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「うひゃあ、寒い。すっかり冬になりましたねぇ」


 白い息を吐きながら、忍足さんが自室から出てくる。

 今日は12月12日。忍足さんが大学に入学、及び我が家に入居して、約三ヶ月が経った。

 季節はすっかり冬。山に近い立地が、前に住んでいた時とは比べ物にならない寒さを連れてくる。さらに家の隙間を縫うように風が入ってくるから、寒がりの私には辛い日々が続いている。

 しかし子供というのはすごいもので、陽太は相変わらず元気いっぱい。寒さに震える私とは対照的で「早く雪が降らないかなぁ」なんて楽しみにしている。

 毎日が寒くて、なんとなく気が滅入りそうな毎日。それでも何とか生活を送れているのは、心強い存在がいてくれるおかげだ。


「睦月がいなかったら、朝から気持ちがしょんぼりするところでした」

「俺も。毎朝、台所を温めておいてくれる睦月ちゃんのありがたさったらないよ」

「ほかほかご飯も堪らないですよね」

「そうそう~。体の内側から温まるんだよね」


 俺はもう病みつき――と忍足さんは、眠そうな目を横に伸ばした。

 現在、朝七時。二人して手を丸め、少しでも寒さが和らぎますようにと、ホウと生ぬるい息をぶつけながら廊下を歩く。するとまだ薄暗い家の中から一つだけ、ポッと淡い光が灯っているのを見つける。睦月がいる台所だ。


「おっはよー!寒いねぇ。ほかほかの味噌汁、できてるよー!」


 ドアを開けた途端、暖気がワッと全身を包み込んでくれる。それだけでも嬉しいのに、鼻孔をくすぐるお味噌の良い香り。何とも言えない幸せに、寒さで強張っていた体が一気に弛緩した。

 私も、そして隣に並ぶ忍足さんも挨拶すら忘れて、机上に並ぶご飯に釘付けになる。


「やっぱり堪らないなぁ。ここの朝ごはんは」


 ゴクン、と。隣にいる忍足さんの喉仏が上下する。私も「分かります」と頷き、足早に自分の席へ移動した。

 机上には、控えめに盛られたご飯と、お味噌汁。そして大皿に、海苔と、漬物と、卵焼きと、一口サイズに切られた鮭がそれぞれ載っている。朝はあまり食べられない人もいるだろうと、睦月の配慮によるバイキング形式だ。まさに私が少食なので、この気遣いはありがたい。


「おーい二人とも、朝ごはん食べるよね?」


 いつまでもほうけていた私たちを、睦月が「なんで固まってるの?」と訝む。私と忍足さんは着席した後「おはよう、いただきます」と、さっそく箸を持って睦月に挨拶した。


 それから数分後。眠い目をこすりながら、陽太も起きてきた。いつもなら私が起こすところ、どうやら「寒いと勝手に目が覚めてしまう」らしい。ということで寒い間は、冬に目覚まし時計係を譲るつもりだ。

「部屋は寒い、でもココは温かい……」と言いながら、陽太は目をしょぼしょぼさせている。目の下にクマはないからよく寝られたんだろうけど、今日からエアコンの温度を一度上げてみようかな。


「今日は夜遅くなるから、ご飯はいらないからね~」


 みんなより一足早く食べた忍足さんが、食器をシンクに運びながら話す。「また集まり?」と、だんだん大学生事情を会得してきた睦月は、慣れた返事をした。


「いや、今日は遠くから講師の先生が来るんだ。その先生に質問したいことがあるんだけど、なんせ量が多くって。たぶん夜通し質問することになると思う」

「それは……」


 相手の先生に了承は得ているのだろうか?

 ちょうどお味噌汁に入った青ネギを噛んだ私は、苦い表情を浮かべる。

 睦月も「また忍足くんは」と、呆れ気味だ。彼が建築に熱心すぎて、たまに私たちがビックリする行動に走ることは、この三ヶ月一緒に暮らしてよく分かった。

 この前も、丸一日返って来ないことがあった。理由を聞いたら、「目に入った建物の造形があまりに深くて、朝昼晩でどんな風に見た目の雰囲気が変わるのかを見ていた」らしい。


