魔族
地平線の彼方より突如現れた光の刃は、陸船の残骸を漁っていた豹型巨獣種二体を貫いた。
刃は勢い余って荒野に深い裂け目を生んでいたが、それ以上の破壊はもたらさずに消えた。遠方でも十を超える獰猛な巨獣種が同様の運命を迎えており、瓦礫の下に隠れていた生き残りの船員たちは、ひとまず命が助かったことを理解した。
勿論、安全無事に帰還できる保証はどこにもない。
それでも巨獣種に襲われるよりはマシだと、陸船の残骸より再利用できる素材を探し始めた。
▽▽▽
アポロジアの国でランサーを使う剣士はいない。
星の樹が発見され歩兵ですら重装甲化が進んだ現在、アポロジアおよび周辺地域では戦鎚による直接打撃か、矛槍でなぎ払って転倒させることが対歩兵戦の基礎となっている。
ランサーは、その戦鎚とは対照的な武器だ。「東の魔王」と共にこの世界にもたらされたランサーは、形はどうあれ神々を崇拝するアポロジアの者にとっては忌避の対象ですらある。またランサーは通常の剣術では使いこなすのが困難で、むしろ杖術に近しい技術体系を必要とする。そのため「騎士道」なる文化がかろうじて残っているようなアポロジアにおいてランサーの使い手は邪道中の邪道であり、物好きが妖精の国より取り寄せた教本が数冊ある程度。
だからランサーを使用した武術が発達したのは、魔族に対する忌避の小さい大南帝国の獣人たちの間である。彼らは回転による遠心力と速度をもって、このランサーに破壊の力を与えている。もっともそれは彼らが人間を凌駕する膂力を有しているからこそ。
クロルの外見は人間と変わりない。
ランサーを扱う技術も、獣人のそれとは根本的に異なる。魔術師が武器に強化の魔術を付与するのは珍しくないが、クロルは自身の内より練り上げた圧倒的な量の魔力を武器に載せて純然たる破壊力とした。
マチウスは、その技を知っていた。
「ランサー使いの源流、魔族の闘法か」
「いかにも」
構えていたランサーを虚空に消し、クロルは両断して瓦解したティターンの残骸から兵士をひとり掘り出した。ティターンを生み出した、ユニオンプロジェクトの工作員だ。斬撃と魔力枯渇により干物のような状態となっているが、辛うじて生命は残っているようだ。逃げることも抵抗することも出来ずマチウスによって拘束され、陸船から降りてきた副官たちがその身柄を引き受ける。
「……神々との戦いを終えた魔族は長い旅を終え、再び魔女の島に国を興したのだな」
「先住民を追い出して建国とか、民族紛争不可避だろ」
他の兵士もまとめて連行されていくのを見届けてからランサーを虚空へと消してクロルは面倒くさそうに頭を掻く。陸船の乗組員たちは石兵だったものの残骸回収などを主に行っているが、直立した人造巨兵ベリアルの周囲にも相当数群がっている。
「これでも友好国が困ったときには色々と援助してきたつもりだ。他国の領土を侵害する意図は無いし、エーテルの巫女を保護したのも別の任務を遂行中に偶然発見した結果だ」
魔族。
この世界に侵攻する神々によって呪われ、変質した始祖エルフ達の末裔といわれている。高い身体能力と豊富な魔力量を誇るが、呪いのため繁殖力は低く、両親の性質が子孫に引き継がれにくい。
魔女の島の固有種でもある。
他の土地で暮らせない訳でもないが、始祖エルフ達の興したエーテル王国の墓守を自称し彼らの遺跡や文化を維持管理することを種族の使命と課していた。滅多に表に出ず、しかし凄まじい力を持った魔族はアポロジア大陸において畏怖と敬意の対象であり、同時に誤解を抱かれやすい存在でもある。
なにしろ魔族である。
大南帝国あたりで出回っている艶本では、いかがわしいプレイで大陸妖精族や人類の少女たちをあひんあひん言わせている異形に始まり、闇市場で売買され屈強な紳士達を快楽に溺れさせる魔性の美少年に至るまで、実に様々な妄想の種となっているのだ。
「はわわわわ、青くて苦いお茶を飲まされた後に肉奴隷にされちゃうのかしら、えっちな本みたいに。えっちな本みたいに!」
『うわはははははは』
人造巨兵の操縦席。
いつの間にか押し込められていた少女が、外部音声を拾って身もだえている。ベリアルはそんな少女の様子を爆笑しながら音声付映像でクロルとマチウスの前に表示していた。
『嬢ちゃんは無事や。巨獣種も片付けたし、後はトンズラするん?』
「……現在の太陽の女神にエーテルの巫女を保護するだけの力があればな」
「正直なところわたし達が最大戦力という扱いだ」
『ダメやん』
ただの山賊や脱走兵相手ならば問題はない。
しかしユニオンプロジェクトを名乗るような連中が追っ手に回るのであれば戦力不足は否定できない、マチウスはそれを素直に認めた。
「我等はごく個人的な事情で人探しをしている。とても個人的なので、伝手があれば紹介して欲しいというのが本音だ」
『正直手詰まりやねん』
「貴殿らの探し人は巫女ではなかったのか?」
意外そうに問うマチウス。
なるほどエーテルの巫女が持つ価値と重要性を考えれば、魔女の島が動いても不思議ではない。ひょっとしたら本国の別動隊が既に動いている可能性もあるとクロルは考えた。
「ベリアル、星はどこに落ちるか察知できるか」
『無理』
返事は素っ気無い。
『アッチは通常探査どころか【都市】の魔力探査までかいくぐって来たんやで?』
「だが、こちらの世界に飛び込んできたのは確かなはずだ」
『女王はんが飼ってる鳥の結界が破られたのはホント』
白銀に輝く猛禽の姿を思い出し、うげえと呻くのはクロルとベリアル。
「他に厄介な事態が進行しているのも無視できん」
『せやな』
ベリアルの視線が、甲板で拘束されているユニオンプロジェクトの工作員に向けられる。体力も魔力も尽きた状態で何かできるとは思えないが、魔力封じ異能封じの枷が次々と嵌められている。尋問は体力が回復し次第だろうが、素直に情報を吐き出す可能性は低い。
「俺達の受けた命令は、本国の転送門を突破してきた奴の正体を見極めることと」
『出来る範囲での事態収拾』
釘をさすようにベリアルが言葉を重ねてくるのは、クロルの実に面倒くさそうな顔を見ているからだ。
『収拾するんやで?』
「王妃の願いでもある」
『旦那が下手打つと、クニで待ってる眷族が大恥かくんやで?』
「王が妃に求婚した際の大騒動で、羅刹一族の名は地に堕ちとるわい」
『青いアイスティーで貞操失いかけた男には言われたくないやろな、王も』
「ベリアルてめえ喧嘩売ってるなら高値で絶賛買取中だぞコラ」
ぐぬぬ。
ぐぬぬぬぬ。
人造巨兵とクロルはしばし睨みあうが、同時に肩を落とし息を吐く。マチウスの呆れたような視線が微妙に痛い。
「目的地が何処かは知らぬが、値引き交渉には応じる所存だ。我らを雇わんかね」
「その申し出はとても有難い。しかし我等も何処に行くべきか」
『──それならば、南へ』
凛。
空気が震え、開いたままの地脈が輝く。
しかし今度は巨獣は現れず、代わりに様々な種類の植物が芽生え恐ろしい勢いで成長する。その中央には泉が湧き、直径数キロほどの森林が出現した。
『旦那、地脈の暴走が止まった。回路は活性化しとるけど巨獣は潜り抜けられへんで』
『異国故、暴走を鎮めるのに時間を要したことを先ずお詫びします』
凛。
現れたのは翠色の髪が美しい女性だ。ただし身体を包むのは植物の葉を模したものであり、実体ではないのか透けて見える。地脈を通じて投影した映像だとクロルは内心舌を巻き、横にいたマチウスは唖然とする。
「霊木の樹精殿、か」
『はい。ここより南の地、大南帝国はモールトン伯爵領と呼ばれる場所に私の本体はあります。もしもエーテルの巫女を保護する必要があるならば助力を惜しまないとダイアナより言付を頼まれております』
『……え、ダイ姉様おるん? なにその人外魔境』
ダイアナという言葉に露骨に反応する人造巨兵ベリアル。
その様子に霊木の樹精はしばし沈黙。
『ええと「レオーネも貴女との再会を楽しみにしていますよ。ブリストンまで来たら倉庫の裏でじっくり楽しくお話ししましょうね」だそうです』
『ききききき北や! 旦那! うちら今すぐ北に向かうで、太陽の女神救出大作戦や!』
「どう考えても南に行くしかあるまい?」
「わたしもそう思う」
『いややー!』
巨獣を圧倒した人造巨兵ベリアルの絶叫を聞き流し、地脈を支配する霊木の樹精は静かに微笑むばかりであった。




