第八話 衛兵と空
のそりと、ウルグが首をこちらに向けてくる。
「ウォルト」
「済まないな、アレンが無茶なことを――」
「乗るか?」
「言ってた……ん? なんだって?」
「ん”ん”んー」
思わず聞き返せば、人間の角膜を揺らすような言い淀み方だった。
思わず呆気にとられ、それを見たウルグが聞こえてないと思ったのか再度声をかけてくる。
若干の早口だった。
「乗るか? と言ったのだ」
「あ……いいのか?」
「ふん」
声をかけたアレンでさえ、あまりの物わかりの良さに目をぱちくりとしている。
そう言ってばさりと翼を広げ、伏せる姿を見て奇妙な感覚を覚える。
頭を振るってその感覚を振るい落とすと、ごつごつとした赤い鱗に手を掛ける。
思っていた以上に鱗はしっかりとして、それでいてウルグの体温を感じさせた。
人よりだいぶ暖かい。
小さい壁を乗り越えるように手と足を使い、背負った剣に気を使いながら登り切ると、普段よりはっきりと高い視界に少しくらくらとした。
周囲の人間がちらちらとこちらを見る視線に耐え、アレンのマジかよ見たいな視線を受けつつ首もと近くへと行く。
未体験の事態に、ウォルトは気分が何時もより高揚していると感じた。
「乗りづらいか?」
「あ、いや。意外ときっちり引っかけられるところもあって、掴まれてる」
「意外とはなんだ意外とは。飛ぶぞ。全身で掴まれ」
「うお!?」
バサリと幾度も翼を羽ばたけば、ゆっくりと上昇していく。
体験したことの無い体の揺れ。
「我は」
「なんだ?」
「我は、人を乗せて飛んだことが無い」
「不安なのか」
「ふん。不安になって何が悪い。その、だから。……あまり気の利いた飛び方は出来ん」
「気の利いた飛び方ってなんだ」
思わず笑ってしまう。
既に壁の高さは超えた。
アレンは既にドラゴンの下だ。
そうして、木々の頂点が見えた。
「まぁ、こっちはなんとかするさ」
「……お主を落としてしまうのではないかと心配になるのだ」
「そん時は、あきらめるさ」
「諦めるな! その時は落ちてる途中で咥えて捕まえるからな?」
「思いっきり噛むなよ」
「誰がそこまで噛むか!」
視線は森を超えて、暗闇の世界を映し出してる。
一面、黒い景色しか見えない。
月の光や星の瞬きは変わらず雲に隠れていて見えない。暗すぎて高さを感じない。
そうこうしているうちに、前方へと加速して、風切り音が強くなる。
風の冷たさに思わず目を閉じて、体が委縮するように固まる。
ゆっくりと旋回しつつ、町へと向かったタイミングでうっすらと目を開き、ウォルトは息を飲んだ。
「――凄い」
「ふん」
今まで、こんな高さからこの町を見たことが無かった。
壁の上の人間が小さく見え、家の屋根が暗闇の中、ぽつりぽつりと見える。
等間隔で光って見えるのは、その場に置いたかがり火の為だろう。
人の喧騒など完全に切り離された空間に居る。身一つで空の上に居る。
「凄い……」
それが驚くほど新鮮で気持ちが良かった。
高さを自覚したとき、怖さを感じるのかと危惧した。しかし、その不安はすぐに掻き消えた。
旋回をしている最中に下を見て、落ちたら確実にトマトのように潰れて助からない高さだというのに恐怖は感じなかった。
あったのは感動だった。
見つけたのあh、知ってる景色の知らない姿だった。
「――凄い、凄いな!」
「お主、さっきからそれしか言わんな」
「こんな景色見たことないからな! はは、凄い、凄いぞウルグ! はは!」
風切音に負けないように声をあげ、ウォルトは自分が笑っていることに気が付いた。
怪訝そうにウルグに尋ねられる。
「そんなに凄いか?」
「ああ! だって、全部知ってる景色のはずなのに全然知らないんだ! 見ろよ、鍛冶屋の親父んとこ、屋根に穴空いてるぜ! というか逃げてないのか! 光が漏れてやがる! はは、あの親父は強情そうだからなぁ!」
「お主、珍しく饒舌だな」
森への散歩に行く理由の一つには、胸のうちに密かに閉まっていた想いを少しでも減らすためだ。
知らない景色や出来事に会ってみたいという想い。
町の中には既に知っているものしかないから森へと出かけていた。
町にはもう見知ったものしかない。しかし、そんなことはないと改めて思い知らされる。
何時も見ていて、住んでいる空間が全く新しい景色へと変貌した。
――これほど楽しいことがあるだろうか!
