ドラゴンの厩舎
「大きな声出さないで、ジェダイド」
クリスティーヌがそう言いながら、建物の中に入って行くと、
「なんだ、おまえも来たのか」
と少年の声がした。
わたしもクリスティーヌに続いて中に入る。
ちょっとだけ鼻につく臭いがした。動物園とか牧場で嗅いだことのある臭い。でも顔をしかめるほどじゃない。
厩舎の中は思っていたよりは明るかった。壁の高い場所には、ひさしの付いた窓が四方にあって、そこから新鮮な空気と陽射しが注ぎ込んでいた。
石造りの校舎とは違い、この建物は木造で、体育館みたいにかなり高い天井に太い木の梁が渡されている。
建物の中だけど、外と同じように地面は剥き出しになっている。
入ってすぐに金属製の格子状の檻が縦に二列、建物のずっと奥まで並んで続いていた。
わたしはすぐに檻の中にいる生き物に気づいた。黒くて大きなその生き物は、上下にゆっくりと身体を動かしながら、ズウウン、ズウウンと音を立てている。どうやらそれが呼吸音らしい。
寝てるのかな。くるっと丸まった漆黒の巨体の中に器用に頭を隠している。
隣の列の檻の中にも、同じような生き物が丸まっていた。こちらは白っぽい色。
建物の壁に沿って左右に通路があり、中央に二列の檻があるのだ。
一つの檻に一頭ずつ生き物がいた。現実には見たこともない大きくていかつい生き物。
そう、ここはドラゴンを飼っている小屋なのだ。小屋といっても、突き当りまで百五十メートルはありそうな縦長の建物だけど。
クリスティーヌは左側の壁際に向かい、並んだ檻に沿って進んで行く。
わたしもそれを追いかけた。
壁際には、飼育用のいろいろな道具が置いてあった。掃除用の道具から、農機具みたいな物、円筒形の藁の束がピラミッド状に積み上げられ、馬の物とは比べものにならないほど大きな鞍が板敷きの上にごろごろ置いてある。
並んだ檻に沿って歩きながら、わたしはドラゴンたちを見た。
左の列の檻には五頭いた。多分、この右の列にも五頭ぐらいのドラゴンがいるのだろう。
――十頭もいるのかぁ。
わたしは複雑な気持ちで、檻の中でまだ寝ている想像上の生物を眺めた。
自分の見ている夢だとしても、ここまで詳細にドラゴンを想像できるなんて、わたしって妄想たくましいのかもしれない。
十五メートルほど行くと、壁際に台所の水場のような場所があり、そこにジェダイドがいた。中国包丁みたいな大きな刃物を振り上げている。
――ええっと、何をしてるのかな?
わたしは異様な光景に、ぎょっとした。
包丁が振り下ろされ、ダダンッと音が響くと同時に、ぶつ切りにされた真っ赤な肉が半分になる。それでもまだ、わたしの頭ぐらいはある肉塊だ。何の肉かはわからないが、血飛沫がすごい。
ジェダイドは水色のエプロンをつけていたが、胸の前は血で染まっていた。
切った肉を左下に置いた桶に放り入れているが、まだ右手に山のように肉塊が積まれている。
――あれ、全部切るつもりかな。
鶏肉の解体処理を見たことすらないわたしからすると、これは結構きつい光景だった。
積まれている肉の中に脚っぽいものや頭っぽいものが覗いている。ちょっと内臓らしきものが見えた気がしたので顔を背けた。頭の色や形から、どうやら牛らしい。
クリスティーヌはずかずかとジェダイドの方に寄って行くと、おしとやかな彼女にしては珍しく、腰に手を当てて言った。
「ジェダイド、今日の肉切り番はパールできないからね」
ジェダイドが次の肉をダダンッと切り落とす。
「なんでだよ?」
「パールは病気が、まだよくなってないからよ」
ダダンッ! 血飛沫が上がる。
「病気には見えねぇけどな」
「ずっと一緒のわたしが言うんだから、そうなのよ!」
ダダンッ! 脚が関節部で真っ二つになる。
「ああ、そうかよ」
ジェダイドは手を止めて顔を上げたが、呆れた表情をしていた。
わたしをちらっと見て、ふっと微笑む。ちょっと嫌味っぽく見えるのは、思い込みだろうか。
「じゃあ、そこのアホ面の病人には何ができるんだ? 何もしないでぼうっと突っ立っとくつもりかよ」
