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嫁いできた役目

『納得できないよ』

『ぼくたちがいるんだから、森くらい入ったっていいじゃないか』

部屋に戻ると今まで黙っていた精霊たちが頭の上で騒ぎだした。

食堂ではおとなしくしていたが、ソフィア以外誰もいないということで言いたかった文句を言い始めたのだ。

食堂で騒いでもソフィア以外に精霊たちの声を聞くことはできないが、ソフィアが嫌がると考えたのだ。レイスとの会話中に頭上で騒いだら気が散ることをよく理解している。

「仕方がないわ。旦那様はあなたたちのことを知らないのだし、私がここに嫁いできた理由も知らされていないもの」

まだソフィアの本当の目的をレイスには話していない。話してしまうとソフィアに契約精霊がいることも伝えなければいけなくなる。

本当に話していいのかを見極めてから真実を打ち明けなければいけなかった。

その条件はエリック王太子も理解している。そのうえでソフィアを辺境伯家に嫁がせたのだ。

「ただお願いしても、きっとこの先許可が下りることはないでしょうね」

それだけ森は重要な場所なのだ。

ただ、今は森の精霊と契約できていない状態。勝手に森に入ったからと言って精霊の怒りを買うとは言いきれなかった。レイスが契約者ではないので、ソフィアがこっそり入ったとしても精霊からレイスに報告されることはない。

「こっそり入ってしまうかしら」

『賛成』

『何かしてきたら、ぼくたちが追い払ってあげるよ』

そうなると辺境伯家を敵に回すことになる。それはできれば避けたかった。

嫁いできた嫁が無謀な行動を取っているとわかれば、レイスは王家にソフィアについての報告をするだろう。そのうえで離縁したいと伝える可能性もあった。

王命による政略結婚ではあるが、問題を起こした花嫁を国の重要な場所にとどめておくことを徳とは誰も思わないだろう。

エリックがせっかくソフィアを辺境伯家に嫁がせた意味がなくなってしまう。

精霊たちはソフィアの行動に従ってくれるが、何も知らない周りの人たちは勝手すぎるソフィアに嫌悪を抱くことだろう。

「できれば認められて、森にも入れるようになりたいけど」

そうするためにはまずは周囲の信頼を得なければいけない。

「お義母様をまずは攻略しましょうか」

レイスの母親を味方につけられれば、レイスも少しは気を許してくれるかもしれない。そんな考えが浮かんだ。そのためには義母がいる別邸へ行かなければいけない。

「あ、そういえば」

ソフィアは辺境伯家に来てからひとつ気になっていることがあった。

それはレイスとはすでに夫婦になっているということだった。王命ということで書類上はすでに夫婦になってしまったが、今のところ夫婦としての役目は何も起きていない。それに嫁いできただけで式を挙げるのかさえ話し合いがなかった。

書類上の嫁。その程度にしか考えていないのだろう。だからこそ、周囲の信頼は必要になってくると改めて思うのだった。

とりあえずレイスと夫婦間のことを確認しておく必要があった。

そう考えてソフィアはすぐにレイスの部屋へと向かうことにした。先ほど食堂で話をすることもできたが、あそこには使用人たちもいた。夫婦の話を持ち出すにはふさわしくない。2人だけで話をするなら今だろう。

すぐにレイスの部屋の前に立ったソフィアは、部屋に人がいないのではないかと思うほど静まり返っていることを不思議に思った。

レイスがいるなら少しくらい気配を感じてもいいはずなのに、すでに寝てしまったのかもしれない。

そうなると話をするのは別の時にしなければいけない。

ノックをしようと手を持ち上げていたが、扉を叩くのにためらいが生じた。

できれば早く話をしておくべきことなのだと思う。明日には義母のところへ行くことになるし、そこでいろいろ聞かれても何も答えられないということもあった。ソフィアはただ王命に従って辺境伯に来ただけ。それ以外の説明ができない。辺境伯家へ来て日が浅いとはいえ、夫婦間のことを聞かれても何も言えないのは印象が悪い。

できれば話をしたかった。とはいえ、寝ているのなら起こしていいのだろうかという思いもあった。

「何をしている?」

扉の前で迷っていると、急に扉が開いてレイスが姿を見せた。寝ていたのを起こしてしまったのか、これから寝るつもりだったのかわからないが、彼はすでに寝間着にガウンを羽織っていた。

