召喚術は失敗じゃありません!!召喚したのは勇者様です……よね?
私が暮らしていたのはS県F市。都心までは新幹線で一時間ちょっと、というところ。
私は都心の大学に進学したけれど、幸い家はそこそこ裕福だったから、新幹線通学をさせてもらった。
就職するにあたり都内で暮らすことになるまで、私は生まれてからずっとS県F市の実家を出ることなく、二十年以上そこで暮らした。
S県とY県の県境には、有名な山がある。そう、日本人なら誰でも知っている有名な山だ。
その山はS県F市から見ると北側にある。
都市伝説ならぬ地方伝説だが、S県F市で生まれ育った人間は、体内方位磁石を持っている。
その山がある方角が北なのだ。
従って、その山が見えない他県などへ行くと、体内方位磁石が狂い、方向音痴になってしまうのだ……。
そして、私は極度の方向音痴だった。その山が西や東に見える地域へ行っても、私の体内方位磁石は何の疑問も感じることなく、その山がある方角を北と認識したのだ。
だからだろうか……。
「ここどこよー!?」
現在のわたしは、体内方位磁石を持ち合わせていない。有名な山もなく、辺りは一面の花畑だ。ルピナスの花が綺麗に咲いている。瞳と同じ色の黒い髪を風に揺らし、わたしはそこに立っていた。
上司の命令で、魔物討伐に向かった騎士団へ追加分のポーションを届けた帰り、道に迷ってしまったのだ。
「なんで……??」
ブレスレット型転移装置に魔力を流せば、元いた場所、つまり魔塔に戻れるはずなのに……。
「魔力が足りない……なんてことはないわよね……」
わたしは、左手首にはめたブレスレット型転移装置を見て、つぶやいた。
ブレスレット型転移装置は、誰もが使えるわけではない。相当の魔力を要するため、高魔力保持者でなければ使用できないのだ。
そして、魔力は誰しもが持っているわけでもない。魔力持ちは、ほんの一握りの貴重な存在なのだ。
念のため言うと、わたしも高魔力保持者のひとりだ。(ドヤ顔をお見せできないのが残念である!)
わたしが前世の記憶を思い出したのは十五年前。わたしが三歳の頃だった。
この世界には前世では存在しなかった魔法があることに気づき、わたしは浮かれた。それはそれはうれしくて、魔法を使いまくった。
ある暑い夏の日、かき氷が食べたいな~と、ぼんやりと思っていたわたしは、自室に巨大な氷柱を出現させた。しかし、魔術は未熟だったため、出現させたは良いものの、消すことはできず、父と母にもの凄く叱られた。
その氷柱は十年もの間溶けることはなく、料理人には有り難がられ、わたしの部屋は前世で言う冷蔵庫として使われた。
そして、そのときにわたしが高魔力保持者だと発覚したのである。それ以降も魔法を使いまくったおかげで、魔術はまあまあ上達した。
しかし、悲しいかな、実力よりも家柄が物を言う我がジルファリア王国では、しがない男爵令嬢のわたしは、魔塔では下っ端なのである。
「まずいわ。早く帰らないと鬼上司が……!」
「誰が鬼だって?」
「ひゃぁぁぁっ!!」
地の底から響くような声に振り向けば、そこにはオニギュスト……ではなく、オーギュスト・アンブローズ様が立っていた。
オーギュスト様は最高魔力保持者であり、魔術師としても超一流だ。そのうえアンブローズ侯爵家の嫡男であるため、若干二十三歳でありながら、魔塔の筆頭魔術師である。
「あはは、いやだなぁ……。鬼上司だなんて言ってませんよ。聞き間違いです」
わたしは笑って誤魔化した。
「フェリシア・フェンドルトン、お前はここで何をしている?」
「…………。えっと……お花摘み?」
わたしは辺り一面に咲いているルピナスの花畑を指さして言った。
「ふざけているのか?」
「ごめんなさい!すみません!申し訳ありません!! この転移装置が欠陥品なんです!!」
「ほう……。私の開発した転移装置が欠陥品だと言うのだな?」
(しまった! これを開発したのはオーギュスト様だった!!)
