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グリースト辺境伯領

馬車から降りたソフィアは、まず大きく伸びをした。ずっと馬車の中に座って移動していたため、体が縮こまっている。馬車旅の辛いところは自由に動けないということだった。

最初は馬車の快適さに感動してのだが、それが数日も続くと体を動かせないことにうんざりしてしまっていた。

王都から辺境伯領まで数日の馬車旅となり、野宿することはなかったのがよかったことだろう。

『到着』

『本当に森の中だね』

外に出た精霊たちは周囲を見渡して感想を言い合っていた。

『静かなところは好きだわ』

『ここが新しい棲み処になるんでしょう。中も確認しないと駄目だね』

説明を受けていた通り辺境伯家は森に囲まれた中に建てられていた。

森の中にぽっかりと空間が開けられてそこに大きな屋敷と整備された庭が広がっている。

建物は1つだけで、すべてを屋敷だけで賄っているようだった。

屋敷を囲う塀などはなく、木々が敷地の境界線となっているようだ。

ぽつんと存在するので、寂しい感じにも見えるが、屋敷が綺麗に保たれているので、寂れた印象はなく恐怖を感じることもなかった。

「辺境伯には私も始めてきましたが、ここまで隔離された空間だとは知りませんでした」

先に馬車から降りたジークも周囲を見て想像していたよりも閉鎖的な場所に驚いている様子だった。

精霊たちからすればいい環境のようだが、人間からするとそうではないのだろう。

森に入る前に街を通過してきたが、あちらが辺境伯領の主要の街だったのだろう。そこから離れた場所に領主の館がある。

森の中は一本道だったので迷うことはなかったが、木々が鬱蒼とした薄暗い道でもあったので積極的に入ってくる人間はそういないように思えた。

「とりあえず辺境伯に挨拶に行きましょうか」

馬車が到着してソフィアたちが外に出たにもかかわらず、屋敷から出迎えの人間が出てこない。

到着したことを知らないのか、わざと出てこないのかわからなかった。

「そうですね」

このまま黙って待っていても仕方がないのでソフィアたちは玄関へと足を向けた。

ジークが先を歩き玄関ドアの前に立つ。

ドアベルがない。来客などほとんど来ないから用意されていないのか、誰も来るなという意思表示なのか、あまり歓迎されているような雰囲気ではなかった。

仕方なくジークが扉を叩こうとした時、ゆっくりと扉が動いて中から息を切らせた年配の男性が姿を見せた。

「お待たせして申し訳ありません。王立騎士団のジーク=ダリーズ様ですね」

男性はジークを一目見ただけ誰なのかわかっているようだった。

その後、ソフィアへと視線を向けると目を細めた。

「手紙を受け取っております。婚約者のソフィア=エリッド様ですね」

婚約者という言い方にソフィアは瞬きをした。

婚約ではなく、婚姻のはずだ。ソフィアはグリースト伯爵家に嫁いできたはずだ。誤った情報に戸惑うと、ジークも同じ気持ちだったのかソフィアを見て小さく首を振った。

「婚約者ではなく、ソフィア様は妻としてこちらに嫁いできたのだが」

「・・・大変失礼いたしました」

男性が明らかに動揺した様子を見せた。

どうやら情報がおかしく伝わってしまったようだ。

婚約者ではなく妻が来たのだと言われて戸惑いの表情を浮かべていた。

そして、ソフィアは不思議に思ったのだが、出迎えに来ているのが男性1人だけ。他の使用人の姿を見ないし、気配も感じられなかった。

「レイス=グリーストはどうした?」

ジークも何かおかしいと思ったのだろう。主であるレイスのことを尋ねていた。

「ご主人様は、ただいま森の中を視察中でございます。お戻りは遅くなるはずですので、中でお待ちください」

そう言って扉を大きく開けてくれると屋敷の奥へと案内してくれることになった。

「荷物を持って行きましょう」

しばらく待たされることになるのなら持って来た荷物も運んでもらおうと思ったのだが、そんな使用人の姿さえ見えない。仕方がないのでソフィアは自分で馬車から荷物を卸すことにした。

「手伝います」

馬車の御者にも手伝ってもらい、ジークと一緒にカバンを受け取る。だがソフィアの荷物はカバンが全部で3つだけ。結婚した嫁が持ってくる荷物の量としてはあまりにも少なかった。

ジークが2つ持ってくれて、ソフィアは1つだけカバンを持って屋敷へと入った。

「あ、あの・・・」

カバンを自ら持って屋敷へと入ったソフィアに男性は戸惑いの表情を浮かべていた。

「そちらから使用人などは連れてこられなかったのですか?」

ソフィア自身に、護衛騎士としてエリックが手配してくれたジークだけ。他に連れてくる使用人はいなかった。叔父がそんなものを手配してくれるはずがない。そのことに驚いているようだった。

「いません」

きっぱり言うと、男性は困惑している様子だ。普通なら使用人も数名連れて嫁いで来るはずなのに、荷物も少なくほとんど身一つで嫁いできたことになる。おかしいなと思われて当然の状況だった。

