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ルカのお母さんは腰まである長い髪をした、やや目が吊り上がっている美人さんだ。だからといって厳しそうな感じはなく、むしろ私を心配してくれていると、表情を見ただけで分かる。眉が下がり、慈愛に満ちた瞳で私を見ている。
「ルカのお母さん……」
「はい。あの子がお世話になっております」
律儀に姿勢を正そうとしてくれたらしい。けれど体を動かそうとするとぐらりと上半身が揺れ、バランスを崩してしまう。私は「危ない」と、急いで彼女の脇の下へ腕を差し込み、細い体を支える。
「まだお体が辛いと思うので、ゆっくり横になってください」
「えぇ、ありがとう……」
お母さんは布団に頭をつけた後、毛と同じ金色の瞳を動かした。「ここは」と、視線が天井を彷徨っている。そうか、お母さんはここがどこか知らないよね。じゃあ、ここにルカが住んでいることも知らないんだ。
でもさっき、お母さんは私に「あの子がお世話になっております」と言った。一緒に住んでいると知らないのに、どうして私とルカに関係があると分かるんだろう?
その時、お母さんの視線が、さっきまで座っていたルカの座布団へ移る。
「あ、もしかしてルカの匂いがしますか?」
だから「私とルカに関係がある」と分かったんだ。予想は当たっていて、お母さんは「えぇ」とうなずく。
「この部屋からルカの匂いがします。近くに、ルカがいますね?」
「はい。さっきまで、ずっとお母さんの隣にいました。元気ですよ、ルカ」
「そうですか」
お母さんは興味なさそうに目を伏せたかと思いきや、少し口角が上がった。ルカが元気と知って嬉しいんだ。まだルカのことを大事に思っている証拠だ。じゃあ、どうしてルカを捨てたんだろう? 他の家族のことを探るのはいけないことだと分かっているけど、どうにも気になってしまう。
ここがどこが、どうして私とルカが出会い一緒にいるかを説明する反面。私はお母さんの本心を探っていた。
「ルカが『お役目』をもらって日が経ちますが、そんなことが……。あなたには苦労をかけてしまいましたね」
「え、あ……いえ」
お母さんの言葉を聞いて、一瞬だけ言葉に詰まってしまった。両親が死んだという事実は、今まで私に何度も暗い影を落としてきたからだ。その気持ちを汲んでもらいたくて、思わず「はい」と言いそうになった。「辛いです」と、本音を打ち明けそうになった。
でも裏を返せば「あなたの子どものせいで私は大変でした」と言っているようなものだ。
お母さんを責めるつもりはない。ましてやルカを責めるつもりもない。さっき睦月に「気にしないで」と言えなかったのは、私の心の狭さが原因だ。私の心は、まだまだ弱い。陽太のように、少しずつでも強くなれたらいいのに。
その時、さっきとはうってかわって寡黙になった私を、お母さんが心配そうに見ていることに気づく。心配させたくなかったから、私は苦し紛れに「ルカは」と話を続けた。
「ルカは私の弟・陽太の面倒をよく見てくれます。一緒に遊んでくれたり、家のご飯を作ってくれたり、すごく助かっているんですよ」
「……そうですか」
お母さんはぎこちなく笑った。もしかして私が無理して話していることに気づいているのかもしれない。
微妙に気まずくなった私たちを救ってくれたのは、ブルーベリージャムだった。匂いに気づいたお母さんが「それは」と、お腹を鳴らしながらジャムの入った小皿を見つめる。
「今日ルカと採りに行ったんです。睦月と陽太がジャムにしてくれました。よければ、いかがですか?」
「じゃむというのは、あのトロトロした……」
「砂糖と一緒に煮た食べ物です。お母さんにとって甘すぎるかもしれませんから、少しずつどうぞ」
小皿とスプーンを渡すと、お母さんはもう一度体を起こし、ぎこちない手つきで受け取った。普段、人間に化けることが少ないのだろう。スプーンだからまだ持てているが、万が一箸だったらきっと食べられなかっただろうな。
お母さんはゆっくりした手つきで、ジャムを口へ運ぶ。口にした瞬間、目を開いて「おいしい」と、頬をピンク色に染めた。
「すごく甘くて、だけどしつこくなくて、おいしい……匂いも、すごく豊潤で癒されます」
