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第一話 衛兵と竜

 

 この町では、衛兵という仕事は大きく分けて二種類の事を行う。

 一つ目は門の前に立ち、やってくる人を迎えること。

 二つ目は時折紛れ込んでくる魔物を倒すこと。

 この二つだ。

 今は、二つ目の職務を果たしている。

 

「――おい、ウォルト! そっちにゴブリンがいったぞ!」

「了解」

 

 町の門から十分に離れた位置で、こちらに駆け走ってくる一体の魔物――ゴブリン――を見る。

 ゴブリンは人と比べて半分程度の体躯で、森を駆け、泥で汚れ、洗うという概念すら無いとわかる濃く汚れた茶色の肌を持つ。

 多くの人が顔を顰めるような、鼻を突く刺激臭が漂う。

 げへげへという声と共に呼気、それと体臭の臭いが混ざり合った獣とは違う独特の臭い。

 森の中で風上にゴブリンが居る場合、即座にその存在に気が付くことが出来る。

 駆け出しの頃は、生意気にも慣れたと称して必死に表情を取り繕っていたが、今ではピクリとも表情は変わらない。

 幾度となく森で狩りを続けていた結果である。

 そんなゴブリンに対して、気負わず、左手で丸い盾を構えて迎え撃つ。

 ゴブリンは駆け寄った勢いを持ったまま飛び上がると、耳障りな叫び声を上げて手に持っていた棍棒を勢い良く叩きつけてくる。

 小柄とは言え、体重はある。

 それを馬鹿正直に盾で受け止めず、ゴブリンの棍棒を弾くように盾を振るう。

 流れ落ちる棍棒に引きづられてそのまま体勢を大きく崩したゴブリンが地面に倒れこむと、起き上がる前に首裏目掛けて刺突を繰り出した。

 先端部だけが意図して鋭く磨かれ続けた剣はするりと入り込むと、ゴリ、という抵抗を受ける。

 その抵抗に対して一際強く押し込んだ後、即座に抜く。

 ゴブリンはびくりと震えてうめき声を一つだけ漏らすと息絶えた。

 自分のほかに五名の衛兵がいたが、周囲を見渡すと既に戦闘は終わっていた。

 最初に声をかけてきた仲の良い同僚――アレン――はこちらに歩いてくる最中であった。

 

「よう、お疲れさん。相変わらずひっでー臭いだわ。この後掃除することを考えるともう衛兵なんてやめたくなるわ」

 

 なんてことをアレンは言ってくるが、だいたい魔物との戦闘後はこんな調子である。

 衛兵に引き込む前の職歴を知っている身としては、何を今更と思うが、彼にとっての戦闘後の口癖のようなものだった。


「魔物なんてこんなものだ。――様々な例外はいるが」

「例外、例外ねぇ! 花のように甘く香る臭いを出す魔物がいるとしたら、それで獲物を引き寄せるラフレシアだよ!」

「ラフレシアか。むせ返るような熱帯と呼ばれる地域に出没する魔物か。獲物をおびき寄せる臭いにも種類があって、住む場所に現れる動物や魔物に合わせて臭いを変えるらしいな」

「よく知ってんな。なんだよウォルト、見たことあるのか」

「ない」


 ぼやきつつも待機所へと一旦戻り、ぼろ布で剣を拭う。

 ここ最近、微妙に魔物の襲撃が多い。

 といっても、まだ想定の範囲内だ。

 三日も出ない時もあれば、三日間出る時もある。魔物の襲撃に対する認識はこの程度で、今は後者の状態だった。

 しかし三日連続ともなると、酷使しないように気をつけている剣も光を鈍く返すようになる。

 夜の寝る前に先端部だけは特に磨きをかけてはいるが、そろそろ全体の研ぎも必要なのかもしれないとウォルトは思う。

 武器は消耗品であり、生命線だ。大事になる前に鍛冶屋に赴いた方が良いかもしれない。


「相変わらず淡白だねぇ。俺を衛兵に誘った時の熱い口説き文句はなんだったのか」

「気の迷いだったのかもしれなんな」

「おい!」

「冗談だ」

 

