ユキノシタカエルモドキ
「おはよう!」
「おはよう、クリスティーヌ」
「おはよう、パール、クリスティーヌ」
食堂に入るなり、女の子や男の子に声をかけられた。年齢は小学校一年生ぐらいの子から大学生ぐらいの大人びた子まで様々。
食堂は男子寮と女子寮の間にあって、男女共同なようだけど、きっちりと真ん中で分かれていた。まるで透明な仕切りがあるみたいに、男子寮に近い方に男の子たちが、女子寮に近い方には女の子たちが座っている。同じテーブルに着いている男女は見回した限りではいない。
ほとんどの子が制服だけど、わたしと同じ水色の制服の子はみんな幼い。小学生ぐらいまでだ。それ以上のちょっと背の高くなってきた子たちは青色、さらに年齢が上がると紺色の制服になるようだ。
わたしがきょろきょろしている間に、クリスティーヌは周りからの朝の挨拶を笑顔で返しながら、手を引いてカウンターの方へ連れて行ってくれた。
横長のカウンターの前に女の子と男の子入り混じっての行列ができている。カウンターの内側にいる四、五人のおばさんたちが慌ただしく調理したり、出来上がった料理をカウンターの上に並べたりしていた。
セルフサービス式なのか。どうやらカウンターの上の好きな物を自分で好きなだけ取るみたい。
わたしは身を乗り出して、列の後ろからカウンターにある料理を見ようとした。だって、お腹が空いていることに気づいたんだもん。
昨日の昼ぐらいから何も食べてないから、胃がからっぽなのが自分でもわかるぐらい。
十五人は並んでいたはずの列はあっという間に進んでいき、わたしとクリスティーヌが料理を取る番になった。
「パールはいつもゆで玉子と白パンだけど、今日はどうする?」
クリスティーヌはコップとお皿を取ると、わたしの持つトレイの上にも置いてくれた。
「うーん、どれが美味しい?」
わたしが訊き返す。
だって、並んでいる料理の半分ほどは、何が原材料かわからなかったから。
紫色のべちゃっとしたマッシュポテトっぽいものとか、赤いソースに絡まった紐状の何か(一瞬パスタかと思ったけど、よく見ると先に逆三角形のプラナリアの頭みたいのが付いてる! 虫!?)とか、茶色くて小さな玉(うさぎのアレっぽい)とか、ちょっと未知の物すぎて手を出すのが怖い。
わたしが困惑していると、クリスティーヌが白パンを取ってお皿に載せてくれた。
「じゃあ、このカリカリ揚げ豆はどう?」
うさぎのアレっぽいのを指差している。
「これ、豆なの?」
「そうよ」
「じゃあ、こっちは?」
わたしは白と水色の五センチほどの棒状の物について訊ねた。見た目がかわいいし、外国の飴みたいに交互にくねってある。
「それはパール嫌いでしょう。苦いって言ってたじゃない。わたしも苦手だなぁ。好きな子は好きだけどね」
クリスティーヌが言うには、この棒状のものは苦い薬草が混ざったクッキーらしい。身体にはいいけど、高学年向けらしく、お子様はほとんど手をつけないということだった。
わたしはさらに奇妙な物を見つけた。それは――――。
隣の隣に並んでいた十五、六才ぐらいの男子が持っていた物だ。
「カエル?」
鮮やかな黄色いカエルを手で握りつぶしていたのだ!
「ひいぃぃぃぃぃぃぃ」
思わずわたしが喉の奥から恐怖の声を出すと、クリスティーヌがくすくす笑った。
「もしかして、アレも忘れちゃったの、パール?」
「忘れちゃった、みたい・・・」
涙目でわたしが答える。だって、男子の手の中でカエルがぺったんこになってたんだもん。しかも、わたしの隣の女の子までそのカエルを手に取っている。
列が進んで、わたしの目の前には大量のカエルが入ったケースが置かれ、中ではゲコゲコと鳴いている。そう、生きているのだ。
「ぎぃやぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
わたしはガクブルしながら、隣の中学生ぐらいの女の子の所業をつぶさに見た。握ったカエルをぎゅうぎゅうと手で絞って、口から出たどろっとした緑色の液体をコップに注いでいる。一滴たりとも無駄にはしないわ、と言いたげな様子で、これでもかと絞っている。
「ひぃぃぃやぁぁぁぁぁぁ」
わたしは身震いしながら、それを見ていた。女の子は最後の一滴のために、カエルをコップの上で少し振ると、ぺっちゃんこになったかわいそうなそいつを足元のバケツに放り込んで去って行った。
「大丈夫、パール?」
「大丈夫くない」
一気に空腹から、食欲ゼロの状態になってしまった。わたしはふらふらと白パンだけトレイに載せて行こうとしたけど、クリスティーヌが服を掴んできた。
「ちょっと、パール。飲み物がいるでしょ。今日はこれにしたら? 滋養強壮に効くから」
クリスティーヌが指差しているのは当然のことのように、黄色いカエルだ。
「いや、わたし、本当に無理。それは無理。カエルのゲロは無理だわ。それぐらいなら泥水を飲みます」
「何言ってるの、パールったら」
