石兵
アポロジア大陸において航空戦力と呼べるものは存在しない。
星の樹を素材とした船舶開発が途上であること、その恩恵を石兵や機甲兵の重量軽減に用いたり陸船のような地上・海上輸送力の増強に用いることが優先されたこと、そしてなによりも空を飛ぶ魔物や亜竜種に対抗する手段が乏しい事が挙げられる。
空に浮くだけでは意味はない。
飛竜種は言うに及ばず、魔蟲の巨大種などに空中で襲われてなすすべなく餌となった飛行船の試作機は数知れない。だからこそ陸船のように地上での活動を前提とした輸送船開発が優先されたのだ。
魔物の討伐がある程度進んで生存圏を確保した国内であればグリフォンなどの魔獣を使役した航空騎士団なども存在するが、その個体数には限りがあるため損耗前提の兵器として用いることは許されない。
空軍で開発された硬式飛行船は外殻を軽合金の複合装甲で覆い、魔獣や魔蟲の忌避する塗料でコーティングすることで安全性を確保しようとした試作機である。模型を用いた飛行では問題なかったが、忌避成分は時間経過と共に揮発することが分かっており、およそ十日おきに再塗装する必要があると試算されていた。
搭載されている火砲は、攻城用の大砲を原型としたものであり対地攻撃用のものだ。空中において魔物と戦うことは最初から考慮しておらず、兵力を運搬し上空から城砦や陸船を攻撃することを前提として建造された。
強制着陸兼用拘束索。
攻城塞炸裂砲。
固定武双はその程度。炸裂砲で大まかに破壊を行い、搭載していた兵士を降下させて目標を制圧するという海賊戦法である。だが星の樹によって得られた莫大な浮力は驚くほど多くの兵士運搬を可能としており、ロープや魔法を用いて降下してくる兵士の数は少なくとも百を超えている。
武装は曲刀や槍などが主体であり、兵士というよりは軽戦士や盗賊に近しい。陸船の破壊ではなく鹵獲を目的とした兵種だ。
巫女だけでなく、陸船も狙いか。
奴隷商の女は舌打ちした。情報によれば、反乱を起こし奪取されたのは硬質飛行船が一隻に新型の陸船が数隻。主だった港や都市には通達は行き届いておりこの規模の船団を補給整備できる場所はアポロジア領土内には存在せず、他国に逃れようにもそもそも諸外国には陸船の整備ノウハウすら不十分という現状。
まして彼らはユニオンプロジェクトを名乗った。
かつて太陽の女神を含む数多の神性を唆して魔女の島への侵攻を企んだ、第一世界を名乗る結社の尖兵である。魔女の島の住民──恐るべき獣たち、冒険者、そして紅と翠の輝きを従えた紫煌の魔人を敵に廻した神性の多くは結社と運命を共にした。辛くも大陸に帰還できたのは女神を含むごく少数の神性であり、大陸の片隅でおとなしくしているはずだ。
それらが再び動き出したのであれば、巫女の確保は単なる勢力争いどころか大陸滅亡の鍵にすらなってしまう。
かつて聖国が侵攻した際、魔女の島はあくまでも防衛に努めた。その気があれば大陸全土を灰燼に帰すだけの戦力を持ちながら、彼らはアポロジアを含めた四つの大陸に価値を見出さなかった。だが二度目の侵攻を起こして、彼らがその寛大な態度を継続するという保証はどこにもない。故に、魔女の島へ渡るための転送門を起動できるエーテルの巫女を野放しにすることはできない。
最優先の保護対象だと、ベリアルの背にしがみつく少女を見ながら女は己の請け負った使命の重さを痛感した。
▽▽▽
吹き飛ばされた状態から復帰し大槍を構えた機甲兵二名は、放たれた矢のごとく駆け出して硬式飛行船より降下した兵士たちとの戦闘を開始する。
巨獣や人造巨兵相手の戦闘を前提として開発された機甲兵は、通常の歩兵を圧倒する機動性と膂力を発揮する。軽装の兵士たちの多くは武器を交えることすらできずに大槍の柄に引っ掛けられるようにして吹き飛ばされ、受け身すら取れずに転がっていく。身軽さが幸いして軽い打ち身や捻挫で済む者もいるが、下草もろくに生えていない地面に叩き付けられたのだから骨折や脱臼で動けないものの方が多い。当たり所が悪く命を落としたものは極少数、とはいえ瞬く間に五十近い兵士が無力化された。