 お前の冗談は真顔で飛んでくるからアレだわ、と言いながらアレンは傍の長椅子に座ると、ため息を吐いた。

 かったるいと言い、同じように剣の手入れを行う。

 

「でもよーそんな魔物が居るんだったら、是非ともゴブリンと変わってほしいね。体臭だけでも。あ、呼気もなんとかしてほしーわ。ついでに肌の色もちょっと我慢ならない」

「ラフレシアはその場からほとんど動かない魔物だ。この周辺に来ることは無いだろう」

「あーあー、やっぱねぇかー」

「戦うとなると、蔓による攻撃が厄介だな。槍に似た攻撃範囲と聞く」

「げ。めんどい」


 強さだけは今のゴブリンそのままで良いんだけどと、肩を持ち上げていう。

 剣を拭った布を選択籠に投げ捨てると、ロッカーへと歩き出す。

 前を歩く同僚を見ながらウォルトはこの時、その数少ない例外となる存在を思い浮かべていた。

 それは先日の出来事だ。

 趣味の森への散策の最中に出会った存在。

 例外中の例外。


「いるさ。そうではない、例外が」

「お目にかかりたいものだよ、まったく」

 

 ===========================


 週末に森の散策に出かけるのは、数少ないウォルトの趣味の一つだ。

 自らの趣味を数えるなら筋トレ、音楽、そして散策。

 それぐらい数少ない趣味の一つである。

 森へと歩き、出かけ、魔物を倒し、時には逃げて。

 衛兵として町を守りつつも、週末はさらに森に出かけてわざわざ魔物に出会うような生活を見て、衛兵の鏡だなと言われたこともあるが、衛兵としての矜持をもって行っている趣味ではない。

 もっとも今の時代、趣味が幾つも持てる程、多くの庶民に余裕があるわけではないのだが。

 

 ウォルトや町の狩人が踏み固めた、道とも言えないを歩く。

 本来の商業用馬車が通る道からだいぶ外れたところにある道だ。

 森の中は煩く、風が鳴らす木々の擦れる音や、鳥のさえずりが混ぜこぜになって耳へと入る。

 大部分は薄暗く、大木が倒れているようなところ以外は陽の光が細い線となって目の前の景色に映る。

 ウォルトは、町の中央部に住まう貴族のような、美術品を愛でるような芸術的な価値観を持っていないし、理解できるとも思っていなかった。

 美術品を見た時、別のことを考えてしまう。

 一体何処で、誰がこのような絵を、物を作り上げたのかという疑問だ。

 だから美術品を見ても感動というものはほとんど無い。

 それに比べて、魔物が住んでいる森の中で聞く音は常に新鮮であり、この自然のざわめきともいうべき音楽は聴いていて心地が良い。

 一昔前にアレンにそう話したとき、心底不思議そうな顔をしていた。

 音。つまり音楽に関してだけは、貴族連中と同意できるところもある。

 彼らの聴くレコードは、何処か感じ入る所があるのは確かだ。

 静かな酒場でしかお目にかかったことはないが、何時か稼ぎで再生機を買ってしまおうかと考えてしまう。

 

 森に入ってしばらく。

 道を切り開く鉈をふるいながら、少しの疑問を感じていた。

 

「なんだ……?」


 入ってすぐに、森のざわめきが少し違うと感じながら歩き出した。

 何処か、静かな様子を見せているというか、森が緊張しているような感覚。

 そのざわめきの違いを追って森を歩き続けた。

 何かが違うと疑問を覚え、明らかに鳥のざわめきの質が違うと感じ、こうして奥へと向かうこと一時間、確信へと変わる。

 

「何かがこの森の生態系を崩している?」

 

