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 家に帰ったら、すぐ料理に取り掛かった。


 決して広くはない台所に、私と睦月、そして陽太の三人が並ぶ。ルカはというと「料理を手伝う」と言ってくれたけど、せっかくお母さんがいるのだし「ここはいいから二人で話しておいで」と言った。だけど照れくさいのか、中庭が見える縁側に座り、枝しか残っていない桜の木を見上げている。お母さんと話せるせっかくのチャンスなのにもったいないな。


 煮え切らない顔をしていたら、睦月が「まぁ妖怪ってそんなもんだよ」とあっけらかんと言うので、そのままにしている。だけどこのままというのも何だかな……あ、そうだ。

 今、庭にある桜の木には葉っぱさえないけど、たまには外で食べるのもいいかもしれない。


 昔、この家でよく花見をしたことを思い出す。大きなレジャーシートを広げ重箱に入ったお弁当を食べたり、バーベキューをしたりと、皆でわいわいしたものだ。とても賑やかな春だった。今は、もう夏が来てしまって花見はできないけれど、昔を真似て外で食べるのも、たまにはいいかもしれない。


 遠くの山に浮かぶ入道雲を見つめる。天にも届きそうな高さだ。

 お父さんが昔、「立派な入道雲だなぁ」と空を見上げては呟いていたことを思い出す。家族四人で住んでいたころは建物に邪魔されて雲の全容は見られなかったから、たまに来るおじいちゃんとおばちゃんの家で見る自然を見ては、圧倒されていた。


「確かに、大迫力だ」


 上へ盛り上がる入道雲を見ていると、なんとなく元気が出てくる。準備は大変かもしれないけど、やっぱり外でサンドイッチを食べたいな。雲も浮かんでいるし、軒下もあるし、日陰もある。あとは皆の了承を得るだけだ。

 よし、と、卵とマヨネーズを混ぜていた手を止める。


「ねぇ、桜の木の下でサンドイッチを食べるってどうかな?」

「いいねぇ~! やってみたい、やってみたいー!」

「じゃあ僕、地面に敷くシートを持ってくるよ! 確か玄関にあったよね?」


 満場一致の大賛成。洗い物を終えた陽太は、ピョンと椅子から降りて玄関へ向かう。レジャーシートの場所を覚えているあたり、毎年する花見を陽太も楽しみにしていたんだろうな。廊下をスキップする音が聞こえる。


「そういえば、私の部屋にキャンプの道具がいくつかあったよ」

「睦月の部屋に? あ、そういえばお父さんがキャンプをしたがっていた時期があったかも。勝手にキャンプ道具を買って、お母さんに怒られていたのを見たことあるよ」


 キャンプ道具はどれをとっても高い値段だから、そりゃもうお母さんが黙っていなかった。いつもは温厚なお母さんだけど、あの時は頭に角が生えそうだったもの。


「そのキャンプ道具の中に、組み立て式のテーブルとイスがあったと思う。持ってくるね!」

「でも重たいんじゃないの? 手伝うよ」

「平気だよ、私も妖怪だし」


 私に見せるように、一瞬だけ太刀を出現させた睦月。ガコンと大きな音を立て、納刀したままの鞘が床に落ちる。わぁ、穴が開くかと思った……。すぐさま睦月に「しまってください」とお願いし、キャンプ道具を取りに行ってもらう。


「私は、出来上がったものから縁側に運んでいこう」


 三人で準備をしたから、用意はすぐにできた。とうもろこしはもともと湯がいてあったのを買ったから、火を使った料理はお肉と卵だけ。お肉はタレをまとって茶色に艶めき、卵は入道雲に負けないくらいフワフワだ。サンドイッチ用のパンは多めに買ったから、きっと足りるはず。私はデザートにフルーツサンドを食べるのが一番の楽しみだ。


「生クリームは最後に出そう。それまでは冷蔵庫でしっかりと冷やさないとね。えぇっと、お盆は……」


 大き目のお盆、中くらいのお盆、小さなお盆。人数によって使う大きさが違うお盆は、最近大き目サイズが大活躍だ。今も、大き目サイズのお盆の上に、パンやお肉、レタスやコーンが乗った皿を並べていく。