「ち、違いまふ。へっはんひんれふぁなふれ、こひょうひんれふ」
最後まで言い終わらないうちに、鬼上司はわたしの両頬を抓った。前世ならセクハラだ! コンプライアンス委員会!!
「お前がいつまでも戻ってこないから、迎えに来たのだ」
「いつもありがとうございます。ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
わたしは抓られた頬をさすりながら答えた。
オニギュスト……いや、迎えに来てくれたので正しく呼ぼう。
オーギュスト様はわたしが迷子になるたびに迎えに来てくれるのだが、いつもながらよくわたしの居場所がわかるものだ。筆頭魔術師ともなると、部下の居場所の探知など造作もないことなのだろうか。
彼が笑うのを見たことはないけれど、彼は厳しくも面倒見が良い上司だ。
「まあいい、魔塔に戻るぞ。話がある。掴まれ」
オーギュスト様はそう言って右手を差し出した。
嫌な予感がする……。けれど、この人から逃げるのは不可能だ……。
わたしはおとなしく従うことにして、オーギュスト様に掴まり、魔塔へと連れて帰ってもらった。
***
魔塔に戻ったわたしたちは、オーギュスト様の研究室の一角に置かれたテーブルセットに向かい合って座り、香り高いお茶を飲んでいる。
テーブルセットはシンプルだけれど、その素材感やデザインからは一目で高級品だとわかる。お茶もとても美味しい。口に含むと爽やかな香りが広がり、味わいには深みがある。間違いなく高級品だ。お替りしよう。
「ふぁっ!? わたしが召喚術メンバーに!?」
「そうだ。高魔力保持者で召喚術に適した魔術師は多くない。そしてお前は、補欠メンバーに選ばれていた」
オーギュスト様が告げた言葉に、思わず飲んでいた高級なお茶を吹き出しそうになってしまった。
我が国では現在、魔王の復活が間近に迫っていると予言されている。魔王は数百年周期で復活すると伝えられており、その度に召喚の儀式を行い、異世界から勇者を召喚してきた。
そのため、召喚の儀を行うことになったのであるが、召喚術は膨大な魔力を必要とする。高魔力保持者が数人で協力しなければ、召喚術は成功しないのだ。
(召喚術メンバーは既に決定していたはずなのに、なぜ急な変更を?)
「グレン・スミスが辞退したのだ」
「辞退!? なぜ突然!?」
「予定よりも早く、子供が生まれたのだ。グレンは育児休暇を申請した」
(はぁぁーーーっ!? 時と場合を考えてよ!! それこそコンプライアンスに触れそうだが、公僕として働きなさいよ!! オーギュスト様も、何で受理したのよ!? 国家の最重要案件でしょう!?)
「フェリシア・フェンドルトン、これは命令だ。お前に拒否権はない」
オーギュスト様の研究室を後にし、トボトボと自分の研究室に戻った。とはいえ、わたしはただの下っ端。個人の研究室など持っていない。普段わたしが使用しているのは、一般魔術師のための共同研究室だ。
共同研究室の自分の席に座り、机に顎をのせた。
(召喚術かぁ……)
オーギュスト様は「お前は魔法陣に魔力を込めるだけでいい」と言っていたけれど、本当にわたしで良いのだろうか。
魔力量に問題はないと思うけれど、わたしは基本的に生活に関わる魔法を研究している。そっちの方が得意なのだ。
「ちょっと! 聞きましたわよ!! なぜあなたが召喚メンバーに選ばれましたの!? わたくしよりほんのわずかに魔力が高いからと言って、生意気ですわ!! しかもあなた、また迷子になってオーギュスト様の手を煩わせたそうね!?」
その場に現れたのは、キャサリン・キャンベル様。その名の通りキャンキャンと煩い彼女は、わたしより一つ年上の侯爵令嬢だ。
赤茶色の髪にキャンキャンと吠える……いや、騒ぐ姿はまるで前世で飼っていたミニチュア・ダックスフンドのようである。
キャサリン様の魔力は微弱なものだ。属性は雷なのだが、真冬の空気が乾燥した日に、ウールのニットとアクリルのスカートを着用して走った後に、金属のドアノブに触ったときにおこる静電気程度の魔力だ。
そんな微弱な魔力ながらこの魔塔で働くことが出来るのは、彼女が侯爵令嬢だからだ。再度言うが、我が国では実力よりも家柄が物を言うのだ!!
