第四話 衛兵と説得
腹が減らなくなるという変化の術とやらは本当のようで、その様子は見たことはない。
何度頼んでもその変化の後の姿は見せてくれないので、本当に変化してるのかと疑うこともあったが、この一週間、食料を要求された事は一度しかなかった。
徐々に傷が癒えてきたようで、森の中で動いたと思われる巨大な足跡も幾つかあった。
もうほとんど動けるのではないかと思うが、それでも毎回来るたびに同じ場所に居る。
こうやって過ごしているのが普通になりつつあるが、そのうちウルグも何処かに去ってしまうのだろう。
最近では休日の前日から森に泊まり込み、夜通し話したこともあった。
森の中で寝るなど、本来なら死んでも可笑しくない馬鹿げた暴挙であるが、ドラゴンの周囲に寄る気狂いな存在などここにはいないという事で出来た暴挙だ。
アレンから真剣に帰ってきたら連絡しろと言われたほどだった。
最初の衝撃的な出会いもあってか、一抹の寂しさが胸をよぎる。
そう考えていた、そんな時だった。
「ウォルト。気づかんか」
「……何がだ?」
「いや、人間には気づくことなど出来んか……」
厳しい顔つきになっていれば日頃の違いも分かったのかもしれないが、ドラゴンの顔つきの違いなど、そうそうわかるものではない。
「この森のことだ。良くない種類の臭いが混じって来ている」
「どういうことだ」
「ウォルト、最近町の方で急に魔物が増えてきていると言ってたじゃろ」
「増えてはいるが……。原因に心当たりがあるのか」
「あいにくと発生原因は我にもわからん。じゃが作為的なものじゃろう。……これから起こることがわかる」
「何が起こるんだ」
少しだけ言葉を溜めると、ウルグはこちらを見た。
「町が魔物の波に沈むぞ」
「何? どういうことだ!?」
思わず視線を強くするが、ウルグはむふぅと息を吐くだけだ。
「……もう少し我が周囲に気を配っておれば、早めにわかったのかも知れん。いや、最初から警戒しておくべきだったか」
その声には、後悔が滲んでいる。
「っく、いや、今わかっただけでも助かる」
「すまんな」
思わず顔を覆う。
ぽつりと気になった言葉を聞き直す。
「作為的なものなのか、これは」
「間違いないじゃろう。注意深く意識するとな、魔術の臭いのようなものを感じる。禄でもない術者がおる」
術者のところを吐き捨てるように言う。
何か過去にあったのかもしれない。
それよりも、術者なんていう単語は、あまり聞く単語ではない。
「術者……? ならそいつを叩けば」
「かもしれんな。じゃが、さっきも言ったように何処が元かはわからん。後手に回るしかあるまいて」
「どれくらいの物量が来るのか、わかるか」
「正確にはわからん。だが何百という数が来よう。今の町に来ている魔物数は、その数百という数から漏れ出した一部じゃろう」
「……」
それでも、この数週間。
倒した魔物の数は今までの何倍にも上る。
それを上回るというのか。
「猶予は……術者次第というわけじゃな。今この瞬間も起こりうる可能性がある。じゃがもう、一週間もかからんじゃろう。大量の魔物を維持し続けるだけの猶予は無いと見ておる。町に来る魔物が以前より多いというのならそう考えられる」
「そうか……」
言葉を失う。
そんな数が来たら間違いなく今のままでは町は大きな被害を受ける。
壊滅すら起こりうる。
町を覆う壁は厚いが、門は広く空いている。
閉じるなり塞ぐなり対策が必要だろう。
それに森に接しているのは何時も自分たちが居る箇所だけではない。
「俺は町に戻る。動いてくれるかどうかはわからないが、伝えなければ」
「町が襲われるのだぞ、動かんのか」
「実際の脅威を目の前にしなければ、人は動かん。悲しいことだが、やらないわけにはいかない」