「ふんだんにブルーベリーを使っていますからね。煮ている時は、思わず酔ってしまいそうになるくらい強い匂いでしたよ」
「そこまで……。私も匂ってみたかったです」
くすくすと笑うお母さんへ、今度は水の入ったコップを渡す。本当はおしぼりを絞って口に入れてあげる予定だったけど、「念のため」とコップに注いできてよかった。
お母さんは、ぎこちない手つきでコップを傾ける。しばらく味わうと、病み上がりだからたくさんは食べられないのか、コップと小皿の両方を私に返した。
「少し、あなたと話がしたいのですが、お時間は……」
「大丈夫です。あの、何か気になることが?」
何か失礼なことを言ってしまっただろうかと首をかしげる。お母さんは「正直に教えてほしいのですが」と、まだ小皿を持ったままの私の手に、自身の手を重ねた。
「さっき、あなたの独り言を聞いてしまったのです。ルカの寿命のことを」
「ルカの寿命……あ」
最初にお母さんが目を覚ました時。そういえば私はこんなことを言っていた。
『ルカのお母さんがご健在なのに、どうしてルカの死期が近いの? 明らかに早すぎない?』
あの言葉を、お母さんは聞いていたんだ。サッと背中に冷水をかけられたように焦る。だって子供の寿命を親に教えるなんて――だけどお母さんは落ち着いているもので「ある程度は自分でわかるんです」と、私から手を離す。
「寝ている時、ぼんやりとあの子の気配を感じました。まるで細い蜘蛛の糸のように、繊細な気配だった。その時に『この子は薄命だ』と気づいたのです。そこへあなたの言葉を聞いて、確信しました」
「すみません、お母さんのことを考えず発言してしまって……浅はかでした」
首を振ったお母さんが「気になるのは」と、目を伏せる。
「どうしてルカは、私よりも命が短いのでしょう。お役目を賜った妖怪は、すべからく寿命が縮むとは聞いたことがありますが、ここまでなんて……」
ここで、気になっていたことを思い切って聞いてみる。
「ルカも言っていたのですが、お役目とは、誰が決めたものなのですか?」
「神様です。この地域を司る神様が、お役目を全うできそうな妖怪を選ぶのです。
各地方に神様がいて、お役目を賜った妖怪がいる。そうして日本国で一匹妖怪が増えないようにしているのです」
「神様……」
予想外の規模の大きさに、想像が追いつかない。いまひとつピンと来ないというか……。
するとお母さんが「神様は神社におられることもありますし、地蔵さまに宿っていることもあります」と補足してくれた。そういえば、せいかこども園に行く途中にもお地蔵さまがあったっけ。もしかして、あそこに神様がいたりして。
「だけど神様って理不尽ですね。お役目を全うする妖怪たちの寿命を、長くはできないのですか? そもそも、どうして寿命が短くなるのでしょう?」
「そこはやはり、お役目に従事すると妖怪の力を多く使ってしまうからです。それを承知で、妖怪はお役目を引き受けるのですよ。けれど……ここまで短命なのは聞いたことがありません。相方の妖怪も、同じく短命なのですか?」
どうやらお役目というのは、二人一組で行うものらしい。となれば、お母さんの言う相方は、睦月だ。
「大刀を背負った妖怪・睦月もここに住んでいますが、同じく短命だといっていました」
「だとすれば、他の地方では行わないようなことを二人して行った、ということでしょうね。二人だけで行った『内緒の何か』が、多くの寿命を削ってしまった」
「内緒の何か……」
ルカと睦月は、何をしたんだろう? まさか神様を怒らせるようなことをしたのかな? それで反感を買って、寿命をとられちゃったとか。だけどお母さんが言うに、神様は悪い人ではないらしい。妖怪から尊敬される存在なんだって。
「そんな神様が、お役目を全うする二人の寿命を敢えて取るわけがないんです。きっと、お役目を全うする中で、寿命を削るほど『大量の力』を使わざるをえない出来事があったのでしょう」
「大量の力を、二人だけが、内緒に使った……」
一気に情報が入りすぎて、プチパニックだけど……思うことは、ただ一つ。
二人の寿命を元の長さに戻してほしい。それだけ。
せめて陽太が一人立ちするまでは、この家を出ていくまでは――
