夜明けと衝撃
突然の悲鳴に、エルク=バークウッドはいつの間にか眠っていたことを自覚した。
悲鳴以外にも怒号のような騒がしい声も聞こえる。
明らかに何かが起こったことは明白だった。
ソファで居眠りをしていたエルクはすぐに動き出そうとして、変な体勢で眠っていたため体のあちこちが痛むことに顔を歪ませることになる。
「ベッドで眠れたらよかったのに」
そんなことをぼやくが、昨夜はベッドで落ち着いて眠れる状況ではなかったことを思い出してしまう。
父であるビクトル=バークウッド伯爵が、隣国の国境を守るグリースト辺境伯領に攻撃を仕掛けることを宣言したのだ。
国内の領地戦とは違い、隣国の領地に攻めるとなると国同士の戦争を意味する。そんなことになれば、バークウッドとグリーストの争いでは済まされない。それを理解しているのか疑ったエルクはすぐに父親に掛け合って、攻めようとしているビクトルに意見しようとした。
しかし、ビクトルは一枚の手紙をエルクに見せつけてきた。
「陛下より許可ももらっている」
イグレイト王国が認めた戦いだと知ったときは衝撃でその場に倒れそうになった。
国同士の戦争を認めていることになる。これは大戦になるかもしれない。そう考えただけで体が震えるのを感じた。
エルクは戦争には慎重派だった。できることなら何事もなく自分の時代を生きていきたいと思っていたのに、父の考えは全く逆だったのだ。
そして、父親も息子が戦争に反対であることを理解していた。邪魔になるからと自室に閉じ込められるように押し込まれたのだ。
そこから屋敷内がバタバタと騒がしく動いていたが、エルクは部屋から出られなかった。
鍵を掛けられたわけではない。自ら出ることを拒んだのだ。
父親を止められないことを自覚して、何も聞かず見ないことにしたのだ。
だが、この悲鳴と怒号だけは知らないふりができなかった。
エルクは急いで部屋を飛び出して騒ぎが起きている方へと走った。
それは屋敷の外で起こっているようだった。
それも屋敷の敷地ではなくさらに外側だった。それなのにエルクのところまで騒ぎが聞こえてきたということは何か異常事態が起きているのだと考えることができた。
敷地を出た瞬間、街の人間が慌てたように走ってくるのが見えた。
誰かに話を聞こうと思ったのだが、走っている人々はみな必死にどこかに向かって走っていて、エルクが話しかけられる状況ではないようだった。
数人が途中後ろを振り返ってはまた必死に走っていく。
まるで何かから逃れるような光景に、エルクは人々が走ってきた方へと視線を向けた。
いつもと変わりない街並みだけがそこにあった。
エルクには見えないその先で何かが起こったことは明白だ。
「何が起きている?」
逃げてきている方向で何が起きているのかわからず、エルクは逃げてきた人々の方へと走り出した。
行ってはいけない。危険だとわかっていても、自分の目で確かめなければという気持ちも大きく、足を止めて引き返そうとは思わなかった。
「なんであんなものが」
「街が飲み込まれちゃうわ」
「領主は何をしてるんだ」
途中すれ違う人々の間から聞こえる声に、何かが街に迫ってきたことはわかった。だが、具体的な言葉が聞こえてこないため、エルクは焦る気持ちを抑えながら走った。
逃げる人々の数が急激に減り、誰もいなくなった街の中を走っていくと、やがて街の端にたどり着いた。
そして、同時にエルクは目の前の光景に唖然とすることになった。
街の端には境界線のように塀が建てられている。人の背丈より少し高いだけの塀は、敵が攻めてきたときには簡単に壊されてしまいそうなものだったが、イグレイト王国は軍事力で隣国よりもずっと強いことが自慢である。その力を抑止力にプリディード王国が攻めてくることがないと考えて街が国境に近くても頑丈な壁を作って守るような要塞の街にはしなかった。
逆にこちらが攻め込むだけの力があるのだが、チクニの森という厄介な存在があるため、今まで攻め込むようなことをしてこなかった。
だが、父は攻め込むチャンスをずっと狙っていた。
