いじめの始まり
窓の外を見つめても森の中に建っている屋敷は木々が生い茂った光景しかなかった。
手入れされた庭に面していないと他に見えるものが何もない。
ただ、ソフィアは景色を楽しむために外を眺めていたわけではなかった。
「森の中に入らないと、何もわからないわね。レラとワッカはここから何かわかることはあるの?」
『森は森の精霊の領域だよ。あたしたちは部外者だから勝手なことはできないの』
『好き勝手したら、森の精霊に怒られちゃう。ぼくたちでも、他の精霊の領域では圧倒的不利になるからね』
風と水の精霊は圧倒的な力を持っている。普通であれば他の限定的な空間に棲んでいる精霊よりも遥かに強い。しかし、その限定的な空間の中では、たとえレラやワッカでも森の精霊の領域内では力を抑え込まれ、逆に森の精霊の方が力が強くなってしまうという。許可を得ず勝手なことをすれば手痛い思いをするのはこちらということになるのだ。
森の中を調べたいと思って精霊たちの力を借りると、侵入者として判断されてしまう可能性もあった。
『ソフィアが直接森に入って、森の精霊と話をしないと駄目だよ』
『ぼくたちも一緒に行くことはできるけれど、何もできないと思ってほしい』
攻撃をされたら助けるつもりでいるようだが、話しをするだけなら精霊たちは側にいることしかできなかった。
「わかったわ。まずは森の中に入る許可をもらいましょう」
窓の外をこう一度見ても、何も変わりない森がそこにあるだけだった。
『精霊に会ってどうするの?』
何気なく外を眺めているとレラがテーブルの上に降りてきてソフィアを見上げた。
手のひらサイズの精霊が首を傾げて上目遣いに尋ねてくると可愛いとしか言いようがない。
「そうね。まずは、代々の辺境伯家の当主と契約していたはずなのに、どうして今回の辺境伯とは契約をしていないのか聞かなければいけないわ」
契約できず困っているからこそソフィアが嫁いできたのだ。
「もう一度契約できれば問題ないけれど、できないのならその理由を聞いて解決しないといけないわ」
どんな理由があるのかソフィアには何もわからなかった。森の精霊がレイスを選ばないのはなぜなのか。精霊に理由があるのか、それともレイスに問題があるのか、直接森の精霊に会って話を聞かなければいけない。
レイス自身はその理由がわからず契約できないことを王太子に報告していたから、精霊と契約しているソフィアを適任者として送り込まれた。
『解決できたら、ソフィアはここを離れられるね』
今度はワッカがテーブルに降りてきた。
「え?」
『だって、辺境伯と森の精霊が契約すればソフィアがここに居る理由がなくなるだろう。そうなれば王都に戻れることになる』
「まぁ、確かにそうだけれど・・・」
王都に戻ったところでソフィアに居場所はない。生まれ育った伯爵邸は叔父家族に奪われ、帰る場所などないのだ。
「王都に戻ってもいいけれど、ほかの領地に行ってみるのもいいかもしれないわ」
ソフィアには居場所がない。その居場所をほかの場所で見つけることも考えていいのかもしれない。
両親と過ごした王都の屋敷や領地には思い出が詰まっているが、もう帰る場所ではない。
寂しい気持ちはあるが、前を向かなければいけなかった。
「失礼します」
考え事をしていると部屋にメイドが入ってきた。
薄紫の髪色に青い瞳のメイドはサリーだった。
少し緊張気味に部屋に入ってきた彼女は、お茶のセットをカートに乗せてやってきた。
ソフィアが部屋にいることを知ってお茶の用意をしてくれたようだ。
静かにお茶の用意を始めたので、ソフィアは気にすることなく窓の外を眺めることにした。
精霊たちは邪魔にならないようにテーブルから浮き上がるとソフィアの頭上をふわふわと漂い始める。
小さな音を立ててティーカップが目の前に置かれた。
そのカップを見たソフィアは小さく首を傾げた。
今は夏の終わりとはいえまだ日中は暑い日もあるような時期だ。それなのに、カップから湯気が立ち上っていたのだ。
「この領地では暑い日も、温かい飲み物を飲む習慣があるのかしら」
疑問に思ってサリーに質問してみると、彼女は何も言わずに部屋を出て行ってしまった。
『何あれ、無視するの?』
『変なメイド』
レラとワッカが出て行ったメイドに向かって悪態をつく。
「・・・とりあえず飲んでみる?」
ソフィアは自分に疑問を投げかけてからカップを持った。
『待って』
ワッカがカップのふちに顔をのぞかせるようにくっ付くと、紅茶をじっと見つめ始めた。
『毒は入ってないね。ただの熱い紅茶だよ』
水の精霊であるワッカならお茶の中身を調べることは簡単だった。
夏に熱い紅茶を出して無言で立ち去ったことを警戒して調べてくれたのだ。
毒が入っていないことは安心していいのだろうが、やはり熱い紅茶であることは間違いなかった。
「どういう心境なのか謎すぎるけど、とりあえず飲んでみましょう」
サリーが何を思って用意したのかわからなかったが、安全性は確保できたので飲んでみることにした。
「・・・熱いわね」
ただの熱い紅茶だった。
「これって嫌がらせなのかしら?」