わたしはにっこりと笑って答える。
「キャサリン様、ごきげんよう。もし可能であれば、わたくしの代わりになっていただけると幸いです。ただ、おそらくそれは難しいでしょうね。それに、この決定はわたくしが下したものではありません。あなたが尊敬しているオーギュスト様が決定されたことですよ」
迷子のことはスルーしよう。迷子になったのはわたしのせいではない。転移装置が故障していたのだ……たぶん!
「オーギュスト様の足を引っ張るようなことをしたら許しませんわよ! オーギュスト様はわたくしの未来の旦那様なのですからね!!」
彼女はそう言って去って行ったが、オーギュスト様とキャサリン様は婚約者同士というわけではない。キャサリン様が一方的にそう主張しているだけだ。
オーギュスト様か……。まあ、わからなくもない。彼の容姿は多くの者が目を奪われる。その黒髪は艶やかに輝き、その黒い瞳は見つめる者の心までも奪うような魅力がある。眉、目、鼻、口、顎のラインに至るまで、全てのパーツの均整が取れていて、まさに芸術品だ。
そして、侯爵家の嫡男。そのうえ魔塔の筆頭魔術師という地位。前世では大いなる徳を積んだに違いない。
終業時間になり、わたしは寮の食堂に向かった。寮は魔塔の一角にあり、魔術師たちの居住区として機能している。建物は古く歴史を感じさせるが、中は最新の魔法技術で整えられている。
寮の廊下には、わたしが開発した自動清掃機“カンガルンバ”が走っている。ゴミを拾っては腹部の袋へ入れていく。例のポケットを持った猫からヒントを得た。
そして一階にある食堂に向かう。終業後、自室に戻る前に食堂へ行けば、混雑する前に食事ができるのだ。
食堂には兎型自動配膳機“ベラビット”が走っている。これもわたしが開発したものだ。そう、ヒントはあれだ。
耳を触ればプゥプゥと鳴く……のではなく、攻撃態勢に入るため、耳には触らないように注意喚起をしなければならなかったが……。
食事を終え、わたしは三階にある自室に向かった。ドアを開けると、部屋はシンプルだが機能的に配置された家具で満たされている。
ベッド、デスク、本棚、そして魔法具を保管するための棚。壁にはわたしが研究している魔法の図表やメモが貼られている。
部屋の中央には大きな窓があり、その窓からは小さな庭園が見える。夜になると、庭園の植物が魔法で光り、幻想的な風景を作り出す。これらはオーギュスト様が開発したものだ。
入浴後、わたしはベッドに身を投げ出し天井を見上げた。今日は大変な一日だった……。出先では迷子になるし、突然召喚メンバーになるように言われたし……。
突然の召喚メンバーへの任命に、正直なところ、わたしの心は高揚と戸惑いで揺れ動いていた。
しかし、わたしは特技を発揮した。それは、どんなに興奮していても、どんなに頭が混乱していても、ベッドに入ってから三秒で眠りにつくことができるというものだ。
