1-.不穏な影<中編>
この話は11~13(後日祭)のスイとサーカス団長のネイsideです
〈side:スイ〉
きょろきょろと周りを見渡しては、出店で売られているお菓子に釘付けになっているエルナの事を、そっと見守った。目を輝かせ、今にも涎が垂れんばかりの姿は、それらが食べたいのだと、一目瞭然で分かる。
しかし、レセもそうだが、世間一般の子供では持ち合わせていない聡明さを持っている癖に、己の欲求(特に食欲)に正直過ぎる所がまた面白い。まぁ、何時になっても己の欲求(特に食欲)に対しては子供の様に正直な誰かも居るが、話を聞く限りではご先祖様かららしいので、これは完全にクライヴ家特有の傾向なのだろう。斯く言う私も母方の血が色濃いとは言えど、クライヴの血を引き継ぐ一人。その気持ちはよく分かる。しかし、国の守護者ともされるあの名高いクライヴ家の人間が、皆こうだったと思えば笑いが堪え切れない。…危うく吹きそうになったが、そこは唇を少し噛み抑えた。
それからいつもの頬笑みを維持する。余裕を取り戻した所で袖が引っ張られる感覚に下を向けば、腕の中を見ると妹は眉を潜め、唇を突き出していた。
まぁ恐らく、まだ出店を見ていたかったのだろう。主に、お菓子…だとは思うが。
凡その理由を分かっていながら何故と答うのは、自分でも聊か意地悪だと思いはしたが、エルナは不満そうだが行き先を問うだけ。
その返答に窮したのは、驚きか、はたまた喜びか、それとも単にその問いにどう答えるべきか迷ったのか、結局どれにせよ、良い所とだけ言って誤魔化したのだが。
そして案の定、納得出来ず顔を顰めているエルナの頭を、優しく叩く。
その後、少し難しそうに首を捻っていたが、なんとか自分の中で折り合いをつけたようだ。…というより、派手な街頭宣伝に心を奪われ、うやむやになったのだろう。つい漏れた苦笑とは別に、目を輝かせてるその姿につられ、懐かしい頃に戻ったかのような気分に自然と笑みが浮かんだ。
普通とは言い難いものを持って生まれたクライヴ家の一員として、避けて通れない道がある。目前に迫った問題も彼女が幼い事を理由に逃れる事は出来ないだろうが…自分もそうであったように、これから見るものが幼い彼女にとって忘れられない物になればいい。
* * *
〈side:ネイ〉
「……はまだか!?」
「おい、なにしてんだよ!」
「やばっ、もう時間が…」
「ひぃ、ごめんなさい!!」
「あ、足りない!?」
焦りと困惑に顔を曇らしていた団員達に我慢出来ず、喝を入れる。
「もたもたしてんじゃわよ!!あんた達はリハーサルするつもりあるの!?」
それからやっとはっとして、慌てて忙しく動かし始めた彼らに沸き起こった若干の苛立ちを抑えつつ、辺りを隈無く見渡す。すると担当責任者の一人、ファイが真剣な顔をしてやって来た。
「団長っ」
「何よ」
「演出担当の新人が今朝熱を出した様なので、変わりに俺がその穴を埋めます。ですので、調整に時間を下さい」
ということは、遅れた原因の要因の一つは欠員のせいかしら?やっぱりあの後直ぐじゃ…
いや…今それを考えるべき時ではないわね、まずは…
「…仕方ないわね、それな「団長!!クオイさんの姿が見当たりません!!」~っ、ほっときなさい!!」
言い掛けた言葉は途中で入った邪魔な声によって掻き消された。苛立ちを込めてきつく睨むと、焦った顔で口を噤んだ。
「はぁ…ファイ、10分以内にリハーサルを始められるように調整しなさい」
「はい」
「クレハ、欠員の確認を、あと…アン、アンは衣装担当と大道具担当の子に確認を」
「「はい!!」」
周りをぐるりと見渡し全体に向けて言い放つ。
「足りないものは後で纏めて報告、今は何を何処で埋めるかよ。臨機応変に対応をしなさい!!終わり次第、リハーサルを開始!!」
「「「はい!!!!」」」
それから散った彼らを尻目に壇上から飛び降りた。
「あ、団長、どこに…」
「部屋よ」
* * *
「それで、この小さなお嬢さんは?」
苛立ち止まぬ中、ひょっこり現れた友が幼子を連れてきた。
「今年生まれた妹のカルティーエルナです」
「妹、そうかい…くくっ、娘でも出来たのかと思ったのに…残念だねぇ」
言外に冷やかしを含んだ笑みを浮かべるが、スイは顔色一つ変えることなく話題を変えて来る。
「エルナ、この人はですね…」
本当に可愛気のない子ね…
そんなことを思いつつぼんやりと眺めていたら、彼女の赤ん坊とは思えない知性の伴った瞳に気付いて、スイの言葉を遮る。
さて、どんな反応をするのかな?
