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エジュリに 幸多からんことを

作者: 一ノ瀬和里

 僕はその時18歳になったばかりで、彼女はまだ15歳、10月20日がバースデイの彼女と9月21日の11時に待ち合わせた。

 今から思い出しても、ただ、あんなコっているんだ―――しか思い浮かばない。その日の顛末。

 11時03分に姿を現した彼女はオレンジがかった黄色のスウェットにミッキーマウスのイラストのっけて、スリムなジーンズにパープルのソックス、足元はサイドゴアのショートで固めて手を合わせながら登場した。

 当然のようにすでに買ってあった切符を一枚渡し、

「どこいくの?」

 の彼女の声に、

「さあどこいこう」

 決めてあるのによく言うよな。

 その日は霧のような雨がしっとりとやさしく降っていた、南武線の溝の口のホームで一息。色んな話をしながら僕らは田町に着いた。着いてから予約したレストランにどうたどり着いたらいいのかわからなくなった僕に彼女は、

「たまには迷うのもおもしろいよ」

 って。

 初めてのスポット。僕だって行ったことがなかったけど、リザーブドされた席は海の見える窓側、窓から5分おきに飛び立つ飛行機が僕らも飛ばしてくれそうで。

 着いた途端、彼女の第一声は、

「カンゲキ―――」

 だった。

 オーダーを済ませて最初に切り出した話は、

「こんなところで言うのもなんなんだけど、どうやって断ろうか迷ってんですよ」

 という件の一件だった。


 僕と彼女たちとの出会いは二ヶ月前に遡る。


 かあいい一年生に振りをつけていたある日、僕は彼女に目を惹かれた。でもまあ、他愛もない、恋とか呼べるような感情じゃなかったけれど、女のコの醜い麺ばかり観ていた僕は彼女の、ニートな声と、舌っ足らずな喋り方に惹かれ、幸一郎に評して曰く

「あのコのかあいさは犯罪的だね」

 子ども子どもしていた彼女に、幸一郎はすぐに狙いを定め、とりあえずファンだということを僕に言った。一本気な彼は回りくどいことが嫌いらしい。盛んにまわりを飛び回る幸一郎に対し、彼女は、女のコだけに許される罪ごとであるところの、愛想よく、をイノセントのうちにやってのけていた。しかし幸一郎はただの先輩後輩の関係だけに済ますつもりはなかったらしい。相変わらず彼女のまわりを飛び回る日々が続いた。

 僕らの体育祭。僕らの夏の終わりを飾るこの行事に僕は三年間全てをかけていた。そして今年の体育祭当日は僕の、18回目のバースデイなのだ。その二ヶ月前の7月、彼女と僕は出会った。


 8月―――。ハワイ帰りの僕は自分の居場所を多少不安がりながら久しぶりの学校に出ていった。もちろん、彼女との再会が楽しみだった。ところが意に反し彼女は足の親指を骨折し、練習には出ていなかった。幸一郎はまったくやる気を無くし、ボーとした毎日を送っていた。そんなある日、僕のガールフレンドのひとりが幸一郎にこんなことを聞いた。

「ユミちゃんのことどう思う?」

 ガールフレンドもつまらない女になってしまったなぁと思った。だってそんなこと聞くのは、ユミちゃんってコが幸一郎のこと好きだよって言ってるんじゃないか。まったく・・・。しかしそのユミちゃんは、幸一郎が追っかけている彼女のファーストネームではなかった。幸一郎は当たり前のように、何もおもっていないという由を答えた。

 人間って面白いよね。ユミちゃんと幸一郎と、彼女と僕、そしてその他に幾人か。僕の高校生活の中だけという狭い狭い空間で、人間たちがちょっと複雑に絡み合う。結論はいたってすっきり。ちょうど甘さ控えめのミルクチョコレートのようにう。


 9月―――。文化祭まで一週間。体育祭まで十五日となった。幸一郎の熱病は留まるところを知らない。いつでも彼女を傍にキープしてうざったいほどに付きまとっていた。いつだったか僕は、彼女には中学以来の好きな人がいるという話を聞いていた。幸一郎はそれを知っても、なおもめげる事がなかった。文化祭がやってきた。


