予兆
「特に精霊との契約に関する記述は見つけられませんでした」
「そうか。そう簡単に書き残していい内容でもないし、もしかすると何も出てこない可能性が高いな」
ソフィアが調べたことを事務的な会話で報告していくと、レイスは残念そうに息を漏らした。
どこかで期待をしていたのだろう。だが、ソフィアの調べには何の成果もなく、レイスも森の中を調べたがイグレイト王国の侵入者がいた形跡は見つけられなかった。
森の中には侵入していないと安心するべきなのかもしれないが、隣国の領土内では怪しい動きが続いているらしい。すべてが大丈夫だと言い切ることはできなかった。
いつも通りの就寝前の報告会。今までは他愛無い会話をしてお互いのことを話していたのだが、今は近況の調べたものを報告する場となってしまっていた。
「やはり、新しい契約者をチクニの前に連れていくしか方法がないかもしれない」
「心当たりがありますか?」
調べても何も出てこない状況で、レイスは新しい契約者を探すことを口にした。
彼に当てがあるのなら、すぐにでも候補者に会ってみたいとソフィアは思ったのだが、レイスは静かに首を横に振った。契約者を連れていく前に探すことから始めなければいけないようだった。
それに、契約者を探すには精霊力を持っているかどうかを判断できなければいけない。レイス自身精霊力を持っていないし、他に精霊力を持っている人間を見分ける力もない。
「私が探すしか・・・」
ソフィアなら精霊力を見極められる。それに、レラやワッカに協力してもらえればもっと広範囲で探すことも可能だろう。レラはソフィアがチクニの契約者になることを提案していたが、力が一人の人間に偏るのを避けたいとも思っている。
できることならグリースト辺境伯に協力的な新しい契約者を見つけたかった。
「それから、母にもこのことを直接話す必要があると思っている」
レイスが精霊と契約できていないことを知っている者はごく僅かだ。屋敷内で事情を知っている者たちにはレイスが話をするつもりでいるようだった。
母親のイリアナも事情を知っているため、一度街に行って説明する必要があった。
「できれば一緒に来てくれないか」
話はレイスがするつもりでいるようだが、精霊と直接会って会話をしたソフィアからも説明してほしいと言われた。
「それは構いません」
レイスに話したことをイリアナにも伝えるだけなら問題ない。ただ、辺境伯が森の精霊と契約できる条件を知ったとき、クリスを失った代償にイリアナが耐えられるのか気になった。クリスでなければいけなかった事実におそらくイリアナは打ちのめされることだろう。今はソフィアと普通に話をしているレイスも、まだ心の整理ができているとは思えなかった。
彼にはやらなければいけないことがあるため、いつまでも落ち込んでいるわけにもいかない。何とか前を向いているだけだ。
「明日にでも街に行こうと思う」
「わかりました」
イリアナの精神面が心配ではあるが、そこはレイスがサポートするのだろう。
ソフィアは頼まれたとおりに精霊の話をするしかなかった。
話が終わり2人は一緒にベッドに横になった。夫婦としての関係は何もない。ただ隣で眠るだけ。
明日は忙しくなりそうだなと思いつつソフィアは目を閉じて眠りについた。
それからどれくらい眠っていたのかわからない。
気が付けば、ソフィアの耳もとで精霊たちが騒いでいた。
『ソフィア、起きて』
『森が大変だよ』
その言葉に一気に覚醒する。
隣にレイスが寝ていたのだが、そのことを忘れて勢いよく起きると窓に駆け寄って外を見た。
森の囲まれた屋敷は明かりがほとんどない。火を使うと森に燃え移る可能性を心配して必要最低限の火だけを焚いていた。森に何か異変があったとしても暗くて何も見えないというのが実情だった。
だが、暗いはずの森がなぜか遠くで明るさを感じた。
「何かしら?」
『燃えてるよ』
ワッカが窓に張り付くようにして明るい場所を見つめている。
「燃え・・・」
ワッカの言葉を一瞬理解できなかった。森が燃えるなんてふつうはあり得ない。ここは森の精霊チクニの領域だ。自然に火の手が上がるようなことを彼女が見過ごすはずがなかった。そう考えた時、人為的に燃えているのなら話が別だと思った。
「まさか誰かが」
「一体どうした?」