「そこも、我らも人も同じか……」
ため息のような唸り声。
「ウルグ、お前はどうする」
無言で羽根を広げる。
普段お目にかからない分、やはり羽根を広げた際のインパクトは凄まじい。
木漏れ日を浴びる羽に美しさを感じる。
ただでさえ見上げる程の巨体、人の胴すら容易く切り飛ばせる鋭い爪、そして空を自由に舞うための巨大な翼。
間違いなくこの世界の覇者である存在はしかし、まだ完全な回復とは言えないようだった。
「完全ではない。だがそれももうすぐだ。我は治り次第、ここを出る」
「……そうか。寂しくなるな」
人間の都合にウルグを引き込むわけにはいかない。
それに、通常の人間がドラゴンを見たらどうなるか。
錯乱するだけだろう。
町を容易く消し飛ばし、国を亡ぼす程の力があるのがドラゴンというものだ。
逆に、手負いのドラゴンとわかれば狼藉を働く者も出てきそうだ。
ドラゴンは、体の素材が全て想像も絶するほどの高値だからだ。
鱗一枚とっても大金だ。
引き込むわけにはいかない、幾重の理由が重なっている。
ふと、ウルグがこちらを見つめていることに気が付いた。
「お主には恩がある」
「……?」
「じゃから」
言いよどみ、あらぬ方向に首を向ける。
腹の底に響くようなぐるるという唸り声も聞こえる。
そのだな、という呟きも聞こえるが……。
「……何でも無い」
「はは、何だよ。ウルグに言うだけ無駄かもしれないが、気を付けろよ」
「たわけ。心配するだけ無駄じゃ。ウォルト、無茶だけはするな」
「気を付けておく。……お前との日常、嫌じゃなかった」
「……我もだ」
鞄を持ってその場を去った。
後ろを振り向くことは、一度もしなかった。
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森から帰る道すがら、考えていたのは如何にして町の人たちを説得するかだった。
正直に話して何名の人が賛同してくれるのか。
散々考えて、気づけば町の外壁に到着していた。
仲間の衛兵たちが松明を燃やして明るさを確保し始めている最中で、森から出てきた俺を見てまた外に居たのかと呆れられた。
立っている衛兵の数は前に居る二人を除いて、更に四名、ついでとばかりに、広範囲に二名づつバディを組んで森を見張っている。
通常時の倍の数だ。
「せっかくの休日だってのに、本当によくまぁ森に行こうと考えるよな、お前」
「ウォルト、お前そんだけ出てりゃ、そりゃぁ魔物との戦闘でも瞬殺できるわけだぜ。お前新人から畏怖されてんぞ」
「町に居るよりも外に居たほうが面白いからな。魔物は衛兵をやり続けても瞬殺できるようになる」
「命の危険を楽しみの秤にかけるとは、その気が知れないぜ」
「だよな」
前の二人はそう言って笑う。
「それより、アレンは居るか?」
その二人を通り越し、さらに門を通り越してその奥を目を細めてみるが、アレンの姿は見えない。
問いかけると、二人して顔を見合わす。
確か今日は業務だったはずだが、居ないのだろうか。
と思ったが、すぐに答えは帰ってきた。
どちらかが答えるか程度のものだったらしい。
「あぁ、休憩中だぜ。呼んでくるか?」
「いや、居るなら休憩室に向かう」
「おう。いやー今日も魔物が大量に来て大変だったんだぜ?」
「そうそう。ウォルトがいねーと長引いて困る」
腕がねぇからな、と笑う二人に、ウォルトも、ようやく硬いままだった表情を柔らかくして笑顔を返した。
「休日に森に出てみたらいいんじゃないか? やろうと思えば簡単に遭遇できるし、お前らの言う瞬殺も出来るようになるぞ」
「勘弁してくれよ。町の掲示板にかみさんからの探索願いが出ちまう」
