5話 諭すもの
「ところで······。この状況を君はどう思うかね?」
エーシャがイサラに問う。
「うーん、あまり嬉しくはないわね。」
苦笑しながらイサラが答える。
夕闇の明るさは消え、宿屋が灯す町の微かな明かりも今は突き刺さるような雨に遠く霞んでいる。その闇の中の街道を並んで歩く二人を囲む気配が徐々に近づいている。その数は三十は下らないだろう。だが、まだ姿は見えない。
「この国では、この手の輩が王族を襲うことは珍しいことでは無いようだね。」
面倒くさいとでも言うようにごちる。勿論、エーシャの皮肉だ。
他国で数々の犯罪を犯した腕自慢のならず者達が刑罰を恐れ、はたまた一攫千金を夢見た冒険者が、最後に行き着く場所の一つがグロッシュ王国を中心とした、ここグロッシュ地方だ。六神島大陸の南に位置し、険しい山脈と点在する六王国建国期の遺跡群、そして、火の精霊力の強い影響により熱風の荒れ狂う砂漠と荒野が広がるこの地方には、出入りすることすら容易ではない。それ故、中には王族を狙い権力と富を得ようとする不心得者なども時折現れる。しかし、通称ガネス王を筆頭としたこの国の王族は、大陸内でも随一と目される程の武力を誇る。その力が有ればこそ、一つの『国』としての体裁を保てるほどの組織力があるのだ。ちょっとやそっと腕に覚えがあるだけのならず者などに遅れを取るような王族は乳飲み子といえども存在しえない。新参者はいざ知らず、この地方に暮らす者たちはその事を嫌という程知っている。《大賢者》と呼ばれるほどの人物がその事を知らない筈は無い。
「《大賢者》は面倒くさがり屋の皮肉屋だ、とは聴いていたけど、噂通りの人物のようね。だけど、物盗りにあの子達を使うような人達はグロッシュ地方には居ないわ。」
まだ米粒ほどの大きさにしか見えない影の方に視線をやりながら、エーシャの皮肉に愉快そうにイサラが応える。二人の目には、取り囲みながら向かってくるこの地方に住む野生の狼の一種グロウ・ハウンドの姿がはっきりと見えている。
「私に任せて。雨が少し心配だけど、あの子たちならこの距離でも聞こえるはずよ。」
そう言うとイサラは目を閉じ、左の太ももに着けた巻き飾りの吊り物を二つ指の間に挟み、軽く擦り合わせる。チリンとした鈴の音のよう軽く澄んだ音、いや、音の気配とでも言った方が良さそうな波のようなものが身体を通り抜けたようにエーシャは感じた。
突如、こちらに向かって確実に距離を詰めていた影がピタリと止まり、戸惑うように辺りを見回しながら、二、三度その場をくるくると回ったかと思うとまた来た方へと引き返していった。
(諭すもの···辺境の地に住まう者たちの中に僅かに存在する太古より受け継がれし異能とそれを司る者か。都の人間たちにもその片鱗を残すもの達は数多く居るが、あれだけ殺気立った野生の群れを鎮めるとは···。)
「《諭すもの》だね。大概、この天候と距離だと彼らに届く前に、雑念が混ざる。その若さでここまでできる《諭すもの》は大陸広しと言えどもそうはいまい。」
「ありがとう。でも、エルフやドワーフ、彼らの古老達はもっと凄いわ。それに・・・。貴方にもできるのでしょう?」
イサラは安心したような面持ちで、悪戯っぽい無邪気な笑みでエーシャに問いかける。
男は少しばかり先の荒野に視線を漂わせながら、無言でその言葉を受け止めているように見えた。