一、二、三と数えて、わたしの意識は穏やかな夢の世界へと滑り込んでいった……。
***
ついに召喚の儀が行われる日が訪れた。召喚の間では高魔力保持者である魔術師たちが魔法陣を囲んでいる。
魔術師たちは、皆、臙脂色のローブを着用している。この臙脂色のローブは、高魔力保持者のみが着ることを許されている。
集まっているのは、高位の魔術師ばかりだ。中でもオーギュスト様の信奉者であるエスターライヒ様は、わたしに懐疑的な目を向けている。
しばらくしてオーギュスト様が召喚の間に姿を現した。彼は、筆頭魔術師の証である白いローブを着用している。アミュレット、リング、ブレスレット等の装飾品を身に着け、白い杖を手にした姿はまさに神々しい。
「始めるぞ」
オーギュスト様はそう言って指定の位置に立った。
ついに召喚の儀式が始まる。わたしは心を落ち着け、儀式に臨んだ。
オーギュスト様が杖を高く掲げ、深い声で呪文を唱え始めた。
「光よ、闇よ、風よ、火よ、水よ、大地よ。我らの元へ。我らの道を照らせ。我らの敵を覆え。我らの声を運べ。我らの力を燃やせ。我らの心を清めよ。我らの足元を固めよ。我らが魔力、我らが意志、聖なる者、勇猛なる者よ、我らが願いを叶えん」
その声は召喚の間全体に響き渡り、わたしたち魔術師の心に深く響いた。
わたしたちは一斉に魔法陣に魔力を送り込み始めた。わたしの手から流れ出る魔力が魔法陣を通じて中心に集まり、光を放つ。
魔法陣は輝きを増し、その光は次第に強くなっていった。わたしたちは一心に魔力を送り続け、その光が頂点に達するのを待った。
そして、その瞬間が来た。魔法陣の中心から強烈な光が爆発的に広がり、わたしたちは一瞬、目を閉じざるを得なかった。
光が収束したとき、わたしたちは目を開けた。そこには、召喚された存在が立っていた。
それは、わたしたちが想像していたものとは、全く異なる姿をしていた。
あ、あれは………………!
そこには、勇者と思われる金髪の彼が立っていた。
「どういうことだ……? 文献によれば、勇者様は黒髪のはずでは……?」
魔術師たちは彼の姿を見て戸惑っている。
(いや、黒髪だと思います。元は……)
「あ゙あ゙!?」
勇者様は眉間に皺を寄せつつも、細すぎる眉尻を下げた表情をし、両手をポケットに入れて腰を曲げ、首をゆっくりと上下に振りながら、周りを威嚇するような声をあげた。
彼は、金や白の文字が所々に刺繍されている、丈が長い黒い服を着用していた。足元には木刀が落ちている。
(修学旅行で買いました……?)
そう、そこには、ヤンキーと呼ばれる種類の人間が現れたのである……!!
魔術師たちが一斉にわたしを見た瞬間、エスターライヒ様がわたしに言った。
「君がグレン・スミスと交代したために失敗したのでは?」
(ええっ!? 失敗だと決めつけるの早くない!? と言うか、わたしのせいなの!? いや、ここは押し通そう!!)
