7話 南の遺跡群の探索I 入り口の町ファルーム
「いよいよね。」
「えぇ。」
誰に向けたわけでもないのだろうイサラの呟きに、答えるともなくエーシャが答える。
「それにしても少しお腹が空いてきたわ。」
グロッシュ王国の王宮グローツを早朝に出発し、二人の姿は、南の遺跡群の入り口、ファルームの町にあった。
「ちょうど昼時ですね。少し早いですが、今日はここで宿を取り・・・。」
キャーッッ!!エーシャの相槌が悲鳴でかき消された。二人は一瞬、顔を見合わせると同時に走り出した。
悲鳴の出どころはすぐにわかった。酒場の看板の下に人だかりができている。二人が駆けつけた時には、中の様子が見えない程の人の壁ができていた。
「オラァ!」
酒場の中からはいかにもな怒声と骨と骨のぶつかる鈍い音、何かに激しくぶつかるような音が聞こえてくる。
大勢の観衆は止めに入るわけでもなく、わーわーと囃し立てながら我も我もと酒場の入り口から中を覗き込んでいる。
ヒョイヒョイと人垣をかき分けて最前列を目指すイサラにエーシャも従う。
なんとか入り口に辿り着き、ほぼ地べたに張り付き、扉にしがみつくようにして中を覗くと、酒場の中は見事なまでに荒れ果て、数組ある木製の円卓と椅子は、足が折れ、盤面が真っ二つに折れているものも幾つかあった。
床には、つい先ほどまでその卓上にあったであろう食器の類が無惨に散らかり、その中身とおぼしき料理などは床と言わず壁と言わず四方に飛び散っている。
食堂のど真ん中に仁王立ちする男とその男を尻もちをついたような格好で睨みつけるようにして見上げる男。
下から見上げる男の尻の下では口に運ばれることのなかった菜羹がまだ湯気を立てている。どうみても、この二人がこの惨状を作り出した張本人だ。
厨房と食堂を仕切る備え付けのカウンターの下では、給仕服姿の幼顔の女性がガタガタと小さな肩を震わせ涙を瞳に浮かべながら、敏感に新たな見物客に気づき、救いを求める眼差しを睨み合う男たちの向こうから必死に投げかけている。
その視線に気づいたイサラは、その瞳を穏やかに見つめ返し小さく頷く。よほど心細かったのだろう、安心したのか給仕服姿の女性はぼろぼろと大粒の涙を流し始めた。
見方によってはカウンターの近くだけ被害が少ないように見えないこともない。恐らく給仕係の女性には被害が及ばないように気を配っているらしく彼女には目に見える外傷はなさそうだ。
男たちからも彼女に危害を加える気配は微塵も感じ取れなかった。
その場に居合わせた見物人の話からすると、事の発端は南の遺跡にまつわる口論らしい。
降り止まない雨の原因が南の遺跡群にあるのではないかという話題から、誰がそれを突き止めるのかと言う話になり、仁王立ちの男が名乗りを上げ、尻もちをついたような体勢で見下ろされている男が水を差した。というようなことから、殴り合いが始まってしまったようだ。
とは言え、元来、無頼者などがより集まったこの国では、このような喧嘩など珍しくはない。しかし、この状況を誰一人として止めようとしていないことに、イサラは違和感を抱いた。
酒場や宿屋は冒険者を引退した者が開くことが多い。
腕利きの冒険者になればなるほど様々な情報が集まり、また探索などで収集した物品の鑑定や取引先の伝手を持っている。酒場や宿屋などは、それらを求める冒険者に情報提供をしたり、冒険者同士での情報交換などにも利用される。この酒場の主人もそうした手合いだ。
となれば、こうしたいざこざの収拾は慣れているはずだった。仮に、酒場の主人がなんらかの事情でできなかったとしても、人が集まるとなれば事態を収拾できる者の一人や二人くらいはいてもおかしくはないはずである。
「それが……。」
先の見物人によれば、店の中にいた全員を外に出したのは、床に尻もちをつく男だったそうだ。
彼の並々ならぬ気迫に圧されて、気づけば当人を含む三人以外は全員店の外に出ていたらしい。
店の中の惨状も、全員が外に出てから起きたことだと言うのだ。給仕係も皆と同じように食堂にいたらしいが、何故か二人と共に食堂の中にいる。
なんともおかしな話なのだが、現にこうして起きているので今更どうこう言っても仕方がない。
こういう時は、当人同士の面子を守るためにもその店の主人が仕切るのが通例なのだが、あいにく主人は留守らしい。
その場にいた全員を圧倒するような気迫の持ち主だけに、主人がいてもこのような展開にならなかった保証はない・・・。
イサラはどうしたものかと改めて件の男たちをまじまじと見た。
仁王立ちしている男は、大きな肩より少し伸ばした、くすんだ太陽のような色をした長髪を後ろで一つに束ね、如何にも南国生まれといった大きな黒い目とよく日に焼けた黒い肌が特徴的だ。
その肩幅と厚い胸板、ところどころに傷跡の残る太い腕と大きな岩のような拳が、男が過ごしてきた日々を思わせる。
対して、情けない格好で視線鋭く大男を睨みつけている人物は、中肉中背でどちらかと言えば痩せ型。引き締まっていると言うよりも痩せているという印象だ。
夕暮れ時の空のように燃えるような短髪で、額には紋様の刺繍された布を巻いている。その布をよく見ると額の部分が厚くなっているので、頭部を守る防具の役目もあるのだろう。
整った顔立ちは、少年と青年の境目といった感じで、碧い双眸は意志の強さを感じさせるが、どこか生意気な印象も受ける。
どうみても仁王立ちの男の方が腕が立つように見えるし、経験も遥かに上のようだ。
この男でなくても、この碧い目の青年に文句を言われれば腹が立つだろう。しかも、文句を言われただけではなく、店の中にいた全員を店外に追い出したのである。
仁王立ちの男からすればやり過ぎてもやり過ぎではない。今、ここで、キツく灸を据えなければ今後の稼業に影響しかねない。
仁王立ちの男は、徹底的に痛めつけてやろうという危険な気配を隠そうともしていない。
逃げる時間は十二分にあったはずなので、自業自得と言わざるを得ないのかもしれないが、給仕係の女が悲鳴をあげるのも無理はなかった。
「ッッッ!!!クッ!」
イサラとエーシャが素早く状況の確認と経緯を把握するのと、事態が動くのが同時だった。
仁王立ちの男が、突然、苦悶の表情を浮かべたのだ。