誰かが意図的に悪意を持って森に火を放った可能性を考えていると、ソフィアが急に飛び起きたことで目を覚ましたレイスが不思議そうにソフィアに声をかけてきた。
彼はまだ森に火がつけられたことを知らない。
「旦那様。森が・・・」
燃えていると言おうとしてソフィアは躊躇ってしまった。燃えていることは事実だが、どうしてそのことをわかったのかレイスに問われると答えられないことに気が付いたからだ。精霊に起こされて森が燃えていることを言われたからわかっただけ。
レイスに説明するためにはソフィアが精霊と契約していることを話す必要があった。
だが、そんなのんびり会話をしている余裕がないこともわかっていた。
「森がどうかしたのか?」
口を閉じてしまったことに不思議そうにしながら、レイスも窓の外を見た。そして、いつも暗いはずの森の向こうが明るいことにすぐに気が付いた。
「あれは」
レイスはすぐに森が火事であることがわかったようだった。窓から離れると素早い動きで着替えを始めた。ソフィアがいるということを無視して寝間着を脱ぎ捨てていく。夫婦なのだから夫の裸を見ても問題ないと頭でわかっていても、恥ずかしくて目を背けてしまうソフィアだ。
「君もすぐに着替えろ。最悪ここから非難することになる」
レイスはこの火事が屋敷まで及ぶことを考えて街に移動するように手配するつもりでいた。
先のことを考えているレイスは、なぜソフィアが火事に気が付いたのか深く考えることをしていなかった。
「わかりました」
とりあえず質問されないことにほっとしてソフィアも隣の部屋にむかい着替えることにした。
レイスはすでに着替えを済ませて廊下を走っていく。おそらく騎士たちがいる場所に向かったのだろう。
使用人たちはソフィアが動かさなければいけない。
「ドレスなんて着ていたら動きづらいわね」
クローゼットを開けたソフィアは、ずらりと並んだドレスを見てから隅に追いやられていたソフィアが持ってきた服を取り出した。
動きやすさを重視するならこちらのほうがいい。
「森に侵入者がいるかレラならわかるかしら?」
風を送って森の状況を確かめてもらおうと思った。
『今はできないよ。チクニが怒り狂って領域内で力を使えそうにないの』
森を燃やされているのだ。チクニが怒りを露にするのは当然だった。そのせいで許可をもらっていたレラとワッカの力が上手く使えないようだった。
「奥様」
ノックもなく扉が開かれるとリノアが慌てた様子で入ってきた。部屋に入った彼女はソフィアの格好を見て、さらに驚くことになる。
レラと会話をしながらソフィアは屋敷に来た時の服に着替えていた。
学生時代から来ていた服なので、久しぶりに着ても違和感がなく、軽くて動きやすい。
「リノア。使用人たちは全員起きているかしら?」
「今叩き起こして、避難する準備をしています」
レイスが騎士団に到着する前に執事長に声をかけたのかもしれない。動きが速いことはいいことだった。
使用人も少ないのですぐにでも避難はできるだろう。
「私は奥様の準備の手伝いをと思ったのですが」
避難するにもいろいろと荷物が必要になると考えてリノアはこちらへ来たようだった。だが、ソフィアは街に行くつもりがなかった。
ソフィアの服装を見て何かを察したのか、リノアの表情が曇っていた。
彼女には悪いが、ソフィアはやるべきことをしなければいけなくなった。
「リノアは全員の準備ができ次第一緒に街に避難してちょうだい。私は街に行かないから」
「奥様!」
責めるような声にソフィアが動じることはない。
「やることができたから」
「それは一体?」
「森に行くわ」
端的にそれだけ告げた。詳しいことをここで説明しても理解してもらえないだろうし、きっと反対されてしまう。それをわかっているから森に行くことだけを告げた。
「森が今危険な状態であることは奥様もわかっているはずです。そこへ行くというのは自殺行為です」
森は今遠いとはいえ火がつけられて燃えている。憶測ではあるがおそらくイグレイト王国が火を放ったと考えていいだろう。
その中へ飛び込もうとしているのだ。行かせるわけにはいかないと思うのが普通だろう。
「もう時間がないの。私が行くしかないのよ」
「何を言っているのですか?」
理解できないと言いたげに首を傾げるリノアにソフィアは詳しい説明をしなかった。
「森には私一人で行くから護衛もいらないわ」
