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お父さんとお母さんは、旅行好きだった。
よく祖父母の家に私と弟を預け、二人で出かけた。
不思議なことを言いながら。
「探している人がいる」
「私たちが見つけてあげないといけないの」
「「それが約束だからね」」
約束? 誰との?
次に帰って来た時に聞こうと思った。
だけど玄関扉を叩いたのは警察官だった。
「残念ですが、ご両親は崖から転落死しました」
その時、私は高校三年生だった。暑苦しいほどの真夏日。
だけど頭は変にひんやりしていたのを、今でも覚えている。
「お父さんとお母さん、もういないの?」
遅れて意味を理解した弟が泣きじゃくった。
警察官は「まだ幼い二人を残して」と私たちを気の毒そうな顔で見た。
この瞬間、私と弟は肉親がいない二人きりの世界に取り残された事を理解した。
「働かなくちゃ」
未就学児の弟と、保育士になるため受験勉強まっしぐらだった私。
両親が旅行好きだったために弟の面倒を見ることが多かったけど、それがきっかけで保育に興味を持った。
私の将来の夢は保育士だ……いや、保育士だった。
夢を叶えるにはお金が足りない。まずは弟の学費を稼がなきゃ。
その時、私の中で「ポコン」と音が鳴る。
もう二度と引き上げられないような深淵へ、私の感情が落ちた音だった。
◇
アパート暮らしだったけど「父方の実家が空いている」と遠い親戚から聞いて引っ越した。たまに遊びに来ていたから馴染みがある。祖父母は早くに亡くなってしまったから、約一年ぶりの訪れだ。
だけど風景に目をやる暇はなかった。庭に虫が多くいて弟ははしゃいでいたけれど、私はそれどころじゃない。年末年始は引っ越し作業で終わり、かつてない師走を体感した。
引っ越しが終わり、進路変更の申し出が済んだ。周りが「受かった」や「落ちた」と一喜一憂している中、私もまた、履歴書を送って面接をしては、一喜一憂を繰り返した。そうして怒涛の三ヶ月が幕を閉じた。
弟と二人きりの家族になり、初めて季節が変わった。
新年度を迎え、春がやってきた。
高校を卒業した私は、年長になった弟を子ども園へ送りに行くため、今日も朝から忙しなく動いている。
「陽太、もう出る時間だよ! ハンカチは持ったの?」
「あ、忘れてた!」
夏木陽太、五歳。柔らかい黒髪を揺らしながら、家の中をいったりきたりしている。
今年から〝せいか子ども園〟の年長児だ。引っ越しに伴い転園したから最初は心配したけど、うまく溶け込めているらしい。行き渋ることなく園に行ってくれるから助かる。
「あと三十秒~」
スマホの時計に目を落としながら、玄関先で自転車の横に立つ私。
夏木明里、今年で十八歳。今年からバイトを二つ掛け持ちする社会人だ。
陽太と同じ黒髪を、後ろで一つに縛りポニーテールにしている。
四月初旬とはいえ、気温はまるで初夏。髪をくくっておかないと、じっとりした汗と絡まって気持ちが悪い。
生ぬるい風が、露わになった首をなでる。くくったとて、それほど涼しくない。変わらぬ暑さに、思わず眉をしかめた。すると家の奥から、怪獣に似た足音が聞こえる。
「よし、間に合ったぁ!」
「園に行く前から、すごい汗だね」
「だってこの家、広いんだもん!」
祖父母の家は特殊だ。大きな屋敷は、一階に八部屋、二階に四部屋、合計十二の部屋でできている。いつか父から家系図を見せてもらったけど、この家は〝大家族だった時代〟がない。それなのに、どうしてこれほど部屋があるんだろう。
「いいから乗って、いくよ!」
住宅街を離れている代わりに山が近く、家の周り四方すべてに田んぼがある。この田んぼは、近所の(といっても歩いて三十分かかる)権蔵さんこと〝権さん〟が管理している。
権さんは優しい面持ちの人で、よく話しかけてくれる。二人暮らしをする私たちを気遣ってくれる。