「召喚は失敗していません。召喚されたのは勇者様です!! ただ、その勇者様がヤンキーだっただけです!!」
「「「「「やんきい???」」」」」
わたしはオーギュスト様に助けを求めた。しかし、オーギュスト様はその場に倒れていて、侍従が彼を支えていた。
(そう言えばそんなこと言っていたような気がするわ。最大魔力を放出した後は意識を失うから、どうとか……)
「おいコラ。んだコラ。文句あんのかコラ。テメーらどこのモンだ?」
勇者様は、首をカックンカックンと上下に振り続けながら、周囲を威嚇していた。
(捻挫しないのだろうか……)
文献には、召喚された勇者様は、言葉が通じると書かれていた。しかし、皆、勇者様の言葉の意味がわからず、困惑していた。
仕方なく、わたしは意訳することにした。
「勇者様は『何でしょう? 何か私に伝えたいことはありますか? あなたたちはどちら様ですか?』と言っています」
わたしがそう言うと、魔術師たちは一斉にわたしの方を向いた。彼らは、わたしが勇者様の言葉の意味がわかることに驚いている。
エスターライヒ様が目を見開き、わたしに尋ねた。
「フェンドルトン、君は勇者様がおっしゃっていることがわかるのか……?」
「はい。わたしが(前世で)暮らしていた地方には、少数派ですが、このような言葉を話す方(時代遅れのヤンキー)がいました」
前世、こういった種類の人間は、都内では絶滅していた。しかし、地元のS県F市には、少数だが、まだ生息していたのである。
「しかし、勇者様の表情が……」
「勇者さまは緊張していらっしゃるのではないでしょうか」
彼らは一瞬顔を見合わせ、微妙な表情を浮かべたが、仕方がないというように頷いた。
「勇者様、我が国へのご降臨、心から感謝申し上げます。現在、我が国は魔王の復活が刻一刻と迫る危機に直面しております。どうか、勇者様の力をお借りし、魔王を討伐していただきたく、我が国へとお招きした次第でございます」
エスターライヒ様が勇者様に語りかけたが、勇者様は黙ったままだ。
彼は修学旅行で買ったと思われる木刀を拾い、それを肩に掛け、あの言葉を口にした。
「テメー、どこ中だよ?」
い、言っちゃったーーーっ!!
わたしは自分の手を抓り、吹き出さないように腹筋に力を込めた。
「勇者様は『あなたの出身はどちらですか?』と言っていますが、これは定型的な挨拶です」
(挨拶ですよね?)
「俺は“魔天楼”初代総長“MIYABI”だ!!」
(魔天楼って何かしら……? 暴走族の名前……? でも、“みやび”って嘘よね? だって、その木刀に“雅夫”ってマジックで書いてあるじゃない!)
勇者様はしゃがみ込み、膝を開いてかかとを地面につけたまま腰を低く落とし、けれど胸は張っている姿勢で続けた。
「黒龍会の佐藤さんと鳳凰会の鈴木さんとはマブダチだ」
(“佐藤”さんと“鈴木”さんって、比較的どこにでもいる名前よね……)
わたしはさらに強く手を抓った。
「勇者様は『私はマテンロウ族の長である、まさ……ミヤビと申します。コクリュウ族のサトウ様と、ホウオウ族のスズキ様と友人です』と言っています。これも定型的な挨拶です」
「おお! 勇者様は部族の長でしたか!」
魔術師たちは感心したような声を上げた。
「フェンドルトン、後は君に任せた。勇者様に失礼のないように」
不信そうにしていたエスターライヒ様は、そう言ってわたしに勇者様を押し付け、さっさと召喚の間を出て行った。
「おいコラ、殺んぞ! そこの姉ちゃん、説明しろや」
あなたが殺るのは魔王です…………。
***
勇者様を部屋へ案内し、わたしは改めて今回の召喚について説明した。勇者様は意外にも協力的だった。
「——というわけで、勇者様におかれましては、賢者様、聖騎士様、聖属性魔術師とともに、魔王討伐に向かっていただきたいのです」
「魔王たぁ面白れぇ。アタマの実力ってモンを見せてやるぜ」
勇者様はパニックになることなく落ち着いていた。暴走族のリーダーだけあって、肝が据わっているのだろうか。
「おい、姉ちゃん。ヤニくれや」
勇者様は、親指と、くっつけた人差し指と中指を立ててそう言った。
(勇者様、未成年よね……?)
