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ソフィアの行方

突然の風が巻き起こり目をつぶったニックは、次に目を開いて驚愕するしかなかった。

森の境界ぎりぎりに立っていたソフィアの姿がどこにも見当たらなくなっていたのだ。

ニックが目をつぶっていたのは数秒。その間に何が起こったのか頭が理解できなかった。

ソフィアが消え、庭には誰もいない。

「奥様」

ソフィアを呼んでみたが返事は聞こえない。

「嘘だろ」

血の気が引くのをニックは感じた。

周囲に視線を向けてもソフィアの姿はどこにもなく、一瞬だったが屋敷に入ったのかと思い屋敷に目を向けても窓が開いている場所もない。庭にいなくて屋敷に入った形跡がないということは、自然と残された選択肢に目を向けるしかなかった。

木々が立ち並ぶ精霊の領域。

「森に入ったのか」

とはいえ、風で視界を奪われたのは一瞬のこと。その隙に森の中に入ったとしてもニックが気が付かないのはおかしかった。

何がどうなっているのかわからないが、ソフィアが姿を消したという事実だけが突き付けられていたのだ。

「トールス卿。どうかしましたか?」

庭で呆然としていると、屋敷の玄関側からリノアの声が聞こえてきた。

振り返るとあたりを見回しながらリノアが庭へと歩いて来るところだった。

「奥様が見えないようですが」

急にソフィアがいなくなったことでニックが慌てていた不穏な気配でも察知したかのようなタイミングで現れ、ニックはどう説明すべきか口を開いたが言葉が上手く出てこなかった。

「それが・・・奥様が急にいなくなってしまって」

「奥様がいなくなった?」

何とか絞り出した言葉に、リノアは首を傾げながらも庭を見渡した。

「消えたとでも言うべきか。庭にいたはずなのに、一瞬で姿が見えなくなってしまったんだ」

本当に一瞬の出来事だった。それをどう伝えたらいいのかわからずありのままを話すと、リノアは不審そうにニックを見ていた。

「どういうことですか?」

説明が上手く伝わっていない。

「それが俺にもよくわからない。本当に急に姿が見えなくなってしまって」

「・・・森に入ってしまったの?」

少し考えてからリノアが森を見た。ニックはその可能性を考えていたが、あまりにも一瞬の出来事で、ニックに気付かれることなく森の奥に姿を消すのは不可能に思えた。

「庭に姿がなくて、屋敷にもいなければ、森に入ったと考えるべきでしょうね」

混乱しているニックとは違い、リノアはすぐに結論を出した。

「トールス卿は、すぐに森の探索をしてください。私は執事長とメイド長に知らせてきます」

「それは無理だ。レイス様の許可なく森に入ることはできない。レイス様は今森に入っているから連絡もできないし」

リノアはすぐにエリオットに相談しようと屋敷に引き返そうとしたが、ニックは森に探しに行けと言われても独断で行ける立場ではなかった。

森に入るには辺境伯の許可が必要だ。今まではレイスと一緒に森に入っていたので許可は必要なかった。

「勝手に入れば森から出られなくなったり、まったく違う場所に出されてしまうこともあると聞いている」

実際に経験したことがないので、どんな結果になるのかわからなかった。

ソフィアを探しに行ってこちらが迷って森から出られなくなっては困ってしまう。

「トールス卿・・・いいえ、ニック」

リノアが言い直してからニックに近づくと、さらに顔を目の前まで近づけてきた。

驚きに固まっていると、リノアが目を細めて低い声を出した。

「レイス様が今精霊と契約できていないことを知っているでしょう」

リノアは辺境伯家の影だ。レイスの現状を知っている人物のひとりであり、ニック自身も事情を知っていた。彼はレイスとは幼馴染でトールス家は辺境伯家の騎士団に代々所属してきた。特に男児は辺境伯の護衛騎士になる者が多かった。ニックも例外ではなく、クリスの護衛騎士となる予定だった。

