森の音
「せっかく庭があるのに、外に出てはいけないなんて、なんとなく損をしている気分になるわね」
『お庭に出てみようよ』
『あそこは森の精霊の領域じゃないよ』
朝から図書室で資料を読み漁って、昼食を取り終えたソフィアは、休憩もかねて部屋で休みながら窓の外を見ていた。花が植えられ綺麗に整えられている庭なのに出られない。
あまりに屋敷の外に出る機会がなく、ここ数日で窮屈感を感じてきていた。
街に行き義母と顔合わせをしてからひと月が経とうとしていた。つまりレイスと一緒に寝室で過ごすことになってからの時間でもある。
同じベッドに寝るとはいえ、ただ2人並んで横になっているという表現がしっくりくる状況のままだった。夫婦としての接触は何もないまま過ごす日々になっていた。
『ソフィアも一緒に外に出ようよ』
『ぼくたちがいるから、何も起こらないよ』
一緒に眠る時間が作られることで、短い時間ではあったがお互いに会話ができる時間があった。
会話のほとんどはソフィアがその日過ごしたことを話すことばかりになり、レイスが森に入って何をしているのかという話は一切出てこない。
話すつもりがないことは明らかで、ソフィアも触れないことにしていた。
まだその時ではないのだろう。
『外は広いよ』
『レラの風で飛んでみてもいいかも。きっと気持ちいいよ』
ソフィアが庭を眺めながら考え事をしていても、精霊たちはお構いなしに話かけてきていた。
「そんなことをしたら目立ってしまうわよ」
『ソフィアのことは隠してあげるわ』
レラが楽しそうに言ってくるが、ソフィアはその提案も断った。ここへ来てから精霊たちが自由に飛び回れるのは基本屋敷内だった。森へは森の精霊への配慮で入らないようにしている。そのせいで精霊たちが窮屈に感じている可能性もあった。
時々外に行っておいでと言ってあげるのだが、言われたとおりに外に言っても数分で戻ってきてしまっていた。
どうやらソフィアに気を使っているようだ。一緒に外に出たいと思ってくれているのだろう。
「それじゃ、少しだけお庭に出てみましょうか」
本当は出ないように言われているが、数分屋敷を出たからと言って問題にはならないと思った。
このひと月、庭に出ているのが庭師だけとは限らないことを知っている。
騎士たちが警備のために歩いているのは見かけたし、使用人も長い時間はいなくても庭へ出ているのも見ていた。
その光景を見つけた時は、もしかしてソフィアを庭に出さないといういじめを受けていたのではと思ってしまったが、ここへ来て日の浅いソフィアの安全を考えて出ないように配慮してくれていたのだと後で知って安心した。
ひと月も経ったのだからソフィアが庭へ出ていても咎められることはないだろう。
危険が迫っていればすぐに知らせてくれるはずだし、今のところ隣国が攻めてくるような動きも聞いていない。
部屋を出て廊下から庭に出られる場所があるので、そこから綺麗に整えられた庭へと足を踏み出した。
途端に精霊たちが空高くに舞い上がる。
日の光を浴びて、精霊たちの羽がキラキラと光っている光景を目を細めて眺めてから、ソフィアは庭の中を歩きだした。
花壇がいくつかあり、それぞれテーマを決めているのか花が違っている。どれもきれいに咲き誇っていて、庭師がしっかりと手入れをしていることが見て取れた。
ソフィアがいたエリッド伯爵家も庭をきれいに保つ庭師がいたが、両親が亡くなってからは屋敷に行くことはあっても庭をのんびりとみている余裕はなかったため、今どうなっているのかわからなかった。
庭師が解雇されていることはないだろうから、きっとソフィアがいた時と変わらずきれいな庭を造ってくれていることだろう。
そんな懐かしさを感じながら庭の中を歩いていく。
隣には森が広がっていて、しっかりとした境界があるわけではない。出入りできないように結界があるわけでもないので、いつでも好きな時に入ることは可能だった。
「森の精霊チクニ。まだ、旦那様と契約をする気はないのかしら」
一緒に寝室で過ごすようになったが、彼から森の精霊の話が出てくることはなかった。契約がまだできていないということをソフィアは感じ取っていた。精霊たちも何も反応しない。
契約していれば、レイスも精霊を見ることができるようになる。だが、彼はレラもワッカも部屋の中にいるのに見えていなかった。
精霊たちの意思で見えるようにしてしまうと、ソフィアが精霊と契約しているとばれてしまうため、今はまだ何もしていなかった。
しばらく様子を見ていたソフィアだったが、ひと月が経とうとしている状況で、もうそろそろこちらから動くべきかと考えているところだ。
「私なら、すぐに会えるでしょうね」
レラとワッカも一緒に森へ入れば、森の精霊が気付かないはずがない。すぐにあちらから会いに来そうな気がしていた。
ソフィアが見つけ出すということもきっとできるだろう。
そうしてしまうとレイスの立場がなくなってしまう。彼はずっと森の精霊を探しているのだ。
