精霊の真実
さすがに森の中を歩き続けたのは体に堪えた。
精霊と契約している特殊な能力を持っているソフィアだが、体力面ではほかの貴族令嬢とそれほど変わりない。
「明日は筋肉痛かしら」
森の中は足場が悪い。精霊の力で草が道を作り歩きやすくはしてくれていたが、滅多に歩くことのない森の中は足だけでなく周囲にも神経を使っていた。
森の精霊の領域とはいえ、隣国の動きが怪しいと聞いていた。もしかすると侵入者と遭遇する可能性も頭の隅には残っていたのだ。
しばらく歩かされたが、誰とも遭遇しなかったことはよかった。
「でも、疲れたことには変わりないわね」
夕食を済ませ、体が汚れているだろうからとすぐに湯あみをしたソフィアは、まだ寝るには早い時間ではあったが寝室のベッドの上にいた。
寝間着にガウンと、いつ寝落ちしてもいいようにリノアが配慮してくれたようだが、さすがに今すぐ眠るつもりはなかった。疲れすぎたせいか、眠気もなかった。
「旦那様と話をしないといけないしね」
レイスとは大事な話をしなければいけなかった。
夕食時は静かな時間となり、聞きたいことがきっと山ほどあっただろうが、ソフィアが疲れているだろうから食事に専念させてくれたようだった。
確かに疲れと空腹だったので、会話が後回しにされたことはありがたかった。
ソフィアが寝室にいることをレイスは知っているはずだが、彼が寝室に来る気配がいまだにない。
「屋敷の中も騒ぎになっていたみたいだし、何か後処理でもあるのかしら」
ソフィアが見つかったことで解決したと思っていたのだが、レイスはまだ何か仕事が残っているのかもしれない。
話があるとは伝えているので彼もわかっているはずだ。
『ソフィア』
寝室にいるだけだと暇だなと思っていると、窓のほうから2つの声が聞こえてきた。
「戻ってきたのね」
窓を開けると、レラとワッカが勢いよく部屋に入ってきた。
『ただいま』
精霊たちの揃った声に、なんだかほっとする。
レラもワッカは森の精霊と話をし終わっても姿を見せることなく、ソフィアは一人で森を抜けたのだ。
「今まで森にいたの?」
『森の精霊と会ってたの』
『ぼくたちにちゃんと挨拶をしてきたぞ。ソフィアより後だったのが気になったけど』
契約者であるソフィアを呼びこもうとして怒っていた精霊たちは、ソフィアの言いつけでおとなしくしていた。その後、ソフィアとの話が終わってすぐにレラとワッカも対面したようだった。
精霊には精霊の挨拶があるのかもしれない。詳しいことは聞かないが、挨拶をしてもらったことには満足している様子だった。
『わたしたちが森の中を飛び回る許可をもらってきたわ』
『これで自由に動けるようになったよ』
森の中はチクニの領域となり、レラとワッカが力を抑えられてしまう。限定的な精霊がいる領域にはなるべく干渉しないようにしている精霊たちだが、ここは森に囲まれた場所のため、自由に動く範囲が限られていた。
チクニの配慮で領域内も自由に動けるようにしてもらえたようだ。
「よかったわね。これで屋敷の中にいる必要もなくなったわね」
いつも屋敷の中を飛び回っていたが窮屈そうに見えていた。
精霊たちが嬉しそうに天井を飛び交う。その光景を見ているとこちらまで嬉しい気持ちになってきた。
天井を見上げながら笑みをこぼしていると、急に部屋の扉が開いた。
ハッとして扉に視線を向けると、少し疲れた顔をしたレイスが入ってくるところだった。
「旦那様」
「起きていたのか、疲れているだろうから、今日はもう休んでいると思ったんだが」
彼の寝室でもあるのでノックをすることはない。ただ、ソフィアが休んでいるかもしれないと思い静かに部屋に入ってきていた。その配慮は普通ならありがたいのだが、精霊と一緒にいるときにされてしまうと、ソフィアの動きが怪しく見えてしまう。今も天井を見上げて微笑んでいたのだから、気付かれていたら変な人だと思われたかもしれない。
「休む前にお話があったので待っていました」
レイスが少し驚いた顔をした。
疲れているソフィアを早く休ませることにして、話は明日にしようと思っていたのだろう。だが、ソフィアは待つことを選んだ。できるだけ早くレイスに伝えたい話だったからだ。しかも、この話はほかの者たちに聞かれないほうがいい話だった。
「森の精霊のことです」
その言葉でレイスの表情が一気に引き締まった。とても重要な話だと伝わったのだろう。
「座って話しましょう」
話が長くなる可能性を考えて、ソフィアはベッドに腰かけた。その隣をポンと掌で叩く。
レイスにも隣に座るように促した。
何の話をするのかわからなくても重要な話だと感じ取ったレイスが素直に従ってソフィアの隣に腰かける。
「森をしばらく歩きましたが、その途中で森の精霊に会いました」
回りくどい話をしても仕方がないと思い、ソフィアは森の中であったことをそのまま話すことにした。
「森の中にぽっかりと開けた空間があって、そこに森の精霊がいました」
「君を森に引きずり込んだ理由でも話したのか?」
「森の精霊チクニが私を呼んだ理由ははっきりと答えてくれていませんが、辺境伯家とチクニの間で交わされていた契約のことを話してくれました」
途端に息を呑む音が聞こえた。
言葉にしなくてもレイスは驚きで数秒固まった。
今までどうして契約できないのか、会うことさえしないチクニの意図が全く分からず森の中を彷徨い続けていたレイスにとって、その理由がわかることは重要だろう。だがそれ以上に今は、ソフィアに契約できていないことが知られてしまったショックのほうが大きいように思えた。
