罰として醜い辺境伯との婚約を命じられましたが、むしろ望むところです! ~私が聖女と同じ力があるからと復縁を迫っても、もう遅い~
「はぁー、またエリスが婚約破棄されたのかっ」
アークウェル公爵が屋敷の居間で深々とため息をつく。娘が問題を起こし、婚約破棄を突きつけられるのはこれで三度目だからだ。
エリスは紅茶を飲みながら、のんびりと父を見つめる。
「ため息ばかり吐いていると、幸せが逃げますよ」
「誰のせいだと思っている!」
父が声を荒げると、エリスはわざとらしく首を傾げる。
「私は悪くないですよ。だって魔道具が勝手に壊れたんですから」
「普通、魔道具が触れただけで爆発するものか!」
父は机をドンと叩いて力説するが、エリスはまったく動じない。
「それがするんですよ、なぜか。世の中には不思議なことがあるものです」
「不思議なことなどあるか! 三度も同じような騒動を起こしておいて……お前には反省というものがないのか!」
「反省はしていますよ。ただ、私が触れると爆発する魔道具側にも問題があるのでは? 製作者に問い合わせてみたほうがよろしいかと」
エリスはそう言うと、再び紅茶を口に運んで微笑む。
父はそれを見て、さらに深いため息を吐くしかなかった。
「まったく……これでまた縁談を探さなくてはならん」
「お父様のことですし、どうせ別の男性を既に用意しているのでしょう?」
「……なぜそう思う?」
「公爵令嬢は縁談によって貢献するのが仕事ですから。私が役目を放り出すのを許すほど、甘い人でもないでしょうから」
「……まったく。お前は頭が良いのか悪いのか分からんな」
「お父様にそっくりだと褒められますから。自ずと答えが出るのでは?」
エリスが小悪魔のように笑うと、父はますます疲れた様子でこめかみを揉む。
「馬鹿だと認めれば、私自身のクビを締めることになる。その言い回しには才気を感じるのだがな……」
父がぼやいていると、部屋の扉が軽く叩かれ、執事が入ってくる。
「旦那様、お嬢様。次の縁談が決まりました」
「読み通りでしたね」
的中したと嬉しそうに口にするエリス。対称的に父は苛立ちを強くする。
「お前は反省という言葉を知らんのか?」
「私は故意に魔道具を壊したわけではありません。反省する理由がありませんから」
「まあいい。話しても水掛け論になるだけだ……それで相手は誰だ?」
「帝国の将軍であり、シュトラール辺境伯の領主でもあるクラウス閣下です」
執事が淡々と告げると、父の顔が引きつる。
「よりにもよって、あの『鬼将軍』か……」
「怖そうな二つ名ですね」
「実際、恐ろしい男だぞ。先の戦争では一人で一万の敵を撃退した」
「それはまた、随分と盛られましたね」
「いや、本当にやったらしい。歴代の将軍の中でも特に偉大な英雄と呼ばれている」
「それは凄い。ですが、どうしてそんな人との縁談が私に?」
わざわざ三回も婚約破棄された令嬢を選ばなくても、相手には困らないだろう。だが父は眉間に皺を寄せる。
「その、なんだ……顔に問題があってな……」
「強面なのですか?」
「鬼のように無骨で、一言でいうとブサイクだそうだ。子供なら見ただけで泣き叫ぶほどにな」
「そうですか……」
エリスの表情に変化はない。紅茶を美味しそうに飲む姿は、いつも通りだ。しばらく静かな時間が流れると、彼女はカップをそっとテーブルに置いた。
「でもまぁ、エリスへの罰にはちょうどいいか」
「私には罰にならないと思いますけどね」
エリスが平然と答えると、父はますます顔をしかめる、
「お前は昔から人の外見は気にしないものな」
「孔雀じゃあるまいし。醜くとも優しければよいのです。具体的には私が魔道具を壊しても、微笑んで許してくれるような殿方を期待しております」
「そんな男がいると思うのか?」
「期待くらいは自由でしょう? お父様は悲観的すぎるんです」