 そういえば縁側にルカがいるなら手伝ってもらおう。

 最初に材料を運んだ時、背筋を伸ばして縁側に腰掛けるルカに、「あのさ」とお願いする。


「これから色々と運ぶから手伝ってほしいんだけど、いい?」

「……あぁ」


 相変わらず無表情だけど嫌ではないらしい。空になったお盆を渡すと、素直に台所へついてきてくれた。


「取り皿と、人数分の箸を持って行けばいいか?」

「どっちも数を多めに持って行こう。サンドイッチの具を取る箸もいるし」

「わかった」


 それだけ会話をすると、ルカは黙々と作業に取り掛かった。

 今、ルカは何を思っているのかな。本当はお母さんとのお別れが寂しいんじゃないかな。せっかく出会えて誤解も解けたのに、もう離れないといけないなんて。ずっと、ここにいてほしいんじゃないかな。もしくは一緒に山に帰りたいと思っているのかも……ん?


「山に、帰る?」


 つまりこの家からルカがいなくなるってこと?


 そう思ったら急に焦り、お盆を落としてしまった。ルカが「大丈夫か」と言ってくれたけど、全然大丈夫じゃない。もしルカがいなくなったら寂しいよ。そもそもルカの寿命は短いけれど、それでも、もう少し一緒にいられると思っていたから。


「ねえ、ルカ」

「なんだ」

「えっと……ううん、なんでもない」


 山に帰りたいの?って聞けない。だって、もし「帰りたい」と言われたら、私は返事をしなければいけない。「いいよ」って、笑顔で送り出してあげないと――だけど結局、その質問は聞けずじまいのまま、二人で黙々と準備を行った。あぁ私の意気地なし。ルカのことを思えばこそ、「帰りたい?」って質問するべきなのに。


「余ったとうもろこしは食べやすい大きさにするか?」

「あ……うん、そうだね。切ってもらおうかな」

「わかった」


 言うや否や、パキッととうもろこしが割れる。見るとルカが、いとも簡単に手で一刀両断していた。さっき睦月が「一人でキャンプ道具を移動できる」と言った理由が分かった。妖怪って、ものすごい力持ちだ。


「妖怪について、知らないことばかりだ」

「明里は人間なのだから当たり前だろう」

「そうだけど、もっと知りたいよ」


 家族なんだし――とは、あと一歩のところで言えなかった。ここに来て、照れくさくなってしまったのだ。悔しくて俯いていると、ルカが不思議そうに私をみつめている。

 というか、睦月から「お役目」の話を聞けたからよかったけど、ルカの口からはサッパリだ。本当、自分のことは話さないんだから。


 今だってそうだよ。大事な時だからこそ、自分の気持ちを素直に言えばいいのに。無表情の裏にある気持ちを、私に教えてくれたらいいのに。

 ルカが「寂しい」と言ってくれたら、今すぐお母さんのところへ無理やり連れていくのに。自分から「帰りたい」と言うなら、私「いいよ」ってちゃんと言うよ。


 だけどルカは言わない。

 今だって、口が真一文字に結ばれている。


 だんだん本音を話すようになった私と違って、まだまだルカは心を閉ざしている時が多い。お母さんによると、ルカが寡黙な時は「何か考え事をしている時」だから、きっと今も何かを考えているんだろうな。


 そういえばお母さんが目覚めた日。私の部屋にいたお母さんとルカは、どれくらい話をしたんだろう。何の話をしたんだろう……私も、あのまま部屋にいたかったな。

 だってあの時のルカったら、顔を真っ赤にして部屋に入ってきたんだよ? あんな照れた顔のルカを初めて見た。きっとお母さんの前だと、もっといろんな表情をするんだろうな。その表情を、私も見たかった。


「明里~、庭にテーブルとイスをセットできたよー」

「あ、はーい!」


 庭から睦月の声が聞こえる。続いて「僕もシート引けたー!」と陽太の声も。私とルカはそれぞれお盆を運び、大体の準備が完了。よし、お庭ピクニックの始まりだ!