ソフィアは最初から知っていたが、それを隠してここに嫁いできた。必要なら打ち明けるつもりでいたが、その目で確かめろという王太子の言葉通りにレイスを知ってから判断するつもりでいた。
結局何も話せないままチクニから辺境伯家との契約について知らされ、それをレイスに伝えることになってしまった。
「精霊はなんて?」
驚きから数秒。一応平静さを保っているように見えたが、おそらく動揺していることだろう。
ソフィアはすべてを知ってしまった。その前提で話を進めてくれようとしていた。
「辺境伯家との契約は完全に切れていると言っていました。今後契約を結ぶためには、森の精霊が認める契約者でなければいけないとも言っていました」
「それはどういうことだ」
契約が切れてしまったこと。レイスではなく、森の精霊が認めた相手と契約するということを伝えると、レイスは明らかな動揺を見せた。
「俺ではチクニと契約できないということか。どうして」
契約ができていなかったことを認める発言をしているのだが、今のレイスに余裕はないようだった。
見ているソフィアが胸の奥に痛みを感じる。
それでもちゃんと説明しなければいけないと思った。
そのためにチクニはソフィアを森に導いたのだろう。レイスに会って直接説明するのではなく、精霊と契約しているソフィアを挟んで説明することを選んでいた。
資格がない者と会うつもりはなく、精霊に理解のあるソフィアに言伝を頼んできたのだ。
レイスの顔が青白くなっていくのがはっきりとわかった。
かわいそうだと思う反面、仕方がないとも理解しているソフィアは冷静に話を進めていく。
「まず、辺境伯が森の精霊と契約を始めたきっかけを知っていますか?」
「初代の辺境伯が森の精霊と出会って、この地を守るための契約をしたことは知っている。森も辺境伯領になっていたから、隣国の境界線として、森の精霊の助力を仰いだと聞いている」
森が国境となったことで、隣国が攻めてきたときに森全体が戦場になる可能性があった。そこで精霊が棲んでいることを知っていた辺境伯は、森の精霊と契約することで森を守りつつ領地も守るという選択をした。
「森の精霊が守れるのは精霊の領域だけだが、それでも敵が攻めてくることを防ぐには十分だった」
そのため、辺境伯は代々にわたって森の精霊と契約をして領地を守ってきた。
これはグリースト家の人間なら誰もが知っている内容だった。ソフィアもエリオットから話を聞いたし、図書室の本にも載っていた。
「その契約ですけど、血筋で受け継がれることになっています」
「それくらい俺も知っている。だからこそ、今の辺境伯である俺がチクニと契約しなければいけない」
そう考えるのが当たり前だ。だが、ソフィアは違う事実をチクニから聞かされた。
「その契約には条件があります」
「条件?」
レイスはその条件を知らない。だからずっと森の精霊を探していたのだ。
「辺境伯家の人間であることと、一世代に一人だけが契約者となれることが条件です」
その話を聞いたとき、ソフィアはすぐに納得した。レイスが契約できないこともそうだが、なぜ精霊力がないレイスがここまで必死だったのかもわかった。彼は精霊との契約について何も知らなかった。
そして、精霊との契約にかかわることを知っているのは森の精霊と契約した辺境伯だけだった。
「一度決まった契約者が覆らないように。初代の辺境伯様がチクニと定めたそうです。精霊と契約できるだけの力がなくても代々精霊と契約できるようにという配慮もあったようです」
毎回契約し直すためには、精霊力を持った辺境伯でなければいけなくなる。力がないものが契約できないと辺境伯領を守る重要な森の精霊を失うことになる。
そうならないための策でもあった。
「つまり、俺は最初から選ばれることはなかった・・・」
ソフィアの説明に、レイスは呆然とするように言葉を零した。
兄であるクリス=グリーストが辺境伯となり、森の精霊と契約した時点でレイスにはチクニと契約する権利が消滅していた。そうとは知らずにずっと森の精霊を求めて森を彷徨い続けていたのだ。
「俺はずっと無駄なことをしていたのか」
「ご自分を責める必要はないと思います。この事実は精霊と契約者だけが知ることですから」
慰めにはならないだろうと思いつつ、ソフィアはそれでも何かを言わなければいけないと思った。
そう思うほどに、隣にいるレイスは力なく感じたのだ。
うつむいてしまった彼の表情はわからなかったが、ショックを受けていることだけははっきりしていた。
レイスは無言のまま立ち上がると、そのまま扉の前まで歩いて行った。
「旦那様」
ソフィアの呼びかけにぴたりと動きを止める。だが決して振り向くことはなかった。
「少し一人で考える時間が欲しい」
ショックと混乱が彼を満たしているのだろう。ソフィアが何を言ってもレイスの気持ちが整理されなければ何も意味がなかったのだ。
「・・・わかりました。ここでお待ちしています」
レイスがどんな答えを出すのかわからなかったが、ソフィアはこの部屋で待つことを選んだ。
静かに出ていくレイスの背中はいつもより小さく見えたような気がした。
かわいそうだと思う気持ちはあったが、ソフィアがしてあげられることは何もない。
そのまま出て行ったレイスがその夜戻ってくることはなく、ソフィアはしばらく待っていても戻ってこない夫を待ちながらベッドで横になっていると、いつの間にか眠りに落ちてしまっていた。