血塗れの包丁を手に、ジェダイドが言うと、わたしの代わりにクリスティーヌが言い返した。
「パールは記憶がないから何もできないわ。病気が治るまで見学させてあげて」
「見学ぅ? サボりじゃねぇか」
「サボりじゃないわよ」
「ゴーヤン先生は、おれとパールに厩舎を掃除するように言ったんだぞ。それも一ヶ月! おれに一人でやらせる気か!?」
「そ、そうじゃないけど・・・」
クリスティーヌは口ごもった。さすがに一ヶ月、一人で厩舎の掃除をするのは気の毒だと思ったのだろう。
「じゃあ、まずは掃除の仕方をパールに教えてあげないといけないわ。じゃなきゃ、何もできないんだから」
クリスティーヌとジェダイドが二人して、わたしを見た。ぽかんとしているわたしに、二人とも困った顔になる。
「あの」
とわたしは二人に言った。
「わたし、教えてもらったら、何でもやるよ。できそうにないことはちゃんとそう言うから」
ジェダイドが溜め息をつき、クリスティーヌが感激したように、嬉しそうに微笑む。
クリスティーヌはジェダイドに言った。
「じゃあ、少しずつジェダイドが教えてあげて。無理させちゃダメよ。ちゃんとパールのこと見ててあげてよ」
わたしはクリスティーヌがいてくれるものだと思ってたけど、彼女は来た道を戻って行く。
「あれっ? クリスティーヌ、どこ行くの?」
「ごめんね、パール。わたし、今日はこれから朗読会の準備があるの。だから行かなきゃ」
「朗読会?」
「ええ」
申し訳なさそうにクリスティーヌは振り返り、
「またお昼にね。教室で待ってて」
と、扉から出て行くと、またすぐに戻って顔だけひょこっと出して言った。
「ジェダイド、教室までパールを連れて行ってね! お願いよ!」
ジェダイドはむすっと黙ったまま返事をしなかったけど、クリスティーヌは構わず行ってしまった。
そして、わたしはこのちょっと意地悪そうなガキンチョと二人きりに・・・・・・。
すごく嫌だ。帰りたい。というか、もうそろそろ目が覚めて欲しい。わたしの夢、長すぎるでしょう。
ジェダイドから五メートルほど離れた場所に突っ立って、わたしはうつむいた。
すると、ジェダイトがダダンッとまた肉を切り始めた。
ダダンッ! ダダンッ! と物騒な音と無残な光景が続く。
わたしは水場の向かいの五つの檻と、その中のドラゴンたちを見た。
白、くすんだ赤、灰色、真っ黒、それからちょっと変わった灰色と黒のマーブル模様のドラゴンがいた。大きさはまちまち。サイぐらいの大きさから、二階建てのバスぐらいありそうなのまでいる。でも、どのドラゴンもみんな丸まっていた。
この時間は寝ているものなのかな。
わたしは興味深く、檻に近づいて行った。
金属製の檻は格子状になっていて、わたしの頭がぎりぎり入りそうなぐらいの隙間がある。
わたしは檻の格子を掴んで、中を覗き込んだ。
少し薄暗いけど、白くて大きなドラゴンの背中が見えた。檻から一メートルほど離れたところで、ズウウン、ズウウン、と寝息を立てている。
わたしが覗いていると、背後からジェダイドが声をかけてきた。
「おい、パール。そいつに近づくな」
振り返ると、ジェダイドはまだ水場にいて、手を真っ赤にして肉を切っていた。
「どうして?」
訊き返す。
「まったく」
と、ジェダイトは困り果てたようにぼやいた。
「本当におまえはバカになったんだな。前からバカだったのに、それ以上のバカになったら、もうどうしようもないな。さっさとまた頭でも打って、元に戻れよ」
さすがのわたしも、ちょっとムッとする。だから檻から離れないもん。
黙って格子に顔を挟み込んで中を覗き続けていると、
「そいつはステラじゃないから近づくな」
と、ジェダイドが言った。
「ステラはおれたちに懐いてるけど、他のドラゴンは違うから、機嫌が悪いと噛みつかれるぞ」
わたしは掴んでいた格子から手を離した。
「か、噛まれたらどうなるの?」
「そりゃおまえ、噛まれたら、おまえのバカな頭と貧相な胴体がこんな風に――」
ダダンッ! 真っ赤な牛の肉が血を飛び散らせて真っ二つになる。
わたしはぞぞぉっとして、檻から後ずさった。