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5.覚悟





 ──長かった。

 視界に現れた彼らを見て、脳裏に浮かんだ言葉はそのひと言だった。

 忘れもしないあの日あの場所で、“魔王”として生きる選択をしてから六年が過ぎた。その(かん)、私は数々の非人道的行いをしてきた。魔物を操って町や村を襲わせた。私自身が直接手を下して(ほふ)った命もある。悲鳴を上げながら逃げ惑う人々を、数えきれないくらい幾つもの命を奪ってきた。そうして人々の心に恐怖を植え付けた。世界を混沌に陥れ、魔王という存在を認識させてきた。

 だってそれが、私に課せられた役割だから。自ら受け入れた運命だから。

 蒔いた恐怖の種がいつしか憎悪の花を咲かせると知りながら、尚も人間を襲い続けた。結果、推測通り人々は私を憎み、恨み、倒すべき敵であると断定した。そこに勇者が現れ、王国は精鋭たちを集い、魔王の元へと送り込む。


 たとえそれが世界に定められたシナリオであったとしても。






「やっと辿り着いた…」


 勇者が口を開く。低く耳に残る声が、緊張感漂う空間に響く。久し振りに聞く、懐かしい声。頭の奥がじんわりと熱を持ったが、すぐに振り払う。

 これまでの戦いで、多くの魔物を葬り去ってきた聖剣が白く輝く。鋭い眼光が、私を貫く。綺麗な青い瞳。その奥にチラつく炎には、どんな思いが込められているのだろう。


「魔王よ、覚悟しな」

「観念するなら今のうちですわ」

「降伏しろ」

「これまでの罪を、償ってください」


 強気な発言。強気な姿勢。彼らが勇者の仲間。数々の死闘を共に潜り抜けてきた、戦友たち。助け合い、支え合い、命を預け合ってきた、切っても切れない関係。強い絆で結ばれた彼らは、“魔王を倒す”というたった一つの確固たる目的を共有し、ここまで一人も欠けることなく到達した。


「罪…? 私の罪とは何かしら?」

「惚けないで! 今までどれだけの命が失われてきたと思ってるの!?」


 キッと睨み付けてくる少女。握り締めた拳がブルブルと震えているところから、私の発言にどれ程怒りを感じているのかが解る。

 面白いくらい簡単に煽られてくれる彼女は、数十年ぶりに現れた聖女。邪気を浄化する力を持っていて、これまでも私が作った魔物を弱らせて勇者たちが倒す手助けをしてきた。他にも防御の結界を張り、仲間を助ける姿も見ている。それに、人一倍平和への願望が強い。だからこその憤怒なのだろう。


「私はただ、邪魔者を排除しただけよ。それに、私の可愛い魔物たちを消し去るのに手を貸してきた貴女も、同じようなものでしょう?」

「なっ…!?」


 言葉に詰まり、悔しそうな顔をする聖女。


「惑わされるな!」

「そうですわ。耳を貸してはダメ。そもそも人を襲うのが悪いのですわ!」


 一行の中でも特に私への敵意…いや、殺意を剥き出しにしている弓使いと魔法使いの二人が忠言する。たしか、弓使いの方は故郷が魔物に襲われたとかで、魔法使いの方は旧友たちを私に殺されたとか。……覚えていないけれど。まぁ、それで“魔王”に対する復讐に燃えているそうだ。素直に考えて、当然の反応。

 生まれ育った場所を奪われて怒りを覚えないはずがない。親しかった旧友たちを奪われて怒りに震えないはずがない。奪った奴を許さない。許せるはずもない。必ず何かしらの反撃を、復讐を考えるに違いない。復讐するためなら、なんだってする。たとえ自分の命と引き換えにしてでも。私がその立場なら、そうする。だから、二人の復讐心はあって当たり前。


 その方が、都合がいい。


「邪魔者を消して何が悪いのかしら? 貴女たちがここに来るまでに魔物を倒したのは、邪魔だったからでしょう? それと同じ。私も、私が進むべき道を行くために邪魔なモノを、除いてきただけよ」


 そう言ってクスリと笑えば、カッと顔を真っ赤に染めて怒りを(あらわ)にする弓使いと魔法使い。その感情のままに一歩こちらへ足を踏み出そうとする魔法使いの肩を、大きな手が掴む。