そう言うと廊下のほうで微かに物音がした。ニックがすでに部屋の前で待機していたのだ。ソフィアが森に行くというのなら、どこまでもついていくつもりでいたニックだが、完全に拒否されて動揺していた。
それにニックもまたソフィアの考えていることがわからずに混乱している。
「せめて理由を聞かせてください。レイス様の許可もとっていないはずです」
レイスに言っても反対されることはわかっていた。
「そうね。しいて言うなら森の精霊に呼ばれていると言うしかないわね」
それは嘘であるが、すべてが嘘ということでもなかった。
「森の精霊が?」
信じられないのだろう。疑いの視線を向けてくるリノアに対して、ソフィアは平然と頷いた。
「森の精霊に会うためには他の人を連れていくことはできないわ。私一人で行かないと会ってもらえないもの」
「ですが・・・」
リノアもニックもレイスが森の精霊と契約できていないことを知っている。その精霊がソフィアを呼んでいるというのなら止めてはいけないと思っているはずだ。だが危険が迫っている森に行かせるのに抵抗があるのも事実だった。
「私が行かないといけないの」
「なぜ奥様なのですか」
リノアの質問にソフィアは答えなかった。
精霊と契約できる力を持っていることを伝えると余計な質問をされることになりそうだし、ややこしいことが今後待っていそうだ。今は急がなければいけない時だ。余計な会話は時間を削ってしまう。
「奥様」
ずっと部屋に入ってこなかったニックがそっと扉を開けて顔を出した。彼も言いたいことがあるのだろう。だが、これ以上ここで話をしている時間はなかった。
「旦那様には私が森に行ったことを伝えておいて。森の精霊が応えてくれれば森に足を踏み入れた瞬間に奥に引き込まれる可能性もあるから」
森に一歩足を踏み入れば、チクニはすぐに察知するだろう。
ソフィアとしてはすぐにでも会いたいのでそうしてくれたほうがありがたい。ただ、今のチクニは森を焼かれて怒り狂っているらしい。まともな会話ができるのかそこが心配だった。
必要なら精霊たちの力を借りて冷静さを取り戻してもらうしかないだろう。
リノアの横を通り過ぎるとき、彼女は俯いていたがソフィアを引き留めることをしなかった。何を言っても無駄だと判断したのだろう。
そして、ニックの横も通り過ぎるが、彼も何もしてこなかった。護衛騎士として後ろをついてくるかと思ったのだが、部屋の前に立ったままニックは動かなかった。
ソフィアの意思の固さを二人ともわかったのだろう。止めたところでおとなしくしてくれるとも思わなかったようだ。
ソフィアも邪魔をするなら精霊たちの力を借りて突破するつもりでいた。
玄関から外に出るとレイスと鉢合わせてしまうと思い、庭に出る窓から森に向かうことにした。
ただ、庭も森の異変に気が付いた騎士たちが走り回っているのが見えた。
このまま森に入ろうとするとすぐに止められてしまいそうだ。
「レラ。騎士たちが止めに入ったら押し止めてくれる」
『わかった』
風の力で騎士たちがソフィアに近づけないように頼むことにして、ソフィアはそのまま庭に出る。
緊急事態ということで動き回っている騎士たちはソフィアの存在をすぐに察しすることができなかったようだった。それに動きやすい恰好のため平民のような服装をしていることで、夫人であるソフィアへの認識が遅れたのだ。
レラの力を借りるよりも先にソフィアは森の前までたどり着けてしまった。
「拍子抜けね」
これで辺境伯領を守っていけるのかと心配してしまった。すんなり森に入れるのはありがたいことなのだが。
「チクニが私の呼びかけに応えてくれるといいけれど」
一歩森に進む。だが、そこで異変は起きなかった。
ソフィアの侵入に気が付かないほど、森を燃やされたことにチクニは怒り狂っているのかもしれない。そんなときに森に侵入することはとても危険だ。だが、チクニに会うためには森に入る必要があった。
「こちらから会いに行かないと駄目なようね」
方法はある。ソフィアには契約精霊がいる。力を借りればチクニもすぐに気が付くはずだ。
ただ、怒り狂っているチクニとまともな会話ができるのか疑問ではある。
「戦闘は避けたいのだけれど」
そんなことをぼやきながら、とりあえず人に見つからないように奥へと進むことした。
『ソフィア。余計なのが来た』