「ねぇ忍足くん。遅くなるならなるで、明里に連絡を入れてよ? じゃないと心配するからさ」

「うん、分かったよ」


 あの時、かなり心配した私たちは、もうあんな思いをすることのないようにと策を練った。唯一スマホ保持者の私が、忍足さんと連絡先を交換したのだ。忍足さんが頷いたのを見て、私と睦月はホッと胸を撫で下ろす。忍足さんが連絡することを忘れなければ、の話だけど。


「あれ? 陽太が寝てるよ。おーい、二度寝はダメだよ、起きて~」

 

 忍足さんが、今にも目を瞑ってしまいそうな陽太に声を掛ける。そんな微笑ましい光景を横目に見ながら、私は「この場にいない人」を気に掛けた。


「そういえばルカは? 最近、この時間に起きてこないけど」

「あ~、ルカねぇ」


 睦月は、ルカがいる二階へチラリと視線を動かす。だけど「いいよ、寝たままで」と、えらく寛容な態度だ。


「前までは二人で一緒に朝ご飯を作っていたよね? どうして最近は、睦月が一人で作ってるの?」


 大変だろうから手伝おうか?と聞くと、睦月は首を横へ振る。


「これが私の仕事だからいいんだよ。ルカはねぇ、ちょっと力を温存してるっていうか。とにかく寝ないとダメだから寝てるんだよ。だから朝ごはんは、しばらく私が一人で作るね」

「え、それって……」


 睦月の言葉を聞いて、さっき味噌汁で温まったばかりの体が、頭から冷水を掛けられたようにザッと冷えた。

 嫌な予感がしたのだ。だって睦月もルカも、寿命が迫っている身だから。そんなルカが「体力温存してる」なんて――


「あぁ、ちょっと明里! ストップ、ストップ! 大丈夫だって! 体はなんともないの。そうじゃなくて……えぇっと」


 深刻な顔になった私を見て、睦月は慌てた。「そういうことじゃない」と繰り返す。その言葉は、なんの話も聞かされていない忍足さんと陽太にとってチンプンカンプンだ。首を傾げる二人に「ごめん。何でもないよ」と話を濁す。


 忍足さんは、ルカと睦月に寿命が迫っているどころか、二人が妖怪であることさえも知らない。だから私と睦月の会話の意味は、分からなくて当然だ。

 私がかなり反応してしまったから、その分「何の話?」と気になった様子だったけど……。念願の講師を迎え入れるため「駅まで出迎えに行くね」と、早々に台所を後にした。


「吹お兄ちゃん、バタバタだったね」

「ね~。陽太、卵焼きもっと食べて! 今日のは自信作なんだぁ」

「うんっ」


 そういえば陽太にも、二人の寿命のことは言ってない。「こんな悲しい事実、言えるわけない」って思っていたから。

 でも、両親が亡くなったと突然に知らされた時。陽太は泣き崩れた。本当にずっと泣いていて、人生で流す涙のほとんどを出したんじゃないかと思ったくらい。それほど突然の別れは辛く、悲しいものだった。陽太は、大好きな人たちといきなり別れる寂しさを、もう知っている。

 私が二人の寿命を内緒にするということは、陽太にもう一度、あの時の悲しさを味わわせるってことじゃないかな? 最近、二人の寿命のことを考える度に、あの日の陽太が脳裏に蘇る。


「お姉ちゃん、どうしたの?」

「明里ー? まだ寒い? お味噌汁おかわりする?」


 気づけば、四つのクリクリな目が私に向いていた。息の合った二人が面白くて、思わずプッと噴き出してしまう。「家族は似てくる」というけど、本当なんだな。

 家族は似てくる。

 この言葉は、ルカのお母さんが言ってくれた言葉だ。


 ――励まし合うのも、支え合うのも家族の役目です

 ――悩んでいるなら、気持ちを隠して塞いでいるなら、いっそ話してほしい


「いっそ話してほしい……か」


 それは陽太にも通ずるところがあるのだろうか。いや、きっとあるはずだ。私だって分かっている。本当は、もう分かっている。陽太にも、ありのままの事実を伝えた方がいいって。分かっているのに、それでも行動に移せないのは……やっぱり私の覚悟が決まっていないからだ。この事実を伝えた時の陽太が、どんな顔をするか。この目で見たくない。


