森の拒否
「日が傾いてきたようですね」
騎士団長のエクス=アイベックの声に、レイスは空を見上げた。
生い茂る木々の葉の隙間から夕方だとわかる赤い空が見えた。
「今日はここまでにしよう」
レイスの合図に、周辺を捜索していた騎士たちが集まってきた。
彼らは森の中で異常がないかを確かめるという任務にあたってもらっていた。表向きはそうしているが、レイス自身は森の精霊の痕跡探しをしていた。騎士団長もレイスの事情を知っているので、彼も森の精霊探しをしてくれている。
「何か変わったことはあったか?」
他の騎士たちは精霊以外の異変を探してもらっていたので確認するが、特に気が付いたことはなかったようだった。
森の異変とは隣国の人間が森に侵入していないかということだった。
森の精霊と契約できていれば、精霊が異変を察知して教えてくれるらしいが、レイスは契約できていないので精霊から何かを伝えてもらうということはできない。
それに今は隣国の動きが怪しい。その点も考慮して毎日調査をするという言い訳を作って森に入っていた。
クリスの時は定期的に騎士が調査をしていた。精霊は関心がなくても人間にとっては重要なこともある。そういうときのための調査が行われていたので、騎士たちが森に入ることにそれほど深い疑問を抱く者はいなかった。
「今日はここまでにして屋敷に戻ろう」
何もないことにほっとしつつ、精霊の痕跡が見つからなかったことに内心で落胆しながらレイスは屋敷へと戻ることになった。
屋敷に戻ればソフィアが待っている。彼女の姿が脳裏に浮かんで、レイスはハッとした。
ここ数日森から屋敷に帰ろうと思うとソフィアのことが思い浮かぶようになっていたのだ。
玄関で出迎えてくれる。食事の時の何気ない会話はあまり初日と変わりなかった。寝室を一緒にしたことで寝る前に少しお互いのことを話せる時間ができた。それが良かったのか、少しずつではあるが会話を楽しむ余裕ができているような気がしていた。
森に関する話は相変わらず避けている。下手に話して森の精霊と契約できていないことを勘づかれてしまっては困るからだ。
ソフィアも何かを察しているのか、最初に森の話をして以来、その話題だけは口にしていなかった。
それ以外ではソフィアとの会話は楽しいと思えた。
いつの間にはレイスの中で楽しみが増えていたのだ。
彼女と森の話も出来たらいいのにという思いもレイスの中で湧き始めていた。そのためにも森の精霊を見つけることが何よりも重要だった。
「隣国の様子がどうなっている?」
レイスを先頭に隣にはエクスが並び、その後ろを騎士たちが続いてくる。屋敷に帰るということと、森の中で異変が見つからないことで騎士たちは何気ない会話をしながら歩いている。そのためレイスとエクスの会話を気にしている者はいなかった。
「すぐ隣のバークウッド伯爵領で国境に近い街に商会が出入りしているという報告が来ています」
街に商会が出入りすることなどどこでもあることだ。そんなことを報告してくるエクスではない。
「その商会に怪しい点があるのか?」
「商会自体は普通だと思われますが、街に出入りする頻度がここ1か月間で多くなってきているようです。それに、街に入った時の商会の荷物が多いことも気にしているようでした」
隣国を調査するためスパイを隣の領地に送り込んでいる。そこから定期的に情報が届いていた。
グリースト辺境伯領に隣接しているイグレイト王国側の伯爵領は現在ドイル=バークウッド伯爵が治めている。レイスよりもだいぶ年上で、息子が1人いるが、その息子とレイスのほうが年が近かった。
ドイルはグリーストに攻めることに積極的な思考を持っているという話を聞いたことがあった。そのためクリスの死にバークウッドが関わっているのではないかと思っていた。
証拠がないため追及することはできないし、下手に騒ぎ立てるとそれこそ戦争になりかねない。
ただ、息子は穏健派だという報告を受けていた。彼が爵位を継いで領地を治めてくれれば、こんな緊張感のある日々を過ごすこともなくなるのかもしれない。
そう思っても、今はドイルの領地だ。そして、その街で商会が通常とは違う動きを見せ始めていた。
荷物が多く、頻度も増やしている商会。
「その商会はどこから来ているかわかるか」
「詳しいことはまだ調査中のようですが、どうやら王都からのようです」
「国がバークウッドに何かを支援している可能性があるということか」
その何かが武器である可能性があった。そうなれば戦争の準備をしているという確証を得られるし、グリーストも黙っているわけにはいかなくなる。
「詳しい調査はまだ必要でしょうが、こちらも覚悟が必要でしょう」
エクスの言葉に胸の奥に重たいものを感じた。
ずっと隣国の動きに怪しさを感じていたが、それがいよいよ表に出ようとしているようだった。
「母さんにも伝えておかないといけないな」
そして、屋敷にいるソフィアにも事情を説明する時が来るかもしれない。そうなれば彼女を街に移動させるか、離婚を突き付けて王都に帰すことも考えなければいけないと思った。
