事情説明
こんな馬車には乗ったことがないと感動するソフィアは、エリックが用意してくれた馬車に揺られてグリースト辺境伯領へと向かっていた。
ふかふかの椅子は長時間乗っていてもお尻が痛くならなそうだ。
揺れも最小限に軽減されていて、これが王族と貴族の違いなのかと真剣に考えてしまった。
「・・・説明に入ってもよろしいでしょうか?」
馬車の中で視線をあちこちに向けていると、目の前に座っている騎士に声を掛けられた。
「あら、すみませんダリーズ卿。どうぞ話をお願いします」
彼はエリック王太子殿下の専属護衛騎士のジーク=ダリーズ。今回のソフィアの結婚は王命ということで、馬車と護衛を王室が準備してくれた。とはいえ、伯爵家がソフィアのために何かを準備することなど考えられなかったため、それを見越してエリックが準備してくれたのだ。
エリックにとってはソフィアを突然送り出すことになった罪悪感からの対応だったのかもしれない。
それでもソフィアにとってはありがたいことだった。
卒業パーティーの翌日、ソフィアは現伯爵の叔父であるステファン=エリッドに呼び出された。エリックがすべて準備すると言っていたので、そのまま辺境伯領へと向かうつもりでいたソフィアだったが、一応半年間だけお世話になった叔父の呼び出しなので、挨拶くらいしておこうと思い訪ねたのだ。
そこで、叔父にも王命でソフィアが辺境伯家に嫁ぐという報せが届いていた。
『あの領地は隣国といつ戦争が起こってもおかしくない状況だ。怖いからと言って逃げ帰ってきてもお前の帰る家はないと思え』
送り出すための言葉をくれるのかと思っていたが、忠告だった。
ソフィアも当然帰ってくるつもりがなかったので何も言わずに頷くだけだった。
『なんであんたが私より先に結婚するのかと思ったけど、危険な場所に放り込まれるなんて運がないわね。王族も、不必要な人間を送り込めて喜んでいるのでしょう』
隣にいた従妹のセイラはソフィアをあざ笑うように見下しながら言っていた。1つ年下の彼女は来年学園を卒業することになる。先に卒業して結婚することが決まったソフィアに敵意を向けていたようだが、嫁ぎ先が戦争になるかもしれない辺境伯だと知って喜んでいるようだった。
厄介払いができると2人とも思っていたようだが、エリックはソフィアだからこそ辺境伯へ行かせるということを知らない。
2人はソフィアの能力を知らないのだから仕方がないし、ソフィアも教えるつもりがなかった。
一応お世話になりましたとだけ言って屋敷を出た。
伯爵位を受け継いだ途端ソフィアを虐め始めた叔父と従妹から解放される方が、ソフィアにとってはよっぽど天国と言えるだろう。
おかげで優雅な馬車旅を満喫中である。
「ソフィア嬢?」
再び思考が違う方向へ行っていたソフィアに、ジークが首を傾げて声を掛けてきた。
話を聞こうとしていたのに、今の状況があまりにも居心地が良すぎて別のことを考えてしまう。
気を取り直して座り直すと、今度こそジークの話を聞くことにした。
「それで、辺境伯領の現在の状況はどうなっていますか?」
「グリースト辺境伯ですが、現在の領主はレイス=グリースト、23歳。もとエリック王太子殿下の護衛騎士をしていました。私の同僚です。半年前に兄であるクリス=グリーストが亡くなったことで急遽爵位を継ぐことになりました」
まずはグリースト辺境伯について話をしてくれた。
嫁ぐことが決まって1日。ソフィアは辺境伯家のことを何も知らない状況だった。
説明は後でと言われていたが、王都から辺境伯領まで数日かかる馬車の中で説明するつもりでいたのだ。
護衛も兼ねてジークが担当することになったが、彼は現辺境伯の同僚だった。
「ご病気だったのですか?」
亡くなったというというクリス=グリーストのことが気になって聞いてみると、ジークは難しい顔をした。
「至って健康体だったと聞いています。突然のことに訃報を聞いた時のレイスも混乱しているようでした」
亡くなった原因をジークは知らなかった。隣国との関係が悪いこともあり、暗殺という可能性も考えられたそうだ。
「状況が何も掴めないままレイスは辺境伯領へと戻っていき、定期的な報告をすることになっていました。その中で前辺境伯のことはまだ何もわからないという報告がきています」
レイスもいろいろと調べているようだが、兄の死の原因を特定することはできていないようだった。
事故なのか事件なのか、ここでソフィアが判断できるはずもない。
「隣国が絡んでいたら危険ですね」
もしも隣国による暗殺だとしたら、辺境伯家はとても危険な状況にあると考えなければいけないだろう。そんな中にソフィアは嫁ぐのだから、気を引き締めなければいけない。
『ソフィアに何かあったらあたしたちが許さない』
『その前に相手を蹴散らしちゃえばいいだけだよ』
水と風の精霊がソフィアの頭の上で息巻いている。精霊の姿はジークには見えていない。
見えるようにするかどうかは精霊たち次第だ。今はソフィアの能力を知らない彼の前で見えないようにしていた。
隣国と戦争になっても、ソフィアには精霊たちがいる。護ってもらうこともできるが、精霊たちと契約していることでソフィア自身も同じ力を使えるようになっていた。戦うことは可能なので、その心配を今はしなくても大丈夫だった。