そうして知る。この町が細長い形状をしている気が付くと同時に、ドラゴンの翼でひとっ飛び出来る程度の幅しかない。
ゆっくりと旋回するように回っていなければ、数分と経たずにつくだろう。
こんなに狭かったのかと驚くと同時に、ウルグは今まで、この翼を使いどんなに広い世界を見てきたのかと思った。
「ふふふ、こんなに喜んでもらえるとはな」
「――最高のプレゼントだよ、ウルグ」
思わず、掴んでる手を緩めて鱗を撫でた。
びくりと体が震えた気がした。
「ん”ん”ん”ん。……我も、お主を乗せた場合の飛び方がわかった。行くぞ、掴まれウォルト!」
「ああ!」
一段と風切り音を上げ、家の少し上の高さを川辺を飛ぶ水切り石のように素早く飛びぬけた。
馬では感じることの出来ない速さ。視界が狭まり、左右の景色が急速に流れていくのは初めての経験だ。
反対がへと向かうのに数分と待たなくても良い。もうすぐにでも着いたからだ。
こちらの門も同じように門内部へと魔物が流れ込み、人間の屍を踏みつぶして魔物が市内へと散っていく。
無効と違って、人間はほとんど防戦一方だ。その景色に歯ぎしりをした。
「ウルグ、すまないが、門の確保を頼んでもいいか」
「任された。何も心配はいらぬ」
そうして高度と速度の十分に落ちたウルグから飛び降りると、背中の剣がぐっと食い込んだ。
周囲の魔物はウルグの登場でこちら側に注意したまま動けなくなるか、市内・市外問わず、逃走をしだす。
周囲に居た人々は、飛んできたドラゴンに戦々恐々としたものの、背中にウォルトが乗っているのを見た時から警戒度は下げていた。
近くにいた魔物を二人してなぎ倒し始めた時には既に人間側からの警戒は無くなり、動きの鈍くなった魔物に対して彼らも攻撃を再開した。
ウルグは門へと悠然と歩みを進め、ウォルトは二名が壁に座り込み、それを守るように戦っていた三名のグループと合流するべく、魔物を一刀に切り伏せつつ進む。
切れ味は悪くなってきた愛剣ではあるが、今は何時もよりも的確に魔物の動きがわかる。
それに加え、動きの鈍くなった状態ではもはやウォルトの敵ではない。
なまくらの剣であっても幾らでも切り裂けるような気がしてくる。
流れるように切り進むことによって、囲まれていたグループは窮地を脱出した。
「ウォルトか!? なんだあのドラゴンは!?」
「イーコフか。気にするな。仲間だ」
「仲間って……ドラゴンが? 嘘だろ……!?」
「なんだ、嘘の方が良かったか?」
「や、やめてくれよ。嘘の方がまだ千倍いい。俺がドラゴンスレイヤーになるにはまだちょっと早い」
「そうだろうな。……状況は?」
荒く息を吐く彼らに近寄れば、軽口をたたく程度の余裕はまだ残っていたらしい。
一人が周囲を見ている間に、攻撃していた二名は軽口を叩きながら、負傷者の移動を開始させた。
話を聞けば、どうやら壁に寄り掛かったものも含め、背後の家の中に負傷した人々を入れて治療しているらしい。
「門からはこれ以上魔物は入らないだろう。今、ウルグに制圧してもらっているからな」
「ああ、それだけで本当に助かるよ」
手当を受けていた男が、腕に包帯と壊れた武器で添え木をされてうめき声を上げる。
そんな状態でも、声をかけてきた。
「イーコフ、ここの守りは俺達がやっとくからよ。他の連中も助けに行ってきてくれ」
「……大丈夫か?」
「広場を見てみろ。……ッハ、ドラゴンさまさまだな。あれだけ手こずる相手だったオークが、右往左往してやがる。ナーガなんて伏したまま動かねぇぜ」
「それだけ、あのドラゴンが脅威というわけか……」
見渡す限り、戦況は大きく人間側へと傾いた。
多くの魔物は叩くよりも逃げる方を取っている。行こう、と目配せしてくるイーコフを連れて町を駆け抜ける。
門の近くにいたグループを助ける際、声を上げる。
「ウルグ! 少しだけ離れる! また戻ってくる」
「うむ」
声をかけながらも動きは止めない。