「お嬢ちゃん、こんにちは。私はこのサーカスの団長、ネイ=ルディエンスだ」
人受けする笑みを浮かべ、“よろしく”と手を差し出す。
その差し出された手と私の顔を交互に見る目に浮かぶのは、疑問でなく迷いや戸惑いに近い。そして、そろそろと伸ばされた手を見て微かに口端が上がった。
この年で何をすべきか考えてわかるだなんて…ね
そして笑みを悟られぬように隠し顔を上げた瞬間、真っ直ぐな目と視線がかち合う。その何処か見覚えのあった眼差しに、目の奥でちらつく影と重なった。それは既視感にも似た強い感覚で、眩暈すら感じ目の前が真っ暗になる。
これは、ちょっとヤバい…か?
正式な手順を踏まない――は負担が大きい。このままだと少なくとも半日は倒れかねないな。
と、半ば諦めて全てを委ね意識を手放そうとすると、不意に温かく柔らかな感触が指から伝わった。はっとすると、何やら慌てた幼子と目を瞬たせるスイの姿に笑いが込み上げてきた。
嗚呼、やっぱり面白いじゃないか。流石、クライヴ家の子、か。
「くくっ」
「ネイ、楽しそうですね」
「嗚呼、いや…ついスイに初めて会った時の事、思い出した」
「俺、なんか変な事しましたっけ?」
顔を顰めて聞くスイに、ネイは意地悪な笑みを浮かべて肩を竦めた。
「くくっ、さぁね?」
本当に、飽きない子たちだね
* * *
「入れ」
スイが去り、それからしばらく経たない内に次の訪問者がやって来た。
「先程の事で報告が…って、団長随分機嫌がいいですね」
「まぁな、さっきスイの奴、妹を連れて来たんだ」
身を乗り出しにやりと笑いながらそう言うと、クオイは眉を顰めた。
「妹?嗚呼、今年生まれた子の事ですね」
「なんだ、知ってたのか…」
「寧ろ団長が知らない事に驚きですよ」
王子の誕生日にお披露目までしたんですし、そう付け加えるとクオイは、手に持っていた書類を机の片隅に置いた。
優秀な部下を持てた事を誇るべきなのか迷う所だが、報告書にしては妙に分厚い書類を見れば、げんなりせざるおえない。しかも先程こいつを探していた奴がいた事を思い出して、文句の一つでも言ってやろうかと顔を上げれば、クオイはもうドアノブに手を掛けていた。
「それじゃ、報告書は此処に置いておくんで、後はよろくしお願いしまーす」
ふらっと出ていく自由な奴の行動を、態々一番遠い所に置かれた報告書を手繰り寄せつつ、溜息混じりに見送る。
「ったく…それにしてもこの時期に、か…」
ぼんやりと虚空を見つめこの先の事を憂えていたが、今は目の前の状況をまずは案ずるべきではないかと、溜息をつかざるおえなかった。