だけど私は社会人。大人の仲間入りをした。
だから権さんに「もう心配しなくて大丈夫」と言った。ずっと気にしてもらうのは悪いから。だけど権さんは「そうかい」と眉を下げた。
その笑顔は、なぜか寂しそうだった。
「ねーちゃん、子ども園がみえてきたよ!」
「よし、あと少しだね」
自転車で十分。住宅街が見えてくると子ども園は、すぐそこだ。
駐輪場へ停め、門をくぐる。その時、陽太が「やよいくん、おはよー」と友達に手を振っている。どうやら同じタイミングで登園したらしい。子ども同士が和気あいあいと手を振り合う中、やよいくんのお母さんは、私を見て驚いていた。だけど何も言わずに、一足先に、玄関先に立つ先生へ我が子を預ける。
「やっぱり浮いているよね、私」
ここに来る保護者の年齢は、若くても二十代。だから十代の私がいると、どうしても悪目立ちする。同じ時間帯に登園する保護者は私に見慣れてくれたけど、時間がズレて出会う保護者からは、こうやって奇異の目で見られてしまう。
年の離れた弟です、と説明するべき?
でも聞かされた所で困るよね。
家族がいないから私が送迎している、なんて。
「はぁ……」
複雑な感情を胸に抱いたまま、やよいくんのお母さんに引き続き、先生たちに陽太を預ける。
「おはようございます。体調に変わりなく元気です」
「おはようございます、分かりました。陽太くん、おはよう!」
「おはよう、あやね先生!」
あやね先生は、陽太の担任の先生だ。まだ若いけどしっかりされていて頼りがいがある。いつも後ろでくくられているポニーテールは、先生の元気印だ。
陽太にバイバイをして、自転車でUターン。さっき見たばかりの景色を再び眺める。
カタカタ、ガシャン。自転車が小石を弾き飛ばしている。
こうして一人で何も考えず、ただ風を切る間。保護者から奇異な視線を受けて落ち込んだ心を、風の力をかりて換気する。そうすればペダルを踏む足に力が入るから。
「深く考えない。忘れる、次」
気合を入れ直した瞬間、近くの学校からチャイムが響く……しまった。
「バイトに遅刻しちゃう!」
この音は本来、家で聞かないといけない音だ。明らかに時間が押している。
私は二つの仕事を掛け持ちしている。午前はスーパーのレジ打ち、午後は小さな会社の事務員。
一つに絞りたかったけど、ここは田舎ゆえにバイトの募集が少ない。終日働ける会社がないため、掛け持ちして何とか一日労働を成立させている。
「お家に到着、すぐ着替えて行かなくちゃ!」
慌てて靴を脱ぐと、下駄箱に掛けた手が〝とある物〟に触れる。
手をどけた先にあったのは、黄色の石と、緑の石。私の握りこぶしと同じ大きさの石……といっても透けているから宝石みたいだ。太陽にかざすとキラキラ光る。
陽太は「きれい」と言って、この石を気に入っている。
だけど私は好きじゃない。むしろ苦手だ。
これは、両親からの〝形見分け〟だから。
形見分けとは、故人の愛用品を思い入れのある人へ分け与えることだ。
私は黄色の石を、陽太は緑の石をもらった。
確かにキレイな石だけど、形見分けだ。二人が死んだ証拠みたいなもの。どれほどキレイでも、その石は、私の心を黒く濁していく。
「そうだ、バイトに行くんだった」
石の隣に置いた時計が、バイト開始の時間を指そうとしていた。これからせいか子ども園と真反対の方向へ自転車をこがないといけない。かなりギリギリだ。
だけど焦りは禁物。
荒っぽく動かした手が石に当たってしまい、黄色の石が緑の石へ、まるでビリヤードのようにぶつかった。そうして転がり合った石は、玄関の床めがけて落下する。
激しい衝突音がした後。
石には稲妻に似た亀裂が走っていた。
「え、うそ。どうしよう……っ」
大事な物を壊してしまった。二人からもらった大切な物なのに。
どうしたら直る?