 前日徹夜で友人と酒を飲んでいた僕は、文化祭が始まってからもしばらくは眠っていた。昼起きて中庭に出ていくと幸一郎は彼女と彼女の親友と三人dせ喋っていた。目立つ位置に車座で。やや辟易していた僕はソフトボール大会の練習をしにグラウンドへと出ていった。キャッチャーをやることになった僕がなれないグラブ片手に小休止していたらふと隣にオレンジがかった黄色のスウェットを着た彼女が、僕の横にチョコンと腰を下ろした。

「ふぅ―――」

 僕の方を見るふうでもなく、かといって存在に気づかないふうでもなく。そんな彼女に僕は聞いてみた。

「―――さんってよく街とかで声かけられたりしない?」

「えー。されませんよー」

「そうかな、俺だったら絶対してみたくなるけどな」

「してみたら?」

 巧いよね。こんな切り返しができるコを僕は彼女の他にひとりしか知らない。それが弾けるような笑顔とともに自然に出てくるコもひとりだけだ。アイツの影を彼女のなかに見いだしながらでもまだこのコ15歳なんだよなって感じていた。

 !!じゅうご?じゅうごにしてこの小悪魔のようなコケティッシュさ。僕はのちに彼女にクリスマスカードを送ったが、彼女の敬称にこう添えたのを憶えている。

 To innocent girl/lady


 文化祭は二日間。二日目、前日と同じく昼ごろおきた僕を待っていたのは幸一郎を好きだと言ったユミちゃんだった。

「幸一郎センパイってあのコのこと好きなんですか?」

 そんなの一目でわかることだろう、と思いはしたが僕は面倒に巻き込まれたくなかったので、

「さあ。ヒトノココロはわかりません」

 と誤魔化しておいた、

「ワタシの気持ちは知ってるんですよね」

 そんなことを言いたいふうで、ユミちゃんは僕の前から消えていったがその時僕はユミちゃんってモテないんだろうなって思っていた。でもこういうコは得てしてトラブルメーカーになる。その日の夕方事件は起きた。


 明日から体育祭に向けて最後の一週間。ちょっと感傷的になっていた僕の目に映ったのは、一人でぽつんとうつむき帰ろうとする彼女の姿だった。ヤな予感がした。

「―――さん。何かあった?」

 一種はったりではあったが、案の定彼女は、

「・・・ちょっと・・・オンナノジジョウってやつですか」

「今日のことだろ」

「うん・・・」

 全く周りはガキばかりだということを僕は少しまくしたて、

「周りに呆れてばかばかしいっていったとこかな?」

 と聞いてみた。

「わかります?」

 彼女はほんの少し笑った。目は淋しそうなままだったけど。そしてその彼女の笑顔を僕の中で、シリューマンが見たトロイの木馬のように残る。


 最後の一週間、僕はほとんど寝ていなかったのでその間のことはよく覚えていない。ただ彼女の周りにいた面子が例のオンナノジジュヨウによってフェードアウトしていったことは僕にもはっきりわかった。悲しかった。でも僕には何もしてやれなかったし彼女もまた、割り切れるほど強くはなかったのだ。


 9月19日、僕のバースデイを祝うかのように空は晴れた。そしてウソのようにあっけなく本番が終わる。僕は放心状態でいた。河原でとりあえず打ち上げ。ちゃんとした飲み会はまた後日。ふたつのビッグイベントを終え終わっていく夏にまた夏は来るさとあきらめ、一種高揚した雰囲気の中で彼女は僕に、ハッピーバースデイを言ってくれた。初めての体育祭に喜んでいるようで、今日だけはつらさの微塵もなさげだった。彼女がきびすを返した時、かすかな汗の匂いとともに、ポニーテールの髪の香が僕を刺激した。

