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星の王(再構築版)  作者: は
1/10

騎竜ベリアル

随分と昔に書いてHPに載せていた短編小説をアレンジして再構築しました。タイトルなどは今後変更予定です。

世界観および時期的に「薬師ジェイムズの受難の日々」と共通点が多いです。




 荒れた大地がそこにあった。

 赤く灼けた土は僅かな湿り気も帯びず、時折吹く風に削られていく。砂礫が剥き出しになった場所も多く、遠からず砂の海に埋もれていくだろう。


 痩せた土、水は乏しく、地面は熱を帯びる。


 風や鳥が草木の種を運んだとしても、根付くどころか芽吹くこともない。運良く岩陰に潜り込めたとしても地衣や一部の蔓草を除けばまともに育つのは蜜サボテンくらいであり、オアシスのような地下水脈の湧水点から外れているので草丈も僅かなものだ。

 死にゆく大地。

 昼には灼熱。夜には酷寒。砂漠より渡ってきた鎧トカゲや砂鼠の類ならいざ知らず、何の備えもない人間に待っているのは確実な死である。周囲に里や集落は無く、交易路からも随分と外れている。


「……」


 その荒野に。

 絵に描いたような死にかけ(・・・・)が転がっていた。

 年の頃は十四か十五。粗末な土染めの服は、所どころ血や別のナニカがこびり付いている。自身もまた似たようなものだ。髪も肌も汚れていない箇所はなく、土と塩の粉を噴いている。まともに水分を摂取していないのだろう、手足も顔も皺とひびだらけで腫れ上がっている、

 ぼさぼさで濁った茶色の髪は整えられることもなく伸ばし放題で、目元どころか顔の半分以上が隠れており表情も読めない。


 左の足首には重い鋳鉄の鎖と、半分壊れた足枷。

 日陰とはいえ強い熱を帯びた鋳鉄は足首の皮と肉を焦がすように焼いている。両手首にも、手鎖の枷。


「……」


 風と共に運ばれる砂が、少しずつ身体を埋めていく。死にかけ(・・・・)は、せめて太陽を拝んでから死のうと、最後の力を振り絞って仰向けになった。

 生きることは随分前に諦めていた。

 口が自由に動く頃、舌を噛み切ろうと考えもした。実行しなかったのは、最後の意地のようなものだ。声を出そうにも、舌が口の中に貼り付いて付いて動かない。犬猫のような唸りを上げて身体をひねれば、申し訳程度の小振りな乳房がわずかに揺れる。


 ほんのささやかな膨らみ。


 死にかけ(・・・・)は女であり、人買いの隊商から逃げ出した奴隷だった。

 少女の奴隷が迎える運命は、国が違えど似たようなものだ。文化的統治を宣言する北アポロジアの連合国家でさえ、属領のそのまた辺境ともなれば前時代的な風習が支配的だ。まして少女はアポロジアに攻め込まれ消滅した国の民であり、仮に人買いの手を逃れたとしても帰るべき場所もない。両親も兄弟も既にこの世にはいない。

 だから、生き続ける意味はない。

 この荒野を無事に進める路は限られている。少しでも外れてしまえば日陰となる岩もなく、目印となる山もなく、命を潤す水もない。道に迷えば最後、干からびて死ぬか凍え死ぬしかない。


 だから死ぬつもりで少女は逃げ出した。

 たとえ銅貨一枚であろうとも、あの人買い共の益にはさせない。

 そう決めたのだ。少女に女の(きず)を刻み人買いに売りつけた、アポロジアの騎士を名乗る下種共の倒錯的な仕打ちに比べれば。眼球を沸騰させようとしている灼熱の太陽さえ、少女にとっては慈悲の光に等しい。