「お前が楽観的すぎるんだ……」
「それはそうでしょうね。でなければ、三度も婚約破棄されて、こんなに前向きなはずがありませんから」
「説得力があるようでないような……その妙なポジティブさは誰に似たのだろうな……」
「お父様でないことだけは確かでしょうね」
エリスは嬉しそうに返すと、再び紅茶を口に含む。そして本題を切り出す。
「それで、いつ私は出発するのです?」
「明後日だ」
「随分と急ですね。私にも心の準備というものがあるのですが」
「時間を与えると、屋敷の魔道具を壊されるかねんからな」
「ひどい言い草ですね。でも、まあいいでしょう。準備を始めます。可愛いドレスも用意しなくては……」
「今度こそ、嫁ぎ先に迷惑をかけるなよ」
「ご安心を。二度あることは三度あっても、四度目は起こらないものですから」
「不安しかないが……期待だけはしておこう」
公爵は再び深い深いため息を吐きながら、椅子にもたれかかるのだった。
●●●
クラウス・シュトラール辺境伯は、滅多に動じない男だ。
帝国軍の将軍であり、幾度もの戦場を駆け抜けてきた武人。その名を聞けば、辺境の蛮族は震え上がる。
しかし、今の彼はいつもの凛々しさがない。屋敷の広間で椅子に腰掛けながら、手に持ったカップを震わせている。
「……緊張しているのか、私は」
誰にともなくつぶやくと、正面に控える老執事が微かに口元を緩める。
「無理もございません、閣下。今日という日は、人生において最も重要な転機となりますでしょうから」
クラウスの視線の先には、壮麗な屋敷の内装が広がっている。
高い天井には豪奢なシャンデリア。赤絨毯の敷かれた大理石の床。辺境伯の屋敷とは思えない、帝都の公爵邸に引けを取らない規模と格式がそこにはあった。
「将軍職のおかげで私は帝国でも五本の指に入る資産家だ。だが、ここまで大きく広い屋敷に、たった一人で住んでいてもな」
皮肉のように笑いながら、クラウスは顔を伏せる。家族が欲しい。そんな彼の願いがようやく叶う日が来たのだ。嬉しさを我慢できずにいた。
「……今度来る花嫁は、私の顔について知っているのだな?」
「はい、閣下。間違いなく、ご存知です」
「それでもいいと?」
「とのことです」
老執事は淡々と、しかしどこか誇らしげに答えた。
「この顔だぞ。本当にいいんだな?」
クラウスは自らの頬に手を添えて、鏡を見据える。頬骨は張り出し、眉は太く、鼻は鋭角だ。常人が見れば鬼と間違えそうな風貌だ。
「……あまり顔を気にしないタイプのようです」
「そんな令嬢がいるのか?」
クラウスは目を細めて天井を仰ぎ見る。
かつて彼が社交場に出た時、そこで舞っていた蝶たちは、金と名誉と美貌を求める者たちばかりだった。
その内の何人かがクラウスに言い寄ってきたことはある。しかし時間の経過と共に、容姿の醜さに耐えられなくなり、そのすべてが離れていった。
「皮肉なものだな。金も名誉も手にしたというのに、手を取ってくれる相手は誰一人いないとは……」
「きっと今度のご令嬢は違いますよ」
「だといいがな」
そのとき、遠くから馬車の車輪の音が響く。それを耳にしたクラウスは勢いよく立ち上がった。
「……来たか」
執事が一礼し、慣れた動作で扉の方へと向かう。クラウスは自らの軍靴の先を見つめ、一つ深く息を吸う。
(落ち着け……私は戦場でも怯えなかった男だ。令嬢一人に動揺してどうする)
扉が音もなく開く。
赤い絨毯の先、日差しの中に立つのは、一人の少女だ。
「ようこそ。私はクラウス・シュトラール辺境伯だ」
クラウスは胸に手を当て、深く頭を下げる。その動きには軍人らしい礼節が滲んでいた。
「はじめまして。アークウェル公爵家のエリスです」
声は澄んでいて、どこか小鳥のさえずりのように軽やかだ。