ナーガにしては珍しく、怯えに抗うように果敢に上半身へ飛びかかってきた腕を掻い潜り、勢いと自重、ひねりを加えた斬撃を利用して真っ二つにすると、後ろでドチャリという潰れた音が聞こえた。
イーコフを見れば、他のハンターと戦いを繰り広げているオークの背中に切りかかっていた。
たたらを踏むオークが後ろに注意を逸らした瞬間、もともと戦っていたハンターがその首に剣を突きさして止めを刺した。
「すまない、助かる! 広場から来たってことは、あっちは片付いたのか?」
「気にするな! 広場は、今、門をドラゴンが制圧しているんだ。これ以上の流入は無いと思う!」
「ドラゴン!?」
「大丈夫、仲間だから。あとはギルドがあっただろう? あそこで負傷者を一括して管理してるから、怪我をしているようなら向かうと良い」
「わかった。ありがとよ」
「大丈夫な奴らは俺達のように市内に散った魔物を殺してくれ!」
「わかった」
人数を増やし、時にグループを分けて散開し、市内への巡回を強化していく。
家への侵入も見受けられたが、人が居ない分、対処もしやすいし、変に住民が居るのではないかと警戒しなくて済む。
少なくとも門周囲の市街地を確保した後、負傷した仲間が気になるというイーコフと共に門へと戻るため、来た道とは違うルートを使って無人の町を駆け走る。
町の壁は崩れ、居酒屋の樽も粉々に砕け散り、魔物や人の血が混じり合い、血だまりがそこらじゅうに出来ていた。
それを見ながらイーコフが話しかける。
「やたら強い衛兵が居るとは話には聞いていたけれど、凄いね。お互いあまり会話をしたことがないし、挨拶程度しかしたことが無かったけど。俺が苦戦する相手でも一撃なんだ」
「慣れだ、慣れ。週末暇つぶしに森にでも行ったらすぐ慣れる」
「はは。そんな酔狂な真似は出来ないよ。……広場だ。だいぶ人も戻ってきたね。門は……取り返したみたいだね」
「ドラゴンを突破できる魔物が居たとしたらこの町ならすぐに陥落するだろう」
「違いない。……それじゃ、俺はここで。仲間の様子を見たら、今度は広範囲に市街地を見て回るよ」
「そうか。……俺はウルグと共にまた戻る。門を塞いだ方がいいな」
「集めた材木とかは、最初のボアの突進で全部吹っ飛んじゃったからなあ」
「……そっちにもボアが来たのか」
魔物の死体で沈む噴水の近くで立ち止まる。
広場にある土は抉れ、ベンチは砕け散り、噴水もゴブリンの死体や人間の死体が倒れこんでいる。
酷い有様に思わず顔をしかめる。
遠くを見れば、確かにボアのような、大きな魔物が倒れているのが見える。
「うん。あれだけで四名が死んだ。全員で一斉に串刺しにして何とかしたけどね。そのせいでこっちの守りは崩壊したってわけさ」
「……そうか」
「それじゃ。来てくれてあるがとうな」
手を振って別れを告げて門へと走ると、既に門を封鎖するべく多くの荷物が運び込まれている最中だった。
考えることは同じらしい。
隙間を縫い、時に障害物の山を越える。門を塞ぐから出るな、という誰かの声には、外にいるドラゴンに乗るから気にせず塞げとだけ伝える。
そうして門から飛び出すと、そこは無双したウルグによって出来上がった魔物の墓場だった。
血に染まってない場所が無く、凸凹の地面には爪で大きく抉られた跡や、壁に沿って真っ黒な延焼のあとが付いている。
森の一部も燃えつくされたような跡が散見できる。
向かってくる魔物も既にいない中、佇むウルグに近づいた。
「ずいぶん派手にやったな」
「我を援護するような弓兵もここにはいなかったからな。多少は派手に潰させてもらった」
「そうか。見た限りでは、相当な数が居たみたいだな。幾つの死体があるんだ」
「暇つぶしにと数えていたが、二十から先は知らんよ」
「助かった。とりあえずいったんアレン達のところに戻る。乗せてくれないか?」
「構わぬ」
前よりもスムーズに駆け上ると、一気に飛翔を開始した。