「落ち着けよ」

「だって…」


 眉間に皺を寄せたまま、その手の主を見る魔法使い。彼女に代わって一歩前に出て来た男は、私に向かって声を張る。


「お前がどういう理由で人を襲ってきたのかは、オレにとっちゃ正直どうでもいい。多くの命を奪ってきたという事実があれば、戦う理由には充分だ。ただ、今の言い分を聞く限り…」


 そして長身な己と同じくらいの長さがある槍を構えて、その表情を険しくし、敵意を乗せた視線で私を見る。


「話し合いなんて平和的なことはできそうにねぇな」


 大柄な体から殺気をブワリと噴き出す槍使いの男は、王国の騎士団に所属し、常日頃から国の治安を守っている。弓使いや魔法使いのように、“魔王”に対して特別個人的な何かがある訳ではなく、ただ日常を壊す敵を排除するだけ。聖女寄りの考え方だけど彼女ほど強い訳ではなく、しかしその両肩には「王国を代表して」という重大な責任が乗っている。一行の中でも随一責任感が強いから、必ず責務を果たすという覚悟を持っている。王国からの重圧を重圧と感じずに、力に変えられるところは彼の長所だろう。

 そんなことを思っていたら、隣でカラカラと笑う声が聞こえた。横目でチラリと見ると、肩を震わせて楽しそうに笑う男がいた。


《ヒヒヒッ、話し合いだってよ、話し合い。いいねぇ、平和的解決法! だぁれも血を流さねぇし、だぁれも死なずに済む。ただ、それができたら今ここにこうして対峙してねぇよなぁ、ヒヒッ》


 確かに、その通り。話し合いで解決できるならそれに越したことはない。だけどそれはこれまでのことを思い返してみれば、これまで失われてきた命の数を数えれば、無理なことは解りきっている。だから、この場に先ほどの台詞は相応しくない。まぁ、彼も言ってみただけという感じがあるけれど。

 槍使いの気合いに促され、他の仲間も臨戦態勢になる。弓使いは弓を片手に構え、背中に背負った筒に入った矢に手を掛ける。魔法使いは杖を体の前に掲げて持つ。聖女は両手を前に突き出し、既に浄化の力を溜め込んでいる。これから始まる戦闘に向けて、各々が各々の武器を以てその意志を見せている。

 聖女は平和を取り戻すために、弓使いは失った故郷のために、魔法使いは亡くした旧友たちのために、槍使いは責務のために。それぞれの目的のために、己の命を掛ける覚悟を持って最後の戦いへ意気込んでいる。今までどれだけのモノを得て、どれだけのモノを無くして来たのか、解っているつもりだった。彼らが旅に出た時からずっと見てきたから。だけど実際に同じ空間に居て、彼らを前にして、彼らの気迫をこの身に受けて、想像以上のものを感じた。だから、それに応えなければならない。

 なのに。


「…本当に、戦わなければならないのか?」


 肌を突き刺すようなピリピリとした緊張感に張り詰めた空気の中に零された言葉に、暫し思考が停止する。

 この状況で、何を言っているの?

 困惑が頭の中を占める。それは言葉の主の仲間も同じようで、驚いた表情をしてその人を振り返る。鈍化した思考をなんとか回転させて、なんとか舌を動かす。


「…どういう意味かしら」

「俺は、戦いたくない」


 今度ははっきりと主張した。それも信じ難い言葉なのだけど。


「どうしたのレオル!?」

「何を言い出すんだ!?」


 ほら、思った通り。予想外の発言に仲間が動揺している。かく言う私も内心戸惑っているのだけど、それを表面に出すなんて間抜けなことはしない。とにかく、勇者の真意を確かめようと視線を向ければ、カチリとすぐに交差する。その瞬間、ドクリと心臓が跳ね上がった。読み切れない感情を閉じ込めたその瞳に見つめられる。