クラウスが顔を上げると、そこにいたのは漆黒の髪を後ろでまとめた美しい少女で、白い肌にくっきりとした睫毛。目元は柔らかく、唇には品のよい微笑を湛えていた。
(美しいと……思ってしまった)
クラウスは自分と同じ醜い容姿の令嬢が嫁いでくるのだろうと予想していた。
だが現実は違った。エリスの容姿は整っており、公爵令嬢に相応しい品格を漂わせている。
(いや、真に驚くべきは……)
何より彼が動揺したのは、エリスの表情だ。
クラウスの顔を見て、眉一つ動かさない。怯えも驚きもまるでなかった。
「……その、私の顔を嫌悪しないのか?」
「初対面の相手にそんな失礼なことしませんよ」
「そ、そうか……」
「それに顔なんて、目と鼻と口がついていれば十分です。場所が多少違っていても、機能に支障がなければ問題ありませんから」
「機能?」
クラウスは思わず聞き返す。
「ええ。見る、嗅ぐ、食べる、話す。それができれば、人としては完璧です」
「いやいや、普通は……もっとこう……形とか、整いとか……」
「私から言わせれば、そんなのどうでもいいです。人柄の方が、ずっと大事でしょう?」
エリスの瞳はまっすぐだ。曇りなく、屈託もない。クラウスは思わず後ずさりそうになるが、なんとか踏みとどまる。
「……それに、あなたの顔は整ってますよ?」
「……は?」
「目元とか凛々しいですし、鼻も高いです。口元は少し固そうですけど、そこがまた誠実さを感じます」
「そんなはずはない。私の顔は認識阻害の魔術のせいで……」
「阻害?」
クラウスは顔を伏せるようにして、ぽつりと疑問に答える。
「私は剣技が得意だが、魔術の扱いは不得手でな……認識阻害の魔術が意識せずに発動し、見る者すべてに『鬼の形相』のような容姿だと思わせるのだ」
「なるほど……」
エリスは顎に手を当てて考え込むと、一つの結論を下す。
「つまり、私はその魔術の影響を受けない……ってことですね」
クラウスは唖然と彼女を見る。
「……平然と受け入れるのだな?」
「いえ、まぁ、魔術ってそういうこともありますよね」
「君が初めてなんだが……」
呟きがぽろりと零れると、エリスはそんな彼をじっと見つめて、ふわりと微笑む。
「とにかく、私の目にはあなたが美しい青年に見えています。黄金を溶かしたような金髪と、澄み切った青い瞳。確かに表情は固いけど、それはきっと緊張しているからでしょう?」
「緊張……いや、これはその、だな……」
「容姿を褒められ慣れていないからですね。納得です」
「まぁ、そうだな……初めての経験だ……」
「自信を持ってください。顔に興味のない私が『美しい』と思うのですから、きっと他の人も同じように思うはずです。胸を張ればよいのです」
「あ、ああ……」
エリスの言葉に、クラウスは照れくさそうに頷く。まるで氷が少しずつ溶けていくように、肩の力が抜けていく。
「改めて、ようこそ、エリス。この屋敷を我が家だと思って過ごして欲しい。君の望みも、なんでも叶えるつもりだ」
「なんでもですか?」
エリスは目を輝かせて身を乗り出す。クラウスはその勢いに一歩たじろぎながらも、真剣な眼差しで答えた。
「あ、ああ。君が望むことなら……」
「では、魔道具を壊しても婚約破棄はしないでください」
ほんの一瞬、クラウスは目を見開いたが、すぐにふっと笑った。エリスもくすくすと笑い、その場の空気が柔らかくほどけていく。
二人はまだ出会ったばかりだが、心のどこかで、妙に自然な温かさが芽生え始めていた。
●●●
新婚生活は、意外なほど平穏だった。
エリスは広すぎるほどの屋敷に少し面食らったが、使用人たちは皆丁寧で、クラウスも仕事が忙しい割にはこまめに様子を見に来てくれる。
そして何より、食事が驚くほど豪華だった。毎晩の食卓には帝国各地の高級食材が並び、目にも舌にも楽しい。最初の数日はナイフとフォークを持つ手が震えたほどだ。
