契約者
庭に出た瞬間、レラとワッカが勢いよく森に向かって飛んでいく。
ソフィアが眠っている間ずっとそばにいて屋敷から出ていなかった精霊たちは、自由に飛び回れる外に出たことで何も言わずに嬉しさを表現しているようだった。
その光景をほほえましく思うソフィアだが、隣にいるレイスは精霊の姿が見えないため特に感想を漏らすこともなくソフィアをエスコートして庭を歩いていた。
「ここで俺に見せたいものがあるのか?」
ただの庭だと言いたげなレイスに、ソフィアも庭を見せたいわけではなかった。
「結構人がいますね」
庭には警備のための騎士たちが数人待機していた。
レイスがソフィアを連れて庭に出ると、ソフィアが目を覚ましたことを伝えられていたのか、ほっとしたような表情をして軽く一礼してすぐに仕事に戻っていく。
「戦争が終わったとはいえ、戦争になったことは事実だ。グリースト領に攻め込んできたのだし、警戒を怠ることができない」
屋敷に残っていた騎士はわずかだったが、街にいた騎士たちも少し戻ってきて警備をすることになった。
全員戻さなかったのは、街の警備も強化するためだった。
国境から離れた小さな町もグリースト領にはあるが、警戒するように通達は出しているそうだ。
庭に人がいるとは思っていなかったソフィアは、庭を見てからレイスに森の方を指さした。
「森に入りましょうか」
人目を避けたいという意味だったのだが、レイスはその意図をすぐに察してくれたようだった。
「少し待っていてくれ」
森をじっと見つめてからレイスは一度離れると近くにいた騎士に声をかけた。
ソフィアと一緒に少しだけ森に入ることを伝えているようで、急にいなくなると大騒ぎになってしまう。
騎士団長に伝えるように最後に指示を出して、レイスが戻ってきた。
「行こうか」
促がされてソフィアは頷くと森に足を踏み入れた。それと同時に小さな声でチクニの名を呼ぶ。
すると数歩と進まないうちに木々で鬱蒼としていた場所が開けた空間になった。
正確にはチクニがいる場所に移動させられたのだ。
ソフィアはチクニに呼び掛けたので、移動することはわかっていたがレイスは何も知らずに森に入ったので、一瞬驚いた様子を見せたが、すぐに理解したのか落ちついた様子で立っていた。
『ようこそ森へ』
開けた空間の中央にチクニが姿を現す。
とても穏やかで満足した表情に見えたのは、敵への仕返しが成功したからかもしれない。
「その後、変わったことはなかったかしら」
ソフィアは倒れている間に森で異変がなかったかをまず確かめた。
『何もありませんでした。向こうも大人しくしているようで、森に手出しをしてくることはありません』
新しく広げられたチクニの森に敵が侵入してきたり、攻撃を仕掛けてくることはなかった。何も伝えてはいなかったが、伯爵家もチクニの森が広がって街に侵入してきたことや、手を出せば危険だということは理解できているようだ。
戦争を起こした側だが、一晩で負けてしまったことも要因かもしれなかった。
今は静かな森に戻ったことに安心する。
「何もなくてよかったわ」
『それよりもソフィア様の体調はいかがですか?』
戦争が終わり、森が静かになったのはソフィアがチクニと契約したからでもあった。
契約者となったソフィアが力を使いすぎたことで倒れたことをチクニは気にしていたのだ。
「ゆっくり休ませてもらったから大丈夫よ」
完全に回復したわけではなかったが、起きて動くことくらいは十分にできている。
「ソフィア・・・」
チクニとの会話を黙って聞いていたレイスだったが、しびれを切らしたのかソフィアに声をかけてきた。今の状況で彼も何かを察したとは思うが、ソフィアは微笑むとチクニに手を向けた。
「チクニとの契約に関してですが、私が契約者となりました」
あっさりとした報告。回りくどいことを言っても仕方がないと思い、ソフィアはチクニとの契約に至った経緯も簡単に説明した。
ソフィアと契約したことでさらに力を高めたチクニが森を拡張させて隣国にまでその範囲を広げ脅威となることを示した。その事実を話している間、レイスは口をはさむことなく静かにソフィアの話を聞いてくれた。
「というわけで、私がチクニの契約者になりましたので、新しい契約者を探す必要がなくなりました」
説明を終えると、黙って聞いていたレイスが何かを考えるように真剣な表情をしたかと思えば、ためていたのか息を盛大に吐き出した。ため息というよりも肺の中にたまっていた空気をすべて吐き出しているようで、吐き切るとその場にしゃがみ込んでしまった。
「旦那様?」
急な行動に心配していると、レイスが急に立ち上がった。その表情はほっとしているように見えたが、どこか不安そうにも見えた。
「確認したいことがある」
納得できないことがあったようで、不安な表情に見えたのは間違いではなかった。
「なんでしょう?」
「チクニと契約してくれたことはわかった。おかげで敵に精神的ダメージも与えることができている。それに、君の力のおかげで、大きな被害を出すことなく戦争を終結できたことも感謝している」
ソフィアはチクニに力を貸して森を拡張させただけではなく、レラとワッカの力で敵を撃退していた。そのおかげでレイスもスムーズに動けたのだ。
