勇者と魔王は逃避行をし旅を始める
その酒場は、まるで世界の果てにあるかのようだった。
ひび割れた看板、軋む扉、明かりはまばら。店の中は煙草の香と、煮豆の匂いが染みついている。辺境の町“ロカロ”にある『コヨーテ亭』。地元民ですら足を運ばない、隠れ家のような場所だった。
だからこそ、彼はここにいた。
木製の椅子に腰を下ろし、テーブルに頬杖をつく。男はどこにでもいそうな風貌だったが、ひと目で冒険者崩れと分かる。剣のタコ、泥まみれのマント、手入れされていないブーツ。
そして、その正体は——かつて“勇者”と呼ばれた男だった。
「……なんつーか、疲れたんだよな。人助けとか、魔物退治とか、戦争とかさ。俺には柄じゃなかったんだわ」
豆の煮込みを口に運びながら、ぽつりと呟く。
聞いている者などいない。酒場には数人の客がいるが、皆、黙ってグラスを傾けている。
勇者と呼ばれていた頃は、毎日が戦場だった。
民を守り、国に仕え、戦いに駆り出され、討伐、討伐、討伐。終わらない依頼と高まる声望。それでも、心の奥はずっと冷めていた。
「戦って、勝って……それで何になるんだか」
本当にやりたかったのはこれなのか。そんな考えが何度も頭に反芻していた。
だからある日、彼は突然すべてを放り出した。
何も言わず、剣も置いて、ふらりと城を立ち去った。ただ、静かな場所に行きたかったのだ。
その願いは、いま半分くらいは叶っていた。
「……っと、来客か」
扉がぎい、ときしむ音を立てて開いた。
入ってきたのは、黒いマントを着た長身の女だった。
フードで顔は見えづらいが、その背筋の真っ直ぐさと静かな威圧感は、ただ者ではなかった。
女はカウンターの端に座り、低い声で注文する。
「酒を……一杯。あと、塩辛いもの」
「へい」
店主がグラスを拭きながら応える。その間、女は小さく息を吐いた。
疲労の混じった、深い吐息だった。
「……はあ。なんで上の立場ってだけで、あんなに言われなきゃいけないのかしらね」
その呟きに、勇者の眉がぴくりと動いた。似たような境遇に少し親近感を覚えた。
「領地の管理から軍の統制、外交文書に反乱鎮圧、配下同士の喧嘩の仲裁……毎日寝る暇もないのよ。魔王って、いったい何の象徴なのかしら……」
そう語る女の言葉は、店中に届いていたが、誰も何も言わなかった。
それはある意味で、この酒場の流儀だった。誰の過去にも口を挟まない。
勇者は苦笑しながら、グラスを持ち上げる。
「……わかるわー……俺もさ、英雄扱いされて、毎日戦場に行かされて、討伐して、民の笑顔見て、それで満足できるかって思ったら、全然でさ。……俺って、そんな柄じゃないんだよね」
座った誰かが、ぴくりと肩を動かした。
その仕草に、勇者もちらりと視線を投げる。
「……うん。まじで、誰も知らない田舎で、誰も殺さずに豆煮込み食ってるほうが、百倍性に合ってるわ」
「……ふふっ」
低く笑いがこぼれた。魔王だった。
勇者も、気づけば笑っていた。互いに顔はまだ知らない。けれど、言葉の端々に、どこか妙な共感があった。
やがて、女性がグラスを空にして立ち上がる。
「ま、明日もどこかの田舎で隠れて生きるとしますか」
「俺も、気ままに歩こうかな。戦争とかもういいし」
二人はほぼ同時に席を立ち、それぞれの出口へと歩き出した——が。
ドンッ。
「うわっ!」
「きゃっ……!」
出口で不意に身体がぶつかり、女のフードがずるりと落ちた。
艶やかな黒髪がこぼれ、整った顔立ちが露わになる。
同時に、勇者の顔もはっきりと見え、沈黙が続く。
見つめ合う視線。数秒の間に、互いの過去がぶつかる。
「……魔王……?」
「……勇者……?」
勇者が頭をかく。
