夫として
今日も森での収穫は何もなかった。精霊がいたような気配を感じたのは一度きり。それ以降は森の中をどれだけ歩いても何の進展もなかった。
屋敷に戻ってくるとソフィアが出迎えてくれたが、レイスはそれに応える余裕がなかった。
軽く挨拶をしただけですぐに部屋に戻り夕食前に着替えてしまうことだけ考えていた。
着替えが終わり食堂へ行こうとしたところで、ノックする音が聞こえた。
「入れ」
「失礼します」
部屋に入ってきたのはリノアだった。彼女はソフィアの専属メイドとして母が送ってきたメイドだが、普通のメイドではなかった。特殊な訓練を通過した辺境伯家の影でもある。
母がここへソフィアのメイドとして送ってきたメイドは3人。ほかの2人は普通のメイドだが、リノアはソフィアの護衛の意味も含まれて専属となっていた。
ソフィア=エリッド伯爵令嬢。
初めて会った時に感じたのは、辺境伯家がどういった家なのか何も知ることなく、政略結婚ということで王命に従っただけの卒業したての無知な令嬢という印象だった。
明るい印象は受けたが、何も知らないが故の無謀さを併せ持っているように感じて、危機感が足りないような気もしていた。
母はまだソフィアに会ったことがないが、王都から来た貴族令嬢ということで影の護衛を密かにつけることに決めたようだ。
そのリノアが呼んでもいないのに、突然レイスの部屋にやってきたことに少し驚いた。
「何かあったのか?」
レイスが森に行っている間に屋敷内でソフィアに何かあったのか、それとも彼女が何かやらかしたのかと思った。
「昼過ぎに別邸にいる大奥様から、明日奥様と会いたいという連絡が来ました」
大奥様とか奥様という言い方に一瞬誰のことを言っているのか考えてしまった。
まだ自分が結婚した実感もなく、ソフィアが嫁であるという認識が薄い。少しずつでも慣れなければいけないなと思いつつ、リノアに話の先を促した。
「奥様は明日会いに行かれるようです」
「それならリノアも一緒についていくことになるな。俺から母さんに伝えることはとくにない。森の精霊とはまだ接触できていないから、進展がないと伝えるしかないな」
専属メイドであるリノアも街に行くことになるため、何か伝言はないかと聞きに来たのだろう。そう思って言うと、リノアは納得していない顔をしていた。
「奥様のこと、何も気にならないのですか?」
そう言われて首を傾げた。
ソフィアとは書類上の婚姻を結んで2日だ。政略結婚であり、話には聞いたことのなる令嬢だったが、直接会って会話をしたのも昨日が初めてだった。
特に特別な感情を持つこともなかった。
リノアがじっとレイスを見て数秒。大きなため息をついた。
明らかにレイスに失望したと言いたげな態度に見えて、何をどうするべきだったのかわからなかった。
「奥様に大奥様とお会いすることを伝えたところ、着ていく服がないと心配していました」
「ないなら買えばいいだろう」
「どうやって?」
「服くらい調達できるだろう」
母に会う前に街で既製品でもドレスを買って着替えていけばいいのではないかと思ったのでその通りに伝える。すると再びため息をつかれた。
「奥様のクローゼットにはほとんど服がありませんでした。荷物を確認しましたが、支度金を持ってきている様子もなく、持参金はほぼないと考えられます」
「こちらから資金を送ってはいないが、相手も伯爵家だ。娘の結婚に資金を与えないで送り出すなんてことあるのか」
ドレスを持っていないと言っていたが、こちらですべて揃えるつもりなのかもしれないと勝手に判断しレイスは特に気にしていなかった。母と会うのに必要な服装を整えることは街でできる。
伯爵家が娘に金を持たせているだろうと思っていたのだが、リノアの調べでは彼女は無一文に等しい状態でここへやってきたようだった。
「王命による政略結婚だ。こういう場合、王家からも少ないが資金が出るということは聞いたことがある。それさえも持っていないはずがない」
家同士の政略結婚ならお互いの家でお金が動くが、レイスとソフィアの結婚は王命だったこともあり、王家から資金が配布される。そうすることでお互いに納得して結婚するようにという口止めのようなものでもあった。
辺境伯家にもそのうち資金提供されるはずなので、それはいつ起こるかわからない隣国との戦争の備えに使うつもりでいた。
そして、ソフィアのエリッド伯爵家にもお金が支払われているはずだった。
それを持ってきていないとなると、伯爵家がお金だけを受け取ってソフィアには何も持たせずに送り出したということになる。
「なんだか妙だな」
リノアと話をしていると、ソフィアは本当に何も持たずにここへ嫁いできたような気になる。エリオットも荷物が少ないことを指摘していた。
すぐに新しい服やアクセサリーを調達するだろうと勝手に思っていたのだが、ここは森の中にある屋敷だ。街に行って買い物をしなければいけないがそれほど遠いわけでもない。それなのに、ソフィアはそのそぶりを見せることがなかった。
「旦那様であるレイス様の許可が下りるのを待っているのかもしれません」
