四ッ谷3
「ぐぬぬう。ディの前では何でもかんでも道具になっちゃうのだ。むかつくぅ」
あまりのかわいさに、絢は苦笑した。優貴はデレデレと鼻の下を伸ばしている。
「たしかに、『絶対精神』は万物を質料とみなす。だから、相手を支配、統合することが前提よね。でも、莉愛さんの疑問も判る。確かにマシアスだけでそれに向かう手もある。そうすれば、人類を導く必要はないし、『絶対精神』を思い出させる必要もないわ、排除するか、最低限の人数を奴隷化すればいいんだもの。もしかしたら、ディたちは人類にも『絶対精神』を達成させて、何かを狙ってるのかも」
絢は自分の言っていることにほっとしていた。大義名分が立つことに気づいたのだ。マシアスに無目的な小金持ちどもの排除をさせないだけではない。良質な人類を利用させてはならない。
「壮大な計画だな、三〇〇〇年は続く」
「そうね。でも、目的のためにすべてを利用しようとするマシアスよ。田村さんは放っておくつもり?」
優貴はニヤッと笑みを浮かべた。絢は本題に入るつもりらしい。CIA極東支部(FEB)のCOがお茶をしに来たわけではないだろう。
「そりゃ放っておくさ。おれは人を強制するのも、されるのも大嫌いなんでね。邪魔立てはしないよ~」
「そう言うだろうと思ったわ。でも、マシアスがちょっかい掛けてきたら?」
「そん時は全力で叩き返す。もしそれ以外で動くとしたら、あとは……」
「あとは?」
絢が繰り返した。
「あとは、手応えかな? おれにしかできそうにないって充実感があればおれからちょっかい掛けてもいいね」
「呆れた男ね。つまり面白ければいいんでしょ」
「まっ、不謹慎な言い方すればそういうこと」
絢はそれを聞くとファイルを選び出して、優貴宛てに送った。優貴のスマホが受領を告げる。
「間違いなく、田村さんにしかできそうにない案件よ。確実にマシアスが絡んでいるし、疑問点も多い。手応え十分じゃない?」
「そりゃどうも」
「まぁ、ファイルを読んでみて。アクセプトするなら、既定の報酬を払うわ」
「おお、おお、CIAは儲かってるねぇ。さすがグローバル資本の総本山」
「分家よ、ディの。でも、本家に劣らず経済効率はきちんと考えてるのよ。だから一番効率のいいところに話を持ってくるわけ。当てにしてるわ」
「褒め言葉として受け取っとく」
優貴は笑顔を浮かべると立ち上がった。
ファイルを再生すると大型モニターにアフリカ系アメリカ人が顔を出した。アダムスPOO(パラミリタリィ・オペレーションズ・オフィサー)、絢の上司だ。
「ごきげんよう、田村君」
と語りだしたのを聞いて優貴も莉愛も口に含んだコーヒーを吹き出しそうになる。
ったく、絢め、どこが真面目にやってるだ。悪ノリしやがって。
二人の苦笑を無視して、アダムスが続ける。よく見るとAIアバターだ。さすがに上司に悪巫山戯を頼めなかったらしい。
「さて、君が見ている男は柏本勇、大手広告代理店博通の営業マンだ。今回の指令はこの柏本勇の保護とマシアスの手がかりをつかむことにある」
某有名スパイ映画シリーズの指令ファイル通りにアバターは話を続けた。
「絢さんも人生を愉しみ始めているのだ。すてきだぁ」
優貴の隣で、莉愛が愉しそうに言う。優貴は頷いて画面を見つめた。
アダムスに代わって、長髪に面長のつるっとした顔の男が映っている。サッパリ系のイケメンと言える顔つきだが、苦労のあとがまるで感じられない。深みのない顔だ。もちろん、おれのやっかみだが。
「柏本はわれわれの情報提供者なのだが、四日ほど前から、暴行を受けている」
モニターの画像がスライドし、変形した胸部が現れた。胸の中央が陥没している。
「莉愛」
優貴は手を伸ばし、莉愛の頭を抱えた。小さな顔を自分の胸に押し付ける。
「見るな」
「うん」
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