辺境伯夫人として
数日の移動と、学生時代の寮より断然ふかふかで気持ちのいいベッドがソフィアに快適な眠りを提供してくれたおかげで、朝は気持ちよく起きることができた。
「これが幸せなのかしら」
両親が生きていた頃の伯爵家でもこれくらいの寝心地のベッドはあったはずなのに、寮での生活や、叔父家族の嫌がらせのせいですっかり忘れてしまっていた。
屋敷にあったソフィアの部屋はすでにセイラの部屋へと変えられていて、どうしても帰らなければいけない日はどこで用意したのか硬いベッドによれよれの寝具が置かれた、あまり掃除の行き届いていない部屋に押し込められていた。
使用人たちがソフィアへの対応に戸惑いを見せていたり、抗議しようとする人間もいたのだが、それをすべてソフィアは宥めていた。
「新しい主に逆らえば即刻クビになるでしょうし」
無職にさせるわけにはいかないと思ったのだ。
今回の急な結婚でも使用人を連れて行くことはできたが、いつ戦争が起こるかわからない辺境伯領ということで叔父が断固として反対したのだ。
使用人を連れて行かず、荷物も少しだけ。伯爵家の体裁は気にしないのだろうかと思ったが、ソフィアは何も言わずに受け入れた。
「私もやることがあってここに来たわけだしね」
そう言いながらカーテンを開けて窓の外を見た。
夏の終わりということで少し気温も下がってきた。王都から東側に来たが、北上はほとんどしていないため気温的にはさほど変わりはない。
過ごしやすい気候だと動きやすくて助かる。
窓の外は森が広がっていた。森の中に建っている屋敷なので当たり前だったが、王都とは違う景色に辺境伯領へ来たのだと改めて思うことになった。
「失礼します」
ノックが聞こえ返事をすると、1人のメイドが部屋に入ってきた。
「本日よりソフィア様の専属メイドに任命されました。リノアと申します」
「専属メイド?」
昨日到着したばかりで、もう専属を選んでくれたのかと感心してしまった。
そして、専属のメイドができたことに懐かしさと嬉しさがソフィアの中に生まれた。
学園に入学する前は伯爵邸でソフィアにも専属のメイドはいた。学園の入学で寮生活になったため、専属はいなくなってしまったが、結婚して辺境伯夫人となったソフィアに久しぶりの専属が出来たのだ。
「ソフィア=エリッド・・・ではないわね。ソフィア=グリーストよ。これからよろしく」
グリースト夫人になったという自覚はほとんどなかった。
急な結婚に、相手とも接点がない。レイスのことをほとんど知らないソフィアにとって、愛情という物は今のところなかった。役目を持ってこの地に来たのだが、レイスと親交を深めていけば家族愛くらいは芽生えるとは思っていた。
「それでは奥様。朝の身支度のお手伝いをさせていただきます」
奥様という単語に、背中がムズムズするのを感じたが、これは慣れなければいけないことだった。
リノアが自分の仕事に取り掛かり始める。本来はまずソフィアを起こしてカーテンを開けるのも仕事ではあったが、ソフィアが先に起きてカーテンを開けてしまったため、クローゼットへと足を向けた。
あまり感情を表に出さないタイプなのか、淡々とクローゼットの中を確認し始める。
しかし、クローゼットを覗いた瞬間、彼女は動きを止めた。
「・・・奥様」
「ソフィアでいいわ」
やはり奥様は違和感がありすぎる。名前で呼んでもらった方が良いと思い許可することにした。
「ソフィア様。洋服がほとんどありませんが」
「そこにあるだけが、私が持って来た物よ」
クローゼットの中には洋服が10着。今の時期に着られるのは3着だった。残りは春と秋、寒い冬のための厚着の服と1年分が仕舞われていた。
学園時代は制服だったので服をあまり必要としていなかった。寮の部屋にはその時必要な服を置いておいて、残りは屋敷に置いていたのだが、そのほとんどをセレスが自分のものにしてしまった。気に入らない物はすべてソフィアの許可なく処分してしまったのだ。
その中で使用人がこっそり残してくれて使えるものがこれだけだった。
どれも流行から離れた古い物ではあるがしっかりとした生地で作られているので丈夫ではあった。
「本当にこれだけ・・・」
リノアにとっては信じられないクローゼットの光景であったが、ソフィアは洋服がないことを受け入れていたので気にしていなかった。ここで嘆いても洋服が増えるわけでもない。