「ただ、チクニの契約者になったが、さっき俺との離婚について話をしていただろう。その場合はどういう状況になるのかわからない」
ソフィアの役目はチクニと契約できない原因を見つけ出し、可能ならグリーストとチクニがもう一度契約できるようにすることだった。
「離婚すればもちろん私はグリーストの人間ではなくなります。ただ、チクニとの契約は切れていないので契約者ではあり続けられます」
レイスと離婚することと、チクニとの契約は全くの別物だ。グリーストの一員でなくなってもソフィアはチクニの契約者のままだ。
「離婚したら王都に戻るつもりなのか?」
ソフィアの説明を聞いて、レイスがさらに質問してくる。役目を終えたソフィアがグリーストにい続ける理由がなくなってしまい王都に戻ると考えたようだ。
質問しながらレイスの表情は不安そうに見えた。
「・・・離婚しないといけないだろうか?」
少し弱い声でレイスが言う。レイスと離婚してここを離れたいのかという質問のように聞こえた。
結婚してから、これほど気弱な表情を見せたレイス=グリーストは初めてだった。
迷子の子犬のようにも見えてしまい、ソフィアは真剣な話をしているのに、声を出して笑ってしまった。
「ごめんなさい。旦那様の様子がいつもと違って見えたので」
突然ソフィアが笑い出したことでレイスは驚いた後に気まずそうにしていた。
「俺としては深刻な問題になる。グリーストにとってチクニは重要な精霊になるから」
国境となる森に棲んでいる精霊だ。チクニと協力することで今まで辺境伯領は隣国から守られてきていたのだ。
「そうですね。チクニのことは理解しています。ただ、私がここを去ってもチクニは森から離れられませんから、ずっとこの森にいることになります。契約者が側にいないだけで、チクニの存在は今まで通りです」
ソフィアがいなければチクニとの交渉はできなくなってしまうが、森とグリーストを守り続けるように指示を出しておくことはできる。
だが、ソフィアが死んだ場合、契約も切れてしまう。そうなるとまた契約者を探すことになる。
今回の契約で血筋を契約者の条件にはしていなかった。
「チクニだけ残ればいいということではないだろう。それに、離婚したとしてもグリースト領に留まっていることもできるはずだ」
視線を泳がせながらレイスが言う。その態度と言葉だけで、彼が離婚を望んでいないことは明らかだった。
『ソフィア様のパートナーは随分と口下手のようですね』
会話を聞いていたチクニが急に2人の間に入るように移動してきた。
『様子を見ている限り、契約しているからここに残ってほしいというだけではないように見えました。はっきりというべきだと思います』
『確かに。回りくどい』
チクニの言葉にどこにいたのか姿が見えなかったワッカまでソフィアの前に現れてレイスにビシッと指さしている。
『夫婦間のことに口出ししたら駄目よ』
ソフィアの肩に座ったレラが冷静に言っているが、レラとワッカの声はレイスには聞こえていなかった。
チクニの声だけが聞こえたレイスは少し考えてからまっすぐにソフィアに視線を向けた。
「俺は、君にここに残ってもらいたい。できることなら俺の妻として、屋敷にいてほしい」
始まりはエリックの画策による王命での結婚だった。
一緒に過ごす時間が増えていくことでレイスのことを知ることができ、秘密にしていいた精霊との契約についても話すことになった。戦争でいろいろと急激に変わることになったが、それでもソフィアは後悔していなかった。
「君がどうしても俺と離婚したいと言うのなら、無理に留めておくことはできないが・・・」
まっすぐな言葉を向けてくれたが、やはりソフィアの意思も尊重しようとしてくれている。
「旦那様には前にも言ったと思いますが、私は帰る場所がありません」
王都に戻ったとしても、ソフィアの実家はすでに叔父に奪われてしまっている。従妹のセイラもきっと受け入れることはない。
ソフィアを気にかけてくれていた友人も王都にはいないし、エリックはきっといろいろと助けてくれそうだが、公に動くことはできないだろう。
ソフィアの力は口外していいものではないからだ。
「精霊たちもいてくれるので、一人でどこかの街に引っ越すことはできます。でも、チクニを置いていくことになるでしょう」
本当は契約するつもりはなかった。力の偏りを防ぐためにもチクニには別の契約者を見つけてもらうつもりでいた。だが、戦争によって探している時間がなかった。
「離婚の話をしましたが、あくまでも可能性を話したまでです。旦那様にその意思がないのなら、私もここに残りたいと思います」
それはこのまま夫婦でいるということだった。
「ソフィア」
名前を呼ばれるとくすぐったい気持ちになる。
2人の間にいたはずのチクニが忽然と姿を消すと、レイスが近づいてきてソフィアを抱きしめた。
その行動は初めてだったので驚いて固まってしまった。
「ありがとう」
耳元で囁かれるとさらにくすぐったい気持ちになる。
彼の気持ちに応えるようにソフィアはそっとレイスの背中に手を添えた。
「これからもよろしくお願いしますね。レイス様」