そこまで思ったところでハッとした。私ったら、こんな時まで自分たちのことばかり。ルカと睦月の命の話をしているというのに。こんな私を知ったら、きっとお母さんは幻滅するだろうな。後ろめたさから、目を合わせられない。
冷え切った心に呼応するように、どんどん手が冷たくなっていく。だけど、そんな私の手を、お母さんが優しく包み込んだ。
「妖怪の事情を、たくさん話してしまってごめんなさい。一緒に住んでいる分、ルカの命が気になるだろうけれど……どうか、あの子にはあの子の運命を背負わせてやってください」
「え?」
「寿命が短くなったのは、あの子が『何かしらの行動』をしたから。その行動は、きっとあの子が自分で決めて行ったものだと思います。その結果、寿命が削れてしまった。
その寿命を伸ばそうとすることは、その時に決断した『あの子の意志』を踏みにじる行為です。あの子もいっぱしの妖怪。選択すればどのような結果が伴うかはわかっていたはず。それでも、目的を成すため実行に移した。
私は、そんなあの子の気持ちに寄り添いたいのです」
「っ!」
これが母なのだと思った。
私は目の前のルカにいなくなってほしくなくて、「どうしたら長くルカが生きられるだろう」とそればかり考えていた。寿命を伸ばすことこそがルカのためだと、そう思って。
だけどお母さんは、ルカの過去を慮ってまで判断した。わが子の意志を尊重するために。
「ごめん、ルカ……」
自分の浅はかさに気づいて肩が落ちる。ルカの生きざまを、私は真っ向から否定していたのだ。
ルカに「もう私たちは家族だよ」と言っておきながら、私が築いていたのは上辺だけの関係だった。心から相手を思っていないのに、家族も何もあったものじゃない。
ルカが仏壇に手を合わせる私と陽太を見て、納得いかない顔をしたのもうなずける。心が通ってこそ、家族だ。
大事なことを気づかせてくれたお母さんに「ありがとうございます」とお礼を言う。なかなか顔を上げない私を見て、お母さんは私の手を握る手に力を込めた。
「あなたは少し抱えすぎていますね」
「抱えすぎている?」
「話をするなかで、寡黙になる場面が多かった。ルカも寡黙な子で、そういう時はたいてい考え事をしていました。きっと、あなたもそうなのでしょう。一緒に住んでいるがゆえに、もしかするとルカの寡黙さが移ってきたのかもしれませんね。家族は似てくる、といいますから」
「家族……」
「似たようなものでしょう。あなた達も、もう」
さっきまで「家族と名乗る資格はない」と思っていたのに、お母さんの力強い瞳を見ていると心が揺れる。私、ルカと家族になれる? 気持ちは空回りしているけど、もっと仲良くなりたいと思っている気持ちは本当なのだ。
目にたまった涙で視界が揺れる。そんな私に、お母さんの優しい言葉が真っすぐ胸に届く。
「ルカが何かを考えている時、いつも私は『気持ちを話してほしい』と思っていました。励まし合うのも、支え合うのも家族の役目です。悩んでいるなら、気持ちを隠して塞いでいるなら、いっそ話してほしい。今のルカも、きっとそう思っていますよ」
もちろんルカにも言えることですがね、と続けてお母さんは笑う。
「いつも自分の気持ちに無理に蓋をしていては、器が壊れてしまいます。辛い時は、辛いと言えばいいのです。ルカなら受け止めてくれる。だから遠慮なく、どんなことでも話してごらんなさい」
「……っ」
今まで何度も口をついて出そうだった言葉や、抑えていた気持ち。栓が抜けたように、それらがワッと溢れだす。
「ルカは、本当に優しいんです。私、大切なことをいくつも教わりました。だけど両親のことを思うと、やっぱり複雑で……ルカと両親が会わなかったら、今も私は家族四人で暮らせていたのにって。
だけどルカのことを嫌いにはなれなくて……ルカの悩みは解決したいし、寄り添いたい。一緒にこの家で支え合っていけたらって、本当にそう思っているんです」
整っていない言葉を、まとまっていない気持ちを、ありのまま全てさらけ出した。お母さんは怒ることなく「そう」と何度もうなずいてくれた。いつの間にか私は抱きしめられていて、その優しい腕の回し方や労わるような髪の撫で方から母の姿を思い出して、また泣いた。
言葉につまりながら「お母さん」と呟く。返事をするように、お母さんが背中をさする。
「あの子のことを大切に考えてくれてありがとう。たとえ短い命でも、あなたと過ごせてあの子は幸せでしょうね」