エルクはわざわざ血を流すような行為をする必要性を感じていなかったため、戦争など考えていない人間だった。
「なんだこれは?」
平和そうに見える街に軍事力をため込んでいたバークウッドの街。チクニの森から少し離れた場所に建てられていたはずの街の側面が木々に覆われて、街にめり込むような形になっていた。
その木は、チクニの森から続いているようで、まるで木々で森の道を作ったように街に到達していた。
木自体はそれほど大きなものではないが、塀を押しのけて街の中に数本が入り込んでいた。
「昨日まで、こんなものはなかったのに」
エルクが引きこもっている間に、何かが起こった。攻撃を仕掛けていたはずなのに、なぜ森が街に到達しているのかわからない。
混乱していると木の近くに数人の騎士がいることに気が付いた。
彼らは手には剣ではなく斧が握られている。
それだけで何をしようとしているのかすぐにわかった。
それと同時に、決して手を出してはいけないということをエルクは本能で悟った。
「駄目だ」
その木はチクニの森から伸びてきた。おそらくチクニの森の一部になる。どうしてこの距離を突然木々が迫ってきたのか、その理由や方法はわからなくても、森の一部はチクニの領域だ。木を傷つければ何が起こるのかエルクは小さいころから話を聞いていた。
実際には見たことがないチクニの森での現象だが、すべてが事実なのだと思っている。
手を伸ばして声を上げた時には騎士は斧を小さな木に振り下ろしていた。
そして、斧が振り下ろされた瞬間、その騎士は姿を消した。
地面に斧が落ちる音が響く。
周囲にいた他の騎士たちは何が起きたのかわからず、呆然と斧を振り下ろした騎士がいた場所を見つめることしかできなかった。
「なんてことだ」
森を攻撃しようとしてチクニの怒りを買ったのだ。
初めて見る光景に、消えた騎士はきっと森のどこかに飛ばされて、一生森から出られず彷徨い続けることになるのだろうと確信してしまった。
それと同時に背筋に冷たいものを感じずにはいられなかった。
「お前たち」
ここで黙って見ていても仕方がないので、エルクは残された騎士たちに声をかけた。
すると男たちの肩が大きく跳ねて、エルクを一斉に見た。ずっとエルクに気が付いていなかったのか、存在を確認すると、大きく目を見開いている。
「エルク様」
見知った顔ぶれに、先ほど消えた騎士もきっとエルクの知っている騎士だったのだろう。
それだけで悔しさがこみ上げてくるが、チクニの森に手を出した以上、どうすることもできない現実もあった。
復讐のために森に攻撃をすれば、今度はエルクが同じ目に合うことになる。
息を整えて冷静になってから、エルクは騎士たちに向かって口を開いた。
「今すぐここから離れるんだ。この木はチクニの森の一部だろう。精霊の怒りを買ってしまったらどうなるのか、今見たことでわかっただろう」
騎士たちが顔を見合わせた。
「ですが、伯爵様が、街に食い込んできた木を切り倒せと」
斧を持っていたのは父の命令だったらしい。
「ここまで森が侵食してきたのは、もとはと言えば父に原因があるはずだ。これ以上精霊を怒らせたら、街全体が森と化してしまうかもしれない」
森が街に侵入してきたのは昨夜森を燃やしたからだと推測できた。誰かを傷つけるような攻撃的なことはしてこなかったが、これがチクニが出した反撃の答えだった。
攻撃すれば伯爵領であろうと、勝手に森を拡大して侵食していく。
チクニから直接聞いたわけではないが、エルクはそう結論付けた。
「木には絶対に近づくな。父にもそう報告するように」
そう言って、一人を伯爵邸に向かわせて、残りの騎士たちに他の人間が近づかないように見張りをさせることにした。
街に食い込んできた小さな木を見て、エルクは覚悟を決めるしかなかった。
「やはり戦争なんてするものじゃない」
辺境伯領に侵入して攻撃を仕掛けに行った部隊がどうなっているのか、エルクには何もわからなかったが、少なくとも、チクニを怒らせてはいけないという教訓にはなった。
これ以上続けてはいけない。
そう心に決めて、エルクは急いで屋敷に戻ることになった。




