自慢
トイレの個室で溜め息をつく。
出来る事なら、始業時間から終業時間までここにいたい。
ここで仕事したい。ここから出たくない。
この場所が、会社で唯一落ち着ける安全地帯。
教室に馴染めていない生徒にとっての保健室みたいな存在だ。だが、学校にはトイレもある。
大人に厳しい、不公平な世の中だ。
間もなく、昼休みが終わるらしい。仕事に戻らなくては。
「おっ」
トイレを出ると、八重沢が自販機から缶コーヒーを取り出していた。
「今朝のテレビ観たかよ? 子供食堂やってる老夫婦っていうのやってよう、店主がヤクザみてぇな顔してるわけ! そのギャップががすごくて笑い止まんなかったよ!」
八重沢は豪快に笑い出す。相変わらず声がでかい。耳に覚えたストレスが全身を伝う。
「任侠映画に出てきそうな顔なのに、〝子供達の喜ぶ顔が生き甲斐〟なんて言ってるわけ! 似合わな過ぎて、ホントウケたわ!」
八重沢はでかい声で喋りながら、僕の傍を歩く。
「あっ、ヤクザと言えば俺、ヤクザに追い掛け回されて撒いた事あるぞ!」
出た、自分の武勇伝語り。
「高校の頃、おっさんをカツアゲしようとしたわけ! そしたらそのおっさん、ヤクザだったわけ! ホントにヤバいヤクザって、見た目じゃ分かんねえって言うだろ? 俺がカツアゲしようとしたおっさんもそのタイプでよう、拉致られそうになったけど、振りほどいて逃げて、撒いたわけ! まぁ、俺、黒帯持ってっから、捕まっても問題なかったけどな! だっはっはっはっ!」
うるさいな……。
休憩時間になった。
途端、八重沢が僕のデスクに近付いて来た。
「俺、黒帯獲ったの、中一の時だからな」
八重沢は唐突に言った。黒帯の話をし足りなかったらしい。
「部活入ってすぐに部長の三年の奴倒して、二年の時に顧問倒して、三年の時に国際大会で優勝したわけよ! 世界一よ、世界一ぃ!」
それから八重沢はその場にいた女性社員に体を向けた。
「まさに無敵だったわけ! 無双しまくってたかんね!」
自慢話の矛先が突然自分に軌道修正された女性社員は苦笑している。
「高校ではトロフィー総なめしてたし、特攻隊長もやってて何百人も引っ張ってたかんな! 空手とヤンキーを両立させてたわけ! 二刀流よ、二刀流! どっちでも有名人だったからな、俺! だっはっはっはっ!」
うるさいな……。
「すごいですねぇ」と言う女性社員の顔が引きつっている。
「あと、ガリガリ君の当たり出した事、五、六回あるぞ、自販機でもあるし!」
自慢話の規模が急激に縮小された。
「あと、テレビに出た事あるし!」
スイッチが入ってしまったらしい。
「前にたまたま行ったデパ地下で中継やってたから、アナウンサーの後ろ、何回も往復したわけ! 二、三年前だったかな」
最近じゃねぇか。三十半ばのいい歳した大人が何やってんだよ。修学旅行生かよ。
「小学生の頃は遊戯王でも無双してたし」
急にすごい遡ったな。
「あとこないだ、うちの兄貴の知り合いが経営してるレストランが二つ星獲ったし!」
それは兄貴の知り合いがすごい。
今日の業務が終わった。
パソコンの電源を落としながら、息を吐く。
「来間ぁ!」
八重沢はまだ話し足りなかったのか、自らのヤンキー時代の再び語り出した。
声がでかい……。帰りたい……。
それから八重沢は、何の脈絡もない唐突な自慢話を列挙していく。
サイゼリヤの間違い探しは全部瞬殺。
トム・クルーズ作品は全部観た。
三キロのラーメンを完食して賞金を獲得した。
大した自慢ではないものから、最早自慢かどうかもよく分からないものまで、次々と展開されていく。
声がでかい……。帰りたい……。
甚だ、嫌悪感を覚える。