お互いに怪しい状況ではあるが、婚姻は成立している。ソフィアは他に何か言われる前に荷物を持って歩き出した。

「どこに荷物を持って行けばいいですか?」

「こ、こちらに」

慌てたように男性が先を歩き出した。

『なんだか前途多難な雰囲気』

ワッカが肩を竦めて言っている。

『あたしたちが護ってあげるからね』

何かが起こるわけでもないがレラが意気込んでいた。

屋敷は外から見た時よりも奥行きがあるらしく、思っていたよりも中は広かった。

男性がどんどん奥へと歩いていくのを黙ってついて行く途中、窓の外を窺ってみたが、森に囲われているため木々が見えるばかりだ。

庭に面した窓がない限り、ずっと同じ光景を見ることになりそうだった。

「大丈夫ですか?」

黙々と歩いていると後ろからジークが声を掛けてきた。

カバンを持ったままずっと歩かされていることを心配してくれているようだった。

「平気です」

カバンは大きいが中身はそれほど入っていないので見た目ほど重くない。

それにジークも荷物を持ってくれているので助かっていた。

彼はソフィアの護衛であって従者ではないのだから、荷物持ちなど本来はさせていいはずがない。おそらくエリックからソフィアは1人で辺境伯へ行くことになるので、できることは手伝って来いとでも言われているのだろう。

どうしてソフィアが1人であるのかその事情をどこまで知っているのか確認していないのでわからない。それでも事情があることだけは察してくれていて、何も聞かずにいてくれていた。

「こちらになります」

さらに歩くと男性が部屋へと案内してくれた。

「この部屋は伯爵夫人のお部屋となっております」

婚約者だと勘違いしていたけれど、部屋は伯爵夫人の部屋を準備してくれていたようだった。

学生寮とは比べ物にならないほど広い。家具などもすべて揃っているので、すぐにでも生活できる。

準備だけはしっかりしてくれていたようだ。

「隣がご主人様であるレイス様のお部屋になっています」

「その肝心のレイスがいないと挨拶もできないな」

辺境伯であるレイス=グリーストは現在屋敷にいない。森の中を視察中ということだが、森のどこにいるのかはわからない状況だった。

「それは・・・」

案内してくれた男性も詳しいことを言えないようだ。

部屋まで来る途中、結局他の使用人とすれ違うこともなかった。不思議に思いながらもソフィアは違うことを質問した。

「ところであなたの名前を聞いていなかったわ」

男性の名前や何者なのかも聞かずに案内されるままについてきてしまった。男性も何か戸惑って動揺している様子だったので、名乗ることさえ忘れてしまっているようだった。

「大変失礼いたしました。私はこの屋敷で執事長を務めておりますエリオット=ジーニーです」

執事長が名乗ることを失念していたのかと、ソフィアは内心驚いていた。だが、そのことを顔に出すことなく話を続けた。

「それじゃ、エリオット。旦那様がいつ戻るのかわかるかしら?」

王命ですでにソフィアは伯爵夫人になっている。レイスとは顔を合わせていないが、敢えて旦那様と呼ぶことにした。

「今日中にはお戻りになると思いますが、正確な時間までは・・・」

歯切れの悪い答えが返ってきた。

「ジーク様は待っていられますか?」

彼はソフィアが辺境伯へ行くまでの護衛だ。無事に届けたのですぐにでも王都に引き返してもいいのだが、同僚だったというレイスに会わずに帰るわけにもいかないだろう。

「そうですね。殿下からの手紙も預かっているのでレイス本人と直接会っておきたいところです」

王命の手紙はすでに届けられているが、それとは別に王太子個人の手紙を預かっていたらしい。

「それならジーク様が休める部屋を用意してもらいましょう。私はこの部屋を使いますから」

いつ戻るともわからないレイスを待つのなら、長旅の体を休ませるべきだろうと考えた。

ソフィアは自分にあてがわれた部屋で休ませてもらうことにした。

エリオットがすぐにジークを違う部屋へと案内することになった。

その間にソフィアは持って来た自分の荷物を取り出すことにした。本来は連れてきた使用人がする作業だが、ソフィアにはそんな人はいないので全部自分でやるしかない。

カバンは3つ。その中身は着古した洋服や、学生時代に使っていた道具など。伯爵邸にあった物はステファンが管理していて、ソフィアの私物で気に入った物はセイラが最初から自分のものであったように使っていた。残された物のほとんどが捨てられてしまい、ソフィアに好意的だった使用人がこっそりと持ち出してくれたわずかな物だけがソフィアの私物となった。

花嫁としての支度金を用意してくれるはずもない。

王命で勝手に出て行くだけ。厄介払いができて良かったと喜んでいるはずだ。

ソフィアとしてもあんな場所に居続けたら、きっと勝手に縁談を決めて売り飛ばされるように嫁ぐことになっていただろうと予想もできた。エリオットの提案は悪いことではなかったのだ。

ただ、精霊使いとしての役目は果たさなければいけない。

辺境伯家にはソフィアの能力のことは伝えていないと言っていた。

「自分の目で確かめて判断するようにと言われたものね」

精霊使いとしての能力は簡単に人に話して言い事ではない。下手に話して悪用されたり、望みもしないことに利用される可能性があるからだ。そのため、ソフィア自身がたとえ家族だとしても自分で話してもいいと思えなければ秘密にしていくつもりでもいる。

「どんな方かしらね」

嫁ぐようにと言われてきてしまったが、現辺境伯がどんな人物なのか詳しいことは知らない状態でもあった。

「とりあえず何とかなるでしょう」

『この荷物はどこに持って行く?』

『あたしが風で閉まってあげましょうか?』

精霊たちは楽しそうにソフィアの荷物の片づけを手伝ってくれていたが、体が小さいため服に埋もれているような状況でもあった。

それが可愛らしくて、ソフィアは微笑みながら、荷物の整理をしていくのだった。


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