それとも、このまま割れてしまう?
もうバイトのことは頭にない。考えるのは「どうにかして石を直せないか」という焦り、それだけ。だけど妙な物体が目の前を通り、我に返る。
「なんか煙たい……え、白い煙?」
石ばかり見つめていたから気づくのが遅れた。顔を上げると、玄関全体に白煙が漂っている。まさか火事⁉
でも黒煙ではないし、こげくさくない。まるでドライアイスみたい。
「いったい……わぁ⁉」
手にしていた石が、とつぜん弾けた。パンと高い音が響いた後。
目を凝らすと、白煙の中に二つの影が立っていた。
「俺たちを外へ出したのは、お前か?」
「まさか強制的に出されるなんてね!」
煙が晴れると同時に、身長差がある二人の人物と目が合った。
落ち着いた雰囲気の人は、襟足が長い黒髪の成人男性だ。整った顔つきだが和服が乱れ、胸元がはだけている。そこから覗くのは筋肉質な肌。和服の色が、緑がかった灰色のせいか、どこか哀愁が漂って見える。
というか、今の時代に和服……?
そうツッコミたくなったのは、もう一人も和服を着ているからだ。
陽太より少し背が高い男の子。もんぺのような袴を履き、タイトな黒シャツを着ている。その上から和服を着ているけれど、袖がないノースリーブだ。
この斬新な服に驚かなかったのは、もっと強烈な物を目にしたから。
男の子の背中。そこに彼の身長より長い刀がある。というか引きずっている。男の子が動くたびに、刀を納めた鞘が玄関の床をゴリゴリと擦っているのだ。
もしかして、その刀って本物なの? 怖くて聞けないけれど。
恐怖を覚えていたところで、背の高い男性が私を見た。空の色と同じ、キレイで澄んだ水色の瞳が、ジッと私を見つめている。
「お前の名前は、確か」
「あ……えっと」
名乗ろうとして口を閉じた。だって明らかに怪しい人たちだもの。
自己紹介するより先に、逃げるべきだ。
幸いにも、一歩歩けば外へ出られる。自転車に乗れば遠くへ逃げられる。
……この二人を突破できれば、の話だけど。
「はは、混乱しているね。無理もないか。君、夏木家の子でしょ?」
「え、どうしてそれを……」
「形見分けを持っているでしょ? ちゃんと受け継いでいる証拠だ」
「受け継ぐ……?」
何を言っているんだろう。やっぱりちょっとおかしい人たちかもしれない。
怖くなったから彼らの横をすり抜け、外へ出ようとした。
だけど背の高い男性に腕をつかまれる。
「ひぇ」
思わず出た悲鳴。腰が抜け、ヘナヘナとその場に座り込む。
「ルカだ」
「る、るか?」
「俺の名前だ。覚えておけ」
「そうはいっても……」
なかなか警戒心を解かない私を見て、二人は顔を突き合わせた。そして困ったように息を吐く。ため息をつきたいのは、私の方なのに。
「とりあえず話さない? 私たちが怪しい者じゃないって説明したいし、何より謝りたい。君たちの両親が死んでしまったのは私たちのせいだから」
「え……」
小さな子が口にしたのは「初めまして」にしては知りすぎている、我が家の情報だった。
しかも私の知らないことまで知っている?
両親は事故死じゃないの?
「……っ」
ドクドクと、激しく心臓が動きだす。
両親がいなくなった悲しい気持ちを、この春、やっと心の底へ沈めた。それなのにまた引きずり出される。黒く重いものが、しんしんと胸に積もっていく。
だけど「知りたい」と思ったのも事実だった。
私が知らない二人のこと、知っておきたい。
たとえ胸が張り裂けそうになっても。
「奥へ、どうぞ」
わずかな吐き気を覚えながら、なんとか二人を応接室へ案内した。
◇