「辺境って、もっとこう、干し肉とか黒パンばかりだと思っていました」
エリスがフォークで仔牛のローストを突きながら感心すると、クラウスは苦笑する。
「私の肩書きは辺境伯だが、将軍でもあるからな。軍事予算の一部は食事にも反映される」
「なんとも贅沢ですね」
「兵士の士気を高めるためにも食は大事だからな」
「その理屈、好きな考え方です」
さらに驚きは他にもあった。
屋敷の中には、生活を支えるための魔道具が数多く設置されており、暖房や調理器具、照明に水回りまで、すべてが魔力で動いていたのだ。
「やっぱり触れても、壊れないですね」
ある日、キッチンで、自動で動く杓子を眺めながら、エリスは腕を組んで唸る。クラウスがその様子を怪訝な目で見つめていた。
「普通、壊れないと思うのだが……」
「前の屋敷ではこれに似た道具を三つ破壊しました。でもこれは壊れませんから。私が悪いのではなく、きっと道具側の問題だったんです」
クラウスは黙りこむ。なんとなく、反論しないほうが平和に思えたからだ。
そんな時、屋敷の門前から金属の車輪が石畳を叩く音が届く。クラウスが眉を上げると、すぐに使用人が姿を見せて報告する。
「閣下、部下の方が到着いたしました。庭へお通しします」
「エリスも見に来るか?」
「私をご紹介いただけるのですか?」
「素晴らしい婚約者だと、自慢するつもりだ」
二人は屋敷の裏庭へと向かう。
庭ではすでに一台の馬車が止まっており、その脇に立つのは、クラウスの副官である若い騎士だ。
栗色の髪をきちんと結い上げたその青年は、クラウスを見るとすぐに背筋を伸ばして敬礼する。そして、横目でちらりとエリスを見た瞬間、目を丸くして口を開いた。
「こちらの方が閣下の奥様でしょうか?」
クラウスは頷き、薄く笑った。
「まだ婚約の状態だが、いずれそうなる予定だ。美しいだろう?」
「は、はい。とても……その、美人だと思います!」
副官はやや顔を赤らめて答える。
「内面もユニークでな。毎日が予測不能だ」
「それは楽しそうで何よりです」
副官は戸惑いながらも、どこか羨ましそうな目でエリスを見る。彼女はそんな様子に気づいてか、にこりと微笑んだ。
「はじめまして。エリスと申します。クラウス様がお世話になっております」
「い、いえ、こちらこそ閣下には助けられてばかりで……」
副官は慌てて深々と頭を下げる。その姿にクラウスは苦笑を漏らし、話題を戻すように声をかけた。
「で、例の品は?」
「はい。こちらに」
馬車の後部へ副官が回ると、荷台から大きな木箱を引き出す。
クラウスは興味深そうに目を細める。
「これが新型の武器か……」
「商人から入手したもので、魔力を弾に変えて発射できるそうです」
「物理的な弾丸は不要なのか?」
「はい、しかも魔術適性のある兵なら誰でも使えるとのことです」
騎士が箱を開けると、中からは黒い銃が現れる。銃口の先端には魔石が埋め込まれ、どこか異国の技術を感じさせる装飾が施されていた。
「見た目は悪くないな」
「ですが、実際には……その、あまり役に立たず……」
「というと?」
副官はばつの悪そうな顔で答える。
「引き金を引くと、赤い魔力の弾丸が銃口から放たれるのですが……子供が歩くくらいの弾速しかでません。正直、あんなもの誰でも避けられます」
クラウスは苦笑する。魔力に色まで付いているのだから、見て躱すのは造作もない。
「命中すればどうだ?」
「それなりに威力はあります。薄い壁くらいなら貫通しますし、攻城戦には向いているかもしれません」
「ふむ、とはいえ費用対効果が良いとは言えないな……」
「攻城戦用の兵器はもっと安価で確実なものがたくさんありますからね」
副官が肩をすくめると、エリスがぱっと手を挙げた。
「私も触ってみてもいいですか?」
副官は一瞬、戸惑った表情を浮かべる。