それにしても微妙な気がする。
「明らかに熱いお茶だとわかる物を置いていくだけってどうなの?」
冷たいお茶でも、苦くて飲めないようなものを用意するとか、見た目はお茶でも飲んでみたら、飲み物なのかと思うような物だったとか、もっとやりようがあった気がしたのだ。
「冷めちゃえば、普通の紅茶なのよね」
『冷たくする?』
ワッカが楽しそうにカップに手を添えてきた。
水の精霊に頼めば、簡単なことだった。
「お願いするわ」
やる気を出しているので頼むことにした。するとすぐに温度が下がって飲めるようになった。
「それにしても、どうして嫌がらせなんて始めたのかしら?」
紅茶を飲みながらソフィアはそんなことを考えていた。
ソフィアが嫁いできてまだ1日。特にメイドたちと対立するようなことは起こしていなかった。
着る服が貴族夫人としてはふさわしくないものであって、リノアが専属メイドとして仕事ができていないというのはあった。それ以外は問題があったようには思えなかった。
「メイドじゃないとしたら、まさか旦那様?」
レイスとは昨日初めて顔を合わせた。少し会話はしたけれど、特にお互いにいがみ合うようなことはなかったし、メイドに嫌がらせを指示するような何かがあったとは思えなかった。
『ソフィアは何も悪いことしてないよ』
紅茶の温度に満足していたワッカがテーブルから浮き上がってソフィアの目の前に浮かんだ。
精霊たちもずっとそばにいてくれたが、彼らから見てソフィアに非があるようなことは何もなかったと証言してくれた。ただ、人間と精霊では感覚が違うので、すべてを鵜呑みにしてはいけない。
『嫁姑問題とか。ソフィアが読んでいた本にそんなのあったわよ』
「・・・よく覚えているわね」
頭上を飛んでいたレラが思い出したように言ってきた。
それは、ソフィアが学生時代に読んだことのある小説だった。恋愛小説で友達のユーリルに勧められて読んだことがあったのだ。数冊借りていたのだが、その中に主人公の少女が政略結婚で嫁ぐことになったのだが、嫁いだ先で姑にいびられながらも懸命に認められようと奮闘する物語があった。嫁ぎ先の旦那様も最初は無関心であったが、健気に動く主人公に少しずつ心を開いていく。最後には姑にも認められて幸せな結婚生活を送る物語だった。
『ソフィアも政略結婚でしょ。旦那様という人はソフィアに関心がないように思えたよ。だから、姑もいじめるお約束』
「そんな約束はないから。それに、あれは小説の中のことよ」
『それじゃ、ソフィアはどうしていじめられるの?』
それを知りたくて考えていたのだが、レラまで首をかしげてしまった。
「私を気に入らない誰かの仕業としか言えないわね」
『ソフィアをいじめるやつ、全員水攻めにする?』
『あたしが切り刻んであげようか?』
精霊たちが物騒なことを言い出してきた。
「今はだめよ。まだ誰がどうしてこんなことをしているのかわからないし、お茶の温度が高いくらいで騒いでいるほうが不利になるわ」
ここは辺境伯家の屋敷だ。ソフィアは外から来た人間なのだから、ここにはまだ味方がいないといえた。そんな中で騒ぎを起こしても誰もソフィアを助けてくれる人はいないだろう。
行動を起こすにしてもいろいろと探りを入れなければいけないだろう。
「私には目的があるんだから、今はそっちが最優先よ」
いびられたところで実害がなければ放っておくことにする。ソフィアには森の精霊という目的がほかにあるのだから。
「とにかく、森の中に入るための許可をもらいましょう」
まずはそこからしなければいけない。レイスは今日も森へ入って行ってしまったので、帰ってきてから話をすることになる。おそらく夕方になるだろうから、それまでまだ時間があった。
「旦那様が帰ってくるまで時間があるし、辺境伯家のことを調べてみましょう」
辺境伯と森の精霊について詳しいことを知らずに嫁いできてしまった。屋敷の案内をされた中には図書室があったので、そこで辺境伯家のことを調べることができるはずだ。
「私は図書室に行ってくるわ。調べ物をするからしばらくかまってあげられないと思うし、あなたたちは遊んできていいわよ。森には行けないようだけど、屋敷内なら森の精霊も文句は言わないでしょう」
外に出て遊ぶのは森の精霊の怒りを買ってしまう可能性があったので、屋敷内で遊んでもらうことにした。ソフィアに付き合わせていたら精霊たちはきっと退屈してしまう。
『それならあたしたちは偵察に行ってくるわ』
『そうだ。偵察』
レラの提案にワッカも楽しそうに賛同している。
精霊たちは自分たちの意思で人間の目に見えたり見えなかったりすることができる。見えない状態であちこち屋敷の中を飛びまわって使用人たちを見てこようと思いついたようだった。それはソフィアにとってもありがたいことだった。
ソフィアが調べなくても精霊たちが見てきてくれるなら、図書室でゆっくり調べ物もできる。
「頼もうかしら」
そう言うと精霊たちは元気に飛び回ってから部屋の外へと勢いよく出て行った。
「私も動きましょう」
精霊たちを見送ったソフィアはそのまま部屋を出て図書室へと向かうのだった。