「マジかよ……」
勇者は半笑いで頭をかきながら、相手の姿をもう一度まじまじと見つめる。
「にしても……お前、魔王なのに思ったより普通なんだな。もっとこう、冷酷冷淡な性格だと思ってた」
魔王もやれやれとため息をつきながら、勇者を見返す。
「そっちこそ。『光の精霊に選ばれし聖剣の勇者』って肩書きのくせに、豆煮込み食べてる姿が庶民すぎてビックリしたわ。……というか、思ったより柔らかい顔してるのね」
「そっちは……戦場のときは、目が冷たかったからな。淡々と指揮をとって、笑ってたところなんて一度も見た記憶ねぇ」
「そういうあなたも、仲間を鼓舞し自らを省みず戦う姿に「勇者様!!」なんて呼ばれてるほどだったじゃない。戦場では本当にしぶとくて、いつも睨みつけてきて……まさか、豆に塩ふって食べる人だったなんてね」
二人は、互いの“記憶の中の姿”と、目の前の現実があまりに違いすぎて、しばし言葉を失った。
だが、それがどこか心地よくもあった。
それは同じような境遇からくる同情か。
この相手なら、同じ道を歩いても……それほど悪くはないかもしれないと思えた。
「……じゃ、行くわ」
「おう、元気でな」
二人は軽く手を挙げ、扉の方へと背を向ける。
だが、三歩も進まないうちに、二人は同時に立ち止まった。
「……なあ」
「……なに?」
また顔を向け合う。ほんのわずか、気恥ずかしそうに。
「お前、あてはあるのか?」
「ないわ」
即答だった。
「だよな……。人間の知り合いなんているわけないわな」
「……一緒に行くか?」
沈黙。
夜風が、からからと看板を鳴らす。
魔王はしばらく考えて、肩をすくめる。
「殺そうとした仲よ……まったく。でも、いいわよ。少しぐらいなら、ね」
そしてしばらく、二人は並んで歩きながら、無言のまま夜の小道を抜けた。
空を見上げると、月が雲間からひょっこり顔を出している。
そのとき、勇者がふと聞いた。
「で、これからどうするんだ?何かしたいことだったり」
魔王は少し考えたあと、首を横に振る。
「ないわ。今まで“どこに行くか”なんて考える余裕もなかったし」
「そっか……まあ、俺も似たようなもんだ。だから適当に旅しようかなって思ってる」
ふと、魔王が勇者の横顔をちらと見る。
「……あなた、本当に何も考えてないのね」
けれど、その無計画さが羨ましくもあった。
「いや、考えてるよ。今晩、どこで寝ようかとか、飯はどうしようかとか。俺にとっちゃ、それが今いちばん大事なんだよ」
「……意外と現実的なのね」
「そりゃそうだろ。勇者だからって飯が出てくるわけじゃないし、魔王だからって何でもできる訳じゃない」
魔王は鼻で笑った。
「ふふ……まったく、変な時代ね」
「変でいいさ。変じゃなきゃ、たぶん、こうして二人で歩いてなんていられない」
魔王は言葉を返さず、けれど笑みだけはこぼしていた。
魔王は空を見上げて、そっと目を細めた。
「……私、ずっと“魔王としての自分”しか知らなかった。役割と責務と統治の塊。それをやめて初めて、ちょっとだけ、自分が“人間っぽく”なれた気がする」
「同感だな。俺も、勇者って呼ばれてたけど、結局誰かの駒だった。今のほうが、よっぽど自由だ」
「……じゃあ、しばらく一緒に“人っぽい”逃避行をしましょうか」
「いいね、それ」
二人の足音が、砂利道にぽつぽつと響く。
世界を救った男と、世界を支配していた女。
いま、その肩書きはもう意味を持たない。
ただ、名前も役割も脱ぎ捨てた、”ただの二人の旅人”としての旅が始まる。
なんかいいなって感じの勇者と魔王のお話です。
勇者と魔王の出会い方や設定は思いついたので、何となく興味本位でChat GPT使ってみました。