寝室を2人で
森に入らない日は初めて精霊と契約しようと意気込んで以来初めてのことだった。
兄が殺されて、爵位を継ぐことになったレイスは、兄の死を嘆いている暇もなく犯人探しと森の精霊との契約を結ぶことなど、やるべきことがたくさんあった。
犯人はメイドで間違いないだろうが、いまだに行方が分からない。森を抜けてイグレイト王国へ行っているのなら、辺境伯を失った直後に混乱した領地へ攻めてくる可能性もあった。しかし、隣国は何もしてこなかった。暗殺者が森を抜けられなかったため、報告が遅れて攻めてくるチャンスを逃したのかもしれない。
その間にレイスが爵位を継いで辺境領へ戻ってこられた。
そこは安堵できることではあったが、森の精霊との契約はいまだに成立していない。
今抱えている一番の問題だった。
どれだけ森の中を探索しても精霊の気配を感じることさえできず、いつも空振りで屋敷に戻ることになった。
精霊はレイスに興味を示していないことを痛感させられる。
辺境伯は代々精霊と契約をして森と領地を守ってきた。兄のクリスも契約していたことを知っている。それなのに、なぜレイスには反応してくれないのかそれがわからなかった。
毎日のように森に入って様子を窺ったり、探し回ったり、騎士たちを伴っているからかもしれないと1人になってみたこともあった。どれも効果はなく精霊の姿をとらえることはできなかった。
それが日常となっていたので、森に行かない日が来たことが、なんとなく違和感を覚えてしまっていた。
今日は森に行かないと決めたため、あまり使っていない執務室へ行き溜まっていた書類を片付ける。余裕があるときはレイスも執務室を使っての仕事はする。だが、ほとんどを森で過ごしている間、レイスの変わりはエリオットに任せていた。彼では対処できないものをレイスがやることもあるが、母のほうで対応してもらえるようにもしているので、執務机の上に置かれた書類は少なかった。
「・・・はぁ」
それらに目を通すのはすぐだ。時間が余ってしまったため、自室に戻ることにする。
その間もいつもと違う行動を取っている違和感は消えなかった。
「レイス様」
部屋に入ろうとしたところでリノアの声が聞こえた。
振り返るといつもと変わらない凛とした佇まいのリノアと、その後ろをなぜかおろおろしているソフィアがいた。
なんだか変な状況になっている気がして、レイスの本能が嫌な予感を汲み取った。
「どうした」
「レイス様のせいでいろいろと問題が起きています」
主に対して不遜な態度と発言だった。ソフィアもいるというのに、リノアがメイドとしての立場を忘れているような気がした。
ここで注意すべきかと思ったが、まずは何がレイスのせいなのか聞くべきだと思った。それに、後ろに立っているソフィアは心配そうにリノアとレイスを交互に見ていたのも気になった。
「問題というのは?」
「レイス様が奥様であるソフィア様に対してあまりにも興味のない対応をしているものですから、メイドたちがソフィア様を軽んじる行動を取っています。王命での結婚ということですが、迎え入れたからにはそれなりの対応をするべきかと」
廊下で話す内容ではないとわかり、レイスは無言で部屋の扉を開けると2人を部屋に招き入れた。
「俺がいつ妻に興味がないということになった?」
確かにソフィアと結婚はしているが、今は森の精霊が優先されるため一緒にいる時間があまりない。屋敷のことはエリオットに説明を任せ、彼女が不自由しないように配慮はされていると思っていた。
後継者問題に関しても、ソフィアとはすでに話をしている。夜を共にしないことをソフィアも了承してくれていた。
「最初からです」
レイスの質問にリノアは容赦がなかった。
「レイス様には仕事がありますから、一緒にいられる時間が少ないことは承知しています。ソフィア様もそのことについて文句を言いません。ですが、屋敷に戻ってきて食事は一緒にしていますが、楽しい会話をすることもなければ、事務的な報告のような会話だけ。寝室は別ですし、初夜もなかったことは使用人たちの周知です」
「リノア、少し落ち着いて」
冷静な声で話をしているのでリノアが落ち着いていることはレイスにもわかった。ただ、話している内容は厳しい指摘だっただけ。リノアとの付き合いが短いソフィアには怒っているように見えるのだろう。落ち着かせようと彼女の腕にそっと触れていた。
「奥様は、ここへ来たばかり。それもお一人でです。そんな奥様への配慮がレイス様には足りないのです」
なんだか母と同じようなことを言われている気がした。
「メイドたちが奥様を蔑むようなことになったのは、レイス様の配慮が足りないからです」
「何があった?」
レイスのせいでソフィアがメイドたちから蔑まれていると聞いては放置するわけにはいかない。
レイスの質問はリノアではなくその隣にいるソフィアに向けたものだった。
彼女の肩がわずかに跳ねる。何かされたことは明白だった。
「・・・大したことはないのです。旦那様に報告するほどのことではないですし、メイド長とも話して対応を決めましたから」
「それでも俺はこの屋敷の主だ。何があったのか知る権利はある」
使用人たちの処遇に関しては女主人であるソフィアが動くことは問題ない。ただ、それを何も知らなかったと通り過ぎてしまうレイスでもなかった。
「1泊街に泊ることになりましたが、戻ってきたら、部屋の掃除が一切せれていませんでした。メイド2人の仕事だったのですが、私の部屋は放置してもいいという判断だったようです」