「えっと……その……この魔道具は危険ですよ」
「私、こう見えて、未知には挑戦するタイプなので。危険を恐れないのが長所なんです」
「そ、そうですか……」
副官の苦笑いに、エリスは笑みを返す。そして銃へ近づき、その一つを手に取る。
「クラウス様、試しても構いませんよね?」
「……怪我をしそうになったら止めるからな」
「ふふ、クラウス様は過保護ですね」
クラウスが苦笑混じりに頷くと、エリスは銃を手に取り、庭に設置された訓練用の標的へ銃口を向ける。
「いきますよー……えいっ!」
エリスは引き金を引くが、不発に終わる。何も起こらず、銃は沈黙したまま。赤い魔力の玉も、音も、何一つ生じない。
「もしかして故障でしょうか?」
エリスが小首を傾げる。副官が慌てて近づいて銃を確認するが、特に破損は見られなかった。
「うーん、外からだと分かりませんね」
「まあ、別に構わんさ。どうせ役立たずの武器だったからな」
クラウスが肩をすくめる。そのときだ。
訓練用の標的が突如として爆発したのだ。三人は目を見開く。
「な、なにが起きたのだ!」
クラウスが驚いていると、副官が真っ先に反応する。
「先ほど、確かに銃弾の姿は見えませんでした……」
「なのに爆発した。なぜだ?」
その答えは誰も持っていない。一同は煙の向こう、破片と化した標的の残骸が地面に散った様子をジッと眺める。
「……あの、もう一度触ってもいいですか?」
「だが危険かもしれないぞ」
「でも試さずにはいられませんから」
エリスは恐れる様子もなく、目をキラキラと輝かせる。クラウスはその圧に押し切られ、エリスに許可を与える。
彼女は慎重に構え、銃口を次の標的に向けた。
「えいっ!」
沈黙が広がり、銃はまったく反応しない。
「やっぱり弾は出ませんね……」
「いや、どうやら発射されているようだ」
クラウスがそう呟くと、次の標的も爆風とともに破裂する。この結果を作り出したのが、彼女の手に握られた銃なのは間違いなかった。
「これは、さすがに偶然ではありませんね」
「ああ、エリスの放った銃弾によるものだ」
副官が唸るように口にすると、クラウスは同意する。その様子にエリスは首を傾げた。
「もしかしてクラウス様は何か分かったのでは?」
「仮説ではあるがな。聞きたいか?」
「是非!」
「君は私の認識阻害の魔術を無効化しただろう。同じように銃に備わっていた魔力の可視化機能だけを無効化したとしたら……」
「なるほど、不可視の弾丸になっていたから、突然、爆発したように見えたのですね」
そう結論を下すクラウスに対し、副官が呆然とした表情で二人を見る。
「ですが閣下、そんな便利な魔術、聞いたことがありません」
「私もだ。しかし現に起きている。エリスは特別な才能の持ち主だったんだ」
クラウスは青い瞳をエリスに向ける。その視線は彼女を照れさせるが、どこか誇らしげな笑みが浮かんでいる。
「閣下、もしこの力を知られたら……」
「悪人に狙われるかもしれんな……だがそうなっても私が守り抜いてみせる。なにせエリスは私にとって、かけがえのない婚約者だからな」
その言葉は、鋼のように頼もしく、どこか温かかい。エリスは小さく頷きながら、そっとクラウスの袖を握るのだった。
●●●
その頃、エリスの元婚約者であるギルベルト伯爵の屋敷では、かつて彼女が壊したとされる宝玉の魔道具を前に、大騒ぎが巻き起こっていた。
「おかしい……壊れたはずの魔道具が、また光りはじめている……」
ギルベルトの直属の部下である老魔術師が眉をひそめて宝玉を凝視している。淡い青色の光が脈打つように、ほんのりと明滅していた。
「この魔道具は確かエリスが壊したやつだよな?」
「はい、魔力を蓄積できる貴重な品です」
「本当は壊れてなかったのか?」
「いえ、たしかに、あのときは反応がありませんでした」