騎士団に入って日が浅いということでクリスが辺境伯を務めていた頃はまだ一般の騎士だった。

クリスが亡くなり、レイスが戻ってきたのを機に彼の護衛騎士となったのだが、レイス自身が騎士経験があり、ニックよりも強いということで、形ばかりの護衛になっていた。

それでもトールス家の人間であり、幼馴染ということもあって、レイスが森の精霊と契約できていないことを密かに教えられた一人になっていた。

騎士団で知っているのは騎士団長と副騎士団長。そしてニックだけだった。

レイスが毎日森へ入っていくとき同行する騎士たちがいるが、彼らはこのところの隣国の不穏な動きを受けての警戒だと聞かされている。

確かに森の精霊を探しながらも、森の中の様子を伺ったり、侵入者がいないかを確認するという仕事もしていたので、疑っている者たちはいない。

レイスはすでに森の精霊と契約ができていて、姿を見たことがなくても、辺境伯領を守護してくれていると思ってくれていた。

「今はその話は関係ないだろう」

突然の近距離と話題が意味不明でニックは眉間にしわを寄せた。

「精霊と契約できていないということは、森の中は精霊の自由ということ。そんな中に奥様が突然放り込まれていたらどうなるかわからないの?」

今しがたニックは勝手に森に入ればどうなるのかをリノアに言っていた。その状況がソフィアにも当てはまるということだ。

ニックが迷子になって困ると思ったように、ソフィアも森から出られずに怯えている可能性があった。

「許可がどうこう言っている場合じゃないでしょう。それに、契約できていないレイス様の許可をもらっても、もらわなくても結果は一緒だと思うわよ」

レイスの許可が必要だと言ったのは、森の精霊と契約している辺境伯の許可が必要だと意味だったのだ。

そうしないと、勝手に森に入った侵入者として森の精霊の不況を買う可能性がある。

だが、レイスはまだ契約できていない。彼が森に入って無事に屋敷に戻ってこられるのは辺境伯家の人間だからなのだろう。契約者ではなくても血筋が守ってくれている。

レイスが一緒でないとどうなるのかわからない。それはソフィアも同じだ。

「あなたが今言っていることは自分の身の安全を優先していることになるわよ」

リノアの指摘にいろいろなことが頭の中を駆け巡って、どう判断したらいいのか混乱していたニックの思考に冷静さが戻ってくるのがわかった。

目を閉じて深呼吸をする。

「ニック」

リノアの声に顔を上げると、いつも通りの落ち着いた表情がそこにはあった。

彼女とは昔からの付き合いだ。リノア自身も幼いころから将来の辺境伯家の影として育てられてきていた。子供のころから何度か顔を合わせていたこともあり、お互いに名前で呼び合う仲でもあった。

普段はメイドと騎士という立場で会話をするのだが、こういう時は呼び慣れた言い方をされる。

「判断に困るのならここで待っていてちょうだい。執事長に相談してくるからその判断に従いましょう。必要なら、私も森に一緒に入るから」

ただのメイドなら断るところだが、リノアは影として鍛えられた存在だ。うまく立ち回れる人間が一緒なのは心強かった。

「わかった」

頷いて心を落ち着かせると、リノアが屋敷に戻ろうとした。

『トールス卿。森の精霊に呼ばれたようだから行ってきます・・・心配しないでください・・・暗くなる前には戻ります』

その声は突然ニックの耳に届いた。

はっきりとした声はソフィアの声だとわかる。

耳をなでるように掠めていった風がソフィアの声を乗せてきたような感覚で、姿はどこにもなく、声だけがきれいにニックの耳に届いたのだ。

ハッとしたように耳を押さえてあたりを見回すが、ソフィアの姿はどこにもない。

「待て、リノア」

耳を押さえたまま背を向けたリノアにニックは慌てて声をかけた。

「どうしたのです?」

メイドの立場に戻ったリノアが不思議そうに振り返った。

「今奥様の声が聞こえた」

「え?」

はっきりと聞こえた声に姿は見えない。だが、その内容はしっかりとニックの耳に残っていた。

「奥様は無事かもしれない。森の精霊が関わっている可能性がある」

声はニックだけ聞こえたものだった。当然リノアは何を言っているのかわからないで首を傾げていた。

「俺も一緒に執事長に会って話をする」

信憑性を疑われたら言い返せるだけの証拠がない。それでも、ニックの中に確証のようなものが芽生えていた。

先ほどまで混乱してどうしたらいいのかわからずに困っていたニック=トールスはいなくなり、今は確信をもってリノアと一緒に屋敷に入っていく騎士の姿となっていた。

心配するなといっていたソフィアの声には、レラの相手を落ち着かせるような安心できる温かさと力が混ぜられていたことに、誰も気付くものはいなかった。




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