思えば、お母さんは気丈に「あの子の意志を尊重しているから、あの子の使命を全うさせてあげて」と言ったけど、自分の子供が自分より早く亡くなるなんて辛いはずだ。今だって泣きたいだろうに、必死に耐えているんだ。頑張って、ルカの運命を受け入れようとしている。
そんなお母さんに私がしてあげられることはないだろうか。こんなに近くにいるのだから、少しでも支えてあげたい。心に寄り添ってあげたい――そう思い、私を抱きしめてくれるお母さんの背中に手を回す。ポンポンと何度か叩くと、私の肩に温かな涙がポタリと落ちた。
「辛いわね。だけどこれが現実なのよね。頑張って生きましょう。辛くても、進まなければならないものね」
その言葉は私に言っているようで、その実、お母さんは自分に言い聞かせているようだった。
私は「はい」とうなずいて、しばらくお母さんと身を寄せ合った。
私とお母さんが互いの心を慰め合った後。
少しずつ元気を取り戻すため、涙を拭いて談笑を始める。
「つかぬことを聞くのですが、これほどルカを思っているお母さんが、どうしてルカを捨てたのですか?」
「えぇ?」
お母さんの驚いた声に、私も「えぇ?」と同じトーンで返す。
「ルカがそう言ったのですか?」
「はい。雨の日に捨てられた、と」
もしかして言ってはいけないことだったかな? ルカごめんと思いながら、お母さんの言葉を待つ。すると金色の瞳は細くなり、やがて一本線になり見えなくなった。お母さんを見ると、「ふふ」と笑いをこらえきれない様子。
「捨てたのではありません、独り立ちです。狐は、たとえ親子であっても群れませんから」
「じゃあ捨てられたというのは」
「ルカの勘違いですね。離れる前、一応説明したはずですが」
クスクス笑うお母さんを見て、心の底から「はあ~」とため息が出た。いや、安堵の息というべきか。
「ルカったら、肝心なことを聞いていないんだから」
意外におっちょこちょいなんだなあ、と思っていると「あ、でも」とお母さんが口に手を当てる。
「そういえば弟たちには独り立ちの話をしましたが、ルカにはし忘れていたかも……」
「……」
この親にしてこの子あり、だ。何とも似た者親子である。私は「やっぱり親子ですね」と、思わず笑ってしまった。
ルカが「捨てられた」と言った時。睦月が笑ったのは、きっと既に知っていたからだ。狐は群れないから、単に独り立ちをしただけなのだと。
睦月――さっき台所で気まずくなって、それきりだ。まだ起きているだろうか。お母さんに託された勇気が胸にあるうちに、睦月と話がしたい。
「行ってらっしゃい」
「え?」
いきなりお母さんが言った。行ってらっしゃい? なんで、どこへ?
首をかしげていると「また寡黙になっていたわよ。考え事をしているんでしょう」と、思考を見抜かれる。心ここにあらずだったことがバレてしまった。私はお言葉に甘え、席を立つ。
「いま会っておきたい人がいるんです。しばらく部屋を離れていいですか?」
正直に話すと、お母さんは「もちろん」とうなずいた。扉をジッと見つめながら。
「私も、久しぶりに子どもと話をするわ。
そこにいるんでしょう、ルカ。耳がいいから、今までの会話は全て聞こえているわね?」
「え、ルカ?」
目をやると、ルカが扉を開け、部屋に入ってきた。顔を赤くして、こちらを見ようともしない。
そうか、ルカは知っちゃったんだ。自分が「捨てられた」と勘違いしていたことを。
私はお母さんと顔を合わせて笑った。ルカの横を通り過ぎる際に、少しだけルカの体に手を触れる。
「ちゃんと愛されているよ、ルカ。よかったね。あと、素敵なお母さんだね」
ごゆっくり、と言いながら部屋を出ようとしたら、今度はルカに腕をつかまれた。お母さんとは違う大きな手に驚いて、「うわ」と素っ頓狂な声が出てしまう。その時に視界に映ったのは、ルカの水色の瞳。ルカが膝を曲げて、私と目を合わせている。
「戻ってきたら、明里の番だからな」
「何の?」
「お前もまた『満たされていない者』だろう。不満も不安も、すべて俺が受け止める。もう遠慮するな。いつでも本音をぶつけてこい」
「!」
全て聞こえていたということは、私の気持ちも筒抜けということ。さっきお母さんに話したことが、そのままルカにも伝わってしまったんだ。