魔力を貯めようとしても光が消えたまま。家宝とも呼べる魔道具を失ったと、絶望したのは記憶に新しい。
「だが今は光っているぞ?」
「はい。ただ私は魔力を供給していません。自然界の魔素を自動で吸収して、魔力を蓄積しているのです」
ギルベルトが喉を鳴らす。宝玉の変化とエリスの特異体質が頭の中で結びついたからだ。
「エリスは魔道具を壊すだけのトラブルメーカーだと思っていたが……」
「魔道具を進化、もしくは変質させる才能の持ち主なのかもしれません」
「だがそんな能力聞いたことがないぞ……」
「私は一つだけ心当たりがあります」
「本当か?」
「はい、これは千年前に王国を救った聖女様と同じ術式なのかもしれません」
「あの聖女様と同じだと!」
ギルベルトは驚きで目を見開くと、老魔術師は冷静に話を続ける。
「伝承によれば、建国の母でもある聖女は、あらゆる魔術を受け付けず、加えて味方の魔術や魔道具を進化させたといいます」
「そんな才能が、あのポンコツに……」
ギルベルトがぶつぶつと呟きながら、じわじわと頬を引きつらせる。やがてにんまりとした笑みに変わっていく。
「もし、もしだ! あいつが本当に聖女の力を持っているなら……」
「チャンスです!」
「だよな」
「もし聖女の力が手に入るなら、その価値は計り知れません」
魔道具の機能を変える能力だけでも、旧型の魔道具を新作として売ることができる。領地に大きな富をもたらすのは明白だった。
「で、あいつはいまどこにいるんだ?」
「風の噂では、クラウス将軍の元に嫁いだとか……」
「あのブサイクにか!」
ギルベルトは両手を振り上げ、天井を仰ぐ。
「神はまだ俺を見放していないようだな……相手がクラウスならチャンスはある」
「醜いと評判ですからね」
「あの男との婚約はエリスにとっても不本意なはずだ。俺が寄りを戻してやると提案すれば、すぐにでも同意するだろう」
エリスが便利な道具だと分かった今、放っておく理由はない。ギルベルトは自分勝手な結論を下すと、さっそくシュトラール辺境領へと向かうのだった。
●●●
その日、クラウスの屋敷は、異様な空気に包まれていた。使用人たちが慌ただしく走り回り、門番は目を見開いている。
「なんだ、あの行列は……?」
豪華な馬車が門の前に止まり、色鮮やかな旗を掲げた従者たちがぴしっと並んでいる。馬車の扉が開くと、ひときわ目立つ男が悠然と降り立つ。
「まさか……」
門番は目をこすったが、現実は変わらない。現れたのはギルベルト伯爵だった。艶のある髪を自信満々にかき上げながら、彼は門番に笑みを向ける。
「エリスを迎えにきてやったぞ!」
門番があっけにとられている間に、ギルベルトはズカズカと門をくぐり抜け、まっすぐ玄関へ向かって歩き始める。
「ちょ、ちょっとお待ちください!」
「待たぬ!」
「訪問のご予定は?」
「いいから通せ! 俺を止められると思うなよ!」
門番が必死に止めようとするが、ギルベルトは全く耳を貸さず、堂々とした態度で進み続ける。
その騒ぎに気づいた執事が慌てて玄関を開けると、すでにエリスとクラウスが待ち構えていた。
「久しぶりだな、ギルベルト伯爵」
クラウスが腕を組み、冷ややかな目で見下ろす。ギルベルトも負けまいと睨み返した。
「二人は知り合いなのですか?」
「軍学校の同期だ。仲は最悪だったが……」
「俺がブサイクだと陰口を叩いたことをまだ根に持っているのか?」
「恨みはしない。だが好きにもならんだろう……それで、私になんの用だ?」
まさか旧交を温めに来たというわけでもないはずだ。クラウスの疑問に、ギルベルトは鼻を高くして答える。
「貴様に用はない。俺はエリスに会いに来たのだ!」
「私にですか?」
「俺が寄りを戻してやろうと思ってな。どうだ? 嬉しいだろ?」
「嫌ですけど」
エリスの即答に、ギルベルトの顔がピクリと引きつる。