 胸中に手に負えない案件の可能性が出てきたという予感が新しく生まれ、それは町を守る衛兵という職種に就く人間として、ある行動をとらせた。

 つまり、問題の確認を行うという行動である。

 今から町に戻ってもその存在は場所を変えてしまうかもしれない不安。

 ここで違和感を追えたことに対する幸運。

 これを見逃したことで起きる被害の最悪線想定。

 この先に居る何かに触れるなとばかりに、背筋をチリチリと焼かれるような悪寒が走る。

 それでも、過去のことを思い出して自らを奮い立たせる。

 数度、手に負えないような魔物と直面したことがあるが、全て命からがらでも逃げ帰ってきた。

 その情報を使い、町への大きな被害が起こる前に人数を集めて魔物を迎え撃ったこともある。

 

 静かに、改めて荷物を確認した。

 鉈と背負ったリュックと腰に差したメイス、胸に着けたナイフ、取り出しやすい位置につけた悪臭の玉。

 何も問題はない。

 頷いて、徐々にざわめきの聞こえない場所へと歩き出した。

 歩く先は、確か……それなりに開けた場所だったはずだ。

 この一帯の森はおおむね散策済みである。

 歩くたびに周辺の違和感が強くなる。ざわめきが遠く後ろで聞こえる。

 悪寒が強くなる。背中に焼けた棒が近づくような感覚を覚える。

 ここまでの物は人生の中で感じたことはほとんどない。

 こういう予感は良く当たる。命のやり取りも十二分にあると一層の警戒を高める。

 更に近づくと、リュックを下した。

 いざとなった時に逃げやすくするために。

 すでに、強烈な悪寒はある瞬間を境に麻痺にしたように感じ取れなくなっている。

  

 一歩を踏み出し、開けた場所へとたどり着く。

 

 

 そうして、出会った。

 

 

 ウォルトは、貴族のように美術品を愛でる感覚に対して理解を持っていない。

 理解できないと思っている。

 いや、思っていた。

 

 そこは、記憶通り鬱蒼とした森から解放された小さな場だった。

 周りの木々から切り離されたように中央に一際大きい木が天を覆う。

 その大木のテリトリー内には他の植物がほとんど無い。

 零れ落ちる光や水滴だけで大丈夫な苔ばかりが多くの地面を占めて、幾つかはむき出しの土が見えている。

 

 そこに、一体の魔物が横たわっていた。

 

 天を覆いつくすような枝木はしかし、光の全てを締め出したわけではない。

 木漏れ日が天から幾条も地面へと伸びる。

 木漏れ日が差した先は地面だけでない。

 幾つかは赤い鱗を輝かせていて、幾つかは閉じた瞼を避けるように頭部周辺を照らしていた。

 人にとって巨大な木々の根っこがまるで枕のようだった。

 ウォルトの胸に、感じたことの無いざわめきが生まれる。

 危険を示す感覚が許容範囲を超えたことを錯覚しただけなのかもしれない。

 音さえ掻き消えて、視界は狭まりそれしか見えない。

 初めての感覚に戸惑い、呼吸を止めて、それが美しいものを見たときの反応であると遅れて理解した。

 

 

 そこに、一体の魔物が横たわっていた。

 

 

 真紅とも呼べる赤の巨大な体躯。近づけば見上げる必要があるだろう。

 

 鱗が幾重も重なり肌を覆う。

 

 たたまれた腕はその体躯からは細く見えるが、人の胴体と同じように太い。

 

 長い首には灰色の毛が一条、走る。

 

 長い尾がゆるりと弧を描いている。

 

 背中には飛翔の翼が折りたたまれて見えた。

 

 おとぎ話に聞いたことがある。

 絵本で見かけたこともある。

 劇としても有名で、その魔物が出てくる作品はどれも苛烈な戦いを人と繰り広げ、数多の伝承や歌がある。

 時には幾つもの町を壊滅させた伝承があり、時には共に戦う知性を持ち、人と共同で戦う物語があり、時には身を化かす化生の術も使う話もあり、時には大陸を一晩で駆け抜けるその脅威を物語った語りもある。

 何処までが本当で、何処までが嘘なのか。

 ただ、明確にわかっているのは、強大な魔物のシンボルであり、空を舞う怪物であり、この世界の覇者に近い存在。

 その魔物の種族の名は――

 

 

「――ドラゴン」


 

 ――竜種。

 声に反応するかのように、ドラゴンの瞼が、ゆっくりと開いた。


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