手をいやいやと振る衛兵にもう一人がしみじみと語り、二人で会話をし始める。
「この連戦で新人もかなりの勢いで成長してるから、嬉しいといえば嬉しいがな。さっさと平時の状態に戻って欲しいもんだ」
「一体、二体がぼろぼろと時折出ていたあの時代が懐かしいよ」
「数週間前の話だろ? 懐かしがるには早いぜ」
肩をすくめる挙動をした二人を置いといて門をくぐる。
この時間帯に来るような人はそうそういないため、衛兵は暇そうなものだ。
先の二人も、相当暇そうに立っていた。
鼠色の石壁に囲まれた通路を歩く。
壁と一体化し、少しだけ長いトンネルといった風情の通路の半ばほどに、衛兵の休憩室は存在する。
壁に掛けられた松明の火が幾重もの影を壁に写し出す。
流れる風は早く、時折派手に松明の炎が揺れる。
傷の多い木製のドアを開けると、セットの机と椅子があり、長椅子が並び、棚があり、あとは無造作に剣や防具が置いてある。
四方を封じられた室内という点から狭苦しく感じるが、実態はそれなりに広い。
衛兵たちの体臭や魔物たちの臭いで凄まじいことによくなっているが、衛兵たちの管理人と呼ぶべき女性たちのお蔭でいまだに人の生活圏を保っている空間である。
そんな場所に、一人でトランプタワーを組み立ててる男が居た。
アレンだ。すでに最後の四段目に突入している。
「アレン」
「なんだ? ウォルトか? 見ての通りだ、今は手が離せないんだ……」
「手を放してでも聞いてもらいたい重要な話がある」
「なんだよー」
そういうと、慎重にではあるが手を放す。
そうしてこちらを見る目は、静かにな? という意思が込められていた。
机に近づいて椅子をずらすと、その衝撃でトランプタワーはぱらぱらと崩れ落ちた。
ああああと嘆くアレンにすまないなと一言詫びると話を切り出す。
「最近急激に増えている魔物襲撃の件だが、近々数百規模の集団が町を襲うらしい」
「……どういう事だ、ウォルト」
何時ものおちゃらけた雰囲気ではなく瞬時に真剣な様子に切り替わる。
こういう時に茶化さない男がアレンだ。
「最近の魔物の町への襲撃頻度上昇は、誰か、あるいは何かによって作為的に起こされていることの副産物らしい。本来の目的は魔物を集めるためだけらしいが、押さえつける側の力が弱いのか、それがボロボロと零れ落ちた余波みたいなものらしい」
そこまで告げると、手を顎にやり、悩むような表情で早口になる。
「お前、それって、おいおいマジかよ。らしいらしいってことは聞いた話なんだろ?」
「そうだ」
「お前を疑うわけじゃないが、それを伝えた相手を俺を疑う。信頼できる情報源なのか。町の占い師とかいったら呆れるぜ、俺は」
「お前には話しておいた方がいいか。この情報源はドラゴンだ」
一瞬、室内から音が消えた気がした。
天井のランタンからの光がこの場を支配する。
時折、炎が揺れて周囲の影が動き出す。
そうして突如として動きを取り戻したアレンが、机の上のカードが動くほどの勢いで立ち上がる。
「はぁ!? お前本気で言ってんのかよ!? ドラゴン!? はぁ……はぁ!?」
「お前が驚くのもわかる」
「真顔で驚くのもわかる……じゃねぇよ! おま、ウォルト、お前どんだけ自分が非現実的なこと喋ってるかわかってるのかァっ!? ドラゴンだぞ、ドラゴン!!」
机に腕を叩きつけ、目を見開いてこちらに怒涛の勢いで喋りかけてくる。
確かにドラゴンは珍しい。伊達に絵本や昔話だけの存在ではない。
アレンはどっかりと座りなおすとブロンズの髪を掻き毟り、理解できないものを受け入れようと喋り続ける。
