芝浦倉庫3
『見え見えなんだよ、対角の攻撃ってのは』
優貴は下腹部に飛んできた膝を躱すと、初めて腕を動かした。
左腕を伸ばし、中指で葉柴の帽子を弾く。
ふわっと帽子が舞い上がった。
驚き帽子に手をやった葉柴が初めて後退した。
11
葉柴が間合いを取る。
「てめえ、変な技使いやがって」
「人を変態みたいに言うなよ」
葉柴がムエタイガードを取り直した。
リズムをとる。
先ほどまでの怒りに任せた三白眼が消えた。まっすぐに優貴を見る。優貴を斃すことに集中したいい顔だ。
ようやく優貴の実力を認めてくれたらしい。
「お前なんかに負けないぜ。なんたって、俺は人間以上の存在なんだからな」
「それは愉しみ」
優貴はにやにやと笑みを浮かべる。
葉柴はそれに反応しない。ただ、リズムをとり、隙を探っている。さっきまでなら陳腐な科白を吐くところだが、そんな雑念は吹き飛んでいる。純粋な顔をしている。
葉柴の両拳が微妙に動く。
誘いだ。
優貴は動かない。息を吐く。全体を見る。相手が本気ならこちらも本気を出さなければ失礼だ。ゆっくり空気を吸い、丹田に落とし込む。
「くそっ」
葉柴が呟いた。威嚇ではなく手筋が見つからない焦りが声に出たのだ。
いつの間にか葉柴の顔に汗が噴き出していた。十一月だというのにぽたぽたと汗が滴り落ちる。葉柴の息が乱れている。
『? こいつ、なんだ?』
優貴の感覚を濁ったものが掠めた。
自分のではない。葉柴のだ。怯え? いや、なにか鬱屈したもの。
「あんた……」
優貴が言葉と続けようとしたとき、奥から叫び声が響いた。
「この嘘つき野郎が!」
今度は、はっきりと怯えを見せた葉柴が声の方を見た。
半身を起こした柏本が叫んでいる。鼻と胸を押さえ、怒りに顔が歪んでいる。
「う、動いちゃダメなのだ。まだ、血が」
回り込んで柏本を介抱していた莉愛が制止しようとするが、柏本はそれを無視した。
「お前みたいな経歴詐称のチンピラカメラマンがこんなことしやがって。絶対に締め出してやるからな、二度と仕事ができないようにしてやる」
「や、やめるのだ。傷が」
莉愛が柏本の肩に手を伸ばすが、柏本は収まらない。
「田村、そいつを殺せ。ぼくをこんな風にしたやつだ、殺しちまえ、殺しちまえよ!」
葉柴がこちらに向き直る。
さっきまでのまっすぐな雰囲気が消えて、べたっとした濁ったものが葉柴の顔に張り付いていた。笑う。居直ったような屈辱を隠すための笑い、嫌な笑いだ。
「あれ、お前の女だな」
葉柴が断定する。
「所有物じゃないけどな」
「可愛いな。いつも一緒にいるんだろうな」
「ああ、離れろって言っても離れないからな」
「でも、一生そういうわけにはいかない。仕事もある。ああ、いや、違うなあの若さだと大学生か」
「だから?」
「あんたがいくら強くったって、守り切れない。あの綺麗な顔の皮膚をめくるとどうなるんだろうなぁ。どんな顔になるか楽しみだ」
「そんなことはさせないさ。おれがいるんだから」
「そうか、そうだろうよ」
いやな笑いの上に、粘着質の視線を乗せて、莉愛を見つめる。そんな目で見るんじゃねえよ、葉柴。ちっといいやつだと思ったのに、嫌いになるぞ。
葉柴が視線を戻した。また嫌な笑いを浮かべた。事務所の方向へ後ずさる。
「まぁ、待てよ」
優貴は葉柴に声をかけた。内心焦っている。
「柏本を助けるやつは全員敵だ。絶対ひどい目に合わせてやる」
「まぁ、待てったら」
後ずさる葉柴を優貴は大股で追う。
葉柴が踵を返して走り始めた。
優貴はそれを追おうとしたが、急に立ち止まった。なにかおかしい。そうか、悪賢い野郎だ。
優貴は慌てて振り返った。莉愛に走る。
「莉愛!」
優貴は柏本の傍に座っている莉愛に飛びついた。頭を抱え覆いかぶさる。押し倒したわけだが、急にその気になったわけじゃない。
「小さく、口を開けて、耳を塞ぐ」
それだけで伝わった。
莉愛が素早く手を耳に当て、足を折り畳む。
その瞬間、爆圧が来た。爆音は後からだ。
次回のアップは8/9の5PMです。