「……ありません」
「あ゙? っだよシケてんな。んじゃ、ビー」
「ありません!!」
我が国では十三歳から飲酒が許可されている。酒類はあるが、面倒だし、バレるまでは前世のルールに従おう。
「勇者様。近日中に、戴剣の儀が控えております。その準備を急ぐ必要がございますので、少々お時間をいただけますでしょうか?」
侍従はそう言いながら、数人の商人や針り子を部屋に入れた。衣装や防具類の調整のようだ。
「勇者様、こちらにお召し替えを」
勇者様が着ていた金や白の文字が所々に刺繍されている丈が長い黒い服を手に取った商人は、その珍しいデザインに驚き、まじまじと見つめていた。
「おいコラ、テメー、この特攻服はなぁ、魔天楼総長の証だ。扱いには気ィつけろや」
そう言った勇者様に対し、商人は慌てて頭を下げた。
「長の証!? 勇者様の世界では、このトッコウフクが我々の世界での王冠に匹敵するものなのですね!? 確かにこの見事な刺繍は一流の職人の手によるもの……!! 特別なお衣装とは知らず、大変失礼いたしました!!」
(そんな大袈裟なものではないし、特別ではなく、ただの特殊なものだ)
勇者様が着替えるという事で、わたしはその場を侍従に任せ、魔塔に戻ることにした。
***
いつの間にか、わたしは勇者様の付き人になっていた。今日は騎士団訓練場で勇者様が剣技を披露するということになり、わたしは訓練場へ向かった。
「おいコラ! テメーら、かかってこいや!」
勇者様は挑発的な笑みを浮かべて、騎士たちに向かって叫び、動き出した。
勇者様の動きは速く鋭かった。彼は剣を自在に操り、相手の攻撃を軽々と躱しながら、的確に反撃を繰り出していた。彼の一撃一撃には圧倒的な力が込められており、相手の防具をも容易く貫いていく。勇者様の剣技を目の当たりにした騎士たちは、その驚異的な強さに圧倒されていた。
(おお……!! 勇者様は勇者だった!! 彼は強かった!! 召喚は失敗ではなかったのだ!! エスターライヒ様にクレームだ!!)
「では、私がお相手しましょう」
そのとき、一人の騎士が名乗り出た。彼は、勇者様に向かって歩み寄り、剣を構えた。
「舐めんなコラ、上等だよ」
勇者様がそう言うと、彼に突進しかけた騎士は足を止め、話り始めた。
「さすがは勇者様! 私の防具は火喰い蜥蜴の革をなめした上等品なのです!よくぞ気づかれました!この防具は、どんな攻撃も通さないと評判なのです。火喰い蜥蜴の革は非常に希少で、その強靭さと耐久性は他の素材とは一線を画します。この防具は非常に高価で、コネクションと財力を持つ貴族である私でなければ、到底手に入れることができません。これを身に着けている限り、私はどんな攻撃も跳ね返してみせます!」
騎士が話を終えると勇者様が剣を振り下ろした。同時に火喰い蜥蜴の革をなめした上等品だという防具はスパッと切り裂かれた。
「高価だったのにーーーっ!!」
騎士はその場に崩れ落ちて叫んだ。
騎士の自慢話にモヤッていたわたしは、勇者様の好感度が上がった。
馬に乗ったことはないと言っていた勇者様だが、彼は容易く馬に飛び乗った。
「オラァ、行くぞ!!ゼファー!!」
「ヒヒーン!」
「勇者様! その馬の名はエクリプスです!」
「ああん?」
馬は改名を受け入れたように、勇者様の指示に従い、力強く駆け出した。
「テメーら、魔王とか言うチキン野郎は、この俺がタイマンで勝負するからな! 手ェ出すんじゃねぇぞ!」
(タイマンじゃなくて力を合わせて戦ってくれないかな……)
ヤンキーでなければ、わたしの評価は上がったはずだ……。
***
戴剣の儀も無事に終了し、ついに勇者パーティの出立となった。門前には多くの人々が、勇者パーティを見送るために集まっている。
観衆の歓声が一斉に上がり、勇者様が姿を現した。
しかし、わたしは度肝を抜かれ、そして耳を疑った。
(なにアレ……!?)
勇者様の命令だろう。彼の青いマント、軍旗、馬衣には、金や白の文字がたくさん刺繍されていた。
マントには“天○天下唯○独尊“
軍旗には“仏✕義理”
馬衣に至っては“全▢制刃”と書かれている。
(ああいった類の人間は、漢字好きではなかっただろうか……。“覇”じゃなくて“刃”なのは、敢えてなの……? 馬鹿なの……?)
