夏に林檎
おまけの話です
滋賀県のとある山には人魚が祀られた社がある。
その社に辿り着けた恋人たちは死がふたりを分かとうとも、共にいられるとか。
私有地のその山には時々人目を盗んで潜り込む人がいる。そういった非常識な人間はとても恐ろしい思いをして山を下るらしい。
恐ろしい化け物を見たとか足を掴まれただとか、水辺に近づいたら引き込まれたとか。
それでも未来を夢見た常識ある恋人たちは、私有地の主に許可をとり、社を目指す。
社に辿り着けたという話は聞かないが、無事に山から帰ると幸運が舞い降りるという。
そんな本当かどうかも分からない噂が存在する。
「おじーちゃーん!!」
麦わら帽子を被った小さな女の子が山の麓にある祖父の家に遊びに来ていた。
毎年お盆の時期になるとここに来ては祖父から不思議で面白い話を聞くのが女の子は大好きだった。
今日もいつものように大好きな祖父を呼ぶが、少し待っても祖父が出てこない。疑問に思ってとたとたと小さい足を動かして家の周りを探す。
家の裏側に祖父はいた。
「おじーちゃんいたぁ!」
大好きな祖父を見つけた女の子はしゃがむ祖父の背中に抱きついた。
ひょこっと体をずらして見ると祖父は目を瞑って手を合わせていた。その先には大きな石をいくつか積んだものがあり、手前には綺麗な花と林檎が供えられていた。
「おはか?」
「ここにはいないと分かってはいるのだけれどね。父から散々2人の話を聞かされたからか、この時期は祈らずにはいられないんだ」
「人魚のおはなし!?」
人魚の近江と山の人の話。その話が女の子は一等好きだった。
女の子も祖父の真似をして隣に座り手を合わせる。
「人魚は本当にいたと思うか?」
「うん!!」
「そうか……」
立ち上がった祖父の手を握って2人で歩き出す。
家の表に辿り着くとそこには祖父の息子夫婦、つまり女の子の両親が歩いてこちらに向かっているのが見えた。
「宇美」
「おとーさんたちおそーい!」
「宇美、走っていったら危ないでしょ」
「はーい。ごめんなさい」
「お義父さん今年もお世話になります」
「こちらこそ。わざわざ遠くまでありがとう」
息子夫婦と孫の宇美を家へ招き入れる。
「おじーちゃん人魚のおはなし聞かせて!」
「ああ」
「宇美は人魚の話が好きだなぁ」
宇美の父も幼い頃は同じようにその話を父の父、つまり自分の祖父に聞いて育った。まるで本当に人魚がいたかのように思えて今でも気に入っている。祖父は山で気を失っている時に見た夢の話しだと言って楽しそうに話していた。晩年をここで過ごした祖父は自分も一度本物の人魚を見てみたかったと笑っていた。それを聞いた父が家の裏手にあの墓のようなものを作ったのだ。そして人魚が好きだったという青林檎と花を夏に供えている。
サクリ。季節外れの林檎を齧る。
見た目の緑色のような爽やかな甘みが口に広がる。
目の前では宇美のリクエストの人魚の話が始まったようだ。
「近江の山には人魚がいた。その人魚もまた近江と呼ばれた」
空には碧い海が広がっていた。