 二階にいるお母さんを呼んで、庭に出てもらう。暑すぎるかと思いきや、風が吹いて気持ちがいい。それぞれが自分で選んだ具を挟み、みんなでサンドイッチをほおばる。お母さんは初めて見る三角の形をしたパンにびっくりしていたけど、具が落ちないように器用に食べている。


「お肉、柔らかくておいしいです」

「トウモロコシを一緒に挟んでもおいしいですし、卵を足しても甘さが増して違ったおいしさになると思いますよっ」


 お母さんと並んで縁側へ腰かける。すっかり元気になったお母さんの顔色はとても良い。どうやらさっきまで、使った部屋の掃除をしていてくれたらしい。横顔にうっすら汗が浮かんでいる。律儀な人……いや、律儀な妖怪だ。


「そういえばここは元々、一匹妖怪と暮らすための宿屋だったそうですね」


 ふと、お母さんが思い出したように呟いた。私は食べかけのサンドイッチから口を離す。


「私もルカたちから聞いて、ついこの間知ったんです」

「このあたりでは昔から『妖怪を住まわせる変な家がある』と噂になっていました。でも、そんな人間はいやしないだろうと思っていましたし、いたところで人間に近づくのは避けた方がいいと思っていたので、それきりだったのですが……まさか明里さんの家だったなんて」


 お母さんは、私のことを名前で呼んでくれるようになった。私も「ルカのお母さん」ではなく「お母さん」と呼ぶようになり、本当の母と思って接してしまう時がある。この前も「聞いてよ~」とフランクに話しかけてしまった。

 そういう時は恥ずかしくなってすぐ元の喋り方に戻すのだけど、お母さんはそんな私をいつも慈愛に満ちた目で見てくれる。それが照れくさくて、だけどそれ以上に嬉しくて、少しだけ甘えてしまう時がある。今みたいに。


「お母さんと会えたし、この家に住もうと決めてよかったです。ねぇお母さん、また来てくれますか?」


 本音を話すと、お母さんは私を見て笑った。


「さっき宿屋の話をしたのは、また私がここに泊まりにきてもいいか、と聞くためです」

「え?」

「狐は一人で生きるもの、と本能で決まっていますが、だからといって『会ってはいけない』わけじゃない。私も息子には会いたいのです。残された時間が限られているなら、なおのこと。それに、ここで頂くご飯はおいしいので、またこうやって皆で食べられたら嬉しいです」


 サンドイッチにかぶりつくお母さんを見るに、本当に人間の食べ物を好きになってくれたと分かる。サンドイッチにしてよかった。やよいくんママに感謝だよ。


「それに明里さんとも、またこうやって話したいですし」

「お母さん……はい、私もですっ」


 今日が今生の別れかと思っていた。でも、お母さんにまた会えるんだ。泊まりに来てもらったら、今度こそ台所で一緒にご飯を食べたいな。


「泊まっている間、どうしてご飯を一緒に食べてくれなかったんですか? 何度も誘ったのに」


 寂しかったんですよ、と言うと、お母さんは「あの時は二度とルカに会わないと思っていたので」と、衝撃の胸の内を話す。二の句が継げなくなった私に、お母さんは眉を下げて微笑んだ。


「独り立ちしたルカの前に私は現れるべきではない、そう思っていました。だけどこの一週間、ずっとルカの声を聞いていた。ルカ同様、私も耳がいいですから。

 今日ここを出てしまえば、もうルカの声を聞けなくなる。今の今になって、それがすごく寂しくなったのです。

 声を聞きたい、姿を見たい――親の決心というのは子の前では無力なものです。私はルカの母親である限り、ルカの存在に勝手に振り回されながら、幸福を得ていくのです」

「お母さん……」


 親って、そういうものなんだ。

 そういえば昔、私が小さい頃、お母さんと散歩している時にどうしても自動販売機のジュースがほしくなって、お母さんにねだった。その時のお母さんはお金を持っていなくて「買えない」と言われた。だけど私は欲しくてたまらなくて、その場で泣き叫んだ。幸いにも家が近くだったから、私の声を聞いたお父さんが家から出てきてくれた。そうして私のワガママを聞いて、財布を取りに戻ったのだ。

 無事にジュースを買えて、ぐびぐびと勢いよく飲む私を見て、両親は互いに顔を合わせた。苦笑を浮かべていた。私も自分のことながら「勝手なことをしてしまった」と思った。だけど申し訳なく思う私の頭と肩に、それぞれ両親の手が乗った。