「あ、少し話をしたくて」

「だったら、ノックをすればいいだろう」

「もう寝ているのかと思って、明日にしたほうがいいかもしれないと迷ってしまって」

素直に突っ立っていた理由を言うと、彼はため息をついてから部屋に入るように促してきた。

夫の部屋に入ること自体問題ないはずなのに、男性の部屋に入ると考えると少し緊張してしまう。

「失礼します」

寝室が別なので、なんとなく落ち着かなかった。

レイスの部屋はベッドが置いてあるだけで調度品などはなく、座る椅子もなかった。

本当に寝るだけの部屋といった感じだ。

「それで、話とは?」

レイスはベッドに腰かけて話を促してきた。ソフィアは座る場所がないため立ったまま話をすることになった。

「そんなところに立っていないで、ここに座ればいい」

口を開きかけるとレイスが自分の横をポンと叩いた。ベッドに腰かけて話をするようにということだった。

夫が使っているベッド。そう意識してしまうと余計に緊張してしまう。

「失礼します」

とはいえ、レイスが勧めてくれているのに無視してずっと立ちっぱなしというわけにもいかない。

レイスと少し距離を取ってベッドに腰かけることにした。

「確認したいことがいくつかあります」

「食堂で話せばよかっただろう」

「2人だけで話をしたほうが良いと思ったので」

そういうと、レイスは何かを察したように頷いてから先を促してきた。

「私たち王命とはいえすでに夫婦となりました」

「そうだな。本人の意思に関係なく、すでに夫婦だ」

「それで、一応結婚したわけですし、夫婦としての今後を話し合うべきではないかと思いました」

「夫婦としての今後?」

ピンとこないのかレイスは首を傾げた。

「君には女主人としてこの屋敷を取り仕切ってもらうつもりでいる。そのための説明も今日エリオットからしてもらったはずだろう」

辺境伯夫人としての役目を果たしてもらうためいろいろと教えてもらうことになった。そこに不満があるのかという顔をしていた。

ソフィアが言いたかったことはそこではない。

「夫人としての役目ではなく、妻としての役目のことを聞きたいのです」

「妻として?」

こう言ってもレイスは見当がつかないようだった。

仕方がないのでストレートに言うことにした。

「夫婦としての夜の営みのことです。後継者の問題もあるでしょう」

「あ・・・」

やっとわかってくれたようだったが、ソフィアの言葉を聞いた瞬間、彼は気まずそうな表情をした。

結婚したのだから初夜を迎えるはずなのに、2人の間には何も起こっていなかった。

彼の反応からすると、その考えが頭になかったように思えた。

政略結婚は受け入れるが、今は森の精霊のことでほかのことを考えている余裕がない。だからこそソフィアと顔を合わせても簡単な会話で終わってしまっていた。

ソフィアも森の精霊の調査を一番に考えていたため、強く聞くようなことをしなかった。

だが、いつまでもこのままにしておけない。

森の中に入るためにもレイスや屋敷の人たちの信用を勝ち取る必要が出たからだ。夫婦なのに他人行儀な対応をしていては、ソフィアが辺境伯夫人として周囲から認められるのも時間がかかってしまうように思えた。それなら、ちゃんとお互いに夫婦としての役目を果たしていることを周囲に知らせておいたほうがいいように思う。