パララ、パラパラ、パラ、ラララ~。
楽隊のラッパは、有名映画のテーマソングを鳴らしている。実家に帰省したとき、長いシートのバイクが、その曲を鳴らしながら走っていたのを見たことがあるわ……。
わたしは針り子の皆さん、楽隊の皆さんに対して、申し訳ない気持ちになった……。
「ちょっと! あれなんて書いてありますの?」
わたしの横にいたキャサリン様に尋ねられ、離れかけていた意識を引き戻した。
「ええと……マントには“最も素晴らしい存在に”、軍旗には“圧倒的な力を”、馬衣には“最高の勝利を”と書かれています。勇者様が暮らしていた国の呪文です」
「まぁ! なんて素敵なのかしら……」
面倒なので、適当に流して答えておいた。そのとき、満足げな顔をした勇者様がやってきた。
「おい姉ちゃん。どうだ、イカしてんだろ?」
(イカレてるの間違いなのでは……?)
わたしは勇者様に冷めた目を向けた。
「あ゙? 何メンチ切ってんだよ?」
(あなたが切るのは風です!! 風を切って走ってください!!)
勇者様は冷めた目を向けたわたしにそう言いながら、横にいたキャサリン様を見て目を見張った。
「激マブ……!!」
(は…………?)
「ちょっと! 勇者様はなんておっしゃいましたの!?」
キャサリン様がわたしの両肩を掴んでガクガクと揺さぶった。
「た、大変、お美しいと言っています……」
「まあ…………!」
キャサリン様は顔を赤らめ、勇者様を見つめて言った。
「勇者様、ご武運をお祈りしております。どうか無事にわたくしのもとへお戻りくださいませ」
「必ず魔王を倒し、あなたのもとへ帰ると誓いましょう。美しい人」
(勇者様、中身変わった……!?)
勇者様とキャサリン様は、別れを惜しむ恋人同士のように手を取り合い、見つめ合っていた。
(放っておこう……)
そうして、勇者パーティは魔王討伐に向かった。
わたしはやっと付き人から解放されたのだ!!
勇者パーティを見送り、魔塔の研究室に戻る途中で、エスターライヒ様に捉まった。
オーギュスト様が目を覚まし、わたしを呼んでいるということなので、わたしは、オーギュスト様のもとへ向かった。
部屋に入ると、オーギュスト様はベッドに上半身を起こしていた。少しぼーっとしているようだが、それがまた色っぽい……。彼は軽くため息をついてわたしに言った。
「フェリシア・フェンドルトン、私の介抱はお前がするようにと言っておいたはずだが?」
(そうだっけ……?)
「目が覚めたとき、最初に好きな女の顔を見たいと思ったのだ」
(へぇー。オーギュスト様でもそんな風に思うのね。 ん……? 好きな女?)
「えぇっ!? オーギュスト様、わたしの事、好きなんですか!?」
「お前が迷子になる度に、毎回迎えに行っていただろ?」
「それはそうですけど……。 あ! もしかして、いつもわたしの居場所がわかったのは愛の力とか言うんですか……!?」
「お前のブレスレット型転移装置は、常にお前の位置を私に通知するように設定されている。それに、お前を迎えに行く口実を作るために、わざとお前が迷子になるように細工しておいたのだ」
あまりの驚きに、わたしは目を見開いた! けれど、わたしは少しも嫌な気はしなかった。顔が熱くなるのがわかる。
オーギュスト様はわたしを見つめて「フッ」と笑った。
(オーギュスト様、笑えたんですね!!)
***
勇者様は見事魔王を倒し、帰ってきた。予想よりもずっと早く。驚くほど早く。非常に速いペースで。
そして、勇者様はキャサリン様と結婚し、子沢山パパになった。子供が生まれる度に輝き名を付けようとするので、わたしはその度に止めることになったのだ……。
——おわり——
多くの作品の中から、この作品を読んでいただき、ありがとうございました。
また、誤字報告をありがとうございました。