ソフィアは仕方なく白状しているようだった。怪我につながるような実害がないため彼女の中では問題にしないつもりでいたのかもしれない。
「リノアが注意しましたし、今後の彼女たちの対応によっては解雇することも考えています。そのことをメイド長とも話しているので、旦那様が何かをする必要はありません」
ソフィアは大事にするつもりはないが、メイドたちの今後の態度で対応を変えるつもりでもいるようだった。
女主人として寛容さと厳しさをちゃんと持ち合わせている。
「わかった。それなら俺からは何もしない」
ソフィアが対応しているのなら口出ししないことにした。だが、リノアの視線はレイスに突き刺さったままだった。
「まだ何か言いたそうだな」
「私はレイス様の態度が奥様への対応に影響したと考えています。ですから、そこを変えなければいけないと思っています」
「俺にどうしろと?」
もっとソフィアとの時間を作れとでもいうのだろうか。
まだ精霊と契約できていない以上、時間を割くことがどれだけできるのかわからなかった。
「寝室を一緒にするべきです」
『え?』
リノアの提案にレイスだけではなくソフィアまで同時に声を上げていた。
何を言い出すのかと驚くしかなかった。
「寝室だけでも一緒にすることで、お2人の距離が縮まったと周囲に印象付けることはできます。それだけでも違います」
「いや待て、寝室が一緒ということは同じベッドで寝ろということか?」
「当たり前のことを聞かないでください」
後継者のことはレイスの事情を組んで後回しになっている。それを先に片付けろと言われているようで、どう答えたらいいのか困ってしまった。
ソフィアを見てみると、彼女は同じベッドで寝るという意味に理解が追い付いていないのか、きょとんとした顔をしていた。意味を理解したらいったいどんな表情をするのか、そんなことをレイスは考えてしまった。
「同じベッドになったからと言って、夫婦としての義務を押し付けるつもりはありません。ですが、寝室が一緒というだけで、奥様の立場は大きく変わるはずです」
リノアの説明に、夫婦の営みが先という意味ではないことがわかった。とにかくソフィアの立場を女主人として周囲に示すために寝室を一緒にするという提案だった。
ただ、レイスは簡単に承諾することはできなかった。これは夫婦の問題でもある。ソフィアが嫌がれば一緒のベッドで寝るということはできないだろう。
「・・・・・わかりました。私は構いません」
リノアの説明に理解ができたようで、少し考えてからソフィアは顔を上げてレイスを見た。寝室を一緒にすることに覚悟を決めたような視線を受けることになった。
ソフィアが了承したのなら、レイスが拒むわけにはいかないだろう。拒んでしまえば余計にソフィアの立場を危うくする可能性があった。
「わかった。寝室は一緒にしよう。ただ、普段はお互いの部屋を使えるようにしておいてくれ」
「承知しました」
なんとなくリノアが嬉しそうな声を出しているような気がした。
「あ、それから、この後夕食になりますが、ぜひ一緒に食堂まで来てください」
それだけ言うとレイスの返事も待たずにリノアは素早く部屋を出て行った。
食事はレイスがいれば一緒に食堂で食べている。わざわざそんなことを言い残していく必要はなかったように思えた。
だが、ソフィアを見ると何か納得したような顔をしていた。
首をかしげるとソフィアが振りむいて目が合った。
「最後のは普通のことじゃないか?」
突然視線が合ったため、レイスは何か言わなければと思いリノアが残していった言葉の意味を尋ねてみた。
「あれは、一緒に行くということに意味があったと思いますよ。食事は一緒にしていますが、いつも別々に食堂に入っていましたから」
そういえば、ぜひ一緒にと言っていた。
一緒に行動することに意味があったようだ。
「そうか。それなら食堂に行こうか」
もう向かってもいいはずだ。部屋を出ようとしたところで立ち止まる。
一緒にという意味がただ2人で行けばいいという意味ではないということに気が付いたのだ。
振り返るとソフィアは複雑な表情をしていた。彼女はリノアの言っていた言葉をちゃんと理解しているのだろう。それをレイスに伝えるべきか迷っているように見えた。
気が付けてよかったと思いつつ、レイスはソフィアの前に立って手を差し出した。
「エスコートをさせてもらえるだろうか」
そういえば、別邸の庭でも先を歩いてしまい、ソフィアは後ろをついてきていた。これではいけないと思い遅くなってはしまったがエスコートをした。あの時を同じことを屋敷の中でもしなければいけない。
レイスの手をじっと見つめたソフィアは口元に小さく笑みをこぼしてから手を取ってくれた。
ソフィアが隣に立つと、ふわりとさわやかな香りがした。
ドレスと一緒に香水も用意したのかもしれない。
それを嫌だとは思わなかった。
そして、自分が結婚して隣にいるのが妻なのだと少しだけ実感がわいたレイスだ。
平民と変わらない服装をして幼い少女に見えたソフィアだったが、今はドレスを身にまとい一人の貴族女性となっている。
その実感がやっと出てくると、なんとなく胸の奥が小さく疼いたような気がした。
だが、それに構うことなくレイスはソフィアと一緒に食堂へと向かうことになった。
レイスが自分の気持ちに気付くのはもう少し後になってからのことだ。




