強ばって、怖がって
それから藤嶺は自宅での療養となった。
定期的に医者が訪れ診察をしていく。その度に入院を勧められるが全てを断り続けている。
近江はほぼ全ての時間を水路の近くで過ごすようになった。最期のその時まで少しでも藤嶺との時間を大切にしたいという想いからの行動だ。
「近江、そんな見られると穴があくぞ」
何をするにも近江の目に追われる藤嶺は最初こそ居心地が悪く常に視線を気にしながら過ごしていたが、今では最早視線を感じない時の方がそわそわとしてしまうくらいにまで慣れた。
「だって少しでもみどりのこと記憶しておきたいじゃない」
貴方が愛おしいと伝えるような優しい瞳で藤嶺を見る近江は、あれから少しだけ長く起きているようになった。
起きている間はなるべく動かないようにして藤嶺を見ている。
「みどり、また痩せたわね」
「少しだけだ」
できる限りを自給自足で賄うために作った畑もすっかり耕すことはなく雑草が生い茂っていた。近江のために植えた林檎の木だけは未だに藤嶺が世話をしているから無事に今年も実をつけていた。
固形物を食べる余裕がない時はこの林檎をすりおろして2人で食べるのが藤嶺は好きだった。その時は体の不調も悪くはないと思えたのだ。
「痩せた貴方も魅力的よ」
「ありがとう。君も、その短くなった髪も似合ってるよ」
梳いては絡まる長い髪を近江は肩につかないほどの位置で切り落とした。切りそろえられた髪が近江の顔の横でふわふわと揺れているのは何回見ても飽きぬものだと藤嶺はその髪を軽く撫でながら思った。
出会った頃とは2人とも変わってしまった姿。それでも2人は出会った頃よりお互いを好きな気持ちは留まることなく増えていく。
美しい青い鱗が剥がれてしまって鈍色になった尾びれも光を通さない軋んだ短い髪も。シワの増えた顔も、骨が浮き出るほど痩せた大きかった手も。全部君の生きた証拠だから。その全てが愛おしいんだ。
「近江、手を握ってくれないか」
「……うん。握ってるよ」
藤嶺はもうすでに手の感覚がほとんど無くなっていた。ずっと握っていた近江の手が分からないほどに。
だから近江は精一杯の力を込めて藤嶺の手を握る。震えるのは力を入れているから。悲しい想いを込めたくないから、ぎゅっと何も入る余地がないくらい握るんだ。
「近江、おうみ」
「うん……いる、いるよみどり」
「怖いなぁ……」
藤嶺が初めて不安を口にした。
「そうだね」
「……おうみ、俺は死ぬんだな」
「……うん。そうだよ」
確かめるように聞く藤嶺の目をしっかりと見て近江は返事をする。まるで迷子の子供が親を探すような揺れた目をした藤嶺を可愛いと思った。
死というものが身近で、特別なものではない人魚の近江には藤嶺の不安や恐怖は分からないけれど、分かってあげたいと思った。そして少しでもこの人が安らげることが出来たらいいと心を尽くすのだ。
「大丈夫、1人にしない。ずっと一緒よ」
「ああ……。近江、寝たくないんだ」
「うん。ずっと手を握ってるから、一緒に起きていましょう」
水路から出て縁側に座る藤嶺の横に腰掛けて寄り添う。
2人の体温は溶け合って、熱いのかも冷たいのかももう分からない。
藤嶺は随分熱くなったなと思ったし、近江はまた冷たくなったと思っていた。そうやって体温さえも2人は近づいて寄り添っていた。
「ねぇ、今日は星が綺麗よ」
「……うん。でも、隣が1番輝いてるから、あんまり見えないな」
「風も暖かくなってきたわ」
「……、君のそばはいつも暖かい」
「ほら、綺麗な虫の声も聞こえる」
「君の声が1番綺麗だ」
「花の匂いがする。なんの花なのかしらね」
「……ふふ、水の匂いがする」
「みどり……愛してるわ」
「……おれも、あいしてるよおうみ」
「みどり……?」
「……」
「寝たの……?みどり。……おやすみなさい」
近江の肩に頭を乗せたまま目を閉じた藤嶺の瞼にキスをして藤嶺を横に寝かせる。
その隣に寝転び手を繋いで近江も目を閉じた。
――私もこのまま目覚めなければいいのに。
朝日に照らされて起きたのは近江だった。
隣の藤嶺が夜よりなんだか固く感じて強ばった顔から涙が1粒こぼれ落ちた。
「おやすみ、みどり」




