第五話 衛兵と町への来訪者
そうして一日が過ぎ、その次の日に事態は動いた。
悲鳴だ。複数人の。
その日、衛兵として町側に居たが、そのあまりに絶望的な叫び声は通路を超え、真っすぐ耳に飛び込んできた。
ほとんどは要領の得ないただの悲鳴だが、その一つはわかりやすく耳に届いた。
「ド、ドドドドラゴンだぁ!!!!!!!!!!!!!!」
ドラゴン。
脳裏に赤い鱗を見にまとうドラゴン――ウルグを姿を思い出しながら、通路を駆け走る。
休憩所からアレンが飛び出してきて合流する。
「おい、今ドラゴンって単語が聞こえたが、お前の知ってる奴か!」
「知らん! だから今向かっている!」
「知らんって……おいおい! もしお前の知らないドラゴンだったら」
「今日で町が終わりだな」
勘弁してくれと、顔を青ざめながらつぶやくアレン。
通路を抜けて森側の門へと向かうと、八名の衛兵が剣を震わせながらも大きなドラゴンと対峙していた。
門の前の森へと続く広い広場。
そこに赤い翼を広げ、こちらを威圧している存在。
むき出しの爪と太い腕は、人の胴など簡単に断ち切ってしまいそうだ。
分厚い首から伸びる首と頭を長く伸ばし、衛兵を見下ろしている。
その姿を見て、この場でただ一人だけ、安堵の息を吐いた。
ドラゴンは、どう見てもウルグだった。
門から出た瞬間に目が合う。
見た限りでは、限りなく敵意むき出しではあったが、こちらを一瞥した時の瞳からは敵意を感じない。
しかしどうにも、黙っていてほしい的な雰囲気を感じ取った。
隣に並ぶアレンは、自分が落ち着いている状態を見て悟ったらしい。
「ウルグだ」
「知ってる奴か。しっかし友好的じゃない雰囲気をぷんぷんさせてるが……お前、本当にあんな化け物と対話出来たのか」
「あぁ。だが何を……」
何をしに来たんだ。
そう考えた時に、ウルグの口からおどろおどろしい低音と共に言葉が紡がれる。
ブレスだと誤解した何名かが、その様子に腰を抜かせて倒れこむ。
「貴様らの町を数日以内に襲撃して蹂躙する。魔物を数百用意している。必死に抵抗して地べたを這えずり回る姿を見せろ」
どう聞いても人に対する宣戦布告。
声が出るたびに生理的な恐怖が呼び覚まされる。
アレンが冗談だろう? という表情でこちらを見てくる。
「殺しつくせば我が直に出向いてやろう。絶望に打ちひしがれながら戦う姿を我に見せろ。それを楽しみにしている」
そう言って、更に咆哮を大きくあげる。
門の横にあった松明が倒れ、根元から燃え上がる。
立っていた衛兵は全員倒れ、元から倒れていたものは気絶すらしたようだ。
ウォルト自身もびりびりとした圧を感じた。
隣でアレンが膝を突くが、目を逸らせる余裕は無い。
そうして役目を終えたとばかりに翼をバサリと広げると、またこちらを一瞥して、間違いなく口元が笑った。
それは普通の人にとっては捕食者を見つめる獰猛な笑みにしか見えなかったろうが、ウォルトは、会話の中で馬鹿な話になった時によく見せた、ウルグなりの笑いの表情だとすぐにわかった。
あまりに森で話していた時と違う雰囲気を見せる姿に多少の動揺はあったが、ようやく狙いがわかった。
――そういう、ことか!