「僕はお味噌汁おかわりしたいー!」


 この笑顔を、ずっと絶やさないでいてほしいと願う。この子に、これ以上の悲しみがこなければと願う。

 それが辛さを先延ばしにしているだけの愚行だと分かっている。それでも私は、まだ「実はね」と陽太に打ち明けられない。


 自身の中でグルグル渦巻く感情を、一度フラットに戻したくて、新たに注がれた味噌汁をコクリと飲む。さっきと変わらず、味噌汁は私を包み込んでくれた。




 時間に追われながら、私と陽太はいつも通りバタバタと支度をする。そうして自転車に乗るため玄関を出ようとした、その時だった。


「明里、陽太。気を付けて行って来い」

「わ、ルカ!」


 振り返ると、着流し姿のルカがいた。あまり眠そうじゃない。ということは起きていたのだろうか。

 私と陽太が、準備の時に騒がしくし過ぎたのかも? いや、この際、睡眠不足はいいとして。調子はどうなのかな? 良いの? 悪いの? 熱はないのかな?

 玄関の戸に伸ばした手を、ルカのオデコへと伸ばす。だけど伸ばしたところで、背の高いルカのオデコに届くはずもない。私が地面に降りているから、なおさらだ。身長差は増すばかり。

 仕方ない、諦めよう。顔が見られただけで安心したし――

 そう思っていると「ん」と、ルカが片膝をついた。途端に現れる、水色の瞳。まるで空が太陽を引き連れてきたように、私の温度がじりじりと上がっていく。こう端正な顔が目の前にあると恥ずかしくなる。ルカのイケメン具合にも困りものだ。


「しないのか? 熱、測るのだろう?」

「わかってたんだ」

「あれだけあからさまなことをされれば、誰だって分かる」


 したり顔をしたルカに悔しさを覚えながら、彼の前髪をサラリとどける。手を当てると、熱くもなく冷たくもない。どうやら平熱らしい。よかった、調子が悪くて寝ていたわけじゃないんだ。

 ホッと安堵の息を吐いていると、ルカが「もういいか?」という目で私を見る。満足した私は後退し、冷たい玄関の取っ手に指をかけた。


「明里、この後はいつものように仕事か?」

「そうだよ。またお昼に帰ってくるね」


 そういえば……私が仕事に行っている間、ルカは何をしているんだろう。ルカはこの前「(仕事は)なんとなく見つけた」と言っていた。まさか、もう新しい仕事をしているのかな? それで無理をしちゃって、疲れが出たから朝に起きられないとか?

 そこまで想像しちゃったら、聞かずにはいられない。「ルカ」と、再び彼と向き合う。


「ルカは一体、何の仕事をしてるの?」

「……」


 ルカは答えなかった。長いまつ毛の影が、目にかかっている。そうかと思えば目を伏せて、少しだけ口角を上げた。あ、ルカの笑った顔。久しぶりに見たかも。

 ついつい釘付けになっていると、ルカが「いいのか?」と私を見る。


「陽太が『虫探し』に没頭しているぞ。玄関の向こうから、虫を探す歌が聞こえる」

「えぇ⁉」


 本当だ、さっきまで一緒にいた陽太がいなくなってる!

 私は慌てて玄関を開け、陽太を自転車に乗せる。案の定「もう少し虫を探したいー!」と言われたけど、この要望を呑むと私の遅刻は確定だ。陽太には悪いけど、諦めてもらうしかない。

「ごめんね」と謝っていると、開けっ放しだった玄関から、ルカが「陽太」と顔を出す。


「今は冬だから、虫の数が極端に少ない。でも園になら、もしかしたらいるかもな。あそこは大きな木があるだろう。枯れ葉が落ちているはずだ。そういう下に、虫はいるものだ」

「ルカお兄ちゃん、本当?」

「行って、自分で確かめてこい」

「うん!」


 返事をするや否や、陽太は私に「出発ー!」と号令をかける。ルカに「ありがとう」の目くばせをし、私は思い切りペダルを漕いだ。なだらかな坂道を、車輪が回ってスルスル進む。もし雪が降ったら、自転車は使えなくなるなぁ。仕事にも徒歩で行かなくちゃ……。


「あぁ、雪が降りませんように」


 すると後ろから「なんでー!」と不満を露わにする陽太の声。

 大人になれば分かるよ、なんて。そんな会話をしながら、いつものお地蔵さんの前を賑やかに通った。

 

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