 僕はこの二ヶ月を思い起こす。そして自分に居場所がないことを確認して何だか妙な気分だった。

 少し寒くなってきた。秋は秋だ。みんなとは離れて一人見下ろしていた僕の意目には、おそらくは寒いと言ったのであろう彼女に、自分の上着を着せる幸一郎の姿が映った。そしてそのまま肩を抱く姿も・・・。

 僕が果たして彼女を救おうとしたのか、それともただ自分の欲望を満たしたかったのか、今でも解らないが、ともかく僕はいつしか彼女を連れ出した。邪魔する男どもを追い払い、僕と彼女はディアローグを交わした。

「どぉ、幸一郎は?」

「ワタシが、忘れられない男のコの話したら、『オレがわすれさせてやろうか』って。幸一郎センパイ、酔ってるんですか?」

「いや、酒は入っていない」

 あのバカ。

 そこまで話した時だった。

「ツマンネー」

 幸一郎はそう言いながらやってくると彼女の手を引っ張り、呆気に取られる僕を尻目に彼女をさらっていった。僕の胃が痛みはじめた。


 次の日、前夜の興奮が覚めやらぬ中、後片付けがあった。幸一郎は僕に会うと、

「昨日はごめん」

 と訳の分からぬことを言い、

「今度彼女と遊びに行くことにしたよ」

 と僕をびっくりさせた。

 前夜、僕が彼女たちと一緒に帰ったときは、彼女はそんなことは一言も言ってなかった。僕の胃はその日一日中シクシクしていて、これは果たして嫉妬なとだろうかと自分に問いかけ、のんびりと歩いて帰った。途中でまた彼女に会った。一緒の方向の電車に乗りながら、一体何が起こっているのか、整理できないまま僕は予備校をサボり、散々考え抜いた挙げ句、僕の指は彼女の家をダイヤルしていた。理由はただひとつ、幸一郎より先に僕が彼女と遊びに行く―――

「もしもし。―――さん明日部活休み?」

「はい」

「じゃあ逢えないか。昼でも夜でも」

「はい。できれば昼が」

「じゃあ・・・11時に溝の口駅ね。どっか連れてってあげます」

「はい」

 そして今ここで、霧雨の見える窓と、そこに映る彼女を交互に見ながら僕は彼女に、いいセンパイとして、その実、男として、幸一郎との約束をどう反故にすべきかの助言を与えようとしている。


 僕はよく女のコの涙を見る人間だった。文化祭のあと、独りぼっちになった彼女に僕は、

「―――さん。幸一郎、惚れたよ。君に」

 と言った。彼女は無言だった。

「周り、きついだろ・・・?」

 僕がそう言うと彼女は目をウサギさんにしてほろほろと泣き始めた。

 僕が人を安心させるのか、男として魅力がないのか、いずれにせよ女のコは僕の前でよく泣いた。そう、僕の憶えているだけで七人。

 彼女は泣いていた。僕は声を下げた。

「僕の前で涙流した女のコが八人目になっちゃった」

 彼女をなんとか泣き止ませようと選んだ台詞だった。

「・・・七人で止まればよかったのに・・・」

 彼女は泣き崩れた。

 僕ははっきり、驚いていた。こんな言葉を返せる女のコ―――あまりにもイノセントなそのひとみに浮かぶ涙をすくいとってあげたかった。

「あっもう授業始まってる。もどらなきゃ」

 彼女の最後の台詞をリフレインしているうちに彼女は教室に戻った。なんとかウサギさんの目を誤魔化した彼女はドアから半身を出して僕に手を振っていた。


「・・・男としては、一度遊びに行ってから気まずくなるよりは最初から断られたほうがいいと思う」

「・・・やっぱりそうですよね」

 結論を出した僕に彼女はちょっと考えて、

「うん。すっきりした」


 景色は霧雨のヴェールに包まれ、やがて薄い霧になった。二人はもう雨上がりの道を、傘を忘れたことなんか気付かず、次の計画へと歩いていた。

 14時のボートで葛西に行こう、というのが僕の提案だった。彼女は嬉々として受け入れてくれた。この笑顔には狂わされそうだ。僕は感じていた。

 ボートの中の四十分、彼女はほとんどしゃべらなかった。でも僕らの間にはもうすでに沈黙が苦しくならないぐらいのやさしさが流れていた。小麦色の彼女の横顔と、耳元に流れるひこばえと、ポニーテールをゆっくり眺めながら僕はビールを飲んでいた。途中クウォーターダラーをプレゼントすると彼女は、

