓練もしているというし、防犯意識はバッチリだ。

 なだめると、陽太の不安は消えたのか。「よし!」と玄関扉へ手をかける。


「た、ただいま!」


 大きな声に続いて「はいはい~」と、陽太に似た幼い声が返って来る。現れたのは睦月。陽太の服と陽太のエプロンを、本人の前で堂々と着用している。

 手には菜箸、顔には小麦粉。

 いったい何の料理を作っているんだろう?


「陽太、おかえり~!」

「ただいま……えぇっと」


 誰?と言わんばかりの顔で、陽太が私を見る。もっともな疑問だ。でも、どこから説明しようか。


「陽太、この人たちはね」


 悩みながら口を開けた時。さっきの狐が、玄関の中まで入って来た。


「あ、ダメだよ。ここは君のお家じゃないよ?」


 抱っこして逃がそうと、ついに狐に触る。だけどビクともしない。見た目によらず重たい狐だ。重すぎるというか……。

 疑問に思っていると、「そこにいたんだ」と睦月が狐を見た。


「そこにいた? 睦月、何を言っているの?」

「百聞は一見に如かず。ちょっと見てて」


 言うや否や、睦月はその場で宙返りした。着地した後、玄関に立っていたのは睦月ではなくタヌキ。フランクフルトのように膨らんだ尻尾が愛らしい、小柄なタヌキだ。


「え、まさか……睦月はタヌキだったの⁉」

「そう、化け狸だよ!」


 すると狐が、さっき睦月がしてみせたように、慣れた動きで宙がえりをする。

 待って、この流れだと!

 警戒する私の前に、白煙と共に現れたのは……


「この姿を見せるのは初めてだな、明里」

「る、ルカ……」


 相変わらず無表情な顔のルカが立っていた。


「お、お兄さん、誰ですか⁉」


 急に現れた成人男性を見て、当然のごとく驚く陽太。震える頭を落ち着かせるように、優しい手つきでルカが撫でる。


「俺はルカ。やっと会えたな、陽太」

「え、ぼくを知っているの?」

「あぁ。今日から世話になる」

「世話に……一緒に住むってこと?」

「そうだ」


 表情を変えず淡々と喋るルカに陽太が怯えないか心配したけど、陽太はまたキラキラと目を輝かせた。

 ルカは背が高いし無表情だけど、だからといって威圧感はない。不機嫌なオーラもないし、無言でも気まずさを感じない。独特な雰囲気を持っているけど、どこか和む人だ。笑ったら、もっととっつきやすいのに。

 だけど「一緒に住む」と聞いた陽太に、遠慮はなかった。家を案内したいのか、ルカの大きな手を握って、中へ引っ張る。ルカは嫌がることなく、陽太に引かれるがまま奥へ姿を消す。


「可愛いね、陽太」


 タヌキの姿のまま、睦月がポツリとこぼす。その目は優しく、だけど切なく光っている。


「私たちのせいで、陽太と両親を引き離してしまった。謝ってすむ話じゃないのは分かっている。だけど本当にごめん」

「睦月……」


 改めて言われると、こっちも身構えちゃう。心に黒いモヤが生まれてしまう。

 このモヤは、きっと消えることはないだろう。心の奥底で「なんで」と「どうして」を繰り返すのだ。

 だけどモヤが消せなくても、小さくすることはできる。大きくならないよう、みんなで制御できると思うんだ。一人じゃ無理でも、みんなで。


「私は、これからあなた達と仲良くしたい思っているよ。ご飯も美味しいし……。

 だから睦月、これからよろしくね」

「!」


 睦月は、私の足にすり寄る。まるでカイロのような温かな体温が、ズボン越しに伝わった。耳を澄ませると、奥から陽太の楽しそうな声が聞こえる。矢継ぎ早に質問を受けるルカは、さすがにちょっと困った声色だ。