蘇るのは森での会話だ。
人は、脅威を目にしなければ動かないという会話をしたことがあった。
その時は竜種も人種も同じだなという話になったが……こうも本物と直面すれば、人は動く。
必ず動く。大勢の人間が駆り出される。
しかも竜種からの戦線布告となれば、町から退去する人すら出るだろう。
これは良くも悪くもだが、守り通せない可能性がある分、死ぬ人間は一人でも少ない方が良いには越したことはない。
広げた翼で大きく羽ばたくと、一気に飛翔した。
その際の風圧でバタバタと服が鳴る。
上昇している最中にまた咆哮が聞こえる。
壁の向こう側、町の人にも聞こえたのは確実だろう。
それに姿を直接見た人間も出るだろう。
別箇所の警邏が鳴らしたドラの音が鳴り響き続け、壁沿いに別の門を警備していた集団がこちらに走ってくるのが見えた。
「はは、やりやがった、あいつ」
「な、なんだよウォルト。やっぱり化け物じゃねぇか」
「違う。ウルグは、人が動けるように一芝居打ったんだ」
「あれがか? なんでだ」
「最後に会話したときに、脅威を目のあたりにしなければ人は動かないという話をしたからな。これがアイツなりの恩返しなんだろう」
「恩返しぃ? それにしちゃ……おおう。本気の宣戦布告に見えたぜ。……今もまだ、腕のさぶいぼが収まらねぇ」
「それに」
「それに?」
アレンは剣を杖のようにして地面突き刺して立ち上がると、ぶるりと体を震わせた。
こちらを見る訝し気な表情に笑って返事を返す。
「最後、俺を見て笑ってたからな」
「マジかよ……正直お前の見間違えじゃねぇかとか思ってるけどな……」
「ははは、そしたら俺ら死ぬだけだからな。信じたほうが精神的に良いぞ」
「お前ほど肝の据わり方は良くねぇんだよ!」
走ってきた警備の連中や騒がしくなった周辺を尻目に、俺とアレンは歩き出す。
歩く先には連絡係の衛兵を集めて指示を出していた上長が居た。
「町の混乱をまず押さえろ! ドラゴンの咆哮と見た奴は大勢いる! 噂を押させることは出来んが、事実確認をしているという情報を新たに流せ! ギルドがパンクするだろうが、この際一緒にこの重荷を背負ってもらう!」
「上長!」
「アレンとウォルトか! 大変なことになったな、まさか魔物の大襲撃だけでなく、ドラゴンの襲撃が来ようとはな……」
これから起こる被害や騒乱に頭を悩ませているのだろう。
苦虫を潰したような表情の上長に告げる。
「少なくとも、あのドラゴンは敵対してきませんよ」
「幾ら知性があろうと魔物だ、魔物を殺しつくさなくとも気まぐれで襲われることだってあるだろう」
「いや、魔物を殺しつくさなくても敵対はありえません」
「なぜだ? ……そうえばお前らは、俺に魔物の襲撃が起こると進言していたな」
ギラリと瞳を細くし、睨みつけてくる。
すでに40は超えているだろう歳でありながら、前線でも戦えるというその切り傷だらけの表情には流石に緊張を覚える。
決して目立つ人ではないが、いぶし銀というに相応しい風格がある。
アレンが口を開く。
「あのドラゴンは、ウォルトが数週間前に出会ってるんすよ、森の中で。話を聞く限り友好的なヤツだそうで。魔物襲撃の件も、ウォルトが直接ドラゴンから聞いてどうにかしようという話を振ってたらしいんですよ」
「……そうなのか? 俄かには信じがたい話だ」
勿論、魔物の襲撃をどう防ぐか? なんて会話までは踏み込んで喋っていないが、ドラゴンが味方の存在であると印象付けるには良い流れだった。
「アレンの言った通りです。アイツ、ウルグというんですが、元々、怪我をしていたんです」
そうして、あの森に居たのだ。
奇跡のように。
「会話が通じたので怪我や飯の面倒を見ました。そこからもう何回も会話を続けています。それに、今回の件は、最後に出会った時、人は脅威を目にしないと動かないという話をしましたから――」
「――だから、ウォルトの意を汲んで姿を見せた、と」
「そうだと考えています。アイツが人を襲うなんてありえません」
目をじっと閉じ、腕を組む。
数秒間考えると、目を閉じたまま口を開く。
「――信用は出来ん」
「上長!」
「だが、お前自身は非常に信頼している。魔物が増えた中、うちの方面だけ怪我人が少ないのは、お前の働きによるものだ」
そう言って目を開くと、ふっと表情を和らげた。
「信用は出来ん。だがドラゴンが来ないとなれば町への被害が減ることも事実。どうせドラゴンが来ても対応できるような戦力はすぐには集まらん。気休めとして来ないという事を信じておく」
「上長……」
「まったく、このおっさんはー。良い年して溜めなんてずるいっすよー」
「アレンだったら信じてなかったがな」
「うっ!? 俺に対する信頼性が低い!」
「だがこれで、戦力状況もやりやすくなるのは違いない」
危機的状況でありながらも、ドラゴンが消えるだけもだいぶ以上にマシだ。
魔物の襲撃なら新人でも戦力になる。
これがドラゴンと戦うという事にでもなれば、ベテランでも戦力になるのかどうかという話だ。
「ウォルトの話は信じる。ならば魔物に特化しつくせればいいだけだ」
「そうっすねー。ドラゴンなんて無理っすから。そうだろー? ウォルト」
「まぁな」
しかしドラゴンか、と小さく呟いた上長に、アレンと共に注目する。
「話を出来るのであれば、一度くらいは会話をしてみたいものだ」
そういって悪戯気に笑ってくる上長は、暗にこの襲撃が終わったら話をさせろと言っているようだった。
意を汲みとって、傷が治ったら去る、もしかしたらさっきので会うのは最後かもしれないと告げると、非常に落胆してしまった。
その様子を見て、警戒を示す銅鑼の音が町に響き渡る中、切羽詰まった周囲に反してアレンと一緒に笑ってしまった。