「お、俺との婚約を拒否するのか?」
「最初に拒絶したのはギルベルト様では?」
「そ、それはそうだが……」
ギルベルトは言葉に詰まり、目を泳がせる。そして、ふいに思い出したように口を開く。
「本当はエリスを愛していたと気づいたのだ!」
「絶対に嘘じゃないですか!」
「うぐっ……」
エリスの即座のツッコミに、ギルベルトはたじろぐ。そこに口を挟んだのはクラウスだ。
「人間を損得でしか判断しないギルベルトのことだ。きっとエリスの能力の特異性に気づいたんだろうな」
「なるほど。それなら納得ですね」
二人の意見が図星だったのか、ギルベルトは表情を強張らせる。
「ち、違う。俺は本当にエリスを愛しているのだ」
「ギルベルト様は嘘が下手ですねー」
「ぐっ……そ、それにだ、これはエリスにとっても良い話だろ。なにせ美しい容姿を持つ俺が結婚してやるんだからな」
「その自信はどこから湧いてくるのやら……でも、まぁ、私はあんまり人を外見で判断しませんから。セールスポイントにはなりえませんね」
エリスがさらりと言うと、ギルベルトは面食らう。だが引き下がりはしない。
「なら……金ならどうだ? 俺は伯爵だぞ」
「クラウス様は将軍ですよ」
「そ、それもそうか……なら権力は……俺のほうが下か……」
ギルベルトは額に汗をにじませながら、必死に言葉を探す。そんな彼にエリスはにっこりと微笑みながら追撃を加える。
「ちなみに、腕っぷしも負けていると思いますよ?」
「それは言われなくても分かっている!」
将軍である彼と武力で衝突しても敗北は明らかだ。負けを認めつつも、ギルベルトは何とか勝ちポイントを探る。
「や、やはり顔だ。顔が圧勝しているのだから良いだろう!」
「それも正直、疑問だと思いますよ」
「さすがにそれはないだろう。この顔だぞ!」
ギルベルトは自慢げに自分の顔を指差し、それから得意げにクラウスを指差す。
「見ろ、鬼のような醜い顔と比べたら、誰がどう見たって俺のほうが──」
「それは、あなたがクラウス様の本当の素顔を知らないからですよ」
エリスはにこりと笑うと、クラウスのもとへ歩み寄り、そっと彼の頬に手を添える。
すると魔力が揺らぎ、クラウスの顔を覆い隠していた認識阻害の魔術が剥がれる。黄金の髪、澄んだ青い瞳。精緻な彫刻のような美青年がそこにいた。
「ど、どういうことだ!」
「本当のクラウス様は格好良いんです。ですが認識を阻害する魔術がかかっていて、醜く見えていただけなんです」
その魔術もエリスが触れれば一時的に解除できる。ギルベルトは目を見開き、口をパクパクと動かした後、やっと声を絞り出す。
「そ、そんな、馬鹿な……」
「改めて質問ですが、私があなたを選ぶ理由、何かありますか?」
エリスが真面目な顔で問いかけると、ギルベルトは口を開きかけて、すぐに閉じた。そして、情けない声で答える。
「俺が勝っている部分は……何もない……だがな、いつか逆転してやる。この屈辱、覚えていろよ!」
捨て台詞だけはしっかりと残して、足早に門の方へと去っていく。その背を見送りながら、クラウスがエリスに尋ねた。
「良かったのか?」
「未練はないですよ。だってクラウス様は、私が魔道具を壊しても、婚約破棄を突きつけたりしないですから」
「君は本当に変わっている……でも、そんな君だからこそ好きになったんだがな」
慣れない本心を告白したからか、クラウスの頬が赤く染まる。その表情の変化をエリスは見逃さなかった。
「顔、真っ赤ですよ」
「……照れているだけだ」
二人は顔を見合わせ、自然と笑みを交わす。こうして、鬼将軍と呼ばれた男とポンコツと呼ばれた令嬢は、末永く、幸せに暮らしていくのだった。
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