それが分かると急に目を合わせられなくなって、どこを見たらいいか分からなくなって……魚みたいにふよふよと視線が泳ぐ。だけどルカの手により、両頬を挟まれた。
「俺と本音で話す、いいな?」
「ひゃ、ひゃい……」
すごい威圧感だ。お母さんの「こらルカ」という制止で、ルカは私から離れる。もう触られていないのに頬がじんじんする。そこまで強く握られてたわけではないのに、顔が熱い。
「あぁ私、嬉しいんだ」
部屋を出たとき、ポツリと漏らす。
私の本音を知っても、ルカが私を避けずに受け入れてくれたことが嬉しいんだ。ありのままの私を、真正面から見てくれることが嬉しいんだ。
「ルカは私の気持ちを知っているし、何とか話せそう。問題は、睦月だね」
まるで睦月と話すのが初めてであるかのように、変に緊張してしまう。だけど本音を話したい。自分の気持ちは、ちゃんと知ってもらわないといけない気がした。
睦月のことは確かに好き。だけど心では、まだ両親のことが引っ掛かっている。だけど睦月とは仲良くなりたいし、家族になりたい――こんな支離滅裂な私の気持ちを聞いて、睦月はなんて思うだろう。失望されなかったらいいな。いや、睦月はそんなことを思う子ではないと知っているけど……緊張であらぬことを考えてしまう。
「はぁ……深呼吸、深呼吸」
一階に降りて、睦月の部屋の前まで来た。部屋の明かりはついている。だけど物音がしない。もしかして電気つけっぱなしで寝ているのかな?
「あれ、明里?」
「え、睦月?」
部屋の中にいると思っていた睦月は、なんと廊下に立っていた。何かを持って、私を見つめている。
「どうしたの? もう結構おそいけど」
「えっと、睦月と話がしたくて」
聞いていてあまり気持ちの良い話ではないけど、と付け足す。すると睦月は最初こそあっけにとられていたけど、すぐに口角を上げた。
「いいね。私、明里とそういう話をしたかったんだ」
「そういうって?」
「聞いていて気持ちの良くない話。明里とは腹を割って、泥臭い話をしたかった」
そう言って睦月は、肩をちょいと上げた。やっぱり睦月には、私が本音を隠しているとバレていた。ルカみたいに耳がいいわけじゃないから、さっきのお母さんとの会話は聞かれていない……だけど、もう私の気持ちなんぞお見通しだろう。その証拠に、睦月は「覚悟はできている」と言った。その言葉を聞いて、私も睦月と本音で話す覚悟が固まる。あとは言葉にするだけだ。家族に一歩、近づくだけだ。
「ありがとう」と頭を下げた時。睦月が持っている何かが目に入る。お盆に乗っている物って……。
「それ、もしかしてブルーベリージャム?」
「そう。どんな味になったか気になって。実は、食パンも焼いてきたっ」
確かに香ばしい焼きたてのパンの香りがしている。たまらなくなって「私も焼きたい」とつい言ってしまう。
「そりゃいいけど……一緒に食べられると嬉しいし」
睦月は、つま先を合わせてモジモジした。既に二階で寝ている陽太に配慮してか、小さな声で「じゃあ部屋で待っているね」と照れた顔で喜んだ。私は急いで台所に行き、食パンを焼く傍ら、ジャムの準備をする。小麦のいい香りが漂ってきた。ジャムの瓶を開けると、体中の筋肉が弛緩するような甘い香りが一気に空中に漂う。
「こんな甘いジャムを食べながら、泥臭い話なんて」
苦笑を浮かべていると、色の変わったパンがトースターから顔を出す。私は「あちち」と言いながら、親指と人差し指でつまんで素早く皿へ移した。
これから初めて腹を割って話す、というのに、睦月の部屋へ行く足取りが重くない。むしろ早く行きたくて、いつもより早歩きをしている。
「きっとお母さんの言葉のおかげだ」
『励まし合うのも、支え合うのも家族の役目です。悩んでいるなら、気持ちを隠して塞いでいるなら、いっそ話してほしい』
ルカと睦月と家族になりたいなら、まずは私が一歩を踏み込む。その分だけ、きっと彼らは応えてくれる。だから踏み出せばいい、本音を明かせばいい。私が勇気を出した分、二人は近づいてくれる。
「睦月、入るよ」
だから怖がらずに踏み込んでみよう。この一歩が重なって、家族は形を成していくんだ。一気には無理だから、一つずつ、少しずつ。私たちが望む形へと、ゆっくり関係を変えていこう。