「そうだな。結婚したのだからそういうことは考えるよな」

今まで頭になかったレイスでも初夜が重要であることに理解はあるようだった。

初夜を行っていないことで夫であるレイスから蔑ろにされたと周囲が判断すれば、ソフィアへの対応も変わってくる可能性があった。

そう考えたとき、今日のメイドが出したお茶が熱かったことを思い出した。

もしかすると、雑に扱ってもいいのだと勘違いしているのかもしれない。

今になってソフィアはこの屋敷の人間たちからの信用度が落ちていたことに気が付いてしまった。

森に入る許可の前に失敗をしていた。

ここはちゃんとレイスと話し合って、ソフィアの立場を取り戻していかなければいけない。

「確かに、直系の後継者は俺だけになってしまったから、辺境伯家は維持できても精霊と契約できる後継者がいないことになるな」

「直系でなければ、精霊と契約できないのですか?」

その話はエリックから聞いていなかった。精霊との契約には血筋が関係しているのか。

それならレイスが契約できていないのはなぜなのか。

首をかしげると、余計なことを言ったと思ったのか、レイスの眉間にしわが寄った。

「君は気にしなくていい。それよりも、王命とはいえ結婚したわけだが、俺はしばらくの間夫婦としての営みの役目はするつもりがないことを伝えておく」

「白い結婚をお望みですか?」

夫婦の営みを一切することがない結婚を意味する。そうなると後継者の問題が出てきてしまう。

「今は隣国の様子も怪しい。警戒しなければいけない時期なんだ。君は嫁いできたばかりでわからないことも多いだろう。ここは危険な場所であることを理解しておいてくれ」

もしかすると戦争が起こるかもしれない。その心配を避けるため、ソフィアがここへ嫁いできたのだが、その理由をレイスは知らない。ただの伯爵令嬢が王命によって嫁いできただけと思っているからこその対応なのだろう。

ただ、後継者がいなければ、レイスにもしものことがあった場合辺境伯家の直系がいなくなってしまうという心配があった。

そう考えたときに、ソフィアはひとつの考えを思いついた。

ソフィアとの営みを避け、後継者の心配をしていないのなら、もしかすると、レイスにはすでに子供がいるのではないかと。

辺境伯になったのは半年前。それまでは王都で王太子の護衛騎士をしていた。王都に関係を持った女性がいて、子供がいるのなら後継者の心配をしなくていいと考えているのかもしれない。

「なるほど、隠し子がいるのですね」

「は?」

「できることでしたら、私にはちゃんと言っておいてください。旦那様と結婚したのは私ですが、すでに心に決めた方が王都にいて、子供までいるのなら私はお飾りの妻ということになりますし、自分の立場を把握しておかなければいけませんから」

「ちょっと待て。どうしてそういう発想になる」

「あら、違いました?」

「まったくもって違う」

ソフィアの予想はあっさり否定された。

「今の状況が適切な時期ではないということを説明したつもりなんだが」

戦争が起こらず、精霊とも契約ができれば夫婦としての役割を全うすると言っているようだった。式に関してもすべてが解決してからになるだろうと推測できた。

「そうですか」

信じて待っていることが本来の妻の役目なのかもしれないが、ソフィアは王太子からの頼みごとがある。おとなしくしているわけにはいかなかった。

とりあえずここでは納得したことにしておく。

「わかりました。明日は街に行く予定ですので、これで失礼します」

ソフィアの今の任務は義母から信頼を得ることになりそうだ。

「おやすみなさい」

それだけ言って部屋を出ようとすると、レイスがベッドから立ち上がって声をかけてきた。

「君は本当にこの結婚に納得しているのか?」

ここへ来た時にも似た質問をされた。

レイスはこの政略結婚に思うところがあるのだろう。ただ王命ということで声を上げることができないでいる。ソフィアも同じ立場なのだと考えて質問しているようだった。

「政略結婚があることは私でも聞いたことがあります。でも、旦那様とは顔を合わすことなく結婚することになりました。これは異例のことだと思っています」

政略結婚であっても事前に顔を合わせて、短い期間でも婚約者としてお互いを知る時間が普通はあるものだった。ソフィアたちにはその時間さえなく書類上で夫婦となってしまった。

「これは王命ですし、私がここへ来たことに意味があると思っています」

「意味?」

ソフィアが選ばれたのはエリックが推薦したからだ。精霊使いであるソフィアに辺境を救ってほしいという願いが込められていることを理解していた。

「私は私のやるべきことをしていきます」

それは宣言に近かった。

それだけ言うとソフィアはそのまま部屋を出た。もうレイスも声をかけてくることなく、静かにソフィアを見送ることになった。

『ソフィアの役目は森の精霊に会うことだよね』

『あたしたちも協力するから』

ワッカとレラが急に声をかけてきた。ずっとそばにいたのだが、2人の会話の邪魔をしないように黙っていてくれたのだ。

廊下に出たことで急に騒がしくなる。

「ありがとう」

精霊たちの協力もある。ソフィアはエリックの期待に応えるため、気合を入れなおして今夜は眠ることになるのだった。


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