『美味しいか、明里』

『今日だけ、特別よ』


 その時の両親の目はとても優しくて、私のワガママに呆れただろうにそんな様子はおくびにも出さず笑いかけてくれた。その時、いたたまれなくなった私は、両親にもジュースをあげた。そうしたら「ありがとう」「優しいね」ってまた笑ってくれて――


「明里さん、ティッシュしかなくて申し訳ないけど」

「……あれ。へへ、すみません」


 両親を思い出した私は、いつの間にか泣いていた。お母さんが私の背中に手を添え、優しくさすってくれている。

 この人も優しいお母さんだ。母であることに、人も妖怪も関係ない。親子の絆というものは、どんな生物の間にも尊く生まれるものなのだ。


『今日だけ、特別よ』

『私はルカの母親である限り、ルカの存在に勝手に振り回されながら、幸福を得ていくのです』


 ねぇルカ、私たちは幸せ者だね。素敵なお母さんに、これほど深く思われて幸せだ。

 きっとルカのお父さんも優しい狐だろうね。私の父もそうだった。娘のワガママに嫌な顔一つせずに、息が切れるほど走って財布をとりにいく優しい人だった。


「私、ルカのお母さんに会えてよかった。おかげで大事な過去を思い出せました。きっとルカもそうだと思います。最近のルカは、すごく柔らかい顔をするから」


 私が何度もルカと名前を口にするものだから、お母さんが「ルカ、来なさい」と手招きする。泣く私を気にしてか、既にルカは椅子から腰を浮かせている状態だ。そのまま私へ近寄って、座る私をギュッと抱きしめる。

 ルカは立ったままだから、ちょうどはだけたお腹が私の顔に当たって……硬い筋肉に当たると一気に現実に戻り、思わず噴き出してしまう。


「もっと柔らかくなってほしいな」

「無茶を言うな」


 私は「うそだよ」と笑った後。ルカの大きな背中へ手を回す。


「ルカ、よかったね。お母さん、また来てくれるって」

「……ん」


 そっけない返事だと思っていたら、ルカの背中に当てた私の手に、何やら柔らかい物が当たる。これ、もしかして尻尾? 見るとモフモフしたルカの狐の尻尾が、嬉しそうに左右に揺れている。無表情だから分からなかったけど、やっぱりルカは嬉しいんだ。


 ルカから離れ、お母さんへ向き直る。


「お母さん、いつでも泊まりに来てくださいね! その時は一緒にご飯を食べましょう」

「えぇ。でも今度は人間のお金を払わせてくださいね」

「なぜですか?」


 お母さんと私たちの間にお金なんて不要だ。着の身着のまま、ふらりと寄ってくれたら、それだけで嬉しい。

 だけどお母さんは「お役目の任を解かれたと聞きました」と、風にさらわれる髪を手で押さえながら、ルカと睦月を交互に見つめる。


「二人の妖怪が無償で世話になっているのに、収入減が明里さんだけでは何かと苦しいでしょう。そんな中へ私がお邪魔するのです。楽しい思い出を下さるのですから、せめて対価を支払わせてください」

「私たちの仲だからいいのに……」

「ダメですよ。こういうことこそ、ちゃんとしなければ」


 ぴしゃりと言われ、まるで本物のお母さんに言われたみたいだ。反論しようとしたけど、何を言っても退けられそうだったので、諦めてサンドイッチにかぶりつく。


 だけど確かに私の給料だけでは、いつまでもつか分からない。今は土日を休みにしているけど、追加で仕事を入れようか。

 家計のことを考えていると、お母さんが「ルカ」と、私の横に立つルカを鋭い眼差しで見る。


「明里さんの家でお世話になるなら、あなたもそれ相応のことをしなさい。家事を手伝うだけでは、明里さんを助けていることになりません。あなたも、自分の手でお金を稼ぐのです」