数歩進んだところでレラのそんな声が聞こえた。それと同時に後ろから聞き覚えのある声も響く。
「ソフィア」
これで名前を呼ばれたのは2度目だった。初めて呼ばれたときは驚いたが、今は見つかったことに驚いて振り返ってしまった。
「旦那様」
「リノアが、君が森に行くと言い張っていると言っていたが、本当だったようだな」
部屋を出るときリノアもニックも大人しくしていた。どうやら、自分たちでは止められないと判断してレイスに訴えたようだ。
玄関に姿を見せなかったことを考えて、レイスはすぐに庭に駆け付け森に入っていくソフィアを見つけたようだった。
思っていたよりも早い行動に少し感心してしまう。
「精霊に会いに行くそうだな」
「会えるかどうかわかりませんが、今の状況を何とかするためには精霊の力が必要になるはずです。私は一度チクニと会っているから、会える可能性に賭けてみようと思いました」
本当は会えると思っているが、その方法を教えるわけにはいかない。
「森は危険だ」
「それは承知しています」
レイスからすれば戦闘能力のないただの女が森に入るなど命を投げ出すも同然だと考えているのだろう。少し前まで王都で貴族令嬢として学園で勉学に励んでいただけのソフィアには何もできないと思われて当然ではあるが、ソフィアはそこら辺の令嬢とは違う。
どうやって説明して納得してもらうべきか考えなければいけない。
森が燃えているのは隣国の仕業だろうし、辺境伯領への攻撃となる。これは戦争の始まりと捉えていいだろう。ソフィアと言い争っている暇が彼にはないはずだ。
「旦那様・・・」
「俺も一緒に行く」
なにか言わなければと思い口を開くと、ソフィアの声に重ねるようにレイスが声を上げた。
「イグレイト王国が攻めてきたのは間違いない。いろいろと対応しなければいけないが、まずは森の状況の把握と、チクニの動きも気になる」
騎士団長が騎士たちをまとめてくれているので、的確に動いてくれるようだ。その間にレイスがチクニと会って森の状況を把握したいようだった。レイスがチクニと契約していればすぐに状況がわかるだろうが、契約が切れている今、森に入ってチクニを探し出して話をしたいと考えたようだった。
とはいえ、ソフィアについてきて会える確証などないはずだ。
「私が一度会えただけで、今回も会えるとは限りませんよ。可能性として会いに行こうと思っているだけで」
先ほどリノア達には精霊が呼んでいるから会えるようなことを言ったが、あれは嘘なので、レイスには会える可能性が低いことを伝えた。
レイスが一緒では会ってもらえるかわからない。それに、精霊たちの力も借りるつもりでいるので、レイスにいろいろとばれてしまう。
どうにかして一人で森に入ろうと言い訳を考えようとしたソフィアだったが、レイスと目が合った瞬間すべてが無駄だと思えた。
レイスの目がなぜか確信を持っているように見えた。ソフィアと一緒ならチクニに会えるという目をしていた。
「君ならチクニに会える気がする」
「どうしてそこまで?」
「ただの勘だ」
きっぱりと言われてしまった。それは清々しいほどに。だが、その勘が当たっていることにソフィアは内心驚くしかなかった。
ここで突っぱねても彼はついてくる。そう思ったソフィアはひとつ息をついてから森の奥に視線を移した。
「時間もないし、このまま行くしかないわね」
その言葉はソフィアの周りを飛んでいた精霊たちに向けた言葉だった。
レラもワッカも理解したようで頷いてくれる。
「旦那様」
精霊たちの了承を得たことでソフィアはレイスに手を伸ばした。
「森の中ではぐれると厄介なことになるでしょう。決して手を離さないでください」
チクニが侵入に気が付いてそれぞれ別の場所に飛ばされることがあったら大変だ。ソフィアは対応できるだろう。ただ、レイスを味方と認識してくれればいいのだが、そうではない場合森の中を彷徨い続ける可能性があった。
「私がチクニと会えると思ったのなら、ここから先は私の言うことを聞いてくださいね」
「わかった」
ソフィアに従わなければいけない。これも勘なのかもしれない。素直に頷いたレイスは差し出した手をしっかりと握ってきた。
夫婦で手を握ったのは初めてではないだろうか。そんなことを考えながらソフィアは先を急ぐため森の中へと足を進めるのだった。