「これで今日のこと忘れないよね」

 って。

 水族館のなかでは、僕は彼女に圧倒されっぱなしだった。シードラゴンをみてはかあいいと言い、水槽の間で一言、

「キモチイイ―――」

 と言った。

 僕の中の名言集にこれは残っている。たしかに雨上がりの、少々蒸し暑い外に比べて、水槽の青は涼しくてきれいだった。でも魚を見てキモチイイとは僕の辞書にはなかったのだ。

 彼女はペンギンをだれそれに似ているといって楽しそうに笑い、天真爛漫とはまさにこのコのことなんだと思わせるほどに水族館を狭くしていた。

 帰りのボートは、夕暮だった。僕は外に出てみようといい、甲板に出て、僕の手は自然と―――いや本当は勇気を振り絞って―――彼女の肩にあった。彼女は一体どう応えるだろう。ドキドキしていた。僕は過去の女性のこうした場合の反応をいくつか思い起こしてみた。しかし彼女の台詞は全く予想外だった。

「オウ―――カッコイイ」

 だったのだ。

 たぶん、この瞬間、この一日だけと念じながら僕は思った。このコがかわいい。このコと・・・。


 帰り道。二人は手をつないで帰った。

「センパイっていい人だね。ワタシが落ち込んでいるのを見て、それで遊んでくれて」

 帰りしな彼女は言った。僕にとっては報われた台詞だった。

「明後日の打ち上げで幸一郎が来て困ったら、俺のところに逃げてこい」

「うん、そうする。―――今日はいっぱいお金つかわしちゃったね」

 最後まで心地よいことばを残しながら彼女は自分のマンションへと消えていった。

 知らずほころんでくる顔を引き締めながら、僕はまた顔をほころばせた。

 今日のこの幸せに感謝します。

 高校最後かもしれない幸せな一日に向かって僕は口笛でも吹いてみた。

 それはある意味であたっていた。

 その日のまま時が止まっていたら、僕はこんな「しょうせつ」なんて書いてやしない。あのまま時が止まったならば自分の胸にしまっておくさ。


 今でもときどきこんなシーンが目に浮かぶ。あれは帰りの電車の中。混雑した電車で二人は密着し、暑いねという君に僕は、

「だったら上、脱いじゃえば」

 って言ったんだ。そしたら君は、

「だってこれ一枚しか来てないもん」

 ってスウェットをつまんで言ったよね。僕が目を見開いたら、

「下着は付けてるよ」

 って。周りの大人が振り向いてたよ。そのあと席を見つけた君は、

「コドモは寝る時間」

 と言って、長い髪を僕にう持たせたまま眠ってしまった。


 二日後、転落の秋が来た。


 9月23日、僕は漠然とした不安を抱えていた。一昨日の夢のような出来事から二日、僕の中で何かが変わったような気がしていた。何かわからないけれどとてつもなくヤな予感がした。

 僕は当然主役であり、幹事でもあったわけだが18時ぎりぎりに待ち合わせ場所へとついた。彼女はニットのスウェター一枚にベレーをかぶり、犯罪的な肉感の脚を隠すかのように、さらけだすように黒のストッキングを履いていた。

 いつものように彼女は友人たちと話をしていて、その中心にいて僕が来たことも気付かない風だった。幸一郎は気合い入りまくりのファッションで、ダサかった。やれやれと思いながら、僕らのご用達の居酒屋に入った。案の定すぐに幸一郎は彼女の隣に侵入し、あまつさえ彼女を泣かせ始めた。ことの展開がわからない僕との彼女の距離は3ヤードほど。彼女は僕にはっきりと、すがっていた。目がそう言っていた。僕はこっちへという合図を送り、彼女は幸一郎を振り切ってトイレット・ボウルへ行った。

