東京メトロポリタン美術館1
14
マツダ2を路上駐車して、優貴と莉愛は東京メトロポリタン美術館の裏へ回った。搬入口の鍵を解錠すると中に入り込む。絢に頼んでおいたセキュリティの解除は間に合っていた。警報はならない。
中に入ると、リノニュウム張りの暗い廊下がまっすぐに伸びていた。廊下の中ほどのドアを開けると、広々とした空間が広がる。一階から地下二階までの吹き抜けになっている。
対面の壁に、常設展示の絵画が掛けてあった。マチネだ。
壁沿いの階段を左に下った。向かい側にはこちらの三倍幅の階段がゆるい傾斜で下っている。そっちが正規の順路だ。
踊り場に着き、右を見ると上下に広々とした空間が広がっていた。計算されて作られているのだ。目線を下におろすと、正面に縦三メートルはある巨大な写真パネルが展示してあった。特等席だ。階段をここまで降りて来た客の目にはまず正面の写真パネルが飛び込んで来るだろう。
「おお」
思わず声が漏れた。
夏の濃い青空をバックに農作業をしている人々の写真だ。
「いい写真だね」
横で莉愛も息を漏らすようにつぶやく。
「ああ、夏の暑さと風の爽やかさが伝わって来るな」
「うん、サイダーみたいだ」
「お、巧いこと言うな」
「へへぇ」
莉愛が首をすぼめて照れた。いい顔だ。愛らしさに思わず見とれる。絶対に葉柴には触れさせない。
優貴は莉愛の手をひいて階段を下りた。展示室を見回すが、人の気配はない。
「外したかな?」
そう呟いた瞬間、優貴の感覚に濁ったものが触れた。
「いや、来た」
その言葉に莉愛は頷くと優貴の傍を離れた。柱の陰に走る。
まるで兆候なくても、優貴が来ると言えば敵は来る。莉愛の優貴への信頼には一点の曇りもない。
ほどなく展示室の右手のドアが開いた。黒革のジャケットにTシャツ、胸元に下品なアクセサリーをつけた男だ。葉柴拓也に違いない。優貴に弾かれた中折れ帽を拾う暇はなかったらしい。
「ビンゴォ」
読みが当たって嬉しくなった優貴が葉柴を指さした。
「なんだぁ、てめえ!」
優貴を見るなり葉柴が叫んだ。
「なんで、ここにてめえがいやがる!」
みるみる顔を真っ赤にした葉柴が大股に歩いて来た。こりゃ、さっきの続きをやる気満々だ。
優貴はニヤついてしまう。本格的なやり合いをまたできそうだ。自分の能力を十全に使う喜びに浮きたつ。
「なに笑ってやがる、ザケんなっ」
どうも葉柴は優貴のなにもかもが気に入らないらしい。申し訳ないところだ。
優貴が謝ろうかと思案してるうちに葉柴が拳を飛ばしてきた。第二ラウンド開始だ。
「っと」
優貴は鮮やかなジャブ、クロスをいなして、間合いをとった。
「ムエタイかな? マシアスは力任せじゃなくなったのかい?」
「知るか! さっきのは油断したからだ。次は触らせねぇ」
葉柴がガードを構えた。重心を落とし、一気に優貴に迫る。
『いいねぇ、そう来なくっちゃ』
顔面にジャブとストレートが迫る。優貴は右左にダッキングしてそれを躱す。
『来るっ』
優貴は上半身を伸びあがらせた。わずかに後傾する。
優貴の胸先を葉柴の爪先が駆け抜ける。威力充分だ。よく鍛えられている。
「くそがっ」
渾身の蹴りを躱されて葉柴が悪態を吐く。
『品のない』
と茶々を入れる間もなく、次のパンチが優貴を襲った。それも右に躱す。ったく慌てる何とかはもらいが少ないって知らないのか。
だが、葉柴はまるでヒットしないのを意に介せず、さらに前に出た。拳が上下左右に撃ち分けられ、思わぬタイミングで膝蹴り、前蹴りが織り交ぜられる。しかも、一発一発が重い。マシアスの馬鹿力のせいだ。常人なら一撃で悶絶する威力が籠っている。ベテランの特殊隊員でも二、三発で倒れるだろう。
だが、当たらない。優貴は見切っている。
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