 あぁ賑やかだ。そして温かい。


「こちらこそよろしく、明里!」

「うん」


 足元にいた睦月を抱き上げる。私の腕の中で、人間がするように睦月は両手を広げた。頬に当たったのは、もふもふなタヌキの手。だけどお母さんに抱きしめられているみたいに安心する。


「そういえば二人って、どうしてタヌキとキツネに姿を変えられるの?」

「言ったでしょ、私たちは妖怪だって。

 私が化け狸、ルカは化け狐。変化が得意なんだ。石でも人間でも、何でも姿を変えられるよ!」


 衝撃的な内容を、なんとも楽しそうに話してくれる。

 でも待って。ルカが狐ってことは、さっきの私の話を聞かれたってことだよね?


 ――睦月とルカに会えて良かった。二人には感謝しなくちゃ


 あの恥ずかしい本音を、ルカ本人に聞かれちゃったんだ!


「な、なんで化けられるって教えてくれなかったの!」

「言おうとしたけど、お迎えで忙しそうだったからさ~」


 あぁ、あの時のだ! 陽太を迎えに行く前、確かに睦月は何か言いたそうだった。

 睦月が話したかった「あとでいい話」って、このことだったんだ!


「そういうのはビックリしちゃうからさ、今度からすぐ話してね……?」

「はーい!」


 そんな厳重注意を終えた後。初めて四人そろって食卓を囲む。

 睦月は「追加で卵を入れたんだ~」と、お昼に余った味噌汁をすすった。その隣で食べる陽太が、少し照れくさそうに食べ物を口に運んでいる。理由は、睦月が女の子だから。実はさっき「睦月ちゃんは女の子?」と陽太から聞かれた。私と違い、よく気がつく子だ。


「この穴のあいた野菜の天ぷら、美味しい!」

「でしょー? それレンコンって言うんだよ」

「レンコン? あ、〝お弁当箱の歌〟にある野菜だね!」


 どうやら睦月が頬に小麦粉をつけていたのは、天ぷらをしていたから。揚げたてのサクサク触感が、口の中で弾けて跳ねる。


「お弁当の歌って?」

「睦月ちゃん知らない? これくらいの、お弁当箱に、って歌だよ!」

「あ、聞いたことあるー!」


 楽しい話に、温かいおかず。そして陽太の笑顔……よかった。陽太が笑ってくれると安心する。

 いつも陽太は「子ども園は楽しいよ」とか「今日も変わりなかったよ」と話してくれる。先生から「実は今日、お友達と少しケンカをしてしまって」と聞いた日も然りだ。

 きっと私に気を遣っているんだと思う。私が忙しくしているから、余計な悩みを増やさないようにと遠慮しているんだ。

 元々やさしい子だったけど、二人きりになってから輪をかけて優しくなった。自分のことよりも、人のことを考えるようになった。私のこととなると殊更に、だ。

 言い方を変えれば、年齢の割に精神年齢が大人びている。だから園で何かあっても「心配かけまい」と、家で平常心を装う。その気遣いが、ちょっぴり寂しい。


「もっと甘えてくれたらいいのに」


 お母さんの代わりは無理でも、信頼して何でも相談してほしい。陽太がもう少し大きくなれば、私だって愚痴を言うからさ。そうして支え合って生きて行く方が、きっと楽だ。一人が踏ん張るだけじゃ、きっとしんどくなってしまう。

 陽太には年相応に生きてほしい。毎日を楽しんでほしい。

 屈託なく笑う陽太を見て、心からそう思う。


「睦月とルカが来てくれたことで、陽太にいい変化がありますように」


 カーテンの隙間から窓の外が見える。真っ暗になった空には月が浮かび、たくさんの星が輝いていた。

 その星々を順にみる。

 願いを叶える流れ星、どこかで一つ、流れていないだろうか。

 レンコンの天ぷらをつまみ上げ、期待をこめて穴から夜空を見渡した。

 

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