「・・・大丈夫ですか?」
しかし、ソフィアの能力を知らないジークは、隣国と戦争になるかもしれないリスクを背負った領地に貴族令嬢が嫁ぐことを心配しているようだった。これが当然の考えなのだろう。事前にエリックから何も聞かされていないようだった。
心配してくれる反応にソフィアは胸の奥が暖かくなるのを感じた。これが普通の反応なのだろう。
役立たずの厄介払いができて、危険な場所に行くことを喜んでいた叔父や従妹が異常なのである。
「大丈夫です。何よりもこれは王命ですから、逃げることは許されません」
戦闘に関しては問題にしていなかった。
「辺境伯が変わったことで、領地内もまだ慌ただしいのでしょうか?」
「それは最初の時だけだったようです。今はレイスがしっかりと管理しているようですし、母親のイリアナ様も協力して領地経営をしているということです」
父親が亡くなったことで息子であるクリスが爵位を継いだ。そのクリスも亡くなったことで、レイスとその母親のイリアナ2人だけがグリースト家に残っていた。
「レイスは辺境伯の屋敷とその周辺の森の管理をしていて、イリアナ様が他の場所をすべて管理している状況です」
辺境伯の邸宅は森の精霊が住んでいる広大な森の中にぽつんとあるらしい。そこから少し離れたところに辺境伯領の主要の街があり、そこに別宅があってイリアナが他の町や村の管理をしているようだった。
ほとんどがイリアナに任された領地経営になってしまっているが、隣国との問題や森の精霊のことでレイスは手いっぱいだという。
「レイスは現在森の精霊との再契約をすることで精いっぱいのようです」
「森の精霊との再契約?」
エリックに婚姻について話をされた時、辺境伯領の森に棲んでいる精霊の話をしていた。だが、詳しいことは何も聞かされていなかった。
「確か森の精霊と契約して隣国の侵入を許さないように護っていると聞きました」
「その通りです。ですが、それは前伯爵までの話です」
ソフィアは数回瞬きをした。一体どういうことなのかわからなかった。
ジークの言っていることをそのまま受け取るのなら、今の辺境伯は精霊と契約できず、森の精霊による護りがないということになる。そうなれば隣国から責められた時に抵抗する手段がなくなってしまう。
「森の精霊は代々の伯爵と契約を結んで領地を護ってくれていました。今回もその契約をするため、前辺境伯が亡くなってすぐに森の精霊との契約をしようとしたそうです。ですが、何故か契約が更新されず、そのまま精霊が姿を消してしまったそうです」
ここでソフィアはなぜ自分が嫁ぐことになったのかわかったような気がした。
森の精霊から見放されたことで、隣国との戦争が迫っているかもしれない状況を打開するためには他の精霊の力で護りを強化しようとエリックは考えたのだろう。
エリックが光の精霊とともに行くわけにもいかず、水と風の2つの属性をもったソフィアに目を付けたのだ。
しかも半年前に両親を亡くし、叔父たちから嫌われて家を追い出されようとしていた。嫁ぎ先を提供することは簡単なことだった。
エリックの考えが読めてしまうと、ソフィアは窓に視線を向けて遠くを見つめた。
王命ではあったが、おそらくソフィアを嫁がせることを提案したのはエリックだろう。彼は国王陛下に進言して実現させたのだ。
ソフィアの能力に期待してくれていることを喜ぶべきなのかもしれないが、もう少し説明してくれても良かったのではないかと思ってしまった。
「今も何度か森に入って精霊と接触しようと試みているようですが、契約する前に姿を見せてもらえないようです」
見放された。それが思い浮かぶ言葉だった。
代々引き継がれてきた契約のようだが、何か問題があったことは間違いないだろう。その原因を突き止めなければ、おそらく精霊は何も応えてはくれない。
「精霊が姿を消した原因はわからないのですよね」
「わかっていれば、すぐに対応していたでしょう。それができなかったということは原因すら未だにわからないと思われます」
状況としてはかなり危険だと思われた。
「隣の国に現状を知られてはいないですよね」
いつ戦争になってもおかしくないほど隣国イグレイト王国との関係は良くない。森の精霊の護りがないと知られたら、すぐにでも攻め込んでくる可能性があった。
「今は大人しくしているようですが、気づいていないからなのか、気づいた状態で攻めるタイミングを狙っているのか定かではありません」
最悪の状況になる前に森の精霊がなぜ姿を消したのか知る必要がありそうだった。
「まずは伯爵様に直接会って現状を聞いた方が良さそうですね」
「そうですね。嫁ぎ先のことはしっかり把握しておく方がいいでしょう」
ソフィアとしては精霊のことを聞きたいという意味で言ったのだが、精霊使いであることを知らないジークは領地に関して把握しておくべきだと言っているようだった。
少し噛み合っていない会話に、話を聞いていた精霊たちは肩を竦めていたが、見えないふりをしてソフィアはさらにジークから辺境伯領の説明を受けるのだった。