が、硬式飛行船からは兵士の降下が止まる気配はない。
最大積載量から推測すれば、歩兵だけで五百近い数がいる。機甲兵がどれほど優秀でも、それを稼働させるための燃料と魔力には限度があり、一昼夜続けて戦えるほどの継戦能力もない。槍を投擲したところで硬式飛行船にも届かない……であれば適度に追っ手の数を減らし、陸船の撤退時間を稼ぐという当初の目的を遂行するのが無難と言えた。
歩兵の撃破数が百五十を超えた頃、歩兵の降下が止まり硬式飛行船の下部ハッチが大きく開いて五体の重機甲兵が降下した。重厚な全身鎧は関節部すら分厚い板金で覆われ、機動性を更に犠牲にしても装甲と出力に重点を置いた量産式である。通常の機甲兵と比べて鈍重と言われているが、着用する者の体躯が尋常ではなかった。
大人と子供。
そうとしか思えないほどの体格差である。
陸船側の機甲兵が特別小柄という訳ではない。降り立った重機甲兵が人の規格を越えている、それだけの話だ。おそらくは巨人族、といっても大陸西部に住まう真なる巨人とは異なり、人間社会にて生活している連中だ。大きくとも4メートル程度の身長で、本来は穏やかな気性の者が多く軍属など聞いたことはない。
それらが五名。
身の丈に見合った鈍器を掲げて機甲兵に襲ってくる。重装甲にも関わらず並の兵士程度に動けているのは、中にいる者の筋力が尋常ではないのだろう。先ほどまでとの闘いとは構図が逆転する形になったが、陸船側の機甲兵が持つ力量は尋常ではなく体格と数の不利をものともせず互角に持ち込めていた。
──更に五名の重機甲兵が降下するまでは。
▽▽▽
奴隷商人の号令と共に陸船後部が拘束索を外装ごと外しながら分離し、蜂の顎のように外装を展開して衝角を伸長する。
けばけばしい娼館看板や装飾布で覆い隠されてはいるが、鍛造した鋼鉄の柱を束ねた衝角は対艦以上の目標を想定した造りでありその先端は突くというよりも斬撃を意識した構造となっている。いかなる方向にも進み得る陸船ゆえに、機動力さえ備われば衝角は立派な近接武装と化すのだろう。そして衝角展開と共に、起動完了した石製の人造巨兵達が降り立つ。
巨大。
石兵と奴隷商の女が呼んだものは、あまりにも大きい。掌に人を乗せられるほどの巨人である。特殊な加工を施した白色のそれは機甲兵と同じ仕組みで伸縮し、硬化処理した灰色石の鎧を着込んでいる。たとえ大規模の陸船とはいえ搭載するような代物ではない。
機甲兵でさえ過剰防衛気味なのに、対巨獣の切り札でありアポロジアにおける決戦兵器の一つとして周辺国に恐れられているのが、石兵をはじめとする人造巨兵なのだ。どのように手を回そうとも、一介の奴隷商人が入手できるものではない。それが三機、展開した陸船後部より現れた。
「艦は拘束を解き次第、全速後退! 石兵は機甲兵と共に飛行船を牽制せよ! 随伴する陸船も必ず来る、以後の指揮は灰色の風が引き継げ!」
「了解!」
奴隷商が叫ぶ。いいや、奴隷商がそんな指示を出すはずが無い。
彼女自身もまた陸船の甲板に戻り指示を飛ばす。鎧牛は陸船を牽引しようとするが、硬式飛行船から射出された拘束索が幾条も食い込んでいるため、乗組員が拘束された部分の陸船外装を破壊して取り外そうとしていた。
甲板では部下の一人が彼女を待っており、鉄を打ちつけた木製の盾と片刃の曲刀を託す。
「マチウス隊長、あれはやはりユニオンの」
「……掲げるべき太陽神の紋章が削り落とされいる。ハッタリかどうかは知らないが、少なくとも我らが太陽の女神に対する敬意の念は持ち合わせていないだろうよ」
奴隷商の女、マチウスは唇を噛み己の不運さを嘆いた。三日前に新鋭の硬式飛行船含めた数隻が連合王国に反旗を翻したとの報を受けており、飛行船の類には注意していたつもりではあった。旧式の商船に偽装してはいるが彼女の陸船は、下手な軍船にも負けぬ装備と機動性を誇る。
だが停船した状態で拘束索を撃ち込まれてしまえば、いかに彼女の陸船といえど逃げることは容易ではない。敵の重機甲兵の存在もまた想定外だった──硬式飛行船の積載量は発表された数値よりも大きいのだろう。