うな垂れているわたしを見て、クリスティーヌがまたおかしげに、くすくす笑う。
「カエルじゃないわよ。これはユキノシタカエルモドキよ」
「雪の下カエルもどき?」
「そうよ。カエルに擬態した実よ」
「実? でも、生きて・・・」
「ああ、動いているのは新鮮だからよ。植物って獲った後もしばらくは元気じゃない」
平然と言われると、そういうものなのかと思ってしまいそうになる。
「ええっと、植物なの? これ」
クリスティーヌは頷いて、一匹(いや、一つと言うべきか)を手に取り、手の中でぎゅうぎゅう絞り立てた。どう見てもカエルの口から緑色の汁がコップに注がれている光景は言っちゃ悪いけど、うえ~って感じだ。
「これはとっても甘くて身体にいいのよ」
「そ、そうなんだ・・・」
たとえそうだとしても、これを飲む度胸はわたしにはない。
「パールはどうするの? カエルモドキが嫌なら牛乳にする?」
「ソウシマス」
わたしはクリスティーヌの恐ろしい殺戮(にしか見えないのごめん)から顔を背けた。
朝食を済ませると、クリスティーヌとわたしは部屋には戻らず、寮から出た。いつもはまだ寮にいて、朝の支度がゆっくりできるみたいだけど、わたしは厩舎に行かなきゃいけないからね。
昨日、わたしに不機嫌そうな顔を向けていたゴーヤン先生は、クラス担任らしい。
「わたしはパールと同じクラスじゃないから、授業のこととか、細々したことは同じクラスのルビーとサフィーに頼んであるからね」
クリスティーヌと共に学院までの坂道を下りながら説明を受ける。
「もうみんなパールの頭の病気のことは知っているから、そんなに心配しなくていいと思うけど、困ったことがあったらルビーとサフィーに言うといいわ。あとね、ジェダイドには気をつけて」
クリスティーヌって本当にジェダイドを敵視というか、危険人物として見てるんだな。わたしは、うんうんと頷きながらもそう思ってしまった。
「お昼には様子を見に行くから、教室に残っていてね。お昼ごはんは一緒に食べましょう」
「わかった」
その他にも、クリスティーヌは丁寧に学校のことを教えてくれた。わたしは四年生の二つあるクラスの内、シルヴァーフォックスという名前の組で、クリスティーヌはゴールドディアという組。
どちらも生徒数は十六人。少ないけど、どのクラスもそんなもんなんだって。
そして、クラス替えは三年ごとで、今月、四年生になったばかり。だったら、今はまだ馴染んでいない子もいるんじゃないかと思ったけど、みんな寮生活で顔見知りだからそうでもないみたい。
担任の先生はいつも眉間にしわを寄せてるゴーヤン先生。三十二才で彼女なし(これは噂だってクリスティーヌは言ってたけど)。
ゴーヤン先生の担当教科は幻想生物学で、ドラゴンの騎乗実習やピクシーの飼い方、ノッカーの使役方法など、一風変わった生き物のことを教える先生らしい。
元の世界的に言うと、生物の先生だよね、多分。
クリスティーヌが言うには、ゴーヤン先生は他の先生よりもずっと厳しくて、騎乗実習では毎年、何人かが単位を落とすらしい。
「単位を落としたらどうなるの?」
「それはもちろん、落第よ」
「留年ってこと?」
「ううん。この学校には留年はないの。落第したら、次の年はその落とした学科の授業が倍になるのよ。一年生と二年生の授業を両方取ったり」
「うう・・・それはきついね」
「うん。だから結局、その年もまた落第しちゃったりしてね」
「うわぁ」
想像するだけでも恐ろしい。
「補習もあるから、放課後がずっと補習って人もいるけど、さすがにそこまでひどいと学校を辞めて家に帰っちゃう子がほとんどだと思う」
「な、なるほど・・・」
どこの世界も勉学には厳しいってことがよくわかった。
坂道を下りると、濃灰色の重厚な石造りの建物の前まで来たわたしたちは、扉のない出入り口をくぐり抜け、薄暗いトンネルのような一階の通廊に入った。
そこを通り過ぎると、別の校舎へ渡って行く。
校舎と校舎は渡り廊下で繋がっていて、雨でも濡れないように屋根がついていた。
外見はお城なんだけど、中に入ると廊下と教室が続いていて、元の世界の学校を思い出した。
ただ、明かりが壁に据え付けられた燭台だけなので薄暗い。
壁も床も黒っぽい石でできていて、曲がり角や柱にはところどころ華美すぎない程度の装飾があり、それが逆にちょっと不気味に思えた。
夜に一人で歩くのは怖いかもしれない。
どこにも下駄箱がなさそうなので、校舎内は土足なのだろう。
わたしはクリスティーヌに連れられて、二つほど校舎を抜けると、広いグラウンドのような土がむき出しになった場所に出た。そのグラウンドに沿って道なりに進んで行く。
今までのお城のような建物とは違い、見えてきたのは大きな倉庫のような平屋建ての建物だ。学校の体育館によく似ている。
「ここよ、パール」
クリスティーヌが先に数段ある石の階段を上がり、両開きの扉についた。大きくて古い扉がギギギギと軋んだ音をたてて開いていく。
と、突然、奥から、
「遅ぇよ!」
そう声がした。