帰る場所がないと言っていた彼女を突き放すことになるのは心苦しいが、状況次第ではそれも考えなければいけないだろう。
彼女がどう判断するか、その意思をできるだけ尊重してあげたいが、どこまでレイスにできるのかわからない。
何事もなく、調査報告が杞憂に終わればいいのにと思ってしまった。
レイスはそんなことを考えて一歩を踏み出したとき、違和感を覚えるのと同時に目の前の景色が変わった。
浮遊感のようなものを感じたのだが、それを気にするよりも森の中を歩いていたはずなのに、一歩を踏み出した瞬間、開けた場所に出た。
一気に森を抜けて、目の前には見たことのある建物があった。
「え?」
何が起きたのかわからなかった。ただ、辺境伯の屋敷が目の前にあって、あまり人が歩くことのない庭に自分が立っていたのだ。横を見ればエクスも驚いた顔をして屋敷を見ていた。
後ろを振り返れば騎士たちも全員いるようだが、何が起こったのかわかっていないようで呆然としていた。
「森の中を歩いていたはずなのに」
「もう屋敷に到着する距離だったか?」
「幻でも見ているのかな」
そんな声が聞こえてくる。
レイスも何が起きたのかわからなかったが、なぜか森を抜けて屋敷に戻ってきていることだけは確かだった。そして、こんなことができるのはこの森を領域としている精霊だけだとも思った。
勝手に森に入ると迷子になって森から出られなかったり、どこか違う場所に出されてしまったりする。まさにその状況なのではないかと思えた。
ただ、今まで一度も森から追い出されたことがなかった。迷子になったこともなく、グリースト辺境伯の血筋であるレイスがいるから森の精霊も会うことはなくても、何もしないでいるのだろうと思っていたのだ。
「精霊に何か心境の変化でもあったのか?」
独り言を呟いて、森を見上げるが夕焼けを浴びている森は何も反応を示すことはなかった。
「レイス様」
屋敷から声が聞こえてそちらを見ると、窓から庭に出ながら慌てた表情のエリオットがいた。
「お戻りになられたのですね」
いつもとは違う場所から出てきて、庭にいることに驚いているというより、屋敷内で何かが起こって慌てているような雰囲気だった。
「何があった?」
「それが、奥様が・・・」
背中に冷たいものを感じた。
「トールス卿の話ですが、森に入ったようなのですが、戻ってこないのです」
一瞬何を言われたのか理解できなかった。
「森に入った?」
ソフィアが森に入ってみたいと訴えたことがあったが危険だからと断った。その時はそれで話が終わり、その後彼女が再び森に入りたいと言うことがなかったので諦めてくれたのだと思っていた。
「それがよくわからないのです」
エリオットはすべてニックから聞いた話のようだった。
庭に出て散歩をしていたソフィアが、一瞬の隙に姿を消したらしい。屋敷に戻ったわけでもなく庭のどこにも姿が見えないことから森に入った可能性があるということだった。
「奥様が自ら入っていったということか」
「それもよくわからないということなのです。本当に一瞬の出来事で、奥様が自ら森の中に飛び込んだとしても、一瞬ならトールス卿が気が付けるはずだというのです」
話を聞いていたエクスも会話に加わって質問するが、エリオットも戸惑ったように説明していた。
なんだか話に矛盾があるようだ。
ソフィアには護衛騎士としてニックを就けていた。危険から守るためでもあったが、彼女が間違って森に入らないためでもあった。その護衛がいたにも関わらず、ソフィアが忽然と姿を消した。
「直接ニックに話を聞いたほうがよさそうだな。森に探しに行ったのか?」
ソフィアが森に消えたのなら追いかけにいったのではないかと思い、すぐに森に引き返してニックと合流できないだろうかと思っていると、エリオットは森ではなく屋敷を示した。
「トールス卿は屋敷の中にいます。奥様から伝言があったとかで、夕方までは待つことにしたようです」
いったい何を言っているのかレイスには理解できなかった。
ソフィアが森に入った可能性があると言われていたのに、なぜか彼女から伝言があったという。エクスもエリオットの話に首を傾げていた。
「屋敷にいるのならすぐにでも話をしてみましょう。今は奥様の状況を把握することが最優先かと」
疑問だらけでエリオットから話を聞いていてもわからないままなので、ニックから話を聞くことにした。
騎士たちは待機させることにして、レイスはエクスと一緒に屋敷に入ることにした。
窓から屋敷に入ろうとしたとき、かすかに頬を暖かい風が撫でていくのを感じた。振り返ると森の木々が所々で揺れていた。その瞬間は風が吹いていなかったのに。
違和感を覚えながらも、レイスはそのまま屋敷へと入っていった。
今すべきことはソフィアの行方を捜すためニックから話を聞くことだったから。それが精霊たちのいたずらであることなど知る由もなかった。