 勇者は構えていた聖剣を、あろうことか敵前にして下ろしてしまう。


「俺は、戦いに来たんじゃない」

「……何を言っているの」

「君を救いに来たんだ」


 思ってもみない言葉に、僅かに目を見張る。グッと奥歯を食い縛る。細く息を吐き出し、跳ねた心臓を落ち着ける。


「救い…? 本当に、何を言っているのかしら。ふざけているようにしか聞こえないわ」

「ふざけてなんかない」

「なら、私をからかっているの? それとも侮辱?」

「違う!」


 突如声を荒げた彼の勢いに圧され、思わず口を噤む。


「俺は、ずっと君に会いたかった! 君を救うために、ここまで来たんだ!」


 純粋な言葉。簡潔な目的。読み切れなかった、瞳の奥にチラついていた炎の正体を目の前に突き付けられた。他の仲間とは正反対の感情。“魔王を倒す”ことではなく、“魔王を救う”ことのために今まで戦ってきたと明言する。仲間にとっては裏切りとも取れる発言。私にとっては…。

 この胸を打ち震わせる言動は、出会った時からずっと変わらない。眩しいほど、羨ましいほど真っ直ぐで。

 残酷なほどに、優しくて。


 ──その優しさが、(あだ)となる。


「…そう。解ったわ」


 私は、私を中心として円を描くように魔力を集束させる。円周の各点から魔力の弾丸を生み出し、勇者たちの足元を狙って連続で撃ち込んだ。ガガガッと床が削れ、もうもうと爆煙が上がり、一行の姿を一時的に隠す。

 ゆらりと、石造りの椅子から立ち上がる。玉座とも言えるこの場所から、煙が晴れるのを待つ。突然の攻撃に()られる彼らではないと、確信を得ているが故の威嚇だった。

 勇者に対しての、私の意志を伝える手段だった。


「いきなり何を…っ!」

「勇者よ」


 腹の底から声を出す。お腹に力を入れて、背筋を伸ばす。肩の力は抜き、自然体を意識する。顎を少し引いて、驚愕の色を浮かべた勇者の顔と警戒心を最大限にまで上げた他の仲間の顔を見据える。目を少し細めて、表情筋を動かして口角を上げる。


「私は救いなんて求めていないわ。そもそも、そんなことはそこのお仲間たちも、王国の人々も望んでいないはず。だってそうでしょう? 貴方は今まで何を見てきたの。何を聞いてきたの。私がどんなことをしてきたのか、忘れたの? 私の行いによって傷つけられた人々の言葉を、聞いていなかったの? 倒したいのでしょう? 殺したいのでしょう? 故郷を奪われて、家族を奪われて、友人を奪われて。理不尽に晒された人々が怒りを覚えないの? 恨まないの? そんな訳ないわよね。だって奪う理由が、殺される理由が、邪魔だったからだなんて利己的なものなのだもの。まぁ、本当に邪魔だったから消しただけなのだけど。それを聞いて普通は怒るでしょう? なのに救いたいなんて、冗談でも笑えないわ」


 奪ってきた私が言うのもお門違いだけど、残虐無道の被害を目の当たりにして、たくさんの命が失われて、亡くした人々の家族や友人たちの様を見てきて、それで元凶の救済を求めるなんて。なんて矛盾。なんて裏切り。どれだけの人が“勇者”を求めているのか。どれだけの人が“勇者”に期待を、希望を持っているのか。それを実感していないはずがないのに、“魔王を救いたい”と本気で言っている。

 そんな勇者は求めていない。今この場にいるのは、各々の覚悟を持っている者たちだけ。“勇者”と“魔王”という立場で、己の信念を貫くために戦いに来た者たちだけ。


「ここは命を懸ける戦場よ。円満解決を望む甘い考えを持つ奴はいらない」


 私は、既に覚悟を決めている。あの日から、今日この日まで、揺らいだことはない。自分で選んだ。自分で決めた。

 両手を胸の前で合わせて、ゆっくり離す。左手の中から徐々に現れるのは、柄も刀身も全てが黒に染まった一振りの剣。魔力を宿したそれは、魔王のための剣。魔王である証拠。

 一つ空振りしてから、真っ直ぐに相手へ向ける。黒く鈍く光るこの剣は、既に肉を断つ感覚も血の味も知っている。今さら震えることはない。怖いとも思わない。


「今すぐ血祭りにしてあげるから」


 覚悟して。


 その優しすぎる願いを、私は叶えてあげられないから。






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