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その後、私と睦月は空が明るくなるまで本音で話した。
「睦月のことは本当に好き。だけど両親のことを考えると辛くて、睦月とうまく話せない時がある」と言ったら、睦月はうなずいてくれた。「わかっている」と言ってくれた。
『私たちを好きでいてくれる明里の気持ちは伝わっているよ。その奥にある両親への悲しみも、私たちへの負の感情も分かっている』
私は素直に「どうしたらいいかな」と聞いた。
この板挟みの状態がいつまで続くのだろうか。二律背反の気持ちを持ったままだと、私も睦月もずっと辛いから――そう話す私に、食パンを食べ終えた睦月がこう言った。
『どっちかの気持ちがなくなるその時まで、二つの気持ちを明里の心に居させてあげよう。無理に追い出さなくていいよ。日が経てば、どんな気持ちだって薄らいでいく。時間が経てば、また真っ白な心に戻る。焦れば焦るほど心はこんがらがっていくから、今は気長に待とう。私たちは〝明里に嫌われていない〟と知れているだけで充分だから』
泣きながら食パンを食べる私を見ながら、睦月は笑ってくれた。
『盛り上がった土が、再び地面と一体化するまで気長に待つ。今はそれしかできない。だけど一体化した土は、きっと前の土よりも強いはず。強い雨に打たれても、ちょっとのことではえぐれない。だから大丈夫だよ。私たちは今、強くなっている途中だから』
睦月の部屋の窓からも、中庭の桜の木が少し見える。その木を見ながら「枝だけになっちゃったね」と睦月は残念そうにつぶやく。だけど新芽が顔を出しているのを見つけて、私たちは喜び合った。
桜の木は強いね――視界に桜の木を映しながら、何気なく言った言葉だった。
『明里も同じだよ。そうして、まだまだこれから強くなっていくんだ』
そう言われて心が軽くなった。陽太ばかりが強くなって、私は置いてけぼりになっている気がしたから。だけど私も強くなれているんだ。目に見えないだけで、少しずつ変わっているんだ。
『ありがとう、睦月』
パンを食べ終えた私たちは顔についたブルーベリージャムを見て笑い合って、少しだけ寝た。二人で布団に寝転がった。少しだけ窮屈だったけど、睦月は子供の姿なだけあって体温もとても高かった。その温もりに安心して、私は夢を見ることなくぐっすり寝られた。短時間の睡眠だったのにも拘わらず、その日はとても体が軽かった。
心を強くする方法を知ることができた私は、その日から自分の心に正直に生きるようになった。思ったことは口にして、自分の本音を全て隠そうとしない。時には遠慮なく、踏み込んでいくようになった。すると心が軽くて、前よりも生きやすくなった。自分を覆っていた黒い雲が、スッキリ晴れたみたいだ。
「明里は、いつ俺と本音で話すのだ」
「……あ」
とある朝、洗面台の前でばったり会ったルカに、開口一番こんなことを言われた。
そういえばお母さんと初めて話をした後、「俺と本音で話す」とルカに言われた。その日は睦月の部屋で寝ちゃって、今日の今日まで話さずじまいだった。していたことと言えば日常会話と、お母さんの様態の確認。
あれからお母さんは二階の空いている部屋に移り、一週間療養した。昨夜ついに全快したから「今日家を出る」と言われてしまったのだ。元気になったのはいいことだけど、私は寂しい。あの後も、家事や育児や色んなことをお母さんに相談していたから……。
「じゃあルカ、今、本音で話したいことがあるんだけど……いい?」
「なんだ」
涼やかな目元をしたルカが、ジッと私を見る。お母さんに注意されたのか、前よりも服のはだけが穏やかになり、見えている肌の面積も少なくなってきた。ルカはいつまで経っても、睦月のように洋服を着ない。着たら似合うと思うんだけどな。
「今日お母さんは山に帰るんだよね? だったらお昼は、こっちで食べてもらおうよ。皆で一緒にさ」
「……」
本音で話したら、ルカはピタッと動かなくなった。何を考えているのかと思えば「必要ない」とのこと。きっとルカならそういうと思っていたけど……私、見ちゃったんだ。お母さんが「山に帰る」と言った時、ルカが寂しそうな顔をしたのを。
せっかく会えたのに、このまま手を振って「バイバイ」は寂しい。お母さんも人間の料理に慣れて何でも食べられるようになったことだし、お別れ会を兼ねて一緒に食べたい。というのも、お母さんは台所でご飯を食べなかった。何度も「一緒に食べよう」と言っても、首を横に振ったのだ。そんなお母さんを見て、睦月は「適度な距離を保っておかないと、ルカにも自分のためにもならないからだろうね」と言った。「後が辛いから」と。
「ねぇルカ、人間には『送別会』と言って、いなくなる人と一緒にご飯を食べる習慣があるの。お世話になった人と、最後に一緒の時間を過ごしましょうってことなんだけど……やっぱりダメかなぁ?」
親しい人との別れは辛い。だから深入りせず、ある程度の距離を取っておく。それは分かる。だけど、それができない私からすると、すごくもったいないって思っちゃう。私も、お父さんとお母さんと送別会してからお別れしたかったよ。
「お母さんと会える日は今日が最後かもしれないと思ったら、私は、最後だからこそもっともっと話したいって思うよ」
「明里……」
ルカはいきなり私の頭をワシワシと撫でた。びっくりしていると、ルカから「分かった」と言われ、更にビックリ。
「ルカ、本当にいいの?」
自分で言ったことだけど、まさか了承してくれるとは思わなかった。だから、つい聞き返してしまう。
ルカは空色の瞳を、ツイと私へ向けた。少し微笑んでるような、優しい眼差しだった。
「明里が本音で話してくれたのに、それを無碍にしたくはない。何の料理をするんだ? 手伝う」
「え……」
私のため? 私が本音で話したから、それに応えようとしてくれたの?