「ドラゴンっていうのはな、出たらもうおしまいなんだよ! 絵本や物語でしか見たことがない、知らない、大多数の人間がその実物を見ないまま生涯を終えていくっていうのが普通なんだぞ! ほとんど空想上の生き物だ! ほとんどなんて言葉も要らないぐらいだ! ましてや喋るだぁ!? 『勇者に使えた竜』に出てくるドラゴンかよ! もうだめだー、どう見てもお花畑だー、お花畑な話だよウォルト君」
「本当なんだ」
「あーそうなんだろうねー俺も最初聞いた時点で本当なんだろうとは思ってるけどここで信じたくないのはお前のその平常心がだよ!!」
一つ聞く、と小さく前置きされる。
おうと頷く。
「……お前、そのドラゴンと出会って何日目だ?」
「もう何週間もたっているな」
「日じゃねぇのかよ! それにしてはここんとこ振る舞いが普段と変わらなさすぎじゃボケェ!!! どんだけ遡ってもお前がドラゴンと出会った日がいつかなんてそんな区切りはなかったぞ!?」
「森に行く頻度が増えただろう」
もう一度机をドンッ! と叩かれる。
「わかるかぁ!」
「お、おう。すまんな」
肩で大きく息を吸うアレンを見ながら、絵本や劇という空想上の物でしか出てこない存在と出会うということは、本来もっと、普段の生活が変わるようなものなのだろうという認識に改めることとした。
こういう時、アレンが居ると些細な常識を教えてくれるから助かる。
「……お前にそういう事に関しての常識があることを信じていたのが悪かった。そりゃそうだよな。元々盗賊の頭である俺を衛兵に誘う人間なんてこの町この大陸探してもお前しかいねぇよ。そういう常識の人間だもんな」
「……お前よく衛兵勤まってるよな」
「もうやだこのウォルト!」
よよよという感じに、手で目を隠して崩れ落ちるふりをする。
それにしても、話自体は信じてくれたのか。
「そのドラゴンが言ったんなら信じる。幻覚喰らってるわけでも無さそうだしな」
「助かる」
「そうなると困るのは、俺たち以外をどうするかだ」
やや疲れが見えるが、強い意志が困った声だ。
「馬鹿正直に言ったところで何一つ加勢は増えやしねぇよ。むしろ牢屋付の医療所で医者と面と向かって毎朝毎晩、質問を聞かれて正常かどうかを確認するテストをされてしまいそうだ」
「だろうな。だからお前に言った」
「あぁハイハイありがとよ。その判断は正しいですよ、だ」
「上長までは説得できると思うんだが」
「上長か……。町を守る思いは強いだろうが、流石になぁ。装備を用意して固めるが限度だろう」
そう言って顔をしかめ、椅子に背中を預ける。
ギィという音を立てる椅子を揺り籠を揺らすように前後させ始める。
「一週間以内か。無理をすれば装備を固める以上のことは出来るかもな……どっか魔物の専門家か何かを見立ててやって騙せばなんとか」
「上長だけだがな」
「直接聞くかぁ。今日にでも来るっていうならこうしてのんびりと話し合える時間が悠長に残ってるわけじゃないしな」
「そうだな」
「おっしゃなら行くか! 今なら、えぇっと、お前どっちから来た?」
自らの顔の前で、指を左右に振る仕草。
「外からだ」
「上長は居た?」
「いなかった」
「じゃぁ中か。町の方に新人に指揮ってるかな」
連れだって歩く。
結果だけ言えば、ドラゴンの件は伏せたまま進言はしたが、芳しくはない答えだった。
魔物がある日、更に急激に増えてしまう――そういう可能性も考えられるとして、既に手は打ってあるそうだが、話をした際の数百規模の魔物が攻めてくることは想定しないとのことだった。
実害が出るとか、明確にわかる形で現れないとこれ以上は難しいというのが上長の判断ではあった。
門の近くに塞ぐための木材を別途、大量に用意しておくという対応を新たにとってくれるようだが、はたしてどれ程持ちこたえられるかは疑問である。
門も、壁自体も。