 トイレット・ボウルでの会話。

「どうでー調子は」

「うーん・・・泣いちゃった」

 なぜか僕と彼女の目があった。あまりロマンチックではない密室の中で、僕は彼女を抱き寄せた。

「守ってやるよ・・・」

「・・・もう出なきゃ」


「おい!選手交代」

 って幸一郎は言って、いつkじゃのように彼女を引き離しにかかった。

「ずるいぞ、おい」

 幸一郎は僕に対する嫉妬心でいっぱいだったし、僕はハチミツを見つけたクマのプーさんみたいに余裕の表情だった。ガールフレンドは後に、一年生を取り合う三年生二人、とその時の情況を話す。

 僕は少々うざったくなって、

 ―――友情はどうした?

 の天使を振り切って彼女にささやいた。

「外へ出ようか」

「いい、やめておく」

 彼女ははっきり当然その場にいる例のトラブルメーカー、ユミちゃんに気を遣っていた。どちらにも角が立たないように。それを幸一郎は踏み潰しているんだけど。

 トラブルメーカーユミちゃんは飲み会の途中、幸一郎に、ガンバってください、と一言だけ言ったらしい。別に僕と戦っているわけでもないのに。


 飲み会が終わると、有志でカラオケにいった。その途中から彼女の様子が変わり始めた。酔った僕が冗談で一昨日の再現をしてみた。彼女の手を取って。

「ダメ、こんなことしてたらわたしたちフツウノカンケイじゃいられなくなっちゃう」

 彼女は何を怖れていたのだろうか。


 ボックスは狭く、幸一郎はちゃっかりと彼女の横に座って彼女に捧げるラブソングをめくっていた。キーを入力すると幸一郎の独壇場となり、彼は彼女の方を見ながら歌い続けていた。彼女は元気な歌を元気よく、友達とデュエットしていた。

 僕はやるせなかった。最前の彼女とのディアローグが、僕の芯に酒と伴に残っていた。

 フツウノカンケイ?

 僕らは一体ドンナカンケイなんですか?

 僕は・・・センパイっていい人だね、でしょ?

 僕はひとりごちた。

 もし僕が彼女に惚れているならば彼女をそのまま放ってはおかなかっただろう。

 そしてもし、彼女が僕のことを意識しているのならば僕しか見なかったであろう。

 週明けに僕はフツウノカオをして、彼女に挨拶ができるだろうか。


 それでも学校は通常機能を取り戻し、僕の胃の痛みは、何が原因かもわからないままつづいた。そして僕は学校には行っていない。別に特別のことじゃなくて僕のくせだし、大体週に三日顔を出せば先生も安心しているからいいんだけど。

 ある日、やっとつかまった、と言いながら彼女と彼女の友人は、体育祭の日に撮ったフォトグラフを僕のところに持ってきた。そこには僕と彼女が生き生きとした表情でなんの衒いもなく、微笑んでいた。ずっとずっと、いまでも微笑んでいる。僕は彼女に礼を言って、ただ一言、

「僕はいいセンパイだからね」

 無理をしてみた。


 秋の夕暮は足早にやってきて足早に去っていく。薄ら寒くそして悲しい。10月がやってきた。事態は思わぬ展開を見せた。そしてそのため僕と彼女はもう一度仲良くなった。

 件のトラブルメーカーユミちゃんは幸一郎に告白した。幸一郎が彼女とうまく行っていないのを知ったうえでの行動だった。周りがけしかけたんだと、後で知った。幸一郎はその場で断った。

 僕と同じサッカー部のモテ男タケヒコは、彼女たちと飲み会をやろうと画策していた。幸一郎を誘ってはみたが彼は連れてくるべきパートナーがいなかった。紳士の飲み会は男女同数。幸一郎はそれでもどうしても参加したかったらしく、あろうことかトラブルメーカーユミちゃんを誘った。幸一郎曰く、「誠意」だそうだ。彼女に言わせれば、よくそんなことできるねー、だった。後者に一票、いや。タケヒコも入れるから二票だ。