「え……」


 ルカは「寝耳に水」だったらしい。自分が働く、という発想には至らなかったのだろう。「そうは言われても何をすればいいか分からない」という顔だ。珍しく困惑している。

 すると遠くの山でヒグラシが鳴き始めた。入道雲に気を取られていたけど、もうヒグラシが鳴く季節。夏が終わり、秋がやってくるのだ。

 セミの声を聞いた陽太が「ここにもセミがいないかな?」と、桜の木をぐるぐる見て回る。


「陽太、セミは向こうの山にいるよ」


 言いながら、睦月がとある一角を指さす。そこには見慣れない白い建物ができていた。


「あの白い建物はなに? すごく大きいけど……」

「そういえば、この辺に大学ができたんだって。こども園のせんせーたちが言っていたよ!」

「ここ一年よく工事車両を見たけど、あれは大学を作っていたんだ」


 細い道に大きな工事車両が通るから、すれ違う時は最大限に端へ寄ったものだ。といっても途中から工事車両専用の道が開拓されたから、最近はめっきりその姿も見なくっていた。


「秋には人もいっぱい来る、ってせんせーが言っていたよ! ねぇお姉ちゃん、秋っていつ?」

「もうすぐそこだよ。それにしても秋に入学式って、ずいぶんグローバルな大学だね」

「ぐろーぶ? 大学って野球をする所なの? すごーい!」


 ルカとお母さんの微妙な空気はそっちのけで、陽太が楽しそうに話す。二人を見ると「ルカには何の職種が合っているか」など、さっそくお母さんが息子の就職活動を手助けしていた。

 いろんなことを一気に言われて目を白黒させるルカを、一方の睦月は楽しそうに見つめている。睦月は妖怪のおばあちゃんだから、年齢で言えば未成年じゃない。でも見た目の問題から、人間界での労働は免除されそうだ。そうなるとルカと私の二馬力。やっていけないことはない、と思う。


「それにしても大学かぁ」


 同じ高校にいた人たちは、ほとんど大学に進学したと聞いた。私も行きたい大学はあったけど、それどころじゃなかったしなぁ。


「まぁ、もともと勉強は嫌いだったから、ちょうどいいかなって……」


 ふと、陽太の担任あやね先生を思い出す。いつも元気で、明るくて、笑顔溢れる先生だ。子どもが興味もちそうなキャラクターのエプロンをつけて、いつも子供たちに囲まれて――


「お姉ちゃん、どうしたの?」

「え、あ……ううん。何でもないよ」


 いけない、ボーッとしていた。すかさず、陽太にサンドイッチのおかわりを提案する。そろそろ私は、フルーツサンドが食べたくなってきたな。


 だけど陽太が「あれ?」と、遠くを指さした。見ると、遠くからこちらへ歩いてくる人物が一人。若い男の人だ。

 急いでルカと睦月の姿を確認すると、垂れた狐の尻尾が出ていた。


「ルカ、しっぽ隠して!」

「む、面倒な」


 ルカが渋々人間を取り繕ったのと時を同じくして、この場に新たな声が加わる。


「こんにちは、ちょっといいですか?」


 まだ学生なのだろう。今どきの髪型をした青年は、黒いパンツに白いTシャツと爽やかな雰囲気だ。和服姿のルカとお母さんを見て少し驚いたようだけど、気を取り直して私たちの家を指す。


「しばらくここに泊めてもらいたいのですが、よろしいでしょうか?」


 大きなリュックだけに収まらなかったのか、手にも大きなボストン鞄を持っている青年。一方の私たちはいきなりの申し出に頭が真っ白になり、なんと返事したらいいか戸惑う。

 そんなにっちもさっちもいかない空気を悟ったのか……いや、偶然だろう。青年のお腹が、それはもう大きな音を立てて鳴った。だけど恥ずかしがることなく、テーブルに並ぶサンドイッチを凝視している。この人、お腹が減っているのかな?


「よければ一緒に召し上がりますか?」

「いいんですか? 嬉しいな!」


 気さくな性格なのだろう。青年はパーソナルスペースを気にもせず、ズイと私へ近寄る。だけどウェットティッシュを持ったルカが、すかさず私たちの間に割って入る。


「まずは手を拭け」

「あぁ、これは失礼。それでは一枚もらいましょう!」


 受けった青年は手を綺麗にした後、サンドイッチへ手を伸ばす。「おいひいれすねぇ!」と陽太や睦月に負けないテンションで話しながら、どんどん皿を空にする。

 いきなりの登場人物に、どうすればいいか分からない私たち。パチパチと瞬きした後、困ったように顔を見合せた。

 

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