だが、ソフィアも王太子であるエリックから内密の命を受けている。あまり長く見守っているわけにもいかなかった。
「殿下への報告ももうそろそろしたいわね」
『ソフィアも空飛ぶ?』
森を眺めているとレラが降りてきてソフィアを空へと誘ってきた。見つからないようにすることができると言われたが、さすがに空まで飛びたいとは考えていなかった。
「今は遠慮しておくわ」
そう言うと、レラは再び空へと飛んでいった。
楽しそうにしている精霊たちを見ていると、庭にこれからも出てこようと思う。
笑顔で空を見上げた刹那。耳元を何かが掠めたような気がした。
ハッとして耳を押さえるが、怪しい者は見えなかった。
そして、耳を押さえているにも関わらず、もう一度耳元で風を切るような音がした。
それが何なのか、ソフィアはすぐに気が付くことができた。
風が吹いていないのに、森の木々が枝を鳴らして動いたのだ。
「・・・精霊」
その言葉だけが浮かんだ。
『ソフィア!』
レラとワッカが急下降してソフィアの目の前に浮かんだ。身構える体制ではないが、精霊たちがじっと森を見つめている。
『ソフィアに用があるなら、ちゃんとぼくたちにも挨拶すべきだろう』
『あたしたちを差し置いてソフィアを呼ばないでちょうだい』
かわいらしい姿をしている精霊たちからは想像しづらい冷たい声に、ソフィアのほうが背筋に冷たいものを感じてしまった。
精霊たちの反応から、森の精霊がソフィアに接触しようとしているようだった。
それを察知したレラとワッカは契約者を守るために目の前に立ちはだかった。
木々が枝をこする音がぴたりと止む。精霊たちの言葉をちゃんと理解しているように思えた。
森が静かになると、精霊たちの不穏な空気も収まったようで、ソフィアはそこで息を吐きだした。知らないうちに呼吸を止めていたらしい。
「レラ、ワッカ」
呼びかけると振り返った精霊たちはいつも通りの穏やかな表情をしていた。
『勝手に森の精霊がソフィアを呼ぼうとしたから』
『そうだよ。ぼくたちが契約精霊だってことをわからせておかないと』
森の精霊がソフィアに何かの合図を送ろうとしていたようだったが、それを阻止してくれたようだった。
ただ、精霊たちは守ったことに胸を張っているようだが、ソフィアとしてはレイスの前に現れない森の精霊がソフィアに何かを伝えようとしてきたことが気になった。
危ないことではなかったのなら、森の精霊の呼びかけに応えたかったと思ってしまう。
「何かを伝えに来たようね」
森を見つめるが、静かになってしまった木々が再び動く気配はなかった。
何を伝えたかったのか気になって、ソフィアはゆっくりと森に近づいてみた。
それでも森に反応はない。
このまま森に入って精霊に会えばいいのではないか、そんな風に思いながらさらに一歩を踏み出したとき、急に腕をつかまれた。
「奥様」
リノアの焦った声に振り返ると、声と同じような焦った表情のリノアがソフィアの腕をつかんでいた。
「こちらで何を?」
「少し庭に出てみたくなっただけよ」
森に入ろうかと思っていたなんて言うわけにもいかず、最初の目的の庭の散策を口にした。
「いつも屋敷の中ばかりだったから、短い時間なら庭に出ても大丈夫だと思って散策してみたの」
みんな出ているのだからソフィアが出ても問題ないだろうと伝えるように言うと、リノアは口を開いたが言葉が出てこなかったのか、声を出すことなく閉じてしまった。
注意したい気持ちと、ソフィアだけ屋敷の中にずっと閉じ込めるような状況への同情があったのだろう。
「庭に出るのであれば、だれか護衛騎士をつけてください」
それが妥協点だったようだ。
「私の専属はいないし、騎士たちも忙しそうだから」
「奥様は辺境伯家の大事な方です。護衛を頼んで嫌がる者はいません」
そこまで重要視されている感覚はないのだが、ソフィアにもしものことがあった場合、何もしていなかった辺境伯家が後ろ指をさされる可能性がある。
「それなら、旦那様に伝えて、だれか護衛を選んでもらったほうがいいかもしれないわね」
レイスならソフィアに見合った護衛を配置してくれるだろう。
「とりあえず、森には入らないから、手を放してくれるかしら」
森に入ってしまうのではと心配しているのか、話している間もリノアは腕をつかんだままだった。
「失礼しました」
よっぽど焦っていたのかもしれない。特に咎めるつもりもないので、ソフィアはそのまま引き返して屋敷へと戻ることにした。精霊たちも少しは気晴らしができたことだろう。
屋敷に向かって歩き出したことで、リノアもほっとした表情を浮かべた。
窓から屋敷に入るとき、ソフィアは一度森を振り返った。
森の精霊がソフィアに何かを訴えかけてきたことは確かだ。ここへ来てひと月。もうそろそろソフィア自身が動く時が来たのかもしれない。
そんなことを思いながら屋敷に入り、静かになった庭で、森の木々が再び風もないのに揺れたことを誰も気づくことはなかった。