 10月3日、模試なんてものを受けた僕らはその後、地元の駅で待ち合わせた。軟派なタケヒコは、彼女のお兄ちゃんになってやると契りを結んでいた。僕にはできない芸威風で女のコを楽しむタケヒコに、僕はなぜか馴染んでいた。タケヒコもそれは同じであり、僕らは奇妙な縁で結ばれていた。この後しばらく僕とタケヒコは二人ほどステディーがバッティングしている。あいつの今のステディーは僕の最前のそれだし、僕の今のステディーはタケヒコを振った女の子だ。

 幸一郎は彼女とゆっくり語りたがっていた様子だったが、パートナーを無視することは御法度なので、すぐに帰ると言いだしたトラブルメーカーユミちゃんを送っていく羽目になってしまい、後はぼくたち四人のステキな夜となった。しかしそのしあわせな飲み会を僕は後悔することになる。

「酔ってるでしょ」

「酔ってないよ」

 彼女のすずやかな舌ったらずな声を僕は彼女のやあらかな、太股の上で聞いた。自分の穢らわしさに反吐が出そうになる。

 バカ、死ねっ


 タケヒコと僕と幸一郎は三人で受験勉強をした。こんなことやったって受かるわけないのに受験勉強をした。時間を決めて休憩をし―――いま考えれば休憩だらけだったが―――休憩になると河原へ煙草を吸いに出掛けた。僕の学校は多摩川の傍、むかしオザワケンジが見上げた空を僕らもまた見上げて煙で汚した。

 10月20日がやってきた。彼女のバースデイ。三人は三人ともプレゼントを用意した。僕はまともなものを、フツウノカンケイとして相応しいものを選んだ。タケヒコはギャグ路線、そんななか幸一郎はオープンハートのジュエリーネックレスを!!プレゼントした。彼女は一人ひとりにありがとうを言った。幸一郎は渡すときに、

「ずっと―――待ってるから」

 うーん一途だなあ。だんだん好感が持ててくるようなこないような。

 数日後の幸一郎の台詞。

「俺のあの台詞、彼女にはグッと来たらしいよ。あと一歩だ」

 おいおい、でも本当に?

 僕は次の日、ことの真偽を彼女に確かめた。お節介なのか、はたまた・・・

「ウソそんなこと言ってるんですか?そんなことないよ」

 ようやくとれた敬語で彼女は一蹴した。僕はほっと一安心、しかし、僕は移ろいゆく季節は元より、彼女の変化にも気付いてはいなかった。

 10月26日、すれ違いが僕らに波風を立てた日、こんなことがあった。

 幸一郎のステディー欲しい願望は、頂点を極めていた。キスもしたことがない健康な高校男児としては当然とも言えるかもしれない。幸一郎はこの日、一度断ったはずのトラブルメーカーユミちゃんを、今度遊びに行こうと誘った。

 あれっ?ずっと待っている云々はいずこへ・・・?幸一郎はそうして夕闇の中にトラブルメーカーユミちゃんと消えていった。僕とタケヒコは一人先に帰ってしまった幸一郎に呆然としながら、駅で彼女に遭った。