「へへ……ありがとうルカ。お母さんに、何を作ろうか」
こんな時なのに、私の気持ちまで汲んでくれたことが嬉しい。やっぱりルカは、優しい妖怪だ。
今の話を聞いていたのか、睦月が「いいねえ!」と扉から顔を覗かせた。睦月は朝から元気いっぱい。
「明里、たいていの物なら作れるから任せて!」
「え、あ~……」
睦月が自分の胸をドンと叩いた。いつもご飯は睦月とルカに任せている。そういえばしばらく料理をしていない。それ以外の家事が私担当って感じだ。でも……今回ばかりは私も一緒に作りたいな。たくさん相談に乗ってもらったから、感謝の意味を込めて。
「ねぇ睦月、私も一緒に買い物に行っていい? 料理も手伝いたい」
「もちろん、いいよ。じゃあ一緒に行こうか。でも仕事は?」
「今日は土曜日だから休み」
睦月は「よかった」と安心して笑った。そうしてパジャマから半袖半ズボンへ早着替えした。もちろん陽太の服だ。女の子の睦月に服を買ってあげたいけど、家計に余裕がないから贅沢をさせてあげられない。
「そういえば食費はどうしているんだろう。睦月もルカも、食費を受け取ってくれないんだよね」
私も着替えて、陽太とルカに「いってきます」と手を振る。ここからスーパーまで自転車で二十分。いくら山に近い田舎とはいえ、真夏に往復四十分の移動時間は堪える。
「いつも睦月が買い物に行ってくれているんでしょ? ごめんね、大変だよね」
後ろに座る睦月へ言うと、睦月は風を感じているのか「んー?」と上り調子だ。
「そうでもないよ。だって私、いつも変化して飛んでいるもん」
「あ、あの魔法の絨毯!」
まるで高級カーペットみたいなふかふかの空飛ぶ絨毯を思い出す。ルカのお母さんを見つけた日、山から家まで乗って帰ったっけ。
確かに、あの移動手段なら自転車ほど苦労はないだろうな。どれほど荷物が増えても、絨毯の上に乗せられるし。あ、でも絨毯と呼んでいるだけで睦月の体が広がっているだけだから重たいか。変化しているだけだもんね。
「変化……」
その時、つい「あらぬ事」を考えてしまった。
「ねぇ睦月、私から食費を受け取ってくれないのって……葉っぱをお金に変えてる?」
「えぇ⁉」
取り乱した睦月につられて、自転車の重心が右往左往に移動する。私はしっかりハンドルを支えて、重心が安定するようにバランスをとる。自転車は何とか倒れず、緩やかな坂道をスピードを上げながら降りていく。
小道の両端には大木が並んでおり、伸びた枝が自転車や体に当たる。桜の木が多いのだろう。枝には、たくさんの緑葉がついていた。うちにある桜の木も、雨に負けていなかったら、これほど鮮やかな緑をまとっていたのかと思うと、少し残念だ。来年は、元気な緑葉を見られるといいな。
自転車に当たった枝がポキンと折れて、後ろにいる睦月の腿に落ちたらしい。「わぁプレゼントだ」と睦月が無邪気に喜ぶ。
「さっきの質問だけど、ちゃんと人間のお金で買っているから安心して。私たちは犯罪妖怪じゃないからね⁉」
「ご、ごめん。でも、どうしてお金を持っているの?」
「神様から支給されるんだ。私たちお役目は、どうしても人間と交流する機会も増えるだろうからって」
そういえば「神様は神社にいることもある」とお母さんが言っていた。人が投げたお賽銭が、睦月たちに支給されたりするのかな? 人が願いを込めたお金が、人に危害を加えないよう働く睦月たちの手に渡っているなら、すごくいいことだよね。巡り巡った思いが、皆のためになっているんだ。
すると、いつも登園の際に通るお地蔵さまの前まで来た。そういえば「お地蔵さまにも神様はいる」んだっけ。その場合だとお賽銭箱はないし、神様はどこでお金を調達しているのだろう。
下世話なことを考えていると、睦月が「でもねぇ」と困ったような声を出す。
「毎年支給されるんだけど、私もルカもあまり使わなかったんだよ。だからお金は余っていたんだ。その余ったお金を、今まで食費として使っていたんだよ。だけど……」
「だけど?」
だんだん口が重くなる睦月の顔を、自転車を止めて見る。睦月は口をひくつかせながら「実はさ」と、とんでもないことを口にした。
「実は今年中に私たちのお役目が解かれるらしくてね。そうすると一匹妖怪のことは気にしなくていいんだけど……明里の家で暮らすには、ちょっと……いや、かなりお金が足りなくなるから、どうしようかと思ってね」
「え……えぇ―⁉」
気づけばスーパーの目の前まで来ていたようで、大声を出した私を、買い物客が一斉に見つめた。その中に見知った顔が一つ。山にブルーベリーが生えていることを教えてくれた、やよいくんママだ。
「こ、こんにちは。陽太くんのお姉さん……」
「あはは。こ、こんにちは。やよいくんママ」
二人でぎこちない挨拶を交わした後、なぜか一緒に買い物をしようということになった。
そうして私は今、広い店内の中、やよいくんママと並んでカートを押している。