買い物に行きたいとレイスに許可をもらわなければ行ってはいけないと思っているのではないかとリノアは言ってくるが、それなら朝や夜に顔を合わせたときに言ってきているはずだ。言えないほど臆病な人には見えなかったし、王太子殿下にたいしてもこちらが驚くようなことを伝えていた。
エリオットに伯爵家のことを調べさせているが、まだ時間がかかるだろう。
それならレイスが直接ソフィアと話をしなければいけないような気がした。
「それからもう一つあります」
森の精霊のことは気になるが、ソフィアとも時間を作らなければと考えていると、リノアがさらに話を進めてきた。
「屋敷にいる残りのメイドですが、レイス様が奥様のことを蔑ろにしているので、メイドたちも影響を受けているようです」
「別に蔑ろにしたつもりはないぞ」
森の精霊のほうが今は重要なので一緒にいる時間がないだけだ。軽い会話で終わらせてしまっているが、彼女を虐げようとは思っていなかった。しかし、周りはそう思っていないようだった。
リノアがため息をついた。レイスのやっていることを否定しているような気がする。
「嫁いで来て早々、レイス様は森にばかり出かけていて、奥様は屋敷で留守番。一緒にいる時間もほとんどなく、政略結婚ということでお互いに支えあうような行動もない。奥様はただの居候のような立場に見えてしまうのでしょうね。メイドたちの態度に気になる点が見られました」
大きくソフィアに何かを仕掛けてくるような愚かなことはしていないようだが、リノアはメイドたちがソフィアに対していい感情を持っていないことを察知していた。
「そうか、それならメイドたちの行動も今度目を光らせておいてくれ。屋敷内のことは女主人である彼女が動くかもしれない」
今はまだ屋敷内のことを勉強している段階ではあるが、ソフィアも辺境伯家の女主人となったのだから、使用人たちの態度に対して相応の対処をするのではないかと思った。
「ですが、まだ卒業したばかりでいきなり嫁いできた方です。使用人たちに対応できるかどうか」
「そこはリノアがサポートしてやってくれ。エリオットも動くはずだ」
いろいろ疑問点はあるが、話はここまでにしてレイスは食堂に向かうことにした。
着替えを済ませたらすぐに向かうつもりでいたのでソフィアが待っている可能性があった。
予想した通り、ソフィアは先に食堂でレイスが来るのを待っていた。
食事に手を付けることもなく、静かに待っている姿はさすがに貴族令嬢としてのマナーを叩き込まれてきたことがわかる。
「旦那様にお願いがあります」
席に座って食事を始めて間もなく、ソフィアが頼みごとを言ってきた。
先ほどのリノアとの会話を思い出したレイスは、母親に会うためのドレスが欲しいと言われると思った。
金銭面に問題はないので了承するつもりで先を促すと、ソフィアは予想していなかった言葉をレイスに言ってきた。
「森に入る許可が欲しいのです」
「森に?」
辺境伯家に嫁いできて、今日一日でいろいろと勉強したようだが、森に関しては辺境伯の領域だ。許可なく森に入ることは危険であり、たとえ妻だとしても簡単に許可される場所ではなかった。
そこに入りたいと言い出して驚くしかない。
「それはできない。森に囲われた屋敷ではあるが、森に入ることは許されていない。勝手に入れば森の精霊の怒りを買うことになる」
「ですから、旦那様の許可を得て、森の精霊の怒りを買わないようにしたいのです」
もしかしたら興味本位で森の中を見てみたいと思っているのかもしれない。だが、安請け合いしていい場所ではないことをレイスは知っている。
「駄目だ。森についてまだ勉強不足のようだが、精霊の怒りを買ったらここには住めなくなるぞ」
屋敷は精霊の許可を得て人間の領域としてもらっている。とはいえ、精霊の不興を買った者が屋敷にいたら、森の怒りが屋敷全体に向く可能性があった。好奇心だけで動いて屋敷全体を危険にさらすわけにはいかなかった。
「森や精霊を害するようなことをするつもりはありません。少し様子を見てみたいと思っただけです」
見るだけなら問題なのではないかとソフィアは簡単に考えて発言しているように思えた。
その甘さがリスクになる可能性があるのだ。
「君の好奇心が強いことはわかったが、そんな軽々しく許可できる場所ではない。ここに住み続けるのなら、余計なことはしないことだ」
強い言い方になってしまったが、これくらい言わなければソフィアが納得しないと思った。
彼女はしばらくレイスをじっと見つめてから、小さく息をついて話を切り上げた。
完全な納得はできていないが、レイスの許可がない以上下手な行動はできないと引き下がったのだろう。
食事を再開したソフィアはそのあと森について何も言うことなく食事を終えることになった。
レイスもこれ以上は何もないと思い、食事を終えるとすぐに自室に戻ることになった。
今のソフィアの境遇について、探りを入れることもなく、彼女とちゃんと話をしなかったことに気が付くのは、部屋に戻ってしばらくたってからになる。
後悔しつつ、またリノアにため息をつかれそうな気がして、その日の夜は気が重いまま眠りにつくことになるのだった。