「なにあれ―――?」

 彼女の友人の第一声だった。彼女は無言だった。ずっと黙ったまま、うつむいていた。

 その日彼女から電話がかかってきた。そして僕らは、よく電話で話すようになった。話しているうちにお互いに、会って話したほうが楽だという結論に達した。

「明日、二時限目、サボれる?」

「うん、大丈夫」

「じゃあ明日」

 Pi―――

 明日はいつでもやってくるのに・・・


 あの日、10月26日、彼女は幸一郎に付き合ってもいい、という返事を伝えようとしていた。


「わたしっていつも自分のことより他人のことを考えちゃう。今度だってユミちゃんのことを考えたら付き合ってもいいと思っていたなんて言えなくなっちゃった」

 泣いていた。

「ちょっとダンセイフシン。こんなのが二度も続くと・・・」

「にど?」

 僕は反射的に聞いていた。彼女は泣いていた。僕はもう肩を抱くことすらできず、いわんや抱き締めてあげることもできず、ただ彼女に与えられる言葉を探していた。

「わたしだっていつも何も考えてないわけじゃない」

 奔放はinnocent girlは、確かにinnocent ladyへと、移ろっていた。


 11月8日、ある学校行事のあと、幸一郎はトラブルメーカーユミちゃんと初デートの予定を組んだ。例によってデートコースはタケヒコと僕で決めた。タケヒコと僕は、彼女とその友達と横浜へ出掛けることにした。

 ベイブリッジのふもとの公園で、彼女と彼女の友人はオブジェに落書を見つけた。


 ケンジとこの公園へ来た女の子へ

 大切にしてあげてね


「すごくかあいそうだよね」

 彼女の友人が報告しにきた。

「ブルー入っちゃう」

 僕らもその秋の夕暮とあいまって、その落書に見入っていた。

 ベイブリッジのスカイウォークの中で、彼女の友人はこう言った。

「センパイ、あのコのこと好きなの?」

「僕はいいセンパイだよ。それに・・・今は人のこと好きになりたくない。これ以上誰かのことを穢したくないしね」

「あのコがセンパイのこと好きだったって知ってた?」

「幸一郎のことでしょ、こないだ聞いた」

「ちがう!!」

 ??・・・――――――ウソだろ?

「もう遅いけどね」

 彼女の友人は鮮やかに笑っていた。


 帰りの電車の中で、彼女はかあいい顔をこちらに向けて、しゃべらない僕に、

「どうしたの?」

 心配して聞いた。彼女の笑顔をみたのは、僕に向かって微笑む彼女をんみたのは、これが最後だった。


 Innocent girl/lady宛のクリスマスカードに関し、彼女の口からコメントを聞くことはついぞなかった。


 卒業式の直前に、3月2日に電話をしてみた。今から出てこれないかと。返事はノーだった。その後僕と彼女は言葉すらかわしていない。唯一の望みは彼女が僕と一緒に大学へ来てくれることだった。僕は春風の頃から予備校生になることが決まっていた。

 わからないんだ。いつ彼女と僕は笑い合えなくなったんだろう。まったくわからない。ただ僕はあまりにも何も知らなかった。彼女がかあいいっていうことを表現できなかった。彼女はいつまでもかあいいし、カレシもできたみたいだね。いずれ彼女もキスをして、抱かれて大人になっていくんだろう。でも僕にはどうしても15のときの彼女の声や身体や、表情や言葉しか、彼女のものとしてみられないんだ。彼女がいつまでもinnocentでいてくれることを願ってる。も一度、いいセンパイでいられたらと願っている。神よ、この幸運をもう一度って言ってる。

 今でもわからない。君は一体、だれだったんだろう。僕の心を惑わし、幸一郎をボロボロにし、僕をもっとぼろぼろにし、幸一郎は彼女のことを忘れユミちゃんをステディーにし、僕は苦しんでいる。あれは恋愛感情だったのか、僕は彼女を独占したかったのか、彼女を穢したかったのか、何一つわからない。ひとつだけわかっているのは君は僕の、非の打ち所のないお姫さまだったっていうこと。

 あれから季節は一巡りした、友達が伝えるところによれば、彼女は相変わらず元気に跳びはねているらしい。でもそんな彼女をみることはもう僕にはないだろうし、あってほしいけどあってほしくない。彼女は僕の中で、史上の人物のように生き続ける。こんなこと君が知ったら嫌がるだろうけど。

 君の髪、君の声、君の顔、君の身体、触れてないのに今でもくっきりと浮かんでくる。そしてそのたびに僕は頭を振って記憶を追い出そうとする。

 君は僕のアルバムの中でずっとずっと微笑んでいる。今でもずっと、僕と一緒に。日付はいつまでも停まっている。僕の18歳のバースデイで。もう一度きかせてよ、君の声でおめでとう。もう一度だけ、君の笑い声。




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