それは諦めのようなものだった。両親がいなくなり、伯爵邸に自分の居場所がなくなった。ソフィアの物はセレスが奪っていき、そこに抵抗したところでソフィアの方が伯爵家の居候のような立場になってしまっていた。きっと奪われた物を取り返すことは難しい状況だっただろう。
それなら最初から諦めてしまうしかなかった。学園を卒業できただけよかったのかもしれない。
リノアはしばらくクローゼットの前に立ち尽くしていたが、やがて一着の服を取り出してきた。
どの服もメイドが手伝ってくれないと着られないような服ではない。
「着替えは自分でするわ」
服を受け取ると、リノアは装飾品を選ぼうとしたようだった。だが、アクセサリー類も同様に少ない。伯爵家の使用人がこっそりソフィアに届けてくれた物は、どれも価値の低い物ばかりだった。
本当は母から受け継ぐはずだったアクセサリーもあったのだが、どれもセレスの手元にある。
着替えを済ませると、今度は宝石を仕舞っている箱を覗き込んで固まっているリノアに声を掛ける。
「一番シンプルな物でいいわ」
そう言うと、彼女は戸惑ったように小さな青い宝石が付いたネックレスを取り出した。
本当に小さい宝石に、選んだリノアも戸惑っているのが明らかだった。
それでもソフィアは気にすることなくネックレスを受け取って自分で身に着ける。
「髪だけは結ってもらおうかしら」
ここまでリノアの仕事がほとんどなかった。そこでソフィアは腰まである髪を結い上げてもらうことにした。
鏡の前に座ると、リノアが後ろに立って髪をまとめてくれる。
学園時代はすべてを自分でやらなければいけなかった。高位貴族の中には専属のメイドに身支度を手伝ってもらっている生徒もいたが、そういう人たちは学園の許可を得ていた極僅かな生徒だった。ソフィアはもちろんメイドを付けずに自分でやっていた。
誰かに手伝ってもらうのは伯爵邸に戻った時くらいで、両親が亡くなってからはメイドたちもセレスが奪っていったので屋敷に戻っても手伝ってくれる人はいなかった。
リノアが手際よく髪を結い上げてくれる光景を鏡越しに見ていると、なんだか懐かしさが込み上げていた。
自然と口元に笑みが浮かぶ。
「できました」
「ありがとう」
綺麗に結い上げてくれて嬉しくなる。
「朝食はジーク様もご一緒されるということです」
泊まることになったジークは朝食を済ませれば王都に戻ることになる。
最後にエリックへの伝言を頼みたかった。
すぐに食堂へと移動すると、すでにレイスとジークが席に座ってソフィアが来るのを待っていた。
「お待たせしました」
そう言いながら椅子に座ろうとしたソフィアだったが、2人の驚いている視線を受けて首を傾げた。
「どうかしましたか?」
挨拶もなく2人がじっとソフィアを見つめてくる。
「ソフィア嬢。いや、夫人と呼ぶべきか。荷物は少ないと思っていたが、まさか、ドレスを持ってきていないのか?」
そう言われてソフィアは自分の服装を見下ろした。
ソフィアが来ているのは学生の時に学園以外で普段着ていた服だった。学園を卒業して辺境伯家に嫁いできた身としては貴族の夫人としてドレスを着るべきだった。
しかし、ソフィアはそんな物を持ち合わせていなかった。
ドレスもセレスに奪われてしまったし、嫁ぐのに必要なドレスを買うお金もなかった。
「ないものを持ってくることはできませんから」
見栄を張ったところで新しいドレスが出来上がってくるわけではない。ドレスを持っていない貴族として恥ずかしいことではあったが、ないものはないのだからはっきり言っておくことにした。
すると2人が顔を見合わせて、明らかに無言で戸惑いの問答をしているように見えた。
嫁ぎ先であるグリースト辺境伯家が悪いわけではないのだが、なんとなくジークがレイスを責めているような気がした。
「朝食にしましょうか」
着替えをすることもできないため、このままの服で食事をすることにした。
椅子に座って目の前の料理に手を伸ばし始める。本来なら当主であるレイスが先に食べてからソフィアも手を伸ばすべきだったが、2人の無言の見つめ合いが長くなりそうだったので、朝食が冷めてしまうそうだった。
強制的に食事を始めることにしたソフィアに、レイスはしばらくじっとソフィアを見ていたが、やがて何も言わずに食事を始めた。
そんな夫婦を交互に見たジークが、何故かため息をついたのだが、そこは見なかったことにして3人は静かな朝食を始めるのだった。




