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近江の山には藤がなる


「大橋くん、実は君に会わせたい相手がいるんだ」


 気づけば長い年月近江と過ごすうちに藤嶺はいろいろと考えた。

 そして藤嶺は大橋に近江を会わせることにした。

 もしもの時、近江を任せるために。人魚などという空想の中の存在でしかなかった近江を紹介するには絶対に口外しない、信頼出来る人物が相応しかった。そして藤嶺の知る中では大橋が1番の適任だと思ったのだ。


「珍しいですね。藤嶺さんがそんなこと言うなんて。あ!もしかして彼女さんとか!?」


 大橋の大袈裟なまでのリアクションに藤嶺は苦笑いした。あまり女性へと関心を寄せたことがなかった藤嶺は何度か付き合いこそすれど長くは続かず、まして誰かに人を紹介したことなどなかった。

 大橋と知り合って10年あまり、もちろん大橋にも誰かを紹介したことはなかった。それが今日ここに来て会わせたい人がいる、と藤嶺から言ってきたのだ。大橋の驚きは多少大袈裟ではあるが妥当なものであろう。


「まぁ、とりあえず家まで着いてきてくれ」

「は、はい!」


 山の中腹ほどで車を停め、家までの少し長い距離を歩く。車のドアミラーで姿を確認した大橋は藤嶺の後をはぐれないように追っていた。

 最初は歩くのも困難だった道は、今ではすっかり整えられ草や木に阻まれずに歩くことが出来るようになっていた。それだけ藤嶺はこの山に来てから時が経っていた。

 たどり着いたところにあったのは小屋のような藤嶺の家、そして小さな湖。その近くには簡易的な畑があり、林檎の木が実をつけていた。


「林檎だ……」

「移植してもらって、ついこの間身がつき始めたばかりなんだ」

「藤嶺さん、果物お好きでしたっけ?」

「いや、あれは俺用じゃなくてね」


 ぱしゃり。湖から魚が跳ねたような水の音がした。

 藤嶺が湖に近づくのに続き大橋も近づく。


「その人がおおはし?」

「うわぁっ」


 湖からいきなり顔を出した近江に驚いた大橋は思いきり尻もちをついた。

 明らかに人ではない見た目をした近江を指さしながら藤嶺に目線を向ける。その目はまるで助けを求めているようだった。大橋を起こすと、近江の傍でしゃがんだ藤嶺を大橋は信じられないものを見たような顔で見つめた。


「この人魚が、君に紹介したかった相手だ。名前を近江という」

「はぁい。ごきげんよう、おおはし」

「は、はじめまして……」


 未知なる存在に大橋はそう返すので精一杯だった。

 大橋が落ち着くまで少し時間がかかった。人魚という存在を処理するのに頭が追いつかなかったのかずっと混乱したような話し方をしていたが、段々現実を受け入れ、藤嶺に隠れつつではあるが近江と話すことが出来るようになっていた。


「で、近江さんはここじゃないどこかの海から来たと?」

「そうみたいね」

「なんで違う世界だと思ったんすか」

「だって魚たちの言ってることわかんないんだもの」


 人魚は魚の言葉を正確に聞き取ることは出来ないが、人が動物の言いたいことをなんとなく感じとることが出来るように、なんとなく言いたいことが分かるらしい。

 それがこの湖に来てからはまるで伝わらない。もしかして海の魚じゃないからかと思い、生きた海の魚を試しに持ってきてもらったが、やはり何も分からなかったのだとか。


「はぁ……それなのに俺たち人間とは喋れるんですか」

「そういやそうだな」

「不思議よね」


 近江も藤嶺もあまりそういったことに興味を抱いておらず、何故会話が成立するのかなど考えたことなどなかった。そのことに大橋は脱力し、自分がしっかりしないとなと決意した。


「近江も、俺も、そんなに長くはない」

「近江さんも……」

「海から離れた人魚だもの」


 海から生命力を分けてもらい人間より長い寿命を持つ人魚は、海から離れれば海にいた頃の生命力は失われ長く生きることは出来ない。そして藤嶺は医者からそう長くはないと告げられている。


「でも、藤嶺さんはちゃんと手術をしたら……!」

「成功率は高くない。成功しても動けなくなるかもしれない。そこまでして長く生きようとは俺は思えない」

「でも、でも……」

「すまない、大橋くん。君にはとても感謝しているんだ。出来れば君の願いは叶えてやりたいが……。これだけは譲れない」


 ぽたぽたと大橋の目から流れる涙を拭うことも出来ず、藤嶺はそっと肩に手を置いた。その涙を近江は不思議そうに見ている。


「初めて見たわ。涙って綺麗なのね」


 そんな少々場違いな言葉を近江は思わず口にした。多分、本人も話そうと思って口にしたわけではなく、思わず出てしまった言葉だったのだろう。ずっと海の中にいた近江は涙を見ることなどなかったのだろうから。


「僕は、僕はどうしたらいいですか」

「……たまにでいいから、近江の話し相手になってほしい」

「はいっ」

「それから、俺が先に死んだら近江を頼む」

「……わかり、ましたっ」

「私が先の時は、みどりと一緒に見送ってちょうだい。悲しむみどりのそばにいてあげて」

「はいっ……!」

「すまない、大橋くん。君には面倒をかける」

「いいんです!ずっと……ずっと藤嶺さんにはお世話になりました!だから、今度は僕が恩返しするんです」


 大橋は赤い目を擦りながら、鼻をすすり強い決意の篭った目で藤嶺を見る。

 初めて藤嶺から頼られた。誰にも言ってはいけない秘密のこと。

 藤嶺が手術を受けない理由に、きっと近江のことも入っていると大橋は気づいていた。だから近江に対して少し敵意を持った。けれど近江と話す藤嶺は今までで1番生き生きとしているようで、2人が寄り添うとまるで絵画のようにお似合いで、大橋はこの2人のことは自分しか知らないのだ。誰にも知られることのない2人を祝福する人は自分しかいないのだと思うと、大橋は2人を自分こそが祝わねばと思ったのだ。

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