「重機甲兵を排除しつつ撤退を、わたしは飛んで巫女殿を保護する」
「御武運を」
いうやマチウスは盾を宙に放り、取っ手部分に己の爪先を引っ掛けて陸船を飛び出す。
陸船の飛行素材と同じ木材を仕込んだそれは彼女の体重を乗せてなお空を滑る浮力を生み出す、そしてマチウスの背にわずかに白い霞が生じるや、彼女は風より速く荒野を飛んでいた。その行き先は重機甲兵でも硬式飛行船ではなく、降下した歩兵、見た目には海賊となんら変わりのない荒くれどもが襲い掛かろうとしている騎竜ベリアルと少女だった。
「弩兵、牽制を!」
拘束の解けた陸船を撤退させつつ、副官の号令と共に数多の矢が放たれる。少女に迫らんとする船員の半数が足を止め、あるいは射抜かれたが、残りは味方の犠牲も構わずに少女の確保を優先している。
やはりエーテルの巫女を確保すべく動いたか。
空を駆け敵兵士を追い抜きつつも、苦々しくマチウスは呟いた。
事前に掴んでいた情報は正しかった。
数か月前、停滞していたアポロジア大陸の地脈が突然再活性化した。古代文明の転送門が復活し、南部を支配する大南帝国では真なる巨人との間に友好条約を結び交易を始めたという。マリリンと名乗る工作員は地脈制御を可能とする人材──エーテルの巫女について調べ上げ、複数の勢力にばら撒くように売り渡した。連合国とはいっても神性を失った太陽神には以前ほどの求心力はなく、大規模反乱の芽は随所にあったのだ。
転送門の復活はアポロジアにとって諸刃の剣となる。
陸船と硬式飛行船をもって大陸制覇を考えていた連中にとっては、後々の不利益など分かった上で叩き潰したい事案だ。ましてやユニオンプロジェクトを名乗る連中ならば。マチウスもまた女神の密命を受けてエーテルの巫女を確保すべく動いていたが、彼女としては手厚く保護して国の中枢に置くことが女神の権威復活につながるという考えであった。
「最外殻、切り離します!」
「石兵、引きはがせ!」
副官の指示に石兵が動く。
機動性と一点集中の破壊で巨獣を撃退するのが機甲兵なら、石兵は文字通り力任せで全てを圧倒するのが持ち味だ。人間が築いた石垣も石兵の拳や足の前では意味を持たず、小型であれば亜竜さえ仕留めてしまうのが石兵である。
ずむ。
爆薬でも用いたのか、鈍い破裂音と共に外殻の何割かが砕け、にあっさりと拘束索が外される。拘束索を失い浮力を得てしまった硬式飛行船は姿勢を崩して回転するが、地面に打ち込んだ分の拘束索が過剰な回転を防いでいた。一方で自由になった陸船は分離した後部にも鎧牛を接続し、勢いをつけて後退する。石兵はそれを見届けると自らの仲間である機甲兵の援護をすべく前に進む。
石兵は大きい。しかし敵対する重機甲兵もまた尋常な大きさではない。それは、石兵を相手にまだ『大人と子供』という表現が使えるほどに巨大だった。だとすれば石兵は機甲兵に比べれば明らかに鈍重であり、それはこの大柄な重機甲兵が平均的なそれに比べれば反応が鈍かろうと速度で上回れることを意味していた。
ずむ。
似たようで根本的に異なる音が響く。
重機甲兵の振り回す巨大な鎚が、石兵の胴を強打したのだ。装甲自体はこの衝撃に耐えはした、が、中身はそうでもないようだった。石兵は機甲兵と似通った思想の下に生み出された兵器ではあるが、その装着ないし操縦形態で決定的な違いが存在する。
機甲兵は鎧の延長であり、
石兵は戦車の延長である。
鎧牛や騎馬という動力が別個に存在し、乗り手はそれに正確な命令を下して動きを再現する。その方法は様々あるが、機甲兵のように直接動きを伝達する方式は石兵には採用されていない。椅子と鞍を組み合わせたものが石兵の胴に存在し、それに乗り込んで動かすのだ。
だから石兵は、弓矢には強い。しかし、内部の空洞に直接衝撃を与えれば、たとえ装甲を打ち破れずとも操り手を行動不能に陥らせることは可能なのだ。そして重機甲兵は、まさに教科書的な方法でマチウスの部下が載る石兵を無力化させることに成功した。