 ざまぁみろ。

 最後に残った力で、毒を吐く。

 程なくして少女は意識を失った。もしも少女があと少しだけ意識を保つことができていたら、砂塵を巻き上げて接近するナニカ(・・・)に気付く事ができただろう。




◇◇◇




 荒野の夜は驚くほど冷える。

 日差しを遮るものがない荒野は、熱を蓄えるものも存在しない。毛皮を持たず粗末な衣服しか身につけていない人間の体など、一瞬にして体温を奪われてしまう。


「へっくし!」


 少女は己のくしゃみで目が覚めた。

 日中の荒野で身体中の水分が失われていたはずなのに、口の中は潤っている。くしゃみと共に鼻水も出る。渇きも今はない。


「……ここは」


 少女は無意識に上体を起こし、己の変化に気付く。地面に熱を奪われぬよう二枚重ねの毛布が敷かれ、上等な布地の外套(マント)が全身を覆っていた。荒野の夜独特の寒さを和らげ光をもたらしてくれるのは、簡易ストーブで赤熱する硬質の白炭。目を刺激する煙は出ず、身体の内側より癒してくれるような、上質の白炭ならではの炎だ。指先で外套の布地を触れる時、両手首の軽さに驚いた。手足を拘束していた枷と鎖が外され、灼けてひび割れた皮膚には膏薬が丁寧に塗られ、清潔な布が巻き付けられている。回復薬(ヒールポーション)も既に使われたのだろう、炎症や全身の痛みは消えている。膿んでいた下腹部も、今は違和感すらない。

 全身の気怠さは疲労か或いは薬の作用か。

 あれほど死を願った己が、今は夜の寒さに震え炭火に近付こうとしている。現金なものだと思う一方で、拾った命を惜しむ気持ちも確かにあった。

 すると。


『目ぇ覚めたんかい、お嬢ちゃん』


 金属質の声が頭上から。

 気配を感じていなかった少女は慌て、肘をつくようにして後ろに倒れ声の主を見上げる。


『うんうん。いちお回復させたけど、今夜一杯は養生した方がええで。細かいところは薬師のセンセに診てもろた方が安心やけど、普通なら全治二週間は確定やって旦那が言うてたもの』


 饒舌な声の主。

 それは馬ほどの大きさの──竜種の幼生だった。

 いや、と少女は内心で首を傾げた。自分は本物の竜など見たことはない。目の前にいるそれ(・・)は教会で見た絵姿や銅像で表現される竜種の特徴を備えているのだが、大きく強靭そうな後ろ脚と長い尾は駆けるために発達したものだろう。そして竜種の特徴である翼があるべき部位には乗馬用の鞍が設置され、荷運び用の台座もついている。何よりそれが御伽噺の竜種と異なっているのは、鎧のような外装。金属としか思えない光沢の表皮だった。


『なんや、痛み止め効いてないん?』


 喋っているという事は、おそらくは生物なのだろう。

 高い知性を有し、友好的で、ストーブに追加の燃料を補給できるくらいに器用で意味不明の存在。たぶん竜種。竜のようなもの。その辺をはっきりさせたくて、少女は訊ねた。


「お、おまえ何物なんだ」

『うちの名はベリアル』


 どこにでもいる騎竜や。

 よくよく耳を澄ませば女性っぽく聞こえないこともない声でベリアルは頭を下げる。

 眉間に埋め込まれた淡い翠色の結晶がちかちかと明滅する。


『勝手な話やけど、うちらのワガママでお嬢ちゃんを助けさせてもらったわ』

「……うちら?」


 複数形。

 ベリアルの言葉に、少女は理解する。

 ベリアルの背には鞍があった。マントや毛布も、竜の幼生には必要ないものだ。


『大方察してるとは思うけど、うちの御主人がお嬢ちゃんを見つけて助けたんや。水と薬も飲ませたのも、着替えを途中まで(・・・・)やったんも御主人様や』


 言われて少女は巻き付けられた包帯の他に着衣が変わっているのに気がついた。

 おそらくベリアルが御主人様と呼ぶ者の持ち物なのだろう、素材不明で彼女には大きすぎる白の貫頭衣を着せられていた。その貫頭衣にしてもファスナーが仕込まれた、アポロジア地方では非常に珍しい様式である。


「途中まで?」訝しげに問う少女。「どうして途中までなのよ」

『御主人様な、お嬢ちゃんが女の子やって気付いてなかったんや』


 だから、ほれ。

 ベリアルが首を向けた先、焚き火の向こう側で黒髪の青年が仰向けに倒れていた。鼻血を噴いているが、ベリアルのものとおぼしき足型も顔にくっきり残っている。たぶん蹴られて気を失ったのだろう。少女はそう思うことにした。


『うちが紹介しとくわ。お嬢ちゃんの乳見て気ぃ失ったんが、クロル・ニトリス様や。そういや嬢ちゃんの名前は?』

「……名前も家族も国も、あたしには無いの」


 うつむいて、少女は呟いた。

 故郷を失った日の事を思い出したくないのが半分、まだ成人していない自分の乳を見て興奮し倒れたという青年に対するあからさまな嫌悪感が残りの半分。


『そか、そら悪いこと聞いたわ』


 主であるはずの青年をげしげしと蹴りつつ、騎竜ベリアルはのわははははと笑い、